誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 2 14:12 ----------------------------------------------------------------------------- 煙草が無い。 屯所を離れ歩き始めて数十米も行かない所でその由々しき事態に気付いた土方は、当然の様に煙草屋を当座の目的地と定めた。 部屋にはカートン買い置きのものが未だ残っていた筈だが、手持ちには一箱どころか一本も見当たらない。隊服を幾ら探れど、ライターと財布と携帯電話と手布、いつだったか街頭で渡されたと思しきチラシぐらいしか出て来なかった。 これはいよいよ本格的に疲れが頭に回っている、と土方は忌々しくその事実を実用的に困ると言う点で認識せざるを得なかった。煙草を忘れるなど、刀を忘れるに等しい失敗である。少なくとも土方にとっては、の話だが。 まあ良い。目的が明確に定まればこそ見廻りにも身が入ろうものだ。 今更市井を見廻った所で、犯人に繋がる何かが都合良く出て来るとは思っていないが、あわよくば真選組副長の命を狙おうなどと言う破落戸にぐらいは遭遇出来るやも知れない。ただでさえ昨今の真選組の評判は忌々しい事にも順調に右下がり中なのだ。幕府に仇なす事を信条とする様な連中にとって、『無能な警察』は丁度良い標的に成り得る。 ……要するに、体の良いストレスの発散である。今の土方に必要なものとしては間違っていない。 これは相当参っているのかも知れない、と余所事の様に思いながら、土方は行く先の雑踏へと視線を投じた。 昨今頻発するテロで狙われているのが天人であるとはっきりしている事もあってか、江戸市中はおしなべて平和の様相である。人々の表情には然したる翳りも不安も見て取れない。己が身や生活に危機感が無い以上、世は平和であるとしか言い様がない。皮肉にも今回の事件は、未だ多くの人々にとって天人は隣人であり他人であると言う何よりの証明となったのだ。 江戸を利と見なした天人の多くは、こう言った旧市街ではなくもっと発展した、ターミナルに近い高層ビル群の建ち並ぶ新市街の方や、はたまたそう言った町の片隅にあるスラム街に集う傾向がある。天人らにとっても江戸の人間は他人であって『客』である以上の存在にはならなかったと言う事だろう。 中には酔狂にも江戸の旧市街や雑多な町に好んで居座る天人も居るが、それは極少数だ。例えば万事屋の所の夜兎のチャイナ娘とか、万事屋の下のスナックで働くネコミミ女とか、万事屋の隣家の花屋とか。 (……全部万事屋の野郎に纏わるってのァどう言う事だよ) 思って、土方は嘆息した。大分気は進まないが、彼らにも一応警戒を促しておくぐらいはしておいた方が良いだろうか。連中はどうもニュースだの時勢だのには疎そうな気がする。 まあ、チャイナ娘や花屋は宇宙でも有数の戦闘種族だ。連中を狙う馬鹿もそうそういないとは思うのだが。或いはとっくに返り討ちにぐらいしているかも知れない。何しろトラブルの日頃絶えない上に警察に庇護も求められない様な胡散臭い稼業だ。 警戒を促すついでに、何か情報のひとつぐらいは得られないだろうか。直接万事屋に相対せずとも、大家であるお登勢──かぶき町四天王の一人と言う肩書きは伊達ではなく、それなりに情報通でもある──にそれとなく話をしてみる、とか。 その発想は良い思いつきの様で、捜査の袋小路状態を端的に示している結果と言えたから、土方は隠さず作った渋面でそっと天を仰いだ。 (どんだけ窮してんだよ……仮にも警察が、犯罪者スレスレの連中に借りなんぞ作ろうと思うってなァ……) 幾ら何でも手段を選べなさすぎる。眠る暇も無しに駆けずり回り、頭を下げる事に疲れ果てて、形振りも構えなくなる程に無様だっただろうか。 そこまで己は疲れていただろうか。 そこまで追い詰められていただろうか。 「……」 疲労は確かだ。