散華有情 / 17



 時間はそれより少し前に遡る。

 不機嫌の体すら滲ませて副長室を後にした銀時だったが、廊下を少し進んだ所で足を止めるなり、生地の馴染まないコートをぐるりと翻して背後を振り返った。
 その侭の状態で待つ事数分もせぬ内、小走りの山崎が銀時の佇む位置へと近付いて来る。歩調は急いでいたが、流石監察と言うべきなのか、足音も気配も殆どさせぬ身のこなしである。
 足音を殺して来たと言う事は、断じて言った訳でも明言した訳でもないが、ちゃんと銀時の意図を察したと言う事だろう。念の為に立てた人差し指を口の前に当てて見せれば、山崎は口の動きだけで「解ってます」と答えて寄越し、次いでコートを脱ぐ様にジェスチャーで示して来た。
 ひとつ頷きを返した銀時が、肩に引っかけていただけのコートをその侭落とせば、すかさず構えていた山崎の手がそれを受け取ってこくりと頷いてみせる。
 ぐ、と親指を立ててオーケーサインを作られるのに、これもまた念の為に、銀時が脱いだコートのポケットの位置を指さしてみれば、もう一度深い頷きを返される。
 不自然な衣擦れが生じない様にそっとコートを抱えた山崎は、もう一度ジェスチャーで銀時へと、元来た道を戻る様に指示を出して来る。それを、副長室に戻れと言う意味だろうと正しく判断した銀時は、後は任せると言う意味で手を投げ遣りに振ってから、言われた通りに廊下を戻って行った。背後で逆の方角に遠ざかる山崎──と彼の抱えた白いコート──とが遠ざかって行く事に思わず溜息がこぼれる。
 何も入れた憶えのないポケットに入っていたのは、目で見て確認した訳ではないが、恐らくは普通の携帯電話だろう。盗聴器などの不自然な代物であったらもっときちんと隠して仕込む筈だ。市販されている携帯電話程度のマイクの精度ならそこまで細かな音を拾いはしないとは思うが、何しろ携帯依存症且つ狡猾なエリート様の私物(らしきもの)だ。どんな高度な仕掛けが施されているかなぞ知れない。
 携帯依存症の佐々木が、自らの大事な携帯電話(の一つ)を『うっかり』コートのポケットに通話状態で入れた侭、銀時にそれを渡して寄越すとは思えない。と、なるとそれは故意的にポケットに『うっかり』忘れられたかの様に入れておかれたのだ。
 仮に。もしも仮に、佐々木が本当に『うっかり』携帯電話をポケットに入れた侭、或いは緊急連絡用に携帯電話をポケットに潜ませておいた侭、銀時にコートを貸して仕舞ったとしても。銀時は取調室から出る前に近藤から携帯電話を直接借り受けているのだ。それを目にした時点で、佐々木が『うっかり』に気付くなり、緊急用に持たせてあると言うなり、している筈だ。
 その何れもしなかったと言う事は、佐々木は故意的に、しかも本人には知られぬ様に、銀時に携帯電話を持たせたと言う事になる。そこに何らかの作為や仕掛けが無い筈はない。GPSを利用して銀時の動きを監視する為なのか、捜査の進捗を探る為の盗聴の類なのか。可能性は幾らでも考えられる。
 偶々銀時が、ほんの気まぐれの心算でコートを貸す様に言ったからそのポケットに『それらしく』見える携帯電話を仕込んだ、と言う解り易い形になっただけで。コートを借りていなければひょっとしたら知らぬ内に着流し辺りにでも盗聴器や発信器の類を仕込まれていた、と言う事も充分有り得る話だ。
 幸いにか着流しは近藤に預けて来たし、流石に身体にフィットしているアンダーの何処かに異物を仕込まれれば幾ら何でも気付く。
 先頃取り出しておいた、近藤から受け取った方の携帯電話は銀時の手元に残っている。一応開いてみたが、通話中になっている様子は無かった。そもそも近藤が直接手渡して来たのだから、私物か真選組の支給品だろう。そんなものに佐々木が何かを仕掛けられたとは思えない。
 首輪が外れた犬とはこんな心地なのだろうかと、そんなどうでも良い事を考えながら銀時が副長室へと戻れば、数枚の書類をぱらぱらと捲っている沖田の上目が帰還を出迎えてくれた。
 「白犬の首輪、取れたんで?」
 「多分な」
 偶さか同じ喩えを浮かべたらしい沖田の言い種に苦笑混じりの頷きを返して、銀時は障子を閉じると畳にどっかりと腰を下ろした。
 「オメーらが鋭い奴らで良かったわホント。ジミーとか、タイミング的に止めてなきゃペラペラ色々抜かしそうで肝冷やしたよ俺ァ」
 山崎の言葉の回避は、唐突だったこともあってか余り上手い切り方ではなかった。とは言え不自然と言う程に不自然ではないだろうとは思うが。言って肩を竦めてみせる銀時に、沖田は手にしていた書類をくるりと向けて寄越した。
 「まァ、お互い騙くらかし合いにゃ慣れてますんで。警察なんて因果なもんでさァ」
 「オメーらもエリート連中もお互い姑息そうな所あるし、そりゃァ争えば争うだけ性格もドンドン悪くなんだろーよ。…で、コレ何」
 「さっきザキの言いかけた、土方さん由来の、エリート様張り込み命令の報告書でさァ。勿論本来は俺の領分じゃ無ぇし部外者の旦那なんて以ての外の閲覧禁止書類なんですがね、この際仕方ねーでしょ」
 角をターンクリップで束ねられた数枚の紙面には、手書きでびっしりと文字が刻まれている。上から数行を読んだ所で、その内容が余り事務的なものではない事に気付いた銀時は書類から目を上げた。個人の主観の作文から要点を読み取るのは面倒臭い上に困難だ。
 「要点」
 そも、読み取り困難と言うより仮にも報告書が、幾ら個人的な色合いの強い任務であったとは言え、こんな様で良いのだろうかと思いながらも促せば、沖田もまた面倒臭そうな様子で目を細めてみせた。銀時の横着を咎める様な表情である。
 だが、どうでも良い議論を続ける間を労すのを馬鹿馬鹿しいと思ったのか、やれやれと仕草で雄弁に示しながらも沖田は澱みのない調子で喋り出す。
 「……ま。利用される方が馬鹿なんでィと言ってやりたい所ですがねィ。
