散華有情 / 14 雨の町中を存外に安全運転で走り抜けたセダンは、真選組屯所の車輌出入り口に停車した。門扉は潜らず外塀に横付けにされた車輌に、見張り番らしい隊士が傘を携えて駆け寄ってくる。 「俺は念の為に見廻組、つーか近藤局長の方を見てないとならねぇんで。すいませんが此処で失礼さして貰います。沖田隊長の居場所ですけど、そのへんの奴に案内させますんで」 バックミラー越しに銀時を、最後までナビゲート出来ない事に対してか申し訳なさそうな表情で見やってから、原田はパワーウィンドウを開き、やってきた隊士に幾つかの指示を出す。 「ここまで濡れ鼠で歩いて来る羽目にならなかっただけでも大助かりだよ。サンキューなハゲ田さん」 「……原田っス」 近藤と同じくらいかそれよりか。大柄な体躯の肩を苦笑混じりに竦めると、ハゲ田もとい原田は戯けた様な所作で、然し表情は真剣そのものの様を作りながら右手をハンドルから離した。敬礼する。 「副長の事、頼んます」 「……おう」 近藤に返した時と同じ様に、言われなくてもやる、と言う旨を告げるか、と銀時は一瞬逡巡したが、素直に頷いておく事にした。そも、銀時は本来真選組の関係者でも何でもないのだ。外様と言っても良い、そんな胡散臭い男に対して誠意を持って相対されたのだから、それに正しく答えるべきだと思ったと言うのも、ある。 (…………〜何だろうな。決定的に居心地が悪ィって訳でもないのに、どうもやり辛いっつーか…) ばたんと後部ドアを閉ざせば、原田は直ぐに車を走らせた。雨の重たい空気の中に、曇り空にも似た色のセダンが消えて行くのをなんとなく見送っていると、不意に横合いから傘を差し出される。振り向けば、迎えに先程出て来た隊士が客用の傘を携えて戻って来ていた。 屯所の建物まではそう距離がある訳でもなかったが、肩から羽織った白いコートの、嫌味な程の綺麗さを見ると、雨ざらしにして歩くのも何となく気が退けた。返す予定も無いものだが、解っていて態と汚すのも何だ。 小さく礼を示しながら銀時が傘を受け取ると、「こっちです」と隊士は先導の仕草で促して来た。 コートを濡らすとか汚すとかはともかく、こんな門扉の小さな軒下でいつまでも雨宿りをする気はない。傘を広げた銀時は大人しく隊士の背を追って行く事にした。 屯所の正面出入り口とは異なり──あちらも車輌は通れる様になっているが──こちらは主に出動用に使う車輌出入り口だ。門扉を潜ればまず目につくのは幅広くスペースを取った駐車場で、そこには赤提灯を提げた待機車輌や原田の乗っていた様な覆面車輌が疎らに停車してある。 他にも、特殊車両を停めておくと思しき車庫と言った建物もあり、係なのだろうか、何人かの隊士が雨具を身につけて車輌の整備を行っているのが見えた。 ざっと見える数や様子で判断しただけでも、そこいらの同心などが詰めている様な所轄の警察署とは訳が違う。規模が違う。格が違う。それは幕府直轄の特殊武装警察である『真選組』が、他の警察組織とはやはり頭一つ抜けた扱いと信頼とを預かっているだろう事実の証明でもあった。 (成程?元々武家の出でも無ェ、成り上がりの自称侍共の扱いがこれじゃ、確かに他の警察組織から恨みや妬みの一個や二個や十個ぐらい軽く買ってそうだなこりゃァ) そこに来て、恐らくはそう言った他組織との軋轢の最前線に立たされるだろう、真選組の大将格の片割れはお世辞にも器用な性分とは言い難い。会議だの視察だの審問だのと言う度に平然と悪態を周囲に投げては敵を作る様子が容易に想像出来て、銀時は溜息と苦笑とをない混ぜにして噛み殺した。 品行方正に大人しい振りでもしていれば、まだ可愛げもあろうものを。そんな事に諾々と従わない狗を、駒を、兵士を、私的な感情でも快く思わない者は多いだろう。 だから、と言う訳では決して無いのだろうが。そんな男が武家や幕僚の足下を叩き壊す大義名分を『上』に与えた事に恨み言を募らせたい者も、きっと多い。