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散華有情 / 13 白色の蛍光灯が整然と見下ろす廊下を、白いコートの裾を翻して歩く。 どうやら佐々木から奪って来たこのコート状の制服は、見廻組では局長のみが着用するものであったらしい。それを無造作に肩に羽織って歩く見慣れぬ男の姿を、通りすがる白い制服たちがいちいちぎょっとした顔で見送っていく。 手触りや縫い目を軽く確認するだに、どうやら生地自体や仕立ても真選組の隊服より高級らしく、斬った張ったの消耗品じみた使い方をするには少々どうかと思える類の服だ。こんな所までエリートって奴らはエリートと言うブランドに拘るのかと呆れを通り越して逆に感心する。 見廻組隊士らは、そう見覚えのない形の男が局長のコートを羽織って、見廻組のオフィス内を堂々と歩いていると言う現状に、不審なものや訝しげな態度を隠しはしない。が、不審者として捕らえようとしたり、上司に連絡を取る素振りを見せるものはいない。 まあ、逐一説明や言い訳をしないで済むのは実に楽で良いのだが、仮にも警察と言う組織だ。余りにザルだと少し心配にもなる。単に佐々木が例の超速メールで署内に通達でも回しただけなのやも知れないが。 エレベーターに乗って一階へ下りて、銀時は少し考えてから、堂々と正面玄関から出て行く事にした。ここまで誰にも特に見咎められていないのだ、この際受付嬢に軽やかに挨拶でもしながら通り過ぎてやろう。 (そう言や、あの……こっちの副長?ったっけか。ドーナッツ女がいねーな) 広い、普通の企業の様なつくりをしたエントランスを何となく見回す。別にそうしたからと言って見つかると思った訳ではない。 見廻組の手引きをする羽目になった件の一件で僅かに見ただけだが、エリート然とした見廻組の隊士達と女は明らかに一線を画していた。しかもどちらかと言えば越えてはならなさそうな一線だ。 それ故に、と言うべきか。女は常にそれとなく佐々木の動きを見て、その危機に即座に反応する忠犬じみた役割を持っている様だった。明らかに何か、それこそ『一線』を軽く越えた訓練がされただろう人材なのは、銀時の見立てでは恐らく違っていまい。 あの女ならば、佐々木に何かがあれば──別に何かをした訳ではないのだが──直ぐに飛んで来そうなものだと言うのに。 その佐々木のコートを勝手に拝借している身としては何となく想像は薄ら寒い。まさか両局長に従順な両副長が揃って行方不明と言う事もあるまい。まあ別に構わないかと、銀時は相変わらずの悠々とした足取りでその侭入り口の自動扉を抜けた。受付嬢は声までは掛けて来なかったが、不審そうに首を捻ってはいた。 警察の管轄下にある建物である、と言う安心感は、内部の者から警戒心でも奪うのだろうか。だとしたら不用心を通り越して怠惰ですらある。 普段偉ぶっている公僕や幕僚ら、国の下となり上を支える者らが全てこの調子だとすれば、この国の未来も存外明るくはないのかも知れない。尤もそれが向こう数日数年程度の未来を見据えたものではない事など、百も承知だが。 知り合いのテロリスト──もとい思想家の語る、国への憂い云々……そんな真面目顔を何となく思い出しながら、銀時はビルの入り口の張り出し屋根の下で足を止めた。 雨である。とても雨具無しで歩きたくはなくなる様な雨量が、薄暗い空からしとしとと江戸の町を浸していた。 そう言えば今日は一日中雨だとかなんとか言っていたような気がする。 と言うか、昨晩土方の帰りが早かったのもこの天候が原因だった。 仮に佐々木の推測通りに、場当たり的犯行ではなく、土方が単独の帰路を狙われたと言うのであれば、銀時が土方をもう何時間か無理矢理に引き留めていたらどうなっていただろうか。