 ついぞこの間佐久間の家人の口封じの『処置』を、あん人の目の前で看過しちまう事態になりましてね。そいつが土方さん的には度し難かったみたいでして。私怨としか言い様が無ぇですが、それに端を発する形で、ザキにそれとなく佐々木の野郎を探らせてたみてーなんですよ」
 そこまでは何となく解る。土方が──あの気性の激しい男が、目の前で出し抜かれる様な真似や、真選組を馬鹿にされる様な真似をされて黙っている筈などないだろう。それこそ佐々木へ、何らかの軽い意趣返しを考えるのは別段不自然な話でもない。
 考えながら、銀時は頷きをひとつ。
 「んじゃ、ただの仕返しみてーなもんで偶々エリート野郎の監視を始めた所で、手前ェも向こうから『餌』として監視されてましたよって言うオチに至ると?」
 「いえ」
 銀時の問いに否定を差し挟んだのは山崎の声だった。障子をそっと開いて体を室内へと素早く滑り込ませる、その手にはもう白いコートはない。何処かに置いて来たのか、誰かに任せたのかは知れないが。
 銀時同様に身軽になった山崎は、気配もなく音もなく副長室に入り込んでから障子を閉じると、内緒話をする子供の様に手を口の横に立てて声を潜める仕草をしてみせた。
 「端から副長は、佐久間の家人を佐々木殿が『始末』する筈なぞ無いだろうと踏んでいたみたいです。何でも、奉行として父親の汚職を目の前で見て来た息子がそれらの情報を全く持って無い筈は無いだろう、と」
 そこで言葉を一旦切って、然しその間に疑問や異論を差し挟む余地を与える心算も無かったらしい、山崎は銀時と沖田の顔を交互に見遣ってから続ける。
 「そして、これは俺も副長に同意見なんですが。佐々木殿はリスクだけで利にならない命令を負うより、そこから可能性次第ですがメリットを得る事を選ぶ手合いです。
 なので、佐久間の家人の始末自体は『上』からの命令だった筈ですが、得られるものを全て得るまでは一旦それを保留しているだろうと」
 だろう、と言いながらもその口調はどこか断定的に聞こえた。沖田も銀時と同じ感想をそこに得たらしく、つまらなそうに後ろ手に体重を預けて足をだらりと伸ばした姿勢を作ると、ふんと鼻を小さく鳴らしてみせる。
 「道理で、近藤さんに対して言葉を濁してた訳だィ。
 つまり、土方の馬鹿ヤローはその事実を掴んで、佐々木のヤロー殿の足下を掬ってやろうとか一人で企んでたと?」
 佐々木や見廻組に後ろ暗い『隠し事』があるのであれば、それを暴く事は土方や真選組にとっては意趣返し或いはそれ以上のメリットにもなり得る。
 佐々木へ、警察組織の醜聞の元凶となった佐久間老人をとっとと『処分』する事で一旦の間を収めようと命令した者は、紛れもなく警察組織の上層部の人間だ。佐々木がもしも本当に土方や山崎の思う通りに『処分』命令を一方的に保留しておきながら、命令は完遂したと虚偽の報告をしていたのだとすれば、それは立派な、警察組織に対する裏切りにもなりかねない話だ。
 引いてはそれは見廻組の地位、佐々木への信用にも当然関わる話になる。単に謹慎程度の処分で済まされるか、それとも免職されるかまでは、警察組織の事情には明るくない銀時には解りようもない話だ。が。
 「結果的に言えばそういう話になります。副長が単独で行動を起こしたのは、飽く迄真選組とは無関係で局長も預かり知らぬ事だ、といざと言う時に主張出来る様にですよ。……まあ沖田隊長なら解ってるとは思いますけど…」
 言う山崎の語尾は微妙に先細りに揺らいでいる。聞く内沖田の表情が益々に険悪にそして淡泊になっていったと言うのもあっただろうが、それが、土方のそう言う偽悪的に責任を己で被ろうとする所が好きではない事が理由なのだと理解しているからだ。
 曖昧に消えそうな言葉を態とらしい咳払いで誤魔化しながら、山崎は続ける。
 「俺が張っている間は佐々木殿は……まあ当然かも知れませんが、そちらのポカはやらかしませんでした。ですがその後数件、汚職や不正の証拠を挙げられた事で一部幕僚の人事異動が行われています。大粛正の影に隠れる形になって余り目立った事にはなっていませんが、」
 そこで言葉を切る。後はお察し下さいと言う奴だ。
 その、『人事異動』で動いた組織の変動は恐らく、現徳川政権や警察組織の構成に関わる──政治的な意味の強いものなのだろう。或いは個人的に佐々木の足下を固める為のものなのやも知れないが。
 山崎の張り込みがどの様な規模のものだったかは解らないが、佐々木はそれを知ってか知らずしてかボロを出す事は無く──或いは土方の予想が外れただけと言う線も考えられるが──、その代わりに山崎の得た成果こそが、
 「問題はその後です。副長を含めて、真選組の一部幹部職に対する見廻組からの、監視めいた行動が明かになりました。それが曰くの……副長の失踪は『何者か』に因る『偽装』の為ではないかと、俺や沖田隊長の結論付けた着地点になります」
 言いながら、山崎は銀時が手の中で弄んでいた紙束を指してみせる。その概ねの内容がこの作文の様な報告書と言う事なのだろう。
 さて、これで先頃までの、佐々木謹製の携帯電話と言う首輪の付けられていた段までの話と漸く繋がった訳だが。
 「で、」
 言いかけて、どうしても先頃から──否、朝からずっと拭えない徒労感がある。その正体に片手が掛かる手応えを感じたところで、益々疲れを感じた銀時は少し長めの息を吐いて間を取った。
 正体も、真相も、謀も。全て本来自分にとって無意味で無関係の世界での出来事である。政治も、将軍の政権も、幕僚たちの権力争いも、何一つ関わりなく、何一つ今の生活に影響なぞ及ぼすものではない。
 土方と言う駒を自分の場から持ち去られた事で、銀時は否応なく己にとって本来『どうでも良い』そんな世界に指の一本ぐらいを突っ込みかかっている。いや、既に片手か。
 「お前らの言ってた、アイツの誘拐が『偽装』ってのには俺も同意するとして。そいつをやらかした『犯人』を一体誰だと想定してる訳。勿論俺以外で」