そうでなければ今現在進行形で男が、警察組織内の何某に拐かされるなどと言う事件、起こる筈は無いのだから。 起こる筈の無い事が、実際に銀時の前に『起きて』いるのだから。 (あンの、トラブルホイホイが) 呆れ混じりに吐き出しながら、銀時は案内された入り口で、軽く水を飛ばした傘を示された傘立てにぽいと放り込み、辺りを見回す。 雨天時の備えなのか、畳んだタオルが棚には置かれており、壁には雨合羽が何枚も掛けられている。傘立てにも使用未使用の傘が、番傘ビニール傘入り乱れて些か乱雑な様相となっていた。 視線を落とした先。足下の三和土は泥や雨に汚れた足跡が縦横に入り乱れており、今日の真選組屯所内の混乱ぶりを端的に表していた。 「多分、沖田隊長は会議室の方におられるかと」 先導する隊士が「こっちです」と促すのに、ブーツをお座なりに汚れた三和土へと脱ぎ捨てた銀時は黙って続く。 会議室、などと言うぐらいだから広いスペースを取った部屋の筈である。そんな目立つ場所へ辿り着くにも案内を要するとは、相変わらず無駄に広い土地だ。 廊下を無言の侭暫し進んで行けば、白い、見廻組のコートを肩から引っかけた何処かで見た風情の男の姿に、通りすがる真選組隊士らが訝しげな視線を向けて来る。見廻組のオフィスよりも意識は鋭く、益々に居心地が悪いことこの上ない。 やがて、廊下の途中に差し掛かった頃、広間の入り口と思しき襖の一つに何やら隊士らが鈴なりになっている妙な光景が目に入った。まさかと思いつつ、少し先で足を止めた隊士の顔を伺えば、無言で頷きを返される。是、と。 と、銀時の到着をまるで待っていたかの様なタイミングで、ぱん、と襖が左右に勢いよく開かれた。襖に貼り付いて廊下に居並んでいた隊士らが転げたりしながらもなんとか道を空ければ、幾人かの、隊長クラスの服装の者も交えた男達が足音も荒く廊下に出て来る。 ところが、慌ててその後ろからまろび出るなり、彼らの行く手を遮る様に両手を拡げて頑と立つ男が一人。 「だから!今俺達が動く事が、真選組(ウチ)全体にも副長の状況にも、最善になんてなりはしないって言ってんでしょう!」 両手を拡げて廊下を塞ぐ、小柄な背中が声を張り上げるのに、部屋からぞろぞろと、すわ戦かとばかりに出て来ていた男らが寸時ぐっと押し黙り、「だが!」とこちらも声を張り上げて応じる。 「今俺たちがこうしてる間にも、副長の身にどんな危険が迫ってるか解らねぇってのに、ただ黙って待ってなんていられるか!」 俺たちは俺たちに出来る事をすべきだ、と吼える男たちに、同調する声が怒号に似た響きとなって辺りに一時満ちた。喧噪としか言い様のない騒ぎに、銀時は思わず両の耳に人差し指を突っ込んで顔を顰める。 助けを求めた訳ではないが、振り返ると、ここまで銀時を案内してきた隊士が、遠慮がちな仕草で「俺まだ仕事が残ってますんで…」と言いたげな表情を作りながらそそくさと引き揚げて行くのが見えた。 門番か見張りか知らないが、この騒ぎの中で彼に出来る事は特に無いだろう。銀時への状況説明ぐらい以外には。そしてその説明とやらも、この状況を見るだけで何となく察する事が叶う。 「その、俺たちに出来る事って言うのが、状況が進展した時に最善行動が出来る様備える事だと何度言えば!こんな言い合いをしてる暇があったら各自それぞれの持ち場に戻るべきだって事ぐらい解らんのですか!」 「待つ事準備する事なんてお為倒しは、それこそ見廻組の連中の言い分と同じだろうが!それは副長を組から切り捨てたも同義だ!」 猶も声を荒らげる隊士に、そうだそうだと同意の声が沸き起こる。徐々に大きくなるそれらの意見に、廊下を塞いで真っ当な論を連ねて彼らの制止を続ける、地味な後ろ姿や声が、論破されずとも物理的に突破されるのは時間の問題かも知れない。 どうやら、土方の捜索の捜査権が見廻組から真選組へと回されない事に対する不満が議題と言ったところか。捜査権が無いどころか、真選組は今『見廻組が容疑者を逮捕した』建前がある以上、動かない様にと厳命されている筈だ。 