誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 1 14:06 ----------------------------------------------------------------------------- 疲労感で頭が酷く重たい。 ここ数日の寝不足が祟ってか、脳の活動力は些か情けない事にも大分弱って来ている様だ。肉体的には、徹夜に近い日々に参る様なそんな柔なものではないと自負してはいるが、頭の中身はそうも行かないらしい。 まるで、ずきずきと酷く重量感を伴った頭痛が頭を満遍なく圧迫している様だ。疲労ではなく他の疾患を疑いたくなる様なそんな痛みに堪えながらゆるゆると視線を巡らせる。 見慣れた和室だ。趣味や為人を伺える様な私物の類は見当たらない、至って機能的で殺風景にも見える部屋は、逆に部屋の主の人柄を良く表していると言える。 無機質で無愛想。机やその上でこなす仕事に使う物が殆どの主にとっては、この部屋は本当に『それ』だけの用途であれば良いと思われているに相違ない。それ以外の物品が転がっていたとしたら、邪魔か、それとも全く気にも留めないかの何れになるだろう。 ここはそのぐらいに徹底的に『個』を排した部屋なのだ。 尤も、特に解り易く札なぞ掲げている訳ではないが、この部屋が『副長室』と呼ばれている事を思えばそれも至極当然な話と言えた。 手狭ではないが広すぎる訳でもない。この部屋に与えられている役割なぞ概ね、仕事か睡眠かの二種類しかないのだ。 部屋の主自体、全くの無趣味と言う訳ではない。ただ、物品にも趣味にもそこまで頓着しないだけの事だ。棚を開けば蔵書や益体の無い物のひとつやふたつぐらいは出て来るだろう。隠して仕舞っているのではない。仕事や睡眠にそれが必要ではないから、収納しておく方が理に適っていると単純に判断しているだけである。 普通、部屋と言うのはそこに棲む者、使う者の個性が色濃く出るものだ。そこが仕事にしか使われない空間であったとして、例えば机の上にはそれを使う人間の趣味の物品や家族の写真が置いてある事は多い。無論それらの殆どは仕事に直接関わるものではないのだが、モチベーションになったり、安堵を覚えたり、ちょっとした気の休まり所になったりする。 人間の生活する空間には、得てして人それぞれの個性が色濃く出るものである。人は無意識に己の個を出す為、或いは己の領域を主張する為に、己の住処を居心地良くする為に、己の生活時間の一部となる空間に個性を与えようとする。 寝る時に布団を叩いて綿の位置を寝心地良く調節する様なものだ。己が身を一瞬で無い時間その空間に預けるならば、そこを己の在処であるのだと定義する。 少しでもそこに己の『匂い』を付けようとするその行為は、動物のマーキングにも似ているかも知れない。寺子屋の机一つにすら、人は己に合った『個』を見出そうとするのだから。 故に。土方はこの殺風景な部屋にも、直ぐに『己』の気配を色濃く感じ取っていた。仕事と睡眠にしか役割を見出さない、この空間が己の自室であり、副長室であるのだと、本能と感覚とで判別している。 「……………」 だが、酷い頭痛の中の緩慢な思考の中で土方は、何処かこの空間に居慣れなさを感じていた。 何故、とか。どうして、とか。明確な理由は解らない。頭痛が酷かれど疲労が溜まっていようと、確かにここは己の部屋で、己は紛れもなくこの部屋の主だ。 理解はあるのに、感覚が追いついていない。この部屋の『個』が、自分のものでありながら、何かが違う様な、不思議な違和感がある。 「……………」 その疑問の侭に頭をぐるりと巡らせてみる、土方の問いに答えてくれたのもまた、今正に己を苛んでいる頭痛と疲労感だった。 恐らく疲れているから、脳機能の何処かが抗議を寄越しているのだ。早く寝かせろ、と。この侭では正常な仕事ぶりは期待出来ないぞ、とでも訴えるかの様に。 とは言え、幾ら脳が頭痛と不可解な感覚を起こすストライキをして来ようが、今は悠々と休んでいられる様な贅沢は生憎、無い。眠くても怠くても痛くても、仕事は目の前に山積みなのだ。 はあ、と溜息をつきながら、土方は寸時飛んでいたらしい意識を鼓舞する様に、書類山の中から一冊のファイルを取り出した。これが、ただでさえ多忙な真選組の副長の頭を現在進行形で悩ませている原因である。 ファイリングされた書類は一定の書式で統一したもので、その内容は多岐に渡る。 