 げんなりとした表情を隠さず、然しはっきりとした調子でそう告げれば。からからと、些か不謹慎な笑い声を上げて先に応えたのは沖田だった。
 「この流れですぜィ、旦那。推理小説のお約束ってやつでさァ。『犯人は登場人物の中にいなければならない』とかなんとか」
 「まあこの流れでなくとも、そんな決まりがなくとも、佐々木殿以外には有り得ませんよね」
 こほん、と沖田の笑い声を窘める様に咳払いをしながら山崎がそう断じ、銀時はいよいようんざりとして肩を落とした。
 まあ確かに必然としか言えない流れなのだが──どう考えても。これは一般市民の手の及んで良い畑ではない。
 だが、そこに駒の一つとして確かに銀時が配置されて仕舞っている。
 その目的と意味は知れない。だが、佐々木が全ての謀を利していると言うのであれば、エリート様の描いたその布陣に、しかも言葉通りの捨て駒とはならない位置に確かに坂田銀時と言う駒は配されている事になるのだ。
 それこそ囮の様に持ち去られた土方の為に。恐らくは土方自身とて全く望まないだろう事で。
 先頃、山崎は銀時の咄嗟に出し示した携帯電話と言うサインを受け、佐々木の名前を出す寸前で何とか止まった。これによって少なくとも暫くの間は、佐々木は銀時の行動やその周囲の言動を知る事が出来なくなる。
 銀時を通じて情報を得ようとした、その事自体にどんな意味があるのかは違和感以上には判然としない。が、少なからずそれは監視の類を目的としたものである筈だ。
 山崎がどの様な方法で携帯電話(の入ったコート)をどうしたのかは知れないが、少し考えられる奴なら、単純に無効化はせず泳がせておいて相手の目を眩ます手段として選ぶだろう。無論山崎がその『少し考えられる奴』だと思ってはいるのだが…。
 ともあれこれで、佐々木が銀時に付けていたGPSや盗聴器は少しの間は役立たずになる。音声に銀時自身の声が混じらないなどの理由で何れはバレるだろうが、『監視』の消えている今の空隙は、佐々木の裏を掻いて迫るには好機となる筈だ。
 「エリート野郎がアイツの『偽装』誘拐犯なのはまぁ、辻褄も合う話なんだろうな」
 「無意味な『復讐』目的の『誘拐』の罪状を幕臣の何某に被らせて、現徳川政権の派閥を削ぐ事で一橋勢力の権力を拡げるのが、佐々木殿……と言うよりその背後で後ろ盾をしている連中の大方の目的でしょう」
 条件に該当する思い当たる幕臣でも浮かべたのだろう、肩を竦めながら、山崎。
 そこで溜息をひとつ。
 「……ですが、残念ながら状況証拠や勘や推理モノのお約束程度から弾き出される可能性の論があったところで、佐々木殿を副長誘拐の犯人だと示す確たる物証は今の所何もありません」
 断じる山崎に、成程、と小さく理解を示す首肯を──八割以上はどうでも良い事だと思ったが──してから、銀時は首を捻った。
 やはりおかしい。何かがどうしても違和感として引っ掛かるのだ。
 相手は周到なエリート様だ。それが、何故こんなにも解り易い、弱点にもならない『自分が偽装誘拐の犯人です』と明言するにも等しい攻め所を晒すのか。単にそれに気付かないでいるだけ、などと言う御粗末で都合の良い結論に持って行くには、余りにも全てが出来過ぎている気がしてならない。
 そして、今も猶土方の死に纏わる出来事が露見していない事が、最も奇妙で、最も無意味に感じられる違和感になる。
 幕臣の何某に罪状を被せるとするなら、早い内に行動を起こさなければおかしいのだ。時間が経つだけ、佐々木に対する、今回の事件の命令を下した人間からの信頼も、土方が万が一何者かに救出される可能性も、どんどん高くなる。
 噛み合わない。何かが、足りない。それが事件の不透明さと不自然さを際立たせている。あと何か少しのピースが填るだけで、描く絵が完成しそうな気はするのに。
 「……どうにも臭ェですねィ」
 銀時の内面の疑問を口にしたのは沖田だった。それが何だか同意を求めている様な調子に聞こえたので、銀時は「……だなァ」と相槌を打つ事にした。実際明確に断じれる程の根拠も無ければ理由もない、のだが。
 「……まぁ普通はそう思いますよね。俺も思いますもん」
 そんな両者の首肯にさらりと同意して、山崎は銀時の方へと掌を向けた。寸時瞬いて、それが手の中にある本来機密で無ければならなかった書類束を指しているのだと気付くと、銀時は作文めいた文面の連なっている報告書をぽいと返してやる。
 「そもそも、佐々木殿に何も後ろ暗い事が無いのであれば、旦那にわざわざ、居場所を探知させて会話を盗み聞きする様な類のもんなんぞ仕込まんでしょう」
 受け取った報告書の束をぱらぱらと捲りながら嘆息する山崎の意見には銀時とて同意する。
 確かにあの男は、銀時や土方の見立てる通りに周到で、狡猾で、嫌味で。そして何より慎重である筈なのだ。
 利用出来るものであれば、仮令不審な万事屋などと言う稼業の浪人風の男であれ、使う事を躊躇わない。以前もそうやって『使われ』たからこそ、銀時にはその実感が聞く言葉以上に強い。
 「その『臭さ』と、今回の副長誘拐失踪事件の『意味の無さ』を重ねて見ると、お二人にはどんな画が見えて来ます?」
 一息だけ。まるで猶予の間の様な空隙を挟んで、やがて山崎がそう口にするのに、沖田の視線が億劫そうに銀時の方へと動くのが見えた。促す様なその様子から、自分と恐らく同じ結論に至っているのだろう『解答』を、銀時の口から言わせたいらしい。
 「要するに…、あのエリート野郎は、何でか知らねーけど俺を組み込んだ謀を企んでる、って事だろ」
 良い迷惑だ、と心底そう思いながら吐き捨てる。
 そう。これが『偽』の、下らない権力争いとそれに乗じた企みの裡で起きている事で、単に銀時も土方もその為に利用される『駒』のひとつとして今此処にあるのであれば。
 (盤面ごと引っ繰り返してやるぐれーの事はしてやりたくもなるよなァ…?)