近藤が銀時の身柄を引き取りに行って、銀時がそれと入れ替わりになる形で独自に動き始めた、そのタイミングで見廻組から正式のその旨の通達があったのだろう。近藤の口添えも得られてより解り易く二組織間で共通の秘め事を持つ事が知らされている筈だ。 だからと言って、『事件が解決するまで黙ってろ』などと言う頭ごなしの『命令』以外の何者でもない見廻組からの要請を呑める程に、真選組(ここ)に見廻組に好意的な者も、大人しく従う者もそう居ないだろう。目の前の言い争いはその状況の正に体現だった。 仲間意識が強く、エリート連中が嫌いで、じっとしていられない。そんな三拍子揃った連中が集団になれば、感情的な判断は出来ても整然とした思考など出来る訳もない。 佐々木がこの状況を見越していなかった、とは言えない様な気はするのだが、何にせよこの侭放置しておけば業を煮やした真選組の幾人かは勝手な捜査行為を開始しかねない。幾人かどころか、隊の一つや二つ規模は軽く動くやもしれない。 どうしたものか、と首の後ろを引っ掻いた銀時が、取り敢えず気の利いた仲裁の台詞でもと脳内検索を始めたその時。 「おう、お前ら少し騒がしいぜィ。これじゃ落ち着いて昼寝も出来やしねーし、お客さんの前でみっともなくていけねーや」 暢気そうに紡がれるそんな言葉と共に、ぽす、と背後から銀時の肩に手が置かれた。仲間を労う様なそんな仕草と共に、廊下のド真ん中で騒ぎ立てる男らの前にずいと進み出たのは栗色の頭。 「お、沖田たいちょ…」 目の模様の描かれたアイマスクを立てた人差し指の先でくるくると回しながらの沖田の声音はさほど大きいものではなかったが、騒ぎはたちどころに収まった。腐っても一番隊隊長、と言う事なのだろうか。それとも(余り良いとは言えないものばかりと思われる)日頃の行い故なのだろうか。 しん、と喧噪の遠ざかった中、こちらへ注視を投げる男たちの血走った眼差しに一斉に晒され思わず後ずさりかける銀時だったが、肩に置かれた沖田の手に込められた力に止められる。 男たちが凶悪な表情で睨み据えるのは、渦中の一人である万事屋の男と、その男が何故か見廻組の制服のコートを肩に羽織っている事への、見事なくらいにピンポイントな箇所だ。 眼差しには疑惑や不審と言ったもののほか、殺意さえ込められている様な気がしないでもない。これではまるで、火中の栗を拾うどころか渦中に直接簀巻きにされて投げ込まれた気分だ。頬を引きつらせた銀時はやや下にある沖田の頭を恨みがましく睨むが、返るのはやる気のなさそうな欠伸がひとつ。 「そんなピィピィ騒ぎ立てねーでも、こっちにゃこの」 くい、と親指で示す沖田の動きを、ぎょろりと追って来るむさ苦しい視線たち。 「エリート組に潜入させてたスパイの万事屋の旦那がいやがるんでィ、もう心配無用だぜィ」 いやいつ俺スパイになったんですか?! 冷や汗を垂らす銀時の内心のツッコミとは正反対にも、隊士らから上がる「おお!」と言う感嘆の声。それと、先程までの凶悪な意味から転じても相変わらず暑苦しい侭の『期待』の視線。 (いや、やめてくんない?!なんかスゲーむさ苦し…つーか何この尋常でないプレッシャー) きょろ、と落ち着きなく視線を彷徨わせた銀時がふと、両手を拡げ立ち尽くしていた山崎の方を見遣れば、はっと我に返った様な地味顔がここぞとばかりに声を大きく張り上げた。 「副長の件に関しては、万事屋の旦那に一任してあるからもう心配はいらんと言う事です。さあ、皆とっとと通常業務に戻った戻った!」 「そうでィ。これ以上ごちゃごちゃ騒いでるとお前ら職務放棄で全員切腹してもらう事になっちまうぜィ」 続けざまにぱんぱんと両手を打つ沖田。男たちはざわめきを残しながらも三々五々解散していく。 「副長の事頼んます!」「お願いします、万事屋の旦那!」「副長をどうか無事に」隊士らの殆どに通り過ぎ様、或いは頭を下げて口々に言われ、「あ、ああ」と銀時は引きつった笑いを適当に振り撒きながら、辺りが静かになるのを待って口を開く。 