襲撃者(仮)とやらはいつ出て来るのかと窓を見上げて苛々としていたのだろうか。 (……本当にな。何かの意趣みてぇだろ、これ) だとしたら、それは一体『誰』が『誰』に向けたものだと言うのか。 余りにも手札が手元に綺麗に揃って撒かれた様な感じがする。仕組まれていた様な、見誤る事を狙うかの様な、強烈な違和感。 『犯人』と言うのが一体『何』なのか。それは本来、警察組織の上で起きている諸々のごたつきであって、ただの一般人の銀時の関わるべきものでもなく、関わらせられるべきものでも無い筈だ。 (あのエリート様なら、その辺しっかり区切りそうなもんなんだけどな…) 思って銀時は憶え深い不快感に眉を寄せる。佐々木がまさか大人しく銀時の勝手な一人歩きを許すとは、実の所全く思っていなかったのだ。無理を通す為にはいざとなったらあの涼しげな面に一発ぶち込んでやるぐらいの物騒な事は考えていた。勿論後が面倒になるのでゴリラの暴動だとでも勝手にでっち上げてやろうとか、土方が知ったら拳骨では済ませてくれない事まで考えたりもしていた、のだが。 実際佐々木は、半ば投げ遣りにも見える態度で銀時を快く取調室から送り出してくれた。 これでは佐々木が『何の為に』銀時の身柄をわざわざ、他の警察組織(暫定敵)に捕縛される前に逮捕に踏み切ったのかが解らない。 佐々木は「他の警察組織(暫定犯人)にアナタが犯人として捕まる事態は避けたかった」と言った。土方を『何らかの目的』を持って拉致した犯人が、警察関係、或いは幕臣の何某だと言うのが真実であれば、アリバイ面や日頃の行い的な意味で(些か不本意な話だが)疑いの最前線に置かれる事となるだろう銀時の身柄を先に押さえる事は確かに肝要ではある。 そして、だからこそ、近藤と言う容姿のまるで似ついてすらいない男を『身代わりに』などと言う無理矢理な建前を出した銀時を、何故佐々木は黙って野に放ったのか。 実際。警察署を出る段でも既に銀時は目立っている。『朝連行されてきて、取調室から見廻組局長の制服を羽織って出て来て真っ直ぐ外に出て行った銀髪の浪人風の男』などと言う者が今日偶々二人居るとは思えない。今日でなくとも居る筈はないだろう。 『取調中に見廻組局長に扮装して逃走した犯人』として、それこそ他の警察組織に捕まってもおかしくない。 (~何か腑に落ちねぇっつーか…、まーたあのエリート様に良い様に踊らされかけてる気がすんだよなぁ…) それこそ釣りの餌にでもされようとしているのかも知れない。思って苦々しく頬の内側を噛んだその時、ビルの正面に面した路上に駐車してあった車が、不意にハザードランプを二度、点滅させるのが見えた。注意を引かれた銀時がそちらへ向き直れば、もう一度ハザードが点滅する。 路上の駐車スペースに収まっているのはシルバーのセダンだ。見覚えも心当たりも無ければ、ナンバーに憶えもない。車体側面の窓は車検を通れるかも怪しい完全なスモーク張りで、中の人物を伺い知るには、真正面にでも回らなければ難しそうだ。 ハテ、と銀時が首を傾げたその時、後部シートのドアが左右慌ただしくばたんばたんと開かれた。そこから傘を開きながら出て来たのは、新八と神楽の姿。 「銀さん!大丈夫でしたか?」 「行き過ぎた取り調べでゴーモンとかされて無いアルか?ゴリラを鞭でしばいたりしてないか心配してたネ!」 「ああうん銀サンはこの通り大丈夫だけどね?何か心配の質が違ェって言うかなんでゴリラとSMプレイしてるみたいになってんの。しかもなんでゴリラがしばかれる方なの。アイツあれでも一応警察だからね?本来しばく方だからね?まあそれを言えば俺もしばきたい側だけどね?ゴリラなんざ頼まれたってしばきたくねェしっつーか神楽、何お前その格好は」 新八の真っ当な問いに被せる様に声を上げる神楽へと、ちょっと音量下げなさいと言うジェスチャーをしつつ銀時は呻いた。