 ちろり、と唇の端を舐めて、銀時は出掛かった嘆息を無理矢理笑みにする事で飲み込んだ。
 この侭やられっぱなし、されっぱなしで黙っていられる程自分が潔の良い人間だとは思っていないし、土方とてそれは同じ筈だ。今どういう状況に置かれているかまでは知れないが、少なくとも思考する頭が無事であれば、暫定犯人の佐々木へとどう報復をするかとつらつら考えている事だろう。
 「異論もない様なんで、佐々木殿を犯人、且つ個人的な謀があると見なして話を進めます。重ね重ね言うと物証はゼロですから。飽く迄暫定犯人の佐々木殿が『何』を目的にしているのか、と言う点に絞りましょう」
 話題が話題だからか、ただの雰囲気か。用心する様な口調で言ってから、山崎は続ける。
 「色々と矛盾が多いんですよね。『旦那が最有力容疑者になるタイミング』で『副長を誘拐した』、だけなら、旦那を──白夜叉を畏れ陥れようとしている、辺りが妥当な目的と見る所ですが、どう言う訳か佐々木殿は、『旦那を容疑者として』先んじて確保する事で逆に旦那の身柄を守っている訳です」
 「あの野郎俺には、どこぞの幕臣が『復讐』目的で土方に害を成すのを、『餌』として待ってたと前置いた上で、何らか殺害以外の目的があって誘拐したんだろうとか抜かしてたんだけど」
 取調室での遣り取りを思い出しながら銀時は言う。確かに佐々木は別に嘘はついてはいない。ただ、自分が関わっているとは言っていないだけだ。
 (『偽装』目的で土方を誘拐して?『偽装』逮捕で容疑者の俺を捕まえた挙げ句、他の警察組織に確保される前に動いたのだと恩を売りつつ、盗聴器と発信器を付けて外に出す…)
 そこまで考えて、銀時は苦虫を思い切り噛み潰して浮かんだ、これ以上はないだろうげっそりとうんざりとを一日分混ぜ込んだ表情を隠す様に掌に顔を埋めた。
 「……………これ以上は無ぇ『泳がせ』られた『餌』って事になんじゃねーの?俺」
 土方が拐かされて、その最重要容疑者とされたのであれば、銀時には動くほかの選択肢が無くなる。
 だが、それもまた妙な話なのだ。少し話を付き合わせれば直ぐに知れた、佐々木が土方を誘拐した犯人だろうと言う推測と、犯人の捜索に銀時を放った事は、これも明らかに矛盾する。
 これではまるで──
 「まるで茶番ですねィ。あのエリート殿が何かを企んでるって言うより、土方さんが自作自演で捕まったフリをしてるって方が未だ話が解り易いものになりまさァ」
 「…まあ副長の性格上それはないでしょう。仮に佐々木殿に何かの取引を持ちかけられてやったとしても、俺にその情報を伝える事ぐらいは可能な筈ですから」
 仮にこれが『共に偽装を目論んだ』類の『取引』だとしても、相手が『あの』佐々木であればどんな対価を天秤に乗せられた所で、土方が諾々と従う筈もあるまい。
 両警察組織──の一部──の対立は、犬猿とか言うレベルでなく、蛇とマングースの戦いと喩えた方が良い。仲が悪いだの対立しているだのと言われている評以上に、その実両組織に於ける接点はそれ程多くはないのが現実らしい。縄張りの違い、役割の違いもあって、大掛かりな警備などで現場がかち合う程度はあれど、合同捜査などと言うケースはまず無いと言う。
 それこそ畑違い。縄張りも、設立目的も異にした彼らが争う理由など本来はない。競争するに足る相手でもお互いに無い筈なのだ。
 それでも彼らが相容れないのは、単に相性の悪さだけの事なのか。或いは、全く異なる組織だからこそそれを敵とみなさずにいられないのか。
 白でも黒でも、警察と言う役割を仮にも背負った公僕であれば、そのお役目を精々遵守して、市民の安全と平和にでも務めて貰いたいものだ、と銀時としては思う所である。
 (……まあ、アイツの気性からして無理な話なんだろーけどな。ただでさえ佐々木のヤローとは一度は真っ向からぶつかって意見の相違で仲違いしてんだし。結局義弟殿の一件も有耶無耶に終わってるみてーだし)
 真選組が、本来身分違いの出自である佐々木鉄之助の存在を、隊士の一人として受け入れたと言う事はそう言う事なのだろう。佐々木はまるきり気にした様子などないが、土方は存外にこの一件を根に持っている様だった。
 それだけではないだろうが、それだけ、或いはそれ以上に嫌う相手に、土方が言い様に利用されるとは到底考えにくい。況して土方の失踪状況は、銀時に埒を明けたその直後だ。自らに佐々木の手に因る監視がついている事を理解していたのであれば猶更。
 (警戒してても相手のが一枚上手だった、のか、それとも……、)
 「野郎の色ボケの所為でこちとら良い迷惑でさァ。仮にも副長を名乗る野郎が、前回と言い今回と言い、攫われんのがお家芸のピーチ姫みてーでいけねーや」
 銀時の思考の向かいかかった方角に、先んじて置かれる沖田の布石。やれやれ、とあからさまに土方への悪態をつきながらも、その視線は銀時の方を大層人の悪い目で見ながら笑っている。
 いい加減、このドS王子は本当に人の心でも読んでいるではなかろうか。そんな事を寸時考えて、強ち間違ってもなさそうなその想像に背筋を小さく震わせながら銀時は歯切れ悪く返す。
 「どう控えめに見たって、あの子ピーチ姫とか言う殊勝なもんじゃねーだろ」
 寧ろ自分を攫った張本人である亀の親分をブチのめして自分で歩いて帰還して来そうな手合いだ。
 そう続ければ、その図を想像でもしたのか、山崎は思わず漏れた笑いを噛み殺してから、取り繕う様に先頃の抗議から言葉を繋げる。
 「ええと、兎に角取引や共謀のセンは副長に限っては絶対に無いでしょうから、副長の意思を無視して連れ去られたのは間違いありません。
 と、なると当然抵抗もするでしょうし逃げ出す隙も伺うでしょう。佐々木殿が見廻組のオフィスに居る──いえ、居た、かも知れませんが、その好機を副長が逃す筈はありません、が…」