「…………オイ、何コレ。どういう事」 愛想めいて肩まで持ち上げた片手をぐーぱーぐーぱーと開閉しながら、押し殺した声音を紡ぐ銀時に、やれやれと額の汗を拭いながら近付いて来た山崎がへらりと苦笑する。その態度は、申し訳無い、と言うよりも、丁度良かった、とか。そう言う感じに見える。 「いやあ、旦那が来てくれて助かりましたホント。ウチの連中、悪い奴らじゃ決して無いんですけどね、ちょっと短気って言うふぐォッ!?」 「タスカリマシタ、じゃねーよ、何お前ら面倒事と責任を人に押しつけようとしてる訳」 はは、と笑いを乗せた調子で言う山崎の頬を片手で鷲掴みにして、銀時は曖昧に首を振った。引きつる表情で、苛々と。主に、解るのだが解りたくないと言う葛藤で。 「まあ要するにアレです。人柱って奴でさァ」 それを横目にちらりと見上げながら事も無げに、沖田。ぽん、と叩かれる肩を、銀時は猶も苛立った手つきで乱暴に払い除けた。 「ぶっちゃけすぎじゃねぇ?!つーかな、犯人の疑いかかってんのは警察(テメーら)の『上』の方だってのに、通りすがりの一般人を警察が巻き込んで良いと思ってんですか!」 「通りすがりも何も、旦那は充分関係者でしょうが。土方さんにあんな事やこんな事までしといて、今更シラを切るとか見苦しいですぜィ」 払われた手をちらりと見、沖田は寧ろ銀時を宥める様な調子で、ちっとも宥められそうもない事をさらりと投げて寄越す。思わず口をへの字に歪める銀時と、表情の無い平坦な笑みで見上げる沖田との間に、暫しちりちりと火花の散る様な間が流れる。 「ちょっと!声が大きいですってお二人とも。取り敢えず場所移しましょう」 そこに、両頬をホールドしていた銀時の右手を何とか振り払った山崎が割って入り、取り敢えずその提案通りに三者は場所を、廊下のド真ん中から移す事にした。 会議室(なのだろう)前の廊下は、先程までの騒動は何処吹く風と言った静けさを取り戻していた。そこに、穏やかではない者らを三名だけ取り残して。 * 「で、どうなんですかィ?」 沖田と山崎の先導に続いて、銀時が通されたのは副長室だった。当然だが、そこに本来座って机とその上の書類とを前に眉間山脈と煙害とを作っている男の姿はそこには無い。 副長室は真選組屯所の通常業務区画の端、角部屋に位置している事もあって、人の往来は普段からそう多くはない。そこに持って来て、本来そこで書類を淡々と片付けている筈の副長が不在なのだから、人気は全くと言って良い程に無かった。 そんな副長室の押し入れから座布団を放り出して座るなり、いきなりそんな沖田の一言である。「やったんですかィ?」言外にせず続く言葉に何処かでデジャヴを感じながら、銀時はげっそりと口の端を下げた。 「やってねーよ。やる訳ねーだろーが。なんでエリート野郎と同じパターンなの」 全力でうんざりした感を隠さない銀時の否定とは裏腹に、沖田は「おや」と戯けた仕草で眉を持ち上げてみせる。 「俺ァ旦那をいの一番に疑ってたんですがねィ。エリート組に先越されてなきゃァ、俺が手ずから手錠掛けに行ってた所でさァ」 オイコラ何適当に人に罪なすりつけてんの。最有力の容疑者候補は寧ろオメーだろーが。 そう言いかけた銀時だったが、言う沖田の調子が牽制や冗談の類とは僅かに趣を異にしている、そんな違和感をふと感じて口を噤んだ。 ……何と言うか、調子こそ戯けたものがあるものの、突きつける内容は何処までも本気に聞こえたのだ。 その様子を、何と問い返して良いのか──何と答えれば良いのかが良く解らずに、顔を顰めて眉を寄せるのみの銀時へと、ふっと笑いかけながら、沖田。 「あの人ァ、恋人だの情人だのって確約があった所で、旦那と違って自覚も悪気も無しにひょいと手を摺り抜けて行っちまうタイプですからねィ。思い余った旦那が拉致監禁に及ぶとか、抵抗されて殺害ぐらいしちまってもおかしくはありやせん」 「…………なんかすっげェ人聞きの悪ィ事言われてる?俺。