神楽の格好は朝見たパジャマでもなく、いつものチャイナ服でも無く、何処かで見覚えのある様なスーツの上下だった。サイズがまるきりあっておらず袖も裾も折り返しているが、それでもどうにもならない身体の質量の違いは、この服が当人のものではない事を雄弁にぶかぶかの隙間で示している。 だが着用している当人はまるで気にしていないらしく、傘を畳むとその代わりの様に、びしりと、定春の絵のプリントされた扇子を拡げて見せる。 「聞いて驚くネ、敏腕弁護士ぐらさんアル。私が居れば裁判で銀ちゃんが無罪を勝ち取るのも夢じゃないヨ!」 「端から俺は無罪ですが!つーかそれ俺のスーツだよね、坂田弁護士の時使った奴だよね、見覚えあり過ぎるもの、何せ箪笥のいっとう奥に仕舞ってあった筈だものね!一応フォーマルの一張羅なんですけどそれェェェ!!」 揃いでフレッシュマン用などに売っている安物のスーツだが、万事屋的な意味では大事な商売道具の一つでもある。滅多にしない格好である為、神楽が今着用しているこの一揃えしか銀時は持っていない。 「何だヨ、ケチケチすんなよ性犯罪者。折角人が助けに来てやったのに随分アルな」 「何で性犯罪者になってんの俺!だから無罪だっつーの!あーもう良い、話進まねぇから」 ぶーと唇を尖らせる神楽の頭をぐいと押さえながら、銀時は二人の下りて来た車へと視線を戻した。すれば、パワーウィンドウが半分ばかり下ろされ、禿頭の運転手が軽く手を挙げてくる。 地味な着物にいかつい禿頭。ヤクザめいた形をしていたが、確か真選組で見覚えがあった様な気がする。 「僕ら、まず近藤さんに助けを求めに行ったんです。ちょっと真選組の屯所もごたついてて大変だったんですけど、なんとか運良くあの、」 なんだっけな、と首を傾げる銀時の疑問に答える様に新八が口を開いた。一旦切った所で車を振り返り、軽く頭を下げて会釈をする。 「原田さんに会って近藤さんに取り次いで貰えて、それでその侭ここまで連れて来て貰ったんです。でも流石に署の中までは、って事でここで待ってたんですけど……」 あの禿頭男はどうやら原田と言うらしい。まあまた直ぐに忘れそうだが。思う銀時の前で、少し早口に、然し丁寧に説明をしながら、新八は妙なものを見る様な目で銀時の羽織った白いコートをじっと見つめて来る。さも胡散臭そうに。 「あんまり見慣れない姿してたんで、銀さんだって気付くの遅れちゃいましたよ」 で、何なんですかその格好は? そう、疑問符は視線だけで投げながら、新八。 「まあ便宜上つーか借り物つーか。好んで着てる訳じゃねーよこんなん」 袖を通さぬ重たいコートの下で腕を組んで、銀時は投げ遣りな態度で言って溜息をつく。 いつの間にか見慣れていた、黒地に銀縁の隊服を真逆に模した様なそのデザインは、真選組と見廻組と両組織に深い関わりを持つ訳ではない銀時から見ても充分に異端で、奇妙で、意趣めいているとしか言い様のないものだ。 潔癖な程の白さ。上品な金であしらった縁取り。値のそれなりに張るだろう生地と仕立て。実用性と言う意味をそこに求めるとしたら、『見栄え』程度の利しか得られそうもない。 大凡、武力行使の権能を持つ警察の必要とする『実用性』からそれは大きく掛け離れていて、だからこそ酷く気持ちの悪いものだった。拵えだけ立派ななまくらが飾られた刀架の様に。或いは、虚飾の城のカラの中身の様に。 ただ。ハッタリ、飾り物、身分と権能だけは立派なお坊ちゃん達。そう言ったイメージさえ持たせる制服を纏っているにも拘わらず、その一切を否定しているものが一つだけ、在る。 それは、佐々木から──彼らから漂う、紛れもない血の臭いだ。 血と錆と硝煙と腥い命の臭い。