 だが、それでも土方からの動きはない。銀時には知れないが、監察の任務で用いる、極秘の伝達手段の一つや二つや三つぐらいきっとあるのだろうが、その何れにも手がかり一つ残されてはいない様だ。
 事件の性質からして、佐々木の他の見廻組隊士が全てを掌握しているとは思えない。他者に押しつける為の任とは言え、その内容は土方の誘拐、そして殺害──現在は未だ監禁状態の様だが──に及ぶ様な物騒な命令だ。佐々木張本人と、その信頼する部下の精々一人二人が知るかどうかと言った程度だろう。
 つまり圧倒的に手が足りない筈だ。そんな状況ならば佐々木は出来るだけ自分の手の及ぶ所に土方を監禁しておきたいだろう。そして、エリートの目立つ形がしょっちゅう行き来していても怪しまれない様な場所、しかも江戸から近い立地なら猶望ましい。
 ただでさえ暴れ馬──狗だろうか──にも等しいピーチ姫を、そう長い事確実に隠しておける、そんな条件の揃った『優良物件』など限られている筈だ。
 この江戸の町は基本的に何処にでも人の溢れている土地だ。生憎の雨天とは言え、平日はあらゆるものが平常営業で動いている。声や音を出せる手段を持った者を閉じ込めておくなど、そう簡単な話ではない。
 「その1。余程頑丈な場所に言葉通り監禁されている。
 その2。さほど監禁て状況でなくとも手強い監視がついていて身動きが取れない。
 その3。薬物なんかを使われて声も身動きも取れない状況にされている」
 人差し指、中指、薬指、と順に立ててそう言って「さぁ、どれにしやすかィ?」と軽い調子で言う沖田に、流石に山崎が顔を思い切り顰めてみせた。
 「1は、そんな鉄格子や防音の利いた場所がそもそもありません。ありそうな地下街やそのテの店や施設になんて、佐々木殿が近付けばそれだけで目立ちますし。
 3は論外です。後遺症が残る様な真似をするなら、端から副長を殺害してとっとと終わらせてますよきっと」
 「……と、なると、2がまぁ無難なセンだねィ。あそこの女副長辺りにでも見張りを任せられてたら、土方さんがそう簡単に出し抜けるとは思えやせん」
 この中では唯一、見廻組の女副長こと今井信女に肉薄した戦いを繰り広げていた沖田がそう断じるのだから、その見立ては恐らくそう間違ってはいないだろう。
 銀時とて、あの、忠犬や暗殺者めいた気配を匂わす女ならば、佐々木に命じられた侭に淡々と役割をこなすのではないか、と言う確信めいたものはある。その程度の観察眼の──勘と経験則の──事ならば人後に落ちない自信はある。
 沖田もまた、三択を提示しておきながら端からこの解答を選択していた様だ。どうも、今井信女に対して何らか思う所があるらしい。彼はその侭寸時どことなく皮肉気で不愉快そうな表情を口の端でだけ転がしたが、次の瞬間には良案を思いついたかの様にぽんと手を打つ仕草をした。切り替えると言う合図だろう。
 「ザキ、佐々木のヤロー殿を監視してた間で、見廻組オフィスや庁舎や自宅以外の建物とかに立ち入った記録は?」
 急にそんな事を振られて、山崎は慌てた様に背筋を正した。「ええと、」銀時から返却された書類をぱらぱらと捲る。
 「お偉いさんの警備や会談で料亭などに。他は直接それらの邸宅に。概ね仕事絡みの様な出入りは各所にありますが……後は佐々木家所有の別邸を私宅の様に時折使っていた様です」
 「別邸?」
 「山の手の方にあります。今は殆ど使われていないらしいですが、佐々木殿は以前から時折訪れていたみたいです。まあ息抜きの隠れ家的な感じとか…、」
 銀時の上げた疑問への解答を補填する山崎に、びしりと指を突きつける沖田。
 「そこで決まりでィ」
 「え?」
 きっぱりと断じて言う沖田に山崎は鼻白んだ。思索した様子も無ければ、斟酌してみた様子もない。その唐突さは無作為に掴み取った紙切れを紙幣だと宣う様なものである。
 至極当然の様に言うが、これもまた至極当然の様に、沖田には知りもしない土地の話の筈だ。と言うよりは、間近でそれを監視していた山崎以外は建物の規模や立地は疎か仔細すら知らない筈である。狼狽するのも致し方のない話だ。
 「こ、根拠は?」
 「限りなく狭い範囲の消去法だな」
 沖田の肯定より先に、銀時もまた同じ様に断じて、山崎の手から書類をもぎ取った。丁度該当する場所を見ていた筈なので、その一枚だけ。必要な情報の書かれた一枚だけを。
 「土方を誘拐しといて、俺らに推理材料だけは十二分以上に与えて泳がせてんだ。こりゃもう、見つけてくれって言ってる様なもんだろ。なら、手前ェらに揃えられる材料の中に、俺が泳いで向かうって想定されてる場所のヒントは提示されてる筈だ。
 で、野郎が仕事以外の場所で訪れていて、他人と関わる事も無ぇ物件はソレだけなんだろ?」
 監察としての山崎の自尊心には悪いが、土方に命じられて山崎のしていた監視行為に佐々木は──と言うよりは信女がかも知れないが──気付いていた筈だ。
 逆に言おう。銀時と言う餌を上手く泳がせる為に、佐々木の動きをそれとなく『知って貰う』必要があったとしたら、山崎の監視はさぞ渡りに船だったろう。或いは土方が監視を命じた時点で、佐々木は今回の謀を目論んだのやも知れないが。

 『真選組副長の誘拐』を『偽装』として行い、その亡骸が発見されるまでの一連の罪を『復讐』と言う動機を持った幕臣の何某へ被せろ、と言う命令。
 そんな命令を受諾した筈の佐々木は、標的である幕臣の何某よりも有力な犯人の候補に銀時が上がるタイミングを選んで『偽装』の『誘拐』を実行した。更にそこから先は土方を殺める事もなく。また、現場に犯人に仕立て上げたい対象に繋がる証拠品すら残す事もなく。
 飽く迄、直前に行動を共にしていた銀時へと確実な容疑がかかる事を狙って。
 それでいて銀時が他の警察組織に逮捕され罪を被せられる様な真似をさせまいと庇い立て、未だ土方の遺体は上がっていないとだけ告げて、銀時に首輪を付けて野へ放った。

 (これで、見つけてくれ、って言わなきゃ何なんだよ?)