おかしくないって何だよ、何もかもおかしいわソレ」 文句は一応口にしたが、指摘された内容に関しては肯定も否定もしない。銀時が引きつった顔の侭で殴りつける様な仕草だけを向ければ、沖田は緩い表情の侭でかぶりを振った。 「ま、可能性の論では、手段を成せる実力者って意味でも、動機の面でも、旦那が一番の有力候補だと思っただけですぜィ」 「……だからやらねーって。ンな事したって意味無ェのくれェ解り切ってるっつーの」 「副長の性分そのものに対しては否定しないんですね…」 後頭部の頭髪を引っかき回して嘆息する銀時に、山崎の小声のツッコミが刺さったが無視をする。 「んで、俺じゃねー訳だけど、沖田くんでも無いんだよな?当然」 「たり前ェでさァ。土方さんなんかの為に人生棒に振る程俺ァ物好きじゃねーですよ」 確定事項ではないが、確かに寸時そんな事を思った願望(未満)はある。明日は仕事だと眉を吊り上げる男に淡泊さや薄情さを一方的に感じて、自分からは諦めてやろうと何度思ったか知れない。 「まァ沖田隊長の言う通りで、旦那も自分の都合が悪くなったら、相手の為にさらっと姿消したりしちゃう手合いですよね」 身を引くとか言う可愛い感じではなくて、と余計な一言を付け足して来る山崎を猶も無視して、銀時は納得し難いと言った顔を作りながら、ふん、と鼻を鳴らした。 「それ、旦那が物好きって言ってる様に聞こえんだけどな」 「事実その通りでしょうよ。ま、害より益が勝ってる内なら何事もどうでも良いんでさァ。旦那と土方さんとが逢い引きしていよーが乳繰り合っていよーが、あん人がちゃんと真選組(しごと)にかまけてられんなら、俺ァそれに口出しする心算なんて一切ありやせんし、」 どっちかってぇと旦那の恋路を応援したい口ですぜィ。そんな冗談とも本気ともつかない事を添えながら、沖田は降参する様に両手を挙げてみせてくる。 何だか遠回しに背中を蹴られて嗾けられている気分だ。銀時は、沖田と、山崎とを交互に一度見てから、肩に羽織った侭だったコートの、手触りのよい表面をさらりと撫でながら、返すべき言葉を探して暫し沈黙した。 (疑いをかけてた、っつーか、改めて再確認されたっつーか。……ほんっとガキの癖に侮れねーわ) 先頃見廻組署の前で、目の前の少年とは別の子供らにも感じた事をもう一度諳んじて溜息に変換して、銀時は顔を起こした。 「旦那が落ち着きすぎってのもありまさァ。仮にも情人が、今どんな目に遭わされてるかも知れねーってのに、大阪の時より余程落ち着いてるって言うか、平常心過ぎるって言うかねィ」 そこに、待っていた様な様子で沖田がしみじみと言うのに、銀時は己が裡の疑問の欠片がほろりと剥がれる手応えを感じて、思わず問い返さずにいられなかった。 「……俺、そんな落ち着いてる様に見えんの?」 「そうですね。大阪の時はまだ、軽口を叩きながらも焦燥感みたいなのがあった様に見えたんですけど……」 問いにあっさりと頷きを返す山崎。見遣った、地味な風貌にほんの少しの苦味のある成分が含有されている事にそこで初めて気付く。 此処に至るまでに感じた幾つもの違和感。最良手のタイミングで整然と用意された様な『事件』。盤外へと持ち去られた駒。 佐々木に言われるまでもなく、銀時とてそれが目的の不明瞭な犯行だとは思ったのだ。示威表明の為の殺害でもなければ、取引の為の人質でもない。警察組織の『上』に立ち、大阪城の一件で処罰の対象にされ、それ故の怨みを動機に土方を拉致したとして、それそのものに一体どんな意味があると言うのか。 佐々木は予め、真選組に対して何らかの『復讐』を目論む連中の尻尾を掴む為に動いていた、と言った。幾つか例に挙げられた幕臣の名前に近藤は心当たりがあった様だが、問題はそこには無い。 意味が見当たらないのだ。 それは、佐々木の言う通りの『復讐』や意趣返しであったとして。人間一人を、多大なリスクを犯してまで連れ去る理由だ。動機が『復讐』だと言うのであれば尚更、遺体やそれを匂わせる痕跡がない事が、有り得ない。 