成果が碌に上がっていないのも確かだ。だがそれは、今は特に極力避けたい所に持ってきて日頃から折り合いも何かと悪く、頼るなどと言う選択肢はどうあっても出て来ない様な対象に、何らかの糸口となる助けを見出さねばならない程のものだっただろうか……? 「……?」 僅かの違和感に、土方は軽く額を摘んだ。眉間を揉む様にしながらかぶりを振る。 天人がどうの、と考えていたから、そこから連想していっただけだ。その先に偶々万事屋の存在が居ただけだ。他になんの意味がある訳でもない。寓意などある訳がない。 雑踏の中で足を止めた土方を、避ける様に人が通り過ぎて行く。清流に取り残された岩か何かの様に。邪魔だが触れて押し流す事は出来ない。佩いた刀の存在と、纏った黒い隊服の存在とがそれを赦しはしない。 これが、『真選組』であるのだと。既に土方らは確固たるその地位と役割とを帯びた存在として、広く認められるに至っている。 幕府の狗、成り上がりの侍、破落戸も同然の無法者達。ヤクザな稼業にヤクザな存在と、なかなかに笑えないその評価は強ち間違ってはいない。 いない、が。 良い評価も悪い風聞も全て、その存在が喧伝されたからこそ、の結果である。 ここまで来るのも長かったが、ここからも長く在らねばならない。だからこそ、天人を狙ったテロだか何だか、巫山戯た事件に疲れて立ち止まっている暇もない。 刀は重い。役割と責任とを帯びているから、重い。重い刃は、『誰か』に向けられねばならない。重さに手折れて持ち上げられなくなるその前に。 (何を、今更) 決意は幾度と無く繰り返し諳んじて来たものだ。それを誓う相手は生憎今目の前にはいないが、今更繰り返す迄もない。 違和感と疲労感を振り切って、土方はゆっくりと足を踏み出した。 まずは煙草を買って、それから情報屋の所にでも足を運ぼう。或いは、入国管理局を調査している山崎がそろそろここの所の天人らの大規模な動向か何かを掴んでいるやも知れないし、そちらにも連絡を入れてみるのも良い。 (煙草は…この際自販機で一つでいいか。帰ればストックはあるし、見廻りっつぅ羽伸ばしに時間を掛けてる暇も無ェんだ) 考え直すが早いか、土方は脳内の周辺地図を検索して、煙草の自販機の在処を探した。ここの所世間的に嫌煙のきらいが強くなったお陰で、自販機ですらそうそうお目にかかれない。なんならコンビニでも構わないが、不慣れな店員だと品番を告げても間違う事があるから厄介なので、出来る事なら最終手段にしたい。 そうして土方がぐるりと頭を巡らせた先。前方の四つ辻を曲がって、銀色の目立つ頭が雑踏の中に紛れ込むのが見えた。 「──、」 その姿を認めた途端、土方は思わずぎくりと動きを止めて仕舞う。怖じけると言う程ではないが、極力『今』は──暫くは顔を突き合わせたい相手でも無い。思考に上る事さえ忌々しい。気まずいと思うから面倒臭い。それは向こうとて同じだろうに、銀髪頭は雑踏の中から土方の姿を、まるで探し出すかの様に視界に自然と落とし込んだ様だ。目が、合う。 (……クソ、) まるで獣の喧嘩だ。目を互いに合わせて仕舞った以上、そそくさと身を翻すのは土方の流儀に反する。気付かなかったかの様に視線を逃がす事も寸時考えたが、何れにせよそれは『逃げ』である。それこそ土方の意には最も沿わない。 人々の群れの中を、まるで泳ぐように悠然と。銀髪頭の男、坂田銀時はゆったりとした歩調で、再び立ち止まっていた土方の方へと近付いて来た。 その口元に刻まれていたのは、実に妙な笑みであった。 笑みの様で、実はそうでは無かったのかも知れない。強いて言うならば、泣く子供を宥める親か何かの様な── (…………馬鹿馬鹿し) 銀時の『笑み』に似た笑みの正体を寸時探ろうとしていた事に気付いた土方は、直ぐに思考を中断した。 それは、この男の内心なぞ斟酌してやる理由なぞ何処にも無いと気付いたからなのか。 