それらが、『実用的』ではない筈の見廻組の有り様を、一気に戦場の直中にも似た不穏な存在へと変える。 その齟齬が。血腥い所行の一切を嘘ではなく執り行う事を雄弁に突きつけて来る様な真選組の黒い隊服と、全く違うのに全く同じで、全く異質なものを想起させる、その違和感こそが気持ちが悪い。 笑顔で刃を胸にねじ込まれる様な。供される高級な茶に毒を含まされている様な。 銀時でさえそんな事を思うぐらいなのだから、こう言った気配には存外敏感な土方や沖田辺りはより強くそう感じているのかも知れない。見える所に、見えない形の敵が居る。はっきりともしない不安や焦燥を想起させる様な、そんな、決定的に相容れないだろう確信だけを齎すもの。 「雨降ってるし結構寒いしな。構わねぇかって思ってたんだが、見慣れねーってんなら一遍着替えてくかね」 新八の問いに対する答えは明確な形にもなっていないそんな理由だし、いちいち口に出してそれに対する同意が欲しい訳でもない。 かと言って『見廻組です』と名乗って奪って着た上着だ。幾ら返却は不要と言われた所で、適当にこの辺りに脱ぎ捨てて放置して行く訳にも行くまい。 「違いますよ。妙な格好は格好だと思いましたけど、それ、警察の扮装ですよね?銀さんがわざわざそんなのを着て来たって事は、捜査って言うか……、関わるつもりがあるって事なんじゃないかって」 格好についての理由を──銀時が一瞬言い淀む様なものを──訊きたい訳ではないのだときっぱりと断じると、新八は一度ちらりと、運転席で原田の待つセダンを振り返った。運転席の窓は少し開いた侭だが、大声で呼びつけでもしない限りは声も届かないだろう。 そんなことを確認したかったからなのかどうかは、解らなかったが。 先を促すでもなく見下ろす銀時の視線の先で、新八は眼鏡を直す様な仕草をして間を取りながら言う。 「ここに来るまでの間に、近藤さんから大体の話は訊きました。土方さんが…その、……行方不明って事や、それで銀さんに容疑が掛かったんだって事も。真選組も表立っては動けない事情があるって事も」 「~あのゴリラ。一般人に軽々しく警察の内情話してんじゃねーよ。ったく…」 内容が内容だけにか、自然と顰められる新八の言葉にも思わず悪態が口をついて出るが、近藤とて軽々しく言いたくて語った訳ではあるまい。 早朝から、銀時が突然身なりの良い警察の集団に連行されて行くのを茫然と見ているほか無かった新八や神楽の心情を慮れば、疑問をぶつけたのだろう調子も、そんな二人を前にして、人情に厚い近藤が口を貝の如く閉ざし続ける道理も無いだろうとは想像に易い。 「でも銀ちゃんが、どんな仲悪くてもどんな喧嘩しても、マヨラーをマヨネーズ漬けにして殺したりなんてする訳ないネ」 「いや神楽ちゃん、まだ死んでないから。それに土方さんならマヨネーズ漬けにされたら生き返りそうなんだけど逆に」 それ以前になんで死因確定されているのだろうかと複雑な表情で思いながら、銀時は妙にキッパリと言い切る神楽と、一応ツッコミを入れる新八とを交互に見た。すれば、応じる様に両者二対の視線が銀時へと注がれる。 それは別に厭なものを感じさせる質ではないのだが、何故か不意に銀時は居心地が悪いのにも似た感覚を覚えて思わず鼻白んだ。「何だよ?」と出掛かった問いが不自然に喉に引っ掛かって出て行かない。 世代の違いだけが理由ではないが、銀時は少なからずこの二人の子供を知悉している心算でいる。それは大人の目線で見た傲慢なのだとは、日々変化する彼らの『成長』とも言える変化からも度々思い知らされてはいるのだが、それでも、新八や神楽が銀時の思いもよらない事をするとは到底思えない。決して彼らの事を軽んじている訳ではない。ただの観察の末の結論と感想で、だ。 二人は顔を見合わせ何かを相談する素振りでもない。