江戸の何処かにある隠れ家に拉致して、散々恨み口上を並べ立てた挙げ句に、普通ならば始末する。その為以外の、どんな理由があって、人ひとりの拉致などと言う真似が出来ると言うのか。 それが違和感の決定的な正体。『事件』の様であって、そこに何の中身も無いと言う事実。 まるで頭痛を堪える様に、額をぐいぐいと揉みながら銀時は薄ら笑いを浮かべてみせた。 「それを言うなら、オメーらも同じだよな?副長サンが警察の上の方の奴に誘拐されたとか言われてもちっとも動じやしねぇ。 特にジミー。お前確かなんか別件の任務やってたんだろ?そっち放っぽり出して来た割にゃ、他の隊士らとオメーらとの温度差ってのが気になる所だねェ」 それも此処に来て得た違和感の一欠片だった。沖田や山崎が他の隊士の動きを制さなければならないのは解る。そこは佐々木が銀時へと説明した通りの事情があるからだ。 だが、二人は近藤に比べて余りに暢気に構え過ぎている様に、銀時の目には映った。他の隊士らが狼狽し過ぎなのもあるかも知れないが、それ以上に──焦燥する以外の行動、その『解答』を知っている風ですらある。 沖田は、新八に「銀時が得ただろう、佐々木との事情聴取の間で知った情報を提供する様に」と伝言して来たと言う。だが、実際にその内容には触れないどころか、初めから銀時の身柄を引き受けに行った近藤と、当の銀時とが入れ替わりになって捜査に出て来る事を知り得ていたかの様だった。 この事からも、単に沖田が、どうせ土方の事だからと暢気に構えていると言うより──何せ近藤も絡んでいるのだからそれはあるまい──、他に『何か』の確信を得ているのではないかと思わせるのだ。 潜入任務(副長由来らしい)をさておいて駆けつけたのだろう山崎もそれに同様だ。大阪煉獄関の件で見せた上司の危機に対する焦燥は疎か、解決に走り回っている様な様子でもない。 そして沖田と山崎の両者が、近藤や土方に纏わる事を蔑ろにする様な輩ではないとは、銀時には疾うに知れている事である。なれば必然的に。 「流石は旦那でさァ。その見立て、強ち間違っちゃいませんぜィ」 伺い見る様な銀時の凶悪な視線に、二度目の『降参』の仕草をして、沖田はぽんと自らの膝を軽く叩いてみせた。 「まどろっこしいのは嫌いなんでねィ、単刀直入に言います。 俺らは今回の一件、警察組織の『上』が犯人なんぞでなく、単なる謀──偽装なんじゃないかと言う見解で一致してんでさァ」 銀時の挑発的な口調にも特に気を悪くした風でもなく、沖田はいつも通りのどこか飄々とした風情でそう、微笑を乗せて言って寄越す。 その内容は到底笑えそうなものではなかったが。 「……てェと?」 自然と苦々しい面持ちになりながらも、銀時は続きを促した。恐らくは自分と同じ意見なのだろうと確信を得ながら。 「要するに、メリットが何も無いんですよ。警察官僚──幕臣のお歴々が『真選組の副長を拐かす』って事に」 さっくりとした口調でそうきっぱりと断じたのは山崎だった。念の為になのだろう、部屋の入り口辺りに控える様に座した侭の彼の方を、銀時は更に続きを促す様に見遣る。 「大阪煉獄関の一件で、警察組織は確かに幕閣らに対しての大粛正を行いました。主犯とされた佐久間やその関係者の様に人知れず始末された者、免職にされた者、次は無いぞと圧力を掛けられるだけだった者──程度はそれぞれ違いがありますが、飽く迄それ自体は副長が直接何かをした訳でもなく、大阪煉獄関の露見が切っ掛けになっただけに過ぎません。一橋派の台頭もあって、遅かれ早かれ幕閣内のテコ入れや大掃除は何れ行われたでしょう。ただそれが僅かに早まっただけです。警察組織の汚職と不正と言う解り易い形で。 そりゃ発端として恨みの一つや二つを買う事は避けられないでしょうが、言って仕舞うなら『たったそれだけの事』に過ぎないんですよ」 さも下らない事の様に一息に言って、山崎は小さく息継ぎをした。猶も淀みなく続ける。 