 佐々木の目的は已然として知れない。土方を殺害しない理由も、銀時をそこに介入させようと言う理由も。エリートなどと名乗るだけあって、もっと大きな視点で物事を見ているとでも言うのだろうか。それこそ荒唐無稽な法螺話を吹聴する政治家や評論家の様に。
 山崎から奪い取った書類を目で追って、佐々木家の別邸とやらの住所を確認する。高級住宅の疎らに立ち並ぶ一角だ。見張りさえいれば人ひとりの監禁も叶うだろう。見廻組詰め所のある庁舎からのアクセスも比較的容易で、エリート然とした佐々木の姿が目撃された所で別段怪しまれる事もない土地柄。
 そして何より、銀時の得られる範囲の情報に当て嵌まる。
 理想には叶った条件は揃っている。ならば、此処であると確信するほかない。
 「然し、そうなると厄介ですよ。佐々木殿が犯人であると言う証拠は何もなく、真選組(うち)にも捜査権は何も無い現状。幾ら場所の可能性があったとして、旦那が蝙蝠役をやっていると言った所で、クッパ城が佐々木家所有の物件であれば漏れなくマリオも不法侵入で訴えられかねません」
 「いやもうそのネタで喩えなくて良くね?」
 真顔で言う山崎に思わず銀時がツッこんだその時、ピリリリ、と無機質な電子音が響き渡った。思わず身構えかかるが、その音の出自が自らのポケットの内だと知れれば直ぐに思い当たりに至る。
 銀時は素早く尻側のポケットから、近藤に渡された携帯電話を取り出した。バイブ設定はしていないらしく、電子音だけが単調に着信を訴え続けている。
 「近藤さんのケータイですよねィ?」
 沖田が首を傾げるのに、銀時は頷きながら二つ折りのその蓋を開いてみた。ちかちかと、隠し撮りしたと思しきお妙の営業用の笑顔が微笑む液晶のディスプレイに映し出された、着信相手を示す電話番号や表示が点滅している。
 「『真選組屯所 通信室』」
 「ちょっと失礼しますね」
 読み上げれば、山崎が手を伸ばして携帯電話を摘みとった。着信画面の写真には特に何も突っ込む所がなかったのか、その侭通話ボタンを押して、続け様スピーカーボタンを叩く。
 「もしもし」
 《…あれ?局長、じゃないですよね?》
 「はい。こちら監察方所属の山崎です。局長は今ちょっと野暮用で出られないので、こちらで携帯を預かってます。
 で、通信室って事は、局長宛に外線?」
 《あ、はい。屯所外線宛に『万事屋』から、『事件』の事について、と名乗りがあったので、局長に回すべきかと思いまして》
 スピーカーの向こうから聞こえる、通信係だろう隊士の言葉に、携帯電話を間に置いた銀時、沖田、山崎の三者は思わず顔を見合わせる。
 「……多分新八か神楽だな。アイツら事件現場を調べてみるとか言ってたし」
 「なんでィ、この忙しい時に」
 《もしもし?山崎さん??》
 「ああはい。外線、こっちに繋いで下さい」
 《解りました。では》
 ピ、と小さな電子音がしたかと思うと、スピーカーの向こうからは途端不明瞭な雑音が響き始めた。町中の雑踏の様だ。不定形な人のざわめきが遠くでノイズを奏でており、合間には車の音なども聞こえる。新八にも神楽にも携帯電話などと言う高尚なアイテムを持たせた憶えはないので、公衆電話か、はたまたどこかで電話を借りているのだろう。
 《もしもし?》
 「よぉぱっつぁん。ご苦労さん。そっちはどうだ?なんかあったか?」
 保留音が消えた事に気付いて声が上がるのに、見えないと解っていても銀時は片手を挙げて応えた。受話器越しの会話で思わず頭を下げて仕舞うと言うアレの様なものだ。
 《あ、銀さん。良かった、ちゃんと繋いでくれたみたいで…。銀さんに連絡を取りたくても真選組の屯所に行った所までしか解らないし、真選組の電話番号なんて外線か緊急通報ぐらいしか調べようがないしで、ちゃんと取り次いで貰えるか心配だったんですよ》
 万事屋と名乗ったのが通じて良かったです、と冗談めかして言ってから、《それで、》と新八は声のトーンを変えた。ここからが本題の様だ。
 《土方さんが部屋を取っていた『藤の屋』と言う店を出たのが大体昨晩二時過ぎ頃で、その頃丁度、藤の屋の向かいにある料亭『笹舟』の従業員の人が偶々ゴミ出しをしていて、店から傘を差して出て来る土方さんらしき人物の姿を目撃しています》
 すらすらと言う新八とは対照的に、銀時は僅か渋面を浮かべずにいられない。余り大きな声では言えないが、高級な体とは言え店の種類としては茶屋だ。連れ込み宿だ。今風に言えばラブホテルだ。
 そこの部屋を一室、深夜に取っていたと言う意味を考えてみれば、共に同じ場所に居た銀時としては未成年の身内にそんな事を探られるのは少々どころか大分居た堪れない。
 新八も神楽も、銀時と土方との関係性を所謂『そういう』意味で理解しているからこそ衒いなく言うのだろうとは思うが──或いは単にそこまで気にしていないだけか。
 訳知り顔の苦笑でこちらを盗み見ている山崎と、やれやれと言う表情をしながらも口元にはどす黒い笑みをはいた沖田の姿を見遣れば、うんざりもしようものだ。思わず口の端も下がる。
 「そんでその後は?」
 自然と急いて続きを促せば、その声音から銀時の苛立ちに似た感情を聞き取ったのか、携帯電話の向こうの新八は少し戸惑った様な間を置いてから続ける。
 《ええと……、背格好や服装から多分土方さんで間違いないだろうと言う事と、差していた傘が藤の屋でお客さんに貸し出している謹製のもので…》
 それにしても、警察ですら土方の最後の足取りにまでは未だ至っていない筈──推定容疑者の佐々木が捜査を上手く誘導している可能性はあるが──だと言うのに、流石は万事屋稼業を長く続けているだけあってか、地味な聞き込みからよくぞそこまで絞ったものである。
 思わずそんな事を感心しながら報告を聞く銀時の横で、不意に沖田が口を開いた。
 「オイメガネ、そいつァつまり、その店だけのデザインとかそう言う、一目で『そう』と知れる見た目の傘って事か?」
 《だから眼鏡って何ですか、僕を指すのにまず眼鏡が来るのはまあ解りますけど、見た目は名前じゃ──、ってあれ?沖田さん?沖田さんも一緒だったんですか。どうもこんにちは》