ここ最近江戸で起きている未解決の幾つかのテロ事件をまとめたものだ。どれもこれも犯罪として見ても見なくとも忌々しい事この上ない内容であるが、中でも取り分け土方の頭を悩ませているのは、二週間ほど前から頻発している『特殊な』爆破テロである。 それは主に、天人の関わる施設や催事を狙ったものだった。大使館にイヤガラセの様に送付される爆弾などは最早日常行事の如く(金属探知器に引っ掛かるので実際爆発に至ったものは未だ無い)。投げ込まれたり送りつけられたり仕掛けられたり、その対象は天人の商人の興した企業、商売、催事。兎に角種類を選んではいない。 はっきりしているのは、テロの標的が天人であると言う事ぐらいのものだ。別に何処星の重鎮だとか大使だとか、身分や種族に限ったものではないらしく、いっそ無差別と言っても良い。故に逆に、『標的は天人』と言う雲を掴む様な手がかりしか無い為に、頻発するテロの回数と警戒すべき対象の多さとが犯人像を霞ませているのだ。 はっきり言って仕舞おう。『標的は天人』とだけ定義するなら、ほぼ全ての攘夷浪士がその容疑者と言える。同時に、ほぼ全ての天人がその被害者候補と言える。この状況は正しく、埒が開かないのを通り越して、どうにもならない、のだ。 無理矢理に楽観材料を探すのであれば、大使館に催事に企業に個人にと、これだけ大掛かりにあちらこちらを攻める事が出来るのだから、その攘夷浪士たち(テロリスト)の規模はそれなりに大きいのではないか?と言う憶測が適っている程度だろう。 尤もそれとて確証ではない。単に方々で便乗テロを起こしているだけの可能性もある。そもそも今日日、天人をあからさまに対象とした破壊活動自体が珍しいとも言えた。 因って、悲しくなるぐらいに手がかりも無く、捜査の進捗は極めて宜しくないのが現状だ。 今の所死者が出るほどの大きな被害が出ていないのだけは救いと言えたかも知れないが、『江戸に住む天人が狙われている』事こそが問題なのである。 外交面で幕府は肩身の狭い思いをさせられ、天人のそれぞれ母星やら連合からも苦情が山と届く。被害者が天人であれど人間であれど、全ては江戸の治安の問題だ。テロを抑止出来ない幕府の見せかけだけの権力や警察の無能さが日々槍玉に挙げられ、今では天人どころか面白おかしく騒ぎ立てる報道の力も後押しし、市井からも便乗した抗議が絶えない始末だ。 そうなると当然、対テロ、を謳って結成された真選組がその捜査や対処を行う筆頭であり、同時に抗議や文句を上からも下からも浴びせられる板挟みの立場になる。 無論、警察、真選組とて指をくわえてただ見ている訳ではない。市井への警戒を固めるべく警邏に力を注ぎ、同時に天人の護衛活動にも出る。捜査も大幅に人員を割いているし、更に同時進行で、攘夷浪士グループへのガサ入れや討ち入りも行う。 疲労に苛まれているのは、副長の土方だけではない。局長や隊長らは勿論、隊士の誰もが休みなぞ返上で日々忙しく立ち働いているのだ。最も忙しい自覚が徹夜換算で幾つあれど、副長がここで一人「頭痛が酷いんで寝ます」などと言っていられる筈もない。 徹夜の回数が多いと言っても、仮眠や休憩は適度に摂っている。少なくとも身体も脳も動く程度には己を保っている。土方は自己管理が出来ない程に馬鹿ではないし無責任でもない。 「……………」 だからきっと、この違和感はほんの少し疲労に負けて、眠りにでも落ちかかった故だろう。己の居場所を見誤る理由なぞ他に思い当たらない。 そう結論付けた土方がまず選んだのは、暫定眠気に意識を奪われかかった己を恥じ、改めて鼓舞する事だった。ファイルを机に戻すと立ち上がり、目視で隊服を含む己の姿に弛んだ所が無いのを確認してから、部屋を出る。 精彩のない曇り空から漏れる陽光が、庭でしょぼくれた様に重たげにしている紫陽花の群れを味気なく縁取っている。彩度の低い世界は頭痛の酷い脳には逆に優しい。 時刻は恐らく昼過ぎ。空腹は感じないから、きっともう昼食は済ませてあるのだろう。 捜査の進捗は宜しくないが、安楽椅子探偵でもあるまいし、書類と睨めっこをしていた所で犯人グループの手がかりや情報が出て来る訳でもない。警邏ついでに情報収集でもするかと、土方は屯所の出入り口へと向かった。 警邏も情報収集も日々繰り返している事だ。今日に限って偶々犯人の手がかりを発見出来るなどと甘い事を考えた訳ではないが、この不快な疲労を取り敢えず払いたかった。少し身体を動かせば頭痛なぞ忘れられるかも知れない。 …アレ?また爆破系??と今更…。 /0← : → /2 |