「幕府内で『上』の地位に就く連中には、一応それなりの功労や家柄と言う後ろ盾があります。最悪、懲戒免職にされた所で、それを建前にした天下りが行われるだけ。社会的にはある程度厳しい事にはなりますが、実害としてはそんな所です」 そこで山崎は一旦言葉を切って、銀時の方をちらりと見て寄越した。話にちゃんとついて来ているかを確認したかった様だ。八割方どうでも良く胸の悪くなる様な話だったのだが、お座なりに頷いておく。 「そんな連中が、恨みがあるから、なんて建前で、武装警察の副長を誘拐だなんて言う、犯罪どストライクの真似をわざわざすると思えますかィ?」 挟まれたのは、同意の応えを待つ様な沖田の嘲笑。成程、と銀時は小さく顎を引きながら、手触りの良いコートのポケットに軽く触れた。こつりとした硬い感触に指先が触れた所で少し考えて、胸ポケットに押し込んであった、近藤から渡された携帯電話を取り出す。 「そこに来て、俺が副長から受けた任務の内容が、」 愚痴を粗方吐きちらした人間の様に。軽くなった調子で山崎が言いかけるのを軽く腕だけで制して、銀時は近藤の携帯電話を二人に向けた。とんとん、と指の腹で軽く叩く。 「──その、持ち主の調査で。全くヒヤヒヤしましたよ」 はっとなった山崎が、不自然ではない様に淀みなく、銀時の羽織ったコートを指さして繋げるのに、沖田がふんと鼻息を吐く。これは本気のものだろう。 「成程。端から土方さんは余計な邪魔が入らない様に根回ししてたって訳かィ」 「この分だと捜査権が見廻組に行くって言うのも予想済みだったのかも知れませんね」 溜息混じりに言う山崎が小さく頷いてみせるのを確認してから、銀時は胸ポケットへと携帯電話を戻した。 「そりゃ、予め佐々木の野郎の事をオメーに張らせてたってんなら、説明はつくわな」 これは半ば本気で。銀時は言いながら腰を持ち上げた。沖田と、山崎とが、顔を顰めながらも何処か不謹慎な様子で口の端を複雑そうに吊り上げるのを振り返る。 「つまりは旦那も、俺らと『同意見』って事ですかィ?」 「ああ」 含みのある言葉へと、肩を竦めて頷く。 「この謀は全部、土方の自作自演って事だろ?幕臣にメリットも無ェ、そもそもやる意味も無ェ。無い無い尽くしで、アイツを監禁しておくって言うリスクと、ただ事件だけが起きてる事実しか無ェ。こりゃァもう、そうでもなきゃ説明がつかねーだろ。 そんで大方、エリート様方辺りがこれをチャンスと迂闊な動きするのでも待ってんじゃねーの?」 無聊を持て余した人間の様に、さも惰性で動いているかの様に。殊更に感情も無く。 ばさりと、背中に流れる仕立ての良いコートの重みに向けて、銀時は自嘲めいた呟きを落とした。 「少しはアイツに言ってやれよ。部下や仲間に無駄な心配かけんなって」 沖田や山崎はともかく。今にも飛び出しかねない勢いでいた隊士らや近藤。彼らに囲まれ、案じられ、護り、そして護られているのだろう土方の事を思えば、銀時の裡には沸々と去来する思いがある。 (……ま。手段を選ぶ選択肢すら無ェってのには同意する所だが、多分そう言う訳じゃ無ぇんだろうし?) 落ち着いている、とは沖田に指摘されたが、これでも佐々木の最初に突きつけて来た『失踪』の言葉を見た時には肝を冷やされたのだ。全身の血が下がる程の悪寒すら憶えた。最悪の可能性さえも一瞬は考えずにいられなかった。 だからこそ。それが『偽』であるのだとしたら、その事に対して怒りを憶えずにはいられない。土方の置かれた状況にも、今現在置かれているだろう状態にも、それを利する謀にも。 「それは、旦那が言ってやって下せェよ」 ぱしん、と少し強めに閉ざした障子の向こうから追って来る沖田の言葉には、振り向きも応えもせず。銀時は些か凶悪な笑みを口元に刻みながら、廊下を歩く荒い足音で同時にそれを踏み付けて進んだ。 (待ってろよ、土方) 明瞭に断じれる様な確信などなかったが、自分の背を押す原動力など、ただそれだけで良い。 頁の半分くらいで破っちゃった感じ…。 /13← : → /15 |