或いは、この男の内心を知る事なぞ無意味だと知るのに、何故か興を惹かれた不覚に対しての本能的な反応か。 銀時は一瞬だけ視線を落とした、手の中の時計を袂へと仕舞い込むと、通り過ぎる心算は無いと言う意思表示か、軽く片手を挙げてみせた。 「よ」 「………おう」 今し方気付いたばかりの素振りで、何だテメェか、とでも言ってみれば良かっただろうか。これではまるで、話しかけられるのを知って待っていたかの様だ。 ──有り得ない。 ふう、と小さく息を吐くと、土方は目前の銀時の姿から態とらしく視線を逸らした。 この男とは、特別に挨拶なぞを交わし合う関係では無いのだから。そう在る事を選んだのは他でもない己自身なのだから。 折り合いが悪く仲も然して良くもない、似た年頃の腐れ縁。一般市民と警察。万事屋と真選組。 その形を変える気は未だに土方には有り得ない話だ。選択にすらない。空論にすらならない。そのぐらいに無関心の無関係同士であるべきなのだと。 ならば、この男にこれ以上無用な『何か』を残す必要もない。目前で足を止めたものの、それ以上何を言うでもするでもない銀時をじろりと睨んで、土方はそう即断した。 じゃあな、の一言も告げずに、佇む銀時の、その脇を通り越そうとした時、 「土方」 厭に響く声だと思った。 なぜか、こわいぐらいに。 「……何だ」 その得体の知れない感覚を隠す為に、殊更に胡乱気な目で銀時の方を見遣れば、彼はまた、あの奇妙な笑みをそこに用意していた。 「……………その、なんだ。大丈夫か?元気?」 「──」 困った様な笑みの向こうに潜んでいたのは、紛れのない、疑う要素すら見当たらない様な、無心の労りだった。 訳が解らず、思わず息を呑んでから。 「んだ、藪から棒に…」 「…や。別に深い意味はねーよ、ウン。ただ、なんか疲れてるみてぇに見えたから、よ」 「生憎こちとら、てめーと違って元気無くしてる暇もありゃしねェんだよ」 矢張りそれを隠す様にぶっきらぼうにそう投げて、土方は内心の揺らぎを誤魔化す様に苛々と息を吐いた。 ただこれだけの、嫌味でも威嚇でもないだけの遣り取りが、何故か、何故か非道く心を騒がす。 きっとそれは、己がこの男にそんな無心の情を向けられる様な存在では無いのだと、そう自覚しているから、なのだろう。 (…………………何だ、コレ、確か、、) 胸に引っ掛かった棘の様な何かの正体を、不快感より不可解感を以て認識した土方は、恐る恐るそちらに思考を傾けかけたが、それは次の瞬間に霧散した。 「そか」 短く、そう頷いた銀時の、弛んだ目元にははっきりと安堵と書かれていて。今度こそ土方はそこから目をはっきりと逸らした。 『此処』にはこれ以上『居て』はいけない。 その判断はきっと本能の促した、これ以上無い明確な拒絶だった。 無意識に懐の煙草を探りかけて、そう言えば切らしていたのだった、と当初の出発地点に立った土方は、気を紛らわす事も出来ない苛立ちに舌を打った。用が無いなら行くぞとばかりに歩みを再開させるが、今度は銀時も別段追い縋るに似た素振りは見せなかった。 ただ、ひとつ、 「あ、そうだ。この先、水道管破裂だとかで通れねぇから、道変えた方が良いぜ」 「……はァ?」 思い出した様に手をぽんと打ってそう言うと、逆に困惑し足を止めた土方を置き去りに、「じゃ」と銀時の姿は雑踏の中へとあっと言う間に消えて行った。 (………んだよ、一体何抜かしてんだアイツは…) 思わずその銀髪頭が黒山の群れの中へ埋没するまでを見送って仕舞い、その事にやや遅れて気付いた土方は己の裡に充満した毒気を持て余して嘆息した。 (水道管破裂、だァ?) 見た所も聞いた所もそれらしい騒動は見受けられない。何日か前の話でもしているのだろうか。心当たりは土方の記憶の範囲には取り敢えず発見出来なかった。まあ土方とて市井の動向全てを掌握している訳でも何でもないのだが。 