 「おう、旦那への伝言助かったぜィ」
 「〜じゃねーだろ、傘がなんだって?」
 その侭携帯電話を通して暢気な挨拶でも始まりそうな風情を破って、銀時が横やりを入れるのに、新八があっさり《はい》と肯定を返してくる。
 《臙脂色の番傘で、鬱金色で藤の図柄が染め抜いてあるものです。貸し出し傘にしては結構な高級品ぽいです》
 新八の応えを聞いて、沖田が眉を寄せながら振り向いた。
 「土方さんが襲撃を食らっただろう現場は未だ発見されてねーです。大体この辺りだろう、と言う、地形からの目星程度で」
 「つまり、藤の屋サンの傘が落ちてる所が現場だと?っても、時間も大分経ってるし、下手人も傘の一つや二つ回収してる可能性のが高ぇんじゃねーの?」
 沖田の言いたい事を察し、少し考えながら銀時は言うのだが。
 「事件が起きたと思しき時刻は雨の深夜ですぜィ?しかも標的(ターゲット)は幾ら色ボケしてたとして、仮にも武装警察の副長でさァ。下手人の接近を察して、傘なんぞ出来るだけ遠くに投げ捨てて刀抜こうとした筈でしょう?」
 寧ろそうでないと困る、と言いたげな口調ですらある。それが信頼なのかはたまた面目の問題なのか。そんな沖田に対して、また少し首を傾げてから、銀時。
 「雨の深夜たァ言え、あの辺りは午前様でも──いや寧ろそんな時間だからこそ利用者が通る可能性があって、下手人は無用な人目を避ける為にも速やかに行動を起こしたいだろうなそりゃ。そんな一秒を争う真っ暗な中なら、傘の一本を拾えなかった可能性もあるって事か?」
 「まあ、藁にも縋る、って奴でさァ。可能性があるなら突き止めておいた方が、後々後悔しねーで済むって事も間々ありますぜィ」
 《それなんですけど…》
 銀時と沖田の間に、遠慮がちに割って入ったのは携帯電話──の向こうの新八の声だった。調子からするとおずおずと挙手して発言を求める様な風情である。
 《傘、もう見つけました》
 曰く可能性の論、が無駄になりそうな答えをぽいと投げて来る声に、沖田が口をへの字に曲げる。見えていたら逡巡したやもしれないが、見えていないだけに新八の声は平然と《それでですね、》と続けて来る。
 《えーと、一旦順を追いますね。まず僕らは土方さんが失踪したと思しき付近から聞き込みを行って、藤の屋まで行き着いた所で、偶々お店の人が傘の事を話していたのを耳にしたんです。本数が足りない分を誰に貸し出したかとかそう言う話だったんですが、》
 実のところ銀時も昨晩帰り際に傘を借りるかを考えたのだ。藤の屋の貸し出し傘は、先頃新八の言った通りの高級そうな番傘で、出口に置いてある傘立てから自由に借りて行って良い事になっているものだった。店の質や利用用途だけに、匿名性が利く様にと言う配慮なのだろう、台帳などの類に控えを残す必要はなく、ただ、一本一本入っている傘立てから傘を抜いた時に機械(からくり)が作動し、その時間が記録される仕組みになっていた。
 つまり、その時間にチェックアウトした人物が概ね該当者だろうと判断される。だが、恐らく店から催促の類などはしないだろう。飽く迄『誰が借りたか見当はつくんです』と言うポーズだけのものだ。あの等級の店を利用する様な客であれば、傘が幾ら高級だからと言って持ち逃げしようなどと考えるものもいまい。(そもそも『藤の屋』の傘だと知る者であれば直ぐに判別のつく品なのだ)
 『記録してありますので早く返して下さいね』と言う程度の効力にしかならない仕掛けだが、それでも客には充分な効果を発揮するだろう。
 後は、次の来店時、近くを通りかかった時、人に頼んで。など。何れの方法でも構わないから兎に角返却すれば良いだけだ。寧ろ『知られている』と思うだけで、人は特に悪い事をしていなくとも後ろめたさを憶えるものだ。例えば先程の銀時の様に。
 こうなると、傘を借りた者は早々に返さねば落ち着きも出来まい。
 そんな仕組みを傘立てを観察して見て取った為、銀時は傘は借りずにその侭適当に軒や木の下を辿って帰宅した。無論胸中では濡れた衣服や全身にうんざりすると共に、泊まりに出来なかった天候に散々悪態をついていた訳だが。
 《向かいの料亭の人は土方さんらしき人が傘を差して出ていくのを目撃したって言うし、気になったんで念の為に、傘を誰がいつ借りたのかとそれとなく訊いてみたんです》
 新八はそこで簡潔に、藤の屋に於ける貸し出し傘の仕組みを説明しながら、傘を借りた人物名までは流石に聞き出せはしなかったが、昨晩その時間帯に借りられた傘は一本だけで、それは未だ返却されていないのだと続けた。
 ああ言う店は得てして口が硬い。警察や興信所でもない子供だからと気を抜いてそれらしい事を漏らして仕舞ったのか、それとも新八と神楽が上手く聞き出したのか──何れにしても見事な手腕だ。
 同じ事を考えたのか、山崎が少し感心した様な横顔をして腕を組んでいるのを見て、少し得意気な気持ちになって仕舞う銀時である。
 《そこにきて、藤の屋の傘を見た神楽ちゃんが、此処に来る迄に同じものを見た、と言ったんです。…神楽ちゃんて結構傘ってアイテムを気にしますよね。自分がいつも使っているからかな、女の子ですよねそういう所。
 つまり、さっき沖田さんの言っていた通り、僕らも、傘の在る場所が土方さんが連れ去られた事件現場で、傘を持っている人がいるなら、その人が何かを知っているかもしれないと思った訳です》
 料亭『笹舟』従業員の目撃証言と、『藤の屋』の傘の借りられた時間はほぼ合致している。つまり土方は確実に、帰り道に傘を差していた事になり、その傘は未だ返却されていない。つまり現場に未だ落ちているか、犯人を含めた何者かが持ち去った可能性は高い。
 そしてその傘が偶さか、近所でその日の内に目撃される事など──余程の偶然にでも好かれない限りは、そうそう有り得る話ではない。
 ……つまり、犯人は傘を持ち去れなかった、と見て良いだろう。
 《それで僕らは神楽ちゃんが傘を目撃したって言う路地裏に向かって、そこに居たホームレスの人が藤の屋の傘を持っている事を確認しました。なんでも、昨晩の夜中に拾った、と》
 二度目。銀時と沖田と山崎とは顔を見合わせる。