ただ、銀時の事を見上げている。問い詰めるでもなく、疑問を口にするでもなく、何かを言い倦ねる訳でもなく。 さりとて、理由とその出所の解らないものでは決して無い。 それは恰も何かの確認の様に思えた。量られるのか、試されるのか。その何れでもあるのかもしれないし、無いのかもしれない、が。 実際には数秒。あるかないか、程度の空隙だ。怖じるにも似た、馴染みのない空気に対して銀時が気後れしていたのなど、僅かその程度の時間でしかない。 だから、「銀さんは、」新八がそう口にするのが酷く唐突に感じられて、銀時は殆ど意識することもなく背を正していた。 まるで一太刀を待ち受ける剣士の様だ、と思ってから、そんな馬鹿なと直ぐに打ち消す。 だが──ある側面でそれは似た様なものなのかも知れないとも思う。 この子供達に己が見せる誠意があるとすれば、それは恐らく── 「探すんですよね?土方さんの事を」 「……まぁ、そりゃァ…、」 アイツの所為で自分が冤罪に掛けられるとか納得がいかねぇし。 巻き込まれちまった以上、気は進まねェがやるっきゃ無いみてーだし。 まあ何にせよ個人的な事だし、お前らはもう帰って良いから。心配掛けて悪かったな。 淀みなく浮かんだそんな返答たちを、銀時は口から出かかる寸での所で止めた。嘘をつく事も、曖昧にはぐらかす事も、この二人の子供達の視線の見据える、その先にはきっと正しくないも等しくもないものだ。 そして、その躊躇の間が正しかったかの様に、目を細めた神楽が肩を竦めて言う。 「銀ちゃんはいつもマヨラーと居ると楽しそうにしてるアル。口喧嘩とか取っ組み合いとか、近所のガキ共の喧嘩並にどうでも良い事しかしてないけど、それでも楽しそうネ。定春もおんなじアルよ。散歩中に友達と会うと尻尾振って大喜び。何だか解らないけど、ただ楽しそうネ」 「ワンコロと同列?同列なの俺??」 「そうですよ。銀さんは土方さんと居ると楽しそうなんです。だから、理由なんてそんなもので良いじゃないですか。僕らも手伝いますよ。土方さんの事も心配だし、土方さんを探しに行く銀さんの事も心配なんですから」 「…………………………」 そう、と言う肯定は果たしてただの相槌なのか、犬と同列と言う部分にかかるものなのか。 ともあれ綺麗に黙殺されたツッコミを持て余して、銀時は「あー…」と呻いた。首の後ろを乱暴に引っ掻きながら、すっかり転じてこちらを笑い混じりの悪戯めいた顔で見上げている二人の子供らを見下ろす。 新八の眼鏡の向こうの目にも、神楽の大きな目にも、してやったり、と言った色が潜んでいる。だが、それは揶揄でも無ければ意趣めいたものでも無い。今まで隠していた秘密をそっと打ち明けた時の様な、自然な明け透けさがあった。 お登勢たちと一緒になって、いつもの様に千鳥足で帰って来た銀時を突然のクラッカーで祝ってくれた誕生日の時も、確か彼らはこんな表情をしていた気がする。 楽しそうで、嬉しそうで。変に意地や分別のある『大人』の自分の方が寧ろたじろいで仕舞う様な、そんな表情。 「……えーと。その、お前らな…、」 白旗を揚げる為の紐を首に巻いて、崖っぷちで身構える心地になりながら銀時は呻いた。 覚悟をして受けた心算の一太刀は、予想外にも前後左右から隙無く銀時の複雑な胸の裡を刺し貫いて来ている。 子供らの事を良く知る心算で、その実全く知れてはいなかった──と言うよりは、まさか知る筈あるまいと、そんな事に興味や観察の嘴なぞ突っ込みはしないだろうと、勝手に思っていた。否、寧ろそう思って安心しようとしていた心当たりは確かにあったのだ。 仮に知られていたとして、個人の感情と大人の事情だ。その程度の分別ぐらいは持つ子供だろうと、予感や結論を面倒臭がって見なかった節も、銀時自身にはある。 