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てて歩き始めた時、前方から全身濡れ鼠の男が慌ただしく走って来るのが目に留まり、土方は本日何度目かの強制停止を余儀なくされた。 「いやぁ参った参った!」 「あら、アンタ一体どうしたのよ」 男は、餅菓子屋の入り口まで来ると自らの妻らしい女性に、びしょ濡れの有り様を驚かれながら介抱を受ける。商店街の名前の入った安っぽいタオルで、よれた髷ごと頭を拭きながら、 「この先の、金物屋の前辺りなんだが、突然水道管が破裂したとかでなぁ。全く酷ぇ目に遭ったよ」 ぶつぶつと説明する、そんな言葉を聞き取りながら土方が反射的に前方──向かう筈だった方角へと視線を向けてみれば、その頃にはざわめきが徐々に漣の様に街路を揺らし始めていた。 先の男の様に濡れた様子で歩いて来たり、逆に見に行こうと走る野次馬がいたり。 「水道管が破裂したんですって」「あらまあ。断水とか起きなきゃいいんだけど」「見に行ってみようぜ」「誰か水道局に連絡したのかな」 そんな囁き合いが聞こえて来るのまでを耳にして、いよいよ土方は銀時の置き土産が嘘や妄言の類ではなかったのだと実感せざるを得なくなった。 同時に──弾かれた様に、土方は後方の人の群れたちを睨む様に振り返り、目立つ銀色の頭を探していた。無意識の内に手が刀の柄に乗っている。 銀時は、土方の向かおうとしていた真っ直ぐ前方ではなく、前方の四つ辻を曲がって来たのだ。水道管が破裂したと言う現場に居合わせたとは、考え辛い。 「…………、」 ち、と舌を打つ。幾ら目を凝らせど探せど、先頃その背中が遠ざかり消えて行くのを目撃していたばかりの土方の視界からは疾うに、当然の様に、銀時は姿を消している。 回り道をして来たのかも知れないし、人の話でも聞こえて来たのかも知れない。可能性も考えようも色々ある。模索し出せば、疑い考え出せばそれこそキリなどないぐらいに。 たかが、水道管の破裂だか破損だ。それは江戸の町整備の不備から出た様なものであって、警察の感知する所ではない。人死にや怪我人が出た訳でもないのだし、テロの標的になった訳でもない。 得体は知れぬが、銀時を走って追い掛けて探し出して捕まえて尋問室に放り込んでまで仔細を聞き出す様なものでもない。仮に銀時が悪戯心で水道管を破裂させる様な真似をしたとして、それは真選組が裁きにかけねばならない様な罪科ではない。 野次馬の駈けて行く先を一度見遣ってから、土方は次なる煙草の自販機の在処を模索し始める。何はともあれ、最も近いと思われた、道を真っ直ぐ進んだ先の自販機にはこの通り辿り着けそうもないのだから、いつまでもこの場に立ち止まってあれやこれやと考えている暇なぞない。 煙草も遠ざかったし、情報屋もどうせ碌なネタを持っている訳でもない──何しろ連日駆けずり回って粗方の情報収集は済ませてあるのだ──。そうひねた思考に陥れば、巡回を続ける気分でも無くなって、土方は億劫な心地に浸されながら踵を返した。屯所に戻って、山崎からの連絡を待ちがてら事件の整理でもしようかと決め込んで歩き出す。 すれば、まるで土方の行動を待っていたかの様なタイミングで胸ポケットの中で携帯電話が震え出した。バイブレーションのリズムから、件の山崎からの連絡であると知り、タイミングの良い奴め、と思い歩きながら通話ボタンを押す。 《大変です、緊急事態が起きました》 相手を確認もせず名乗りもせず端的に告げる山崎の、声のいつにない硬さと、その背後のざわめきとに、土方はそっと目を眇めた。意識を切り替える様にゆっくりと目を閉じて、開く。 応えのひとつも無くとも、山崎は土方が続きを待っていると確信している。 寄越したのは、たった一言。土方の最も欲するだろう、起きた事象を表す一言のみ。緊張と焦りとに押しだされる様に、然し努めて冷静な声音で。山崎は告げた。 《ターミナルが武装集団に占拠されました。民間の人質多数。負傷者死亡者の正確な人数は未だ不明。──籠城テロです》 。 /1← : → /3 |