 ああ言った高級料亭街だと言うのに──否、高級料亭街だからこそ、その廃棄物を漁るホームレスは多い。無論街の美観や衛生観念云々で嫌われてはいるが、彼らは鴉や野犬などの野生動物とは異なり、一応は『人間らしく』廃棄物を漁って行くだけに、実の所衛生面での被害など殆どない。
 況して高級料亭だからこそ、食べ物などの残り物は惜しげもなく処分する。宴会などの後は食い詰めた人間や野生動物にとっては食料庫の様なものだ。
 無論立派な窃盗罪になるのだが、そこまで意欲的な取締りがある訳でもない為、ああいった場所を深夜ホームレスが彷徨いているのはそう珍しい光景でもない。
 「……目撃者になるか?」
 一応そう問えば、
 《いいえ。残念ながら。その人の証言では、歩いていたらいきなりスモーク張りの車が傍を急発進して行き、危ないなあと思いながら辺りを見回したら、件の傘を見つけた、と》
 ナンバーなんかは暗くて判別出来なかったそうです。と最後まで否定要素を少し申し訳なさそうに新八は連ねたが、逆に沖田は得たりと笑いを浮かべてみせた。
 「当然その、ホームレスは傘ごと押さえてあんだろうな?」
 不意に物騒な声で問いてくる沖田に、携帯電話の向こうで新八が寸時息を呑む気配。沖田が何を振ろうとしているのか、それを探る様に。
 他意がなくとも、ドSで知れた人間の物騒な声色──しかも顔色は見えない──を訊かされれば、まあ妥当な反応だろうとは思うが。
 《え…ええ、勿論です。今神楽ちゃんがその人と……なんか良く解らない内容ですが話をしています。少なくとも逃げ出したりする様子はないですね。僕は二人が見えるバーで、電話を借りてるんですけど…》
 「お手柄だィ、メガネ。あとチャイナも一応」
 労いに値するらしい言葉を投げて、沖田は銀時の方に視線を投げてくる。
 「件のホームレスから訊き出せば、恐らく現場は特定出来まさァ。雨の中、しかも一晩経ってりゃどうか知れやせんが……、急発進したんならタイヤ痕ぐらいは残ってるかも知れねぇです」
 土方が佐々木と信女に拉致された現場を特定出来れば、二人或いは見廻組の関与を何らか示す痕跡ぐらいは見つかるやもしれないと言う事だ。暫定犯人から、確定犯人にする為の物証となるべくものが。
 《それと…、》
 またしてもおずおずとした様な新八の声がそこに割り込む。今度は遠慮と言うより声を潜めていると言った風だ。
 《今日うちに来てたあの白い警察の人たちですけど、なんか大掛かりに動き始めてるみたいです。さっき大通りを警察車輌が幾つも走っていったと、人が話してました》
 三度目の視線の合致する先は、驚愕よりも焦燥だった。時間がない、と山崎が小さく呻くのに、銀時は早計な想像を拒絶する様に小さくかぶりを振って返す。
 見廻組が動き出したと言う事は、『罪を被せて蹴落とす』対象の幕臣に纏わる何かで動いた可能性が高い。最悪なケースを想定するならば、土方の亡骸が発見され、強制捜査が行われようとしている、とも考えられる。が。
 一応、情報網にはまだ何も掛かっていない筈なんですが、と山崎が猶も呻くのを余所に、沖田は続け様に新八から店の名前を場所とを訊き出すと、通話を切った。別れや労いを言い損ねた形になった銀時だったが、まあそんなものは全てが終わればいつでも言えるだろう。
 「決まりですねィ」
 言う沖田に頷きを返して、今まで殆ど無言で時折メモを取りつつ会話を聞いていた山崎が、状況が纏まった所で立ち上がる。
 「こっちでも、動ける時が来たら直ぐ対処出来る様備えはしておきます。副長も旦那も、無事に戻って下さらんと困りますんで」
 いよいよこれが正解であると賭けるに足ると決意したのだろう。山崎はどこか決然とした声音でそう言うと、挨拶もそこそこに慌ただしく部屋を出て行った。
 廊下を遠ざかる足音を最後まで聞き届ける事もなく、銀時もまた「さってと」小さく気合いを入れる様なかけ声をこぼして立ち上がる。 沖田は事件現場に、山崎は工作と準備に、そして銀時は先頃割り出した目的地に。それぞれ向かう為。
 「旦那ァ」
 銀時のそんな動きを追って来る沖田の声。
 「残念ながら、真選組(俺ら)が表立っては動けやしねー事に已然変わりはねーです。
 ここまでの話がもし正しいんであれば、野郎は旦那を手前ェの謀の歯車に組み込んでる事になりまさァ。それが結果なのか過程なのかは解りやせん、が──」
 そこで一度言葉を切って。億劫そうな所作で腰を起こした沖田は、部屋を横切ると、衣装棚の中から真っ黒な着流しを一枚引っ張り出した。当然この部屋の主のものだろう。黒地に白襟の、夏用の少し薄手のものだ。見覚えも(多分)ある。
 「くれぐれも気をつけて下せェよ。俺らは土方さんの死体が見つかる事にゃ覚悟があっても、旦那の訃報をチャイナやメガネに伝えるのなんざ御免ですからねィ」
 飄々とした、後ろめたさなど言う言葉ほども無さそうな調子で言うが、沖田の表情には軽い響きを肯定する様なものは無い。
 ドSだから打たれ弱い、などとよく嘯いているが、それがこの少年本来の繊細な性質から出た、案じる様な意味を持つものであるのは確かだ。
 そうしてぽいと投げて寄越す着流しを受け取って、銀時は、今は黒いインナーが剥き出しの己の左半身をちらと見遣った。恐らく、いつもの白い着流しの代わりにでもしろと言う事なのだろうが──真っ黒な格好で行けとは果たしてどういう意図なのか。縁起の悪い事この上ない。思って苦笑する。
 「どうせなら、誰の死体も出る覚悟なんざ必要無くなる事を祈れねぇもんかね」
 「そいつァ難しい相談でさァ」
 凡庸な挨拶をする様にそう言ってひらりと手を振る銀時に、ほんの僅かだけ肩を揺らして答える沖田。笑ったのか、呆れたのか、それとも諦めたのか。何れの徴ともつかなかった。
 「ああ、それと一つ提案つーか助言があんですが──」
 内緒話の様に続けられる、笑いの混じった小声を背中に受けて、銀時はにんまりと笑った。
 
 「領収書、真選組で良いなら遠慮なく」





事件は無理矢理一つに纏めた会議室で起きてるんじゃない。

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