分別はついていた。だからこそだろう。今まで銀時や土方の、関係、かどうかは兎も角、感情を知りながらも無言で居てくれたと言うのは、そう言う事だ。 「まさか今までずっとバレてねーと思ってたアルか。甘いネ。酢昆布よりあっまいネ」 「銀さんや土方さんみたいなタイプは、本当に嫌ってる人と喧嘩とか張り合いとかする訳ないでしょう?…って言うか酢昆布は寧ろ甘くないよね」 ばらっと音を立てて拡げた扇子の内で、神楽は態とらしく半眼で吐き捨てる様にそう言ってから、にやあと笑った。 出し抜く気か。置いて行く気か。そうはさせないぞ。 そんな挑戦的な意味の灯る笑い方。 「…………~ナニコレ。ドッキリ?ここでネタばらし的なアレ?俺が凹むより寧ろあの子のが凹みそうなんだけど。十中八九恥ずかしくて暫く天の岩戸状態になっちまうだろ、どうしてくれんのお前ら」 土方は、沖田や近藤に銀時との関係性を(他の諸事情含めて)知られた時も、結構な程あからさまに落ち込んで──いる様に見えてその実恥ずかしくて堪らないだけなのだと思うのだが──いたのだ。この上更に子供らにまで知られていたとなれば、仕事を理由に暫くは万事屋の近くになぞ現れてくれなくなる可能性は高い。 当然銀時とて内心は動揺していた。のだが、真っ向から指摘された手前、恥ずかしがって否定するのも開き直って堂々と言い切るのもどうにも気まずくて、土方の方へと一旦矛先を移して仕舞う。 それは実際どこまで、どの程度まで『バレて』たのかと言う疑問を先送りにするだけの行為に過ぎないのだが。 はあ、と掌に顔を埋めた銀時の溜息が雨の中に重たく落ちる。同時に、それを吹き消す様な新八の軽い笑い声。 「そうしたら銀さんと、僕らとで大騒ぎしてあげれば良いじゃないですか。煩ェって怒鳴りながら飛び出して来てくれますよきっと」 うんうん、と頷きながら神楽が唇を尖らせる。 「別にあのニコ中警官が心配な訳じゃねーアルよ。銀ちゃんが江戸湾コンクリ詰めコースになったら大変だから手伝ってやるだけネ」 「神楽ちゃん、警察はコンクリ詰めとか物騒な事しないからね?いい加減その話題から離れないと何か怖い事になりそうだから。…まあ、万事屋(ぼくら)的には、銀さんの困り顔が依頼料みたいなもんですかね?」 土方は絶対に、銀時には助けを求めない。今どこかで囚われの身であったとして、それを誰かに伝える術があったとして、その『誰か』に銀時を──万事屋を選ぶ事は、恐らく無い。 そして、何も言わずに見ているだけならば、銀時は二人には何も告げずに単身でも土方を捜しに行くだろう。だからこそ、二人はまるで何かを探る様に銀時の事を見上げて、それから楽しげに手品の種明かしをする様に申し出を言ってのけた。 少なくない付き合いで不器用で頑固な大人ふたりのその程度の行動パターンぐらいは容易に想像出来たのだろうか。だから二人は、銀時を助ける事で土方を助ける手伝いをしようと言って来ているのだ。 新八と神楽の気持ちは純粋に嬉しいし有り難い。二人が、銀時と土方の関係を少なくとも厭なものだと思っていないと言う事実も、今は実感が無いが、多分とても幸運で有り難い事なのだろう。有り難い尽くしで、頭も本来上がらないぐらいには僥倖である筈だ。 だが、だからと言って事態が何ら好転している訳ではないのだ。佐々木の説明や推論を額面通りに受け取るのであれば、土方を拐かした『犯人』と言う仮想敵は、警察関係の幕臣クラスの人間、しかも攘夷浪士やそれに類する何らかの犯罪行為に関わりがある可能性も高い。 そう言った連中の恨みをともすれば買うかも知れない事を子供らに荷担させようとは銀時も容易には思えない。何しろ相手が悪いと言える。犯罪を裁く側の警察関係者が敵になれば、今日佐々木がしてのけた事の様に、簡単に人ひとりの冤罪をでっち上げて逮捕する事ぐらい訳のない話だ。 万事屋として今まで三人、様々な危険や面倒事はかいくぐって来た。だが、司法そのものを真っ当に敵に回した事は幸いにか、無い。その尋常ならざる状態や危険性をどう説明したものか。どう言ったものか。思わず視線を泳がせて仕舞う銀時の様子を見上げて、その思惑を察したのか新八が僅かに表情を曇らせる。 「近藤さんから聞いた、真選組は表立って動けない、って言う話や、銀さんがそんな」 指されて思わず見下ろす。降る雨の湿気をものともしないさらりとした布地の白い制服。 「他の警察の制服を持って出て来た時点で。事は想像以上に物騒で厄介なものなんだろうなとは思いました。それだからこそ、銀さんが僕らを遠ざけるんだろうなって言うのも」 「予想通りすぎネ。一人より、二人と眼鏡一個の方が良いアルよ」 「眼鏡一個って僕の事かァァァ!!何で僕だけ器物!?ていうか眼鏡は僕じゃないからね!?」 「ホラとっとと行くアル。ウルセー眼鏡がファービーみたいなウゼー眼鏡になってきやがったネ」 ともすれば奇声にしか聞こえない声を張り上げる新八を押し退けると、神楽はスラックスの裾が水溜まりに浸るのも気にしない風情で、傘をくるんと回して歩き出す。 「ファービーって何!確かにアレ目がデッカくて丸くて眼鏡みたい…いや全然眼鏡でもなんでもねーよ!?段々僕にかかる要素がゼロになってるじゃん!」 そんな神楽の背中に一頻り叫んでから、新八は恨みがましくも見える視線を銀時の方へと投げて寄越した。 「…とにかく。そう言う訳ですから、僕らは近藤さんから聞いた、土方さんの足取りが途絶えた辺りから調べ直してみますね。銀さんは真選組の屯所に行って下さい。取調べで得た情報を教えて欲しいって、沖田さんからの伝言です」 確かに伝えましたからね。そう言って傘を開こうとする新八の腕を慌てて捕まえて、銀時は、雨の中に既に歩き出している神楽──と一張羅のスーツ──と、双方をあたふたと見比べた。 「ちょっと待て、って事ァお前ら俺が惚けよーが認めよーが断ろーが、構わず捜査に行く心算だったって事かオイ」 すれば新八は、何を今更、と言った顔をしてから、いつもの闊達そうな表情で笑ってみせた。 「実は、銀さんの許可が下りればって条件で、沖田さんから既に人手として依頼、受けてるんです。依頼って言うよりはその示唆みたいなものですけど。でも、近藤さんも僕らが関わる事に難色を示してましたから、多分銀さんも真っ向勝負じゃ受けてはくれないかなあって」 だから、人が悪いかなと躊躇いはあったけど、隠し球を使う時だと思って、言う事にしたのだ、と。 銀時は捻くれて不器用な己の性質を自分でもよく理解している。そんな銀時だからこそ、誰かの為に何かをする事、と言う抽象的な目的意識ではなく、土方十四郎と言う個人を、自身に負債を課してまでも助けたいのだと言う明確な行動に対する理由付けや根拠が必要だった。 新八や神楽に口走りかけた無難な言い訳の数々は、正しいが正しいものではない。そして子供ら二人も、銀時がそう並べ立てたとしたら、それ以上を追求する意味が、関わろうとする意味が無くなって仕舞う。 なんでそんな嘘をつくんですか。お二人がどういう関係性か知っているんですよ。そんな風に問い詰める事を、土方を捜す為の言い訳で断じた銀時は許しはしなかっただろう。はぐらかして誤魔化して、それでお終い、だ。 (だから多分、ある程度は量られて、だから……、) 本気の一太刀を受ける様な心地になった銀時は、子供らの予想外の一撃を流しはせずに受け取る羽目になった。 別に隠し立てをしたいと思っていた訳ではない。ただ、常の銀時と土方とを知る者にとっては俄には信じ難い話だろうし、レンアイと言う面でも余り真っ当な道とは言えない。お登勢辺りならば、このかぶき町じゃそんなの珍しい話でもないよ、と簡単に言ってくれそうだが。 それに何より、銀時は兎も角、土方にとっては己の体面や矜持に関わる様な話だ。無闇矢鱈に吹聴されたいものでもないだろうし、願わくば隠しておきたいものだろう。その心の流れ自体は別段、土方がこの関係に対して消極的だと言うものではない。寧ろ逆に、誠実に思うからこそ仕舞い込んでおきたい筈だ。 子供らに対しても、恥よりもきっと、土方には後ろめたさの方が強い。他人の家族を見る目をして、一歩退いてこちらを憧憬めいた眼差しで見ていた土方の姿を、銀時はよく知っている。 「それに、」 ばさ、と傘を開く音が耳に不意に飛び込んで来た。はっと我に返った銀時は、掴んだ侭でいた新八の腕を放す。 「知り合いだから手を貸すとか、仲が悪いから放っておくとか。そう言うのじゃないじゃないですか、万事屋(ぼくら)って。 半分ちょっとは僕らの為で、残り半分の半分は銀さんの為で、残りが土方さんの為なんです」 それじゃあ行ってきます、と新八は何処か頼もしげにそう言うと、「神楽ちゃん、待ってよ!」と声を上げて軒先を出た。ばしゃばしゃと水溜まりを蹴っていく足音はすぐに遠ざかって雑踏の中へと消えていってしまう。 それを暫しの間茫然と見送ってから。 「…………やられたなァ…」 呻いて、雨で湿って重たい銀髪をぐしゃりと掻き混ぜて銀時は項垂れた。全く、子供らとはいつどんな事でどんな風に成長するか解らない。知った心算で居たなどと、空々しい勘違いにも程があるだろうか。 「……事が片付いて。アイツが見つかったら。スゲー厭がりそうだけど、ボクタチオツキアイシテマス的なイベント通った方が良いのかねぇ…」 脳裏に、万事屋のソファに並んで座る、銀時と、緊張に凝固した土方の姿と。その対面で人が悪く笑う神楽とそれを窘める新八の姿とがふわりと浮かんで、小さく噴き出す。 そんな嫁入りみたいな恥知らずな真似出来るか、とか。 つーかなんでガキ共は知ってんだよ、まさかテメェがバラしたのか、とか。 別にテメェの世界に土足で踏み入りてェ訳じゃねぇんだ、とか。 全力で厭がりながらも、真っ向から否定したい訳ではない本心があって。どうしたら良いか解らずに軽い懊悩に陥る土方の言うだろう台詞や言い訳までもが容易に想像出来て仕舞い、銀時は、常に一歩離れようとするあの男をどうやって引っ張り込めば良いだろうかと、子供らに『してやられた』己を棚上げしておいて、そこから考えてみることにした。 (勿論、まずはアイツを無事見つけてからの話だけどな) 小さく顎を引くのとほぼ同時に、ハザードを点滅させた、原田の運転するセダンが銀時の佇む入り口付近へと回り込んで入ってきた。停めて置いたら間違いなくその場で駐禁を取られる事は請け合いだが、迎えに入る程度の間だから問題はない。 それは、雨に濡れぬようにと言う配慮であり、こんな所でいつまでも突っ立って悩んでいる時間など無いのだと言う進言でもある。それに軽く手を挙げて礼を示しながら、銀時は後部シートを開いて乗り込んだ。バックミラー越しの禿頭に頷けば、車は直ぐに走り出す。 (沖田くんが報告を求めてた、ったっけ?て事ァ、あのドS王子殿はゴリラが捜査権を奪って来るどころか、身動きが取れなくなる事まである程度予測済みだったって事じゃねーか) 思えば自然と口の端が下がる。全く、子供子供と思う相手ほど油断出来たものではない。 溜息混じりにフロントガラスを見遣れば、規則正しい動きでワイパーの弾く雨粒は、先程より心なしか少なくなっている様にも見える。 幾分雨足は弱まっている様だが、未だ止むには遠そうだった。 本編の前半辺りで振った話を今更回収にきました。と言う、補完したかったその2。 /12← : → /14 |