誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 13 18:43 ----------------------------------------------------------------------------- ダクトの終点はやはり換気口だ。入り口と同じ様な細いスリットの入った蓋が、向かう先の『出口』をぴたりと塞いでいる。斜めに入った細い、空気を通す用途しか想定していないスリットは外の様子を伺うには些か不向きだが、移動してきた距離と脳内の地図とを照らし合わせてみれば、そこが当面目的地としていた出口である事は間違い無く。 そして、まあ常識的に考えればその『場所』を警戒し見張りなぞ立てるとは到底思えない。何しろ奴さんらはその場所への最も確実な出入り方法を破壊しているからだ。 暫しダクトの出口を観察していた銀時は、少し距離を置いて止まっている土方の方を一度振り返ってから、自らの腰に巻いているベルトを外した。ダクトのスリットにその端を通し、器用に他のスリットから戻すと金具を留めて、逆側の端を身体で押さえながら、木刀を使ってダクトの蓋を思い切りこじ開ける。 ばこん、とひしゃげた蓋は外側に落下する前にベルトにぶら下げられて止まった。それでも結構な音がしたが、何も手を打たないより余程マシである。 「……慣れてんな。万事屋ってのァこう言う技能を使う様な依頼もあんのか?」 嫌味の心算はなかったのだが、真っ当に感心すると言うのも警察として問題があると思い、土方が唇を尖らせながらそう問えば、銀時の背中が少し震えるのが解った。笑ったのだろうか。 「まァ……そうだな。慣れてんのかも知れねぇ。依頼で色々やって来たしな…」 答える銀時の調子は突き放す様な質ではなかったが、それ以上の土方の詮索を避ける、拒絶にも似た気配を感じた。まるで、呑み込むのを誤った様な声音だと思った。 その侭何も続ける事もなく、ダクトからするりと出て行く銀時を追って、土方も開けた空間へ頭を覗かせた。 余りの広さと大きさとに、寸時理解が上手く働かない。己の縮尺に合った、ダクトの真下で待つ銀時の姿を一度見下ろして、それからもう一度土方はゆっくりそこから視線を動かして辺りを見回した。 そこはターミナルの中枢であり機能の全ての集積でもある、ゲートと呼ばれる転送機構を稼働させる為の巨大な縦坑だった。百人単位の宇宙船をも日々何隻も通す坑の広さは、大凡日常生活ではまず目にする事の無い様な威容を以てして、その場に入り込んだ小さな人間達の矮小さを知らしめて来る。 坑はほぼ完全な円柱状の形状をしており、ターミナルの地下中枢から伸びるエネルギーを、下層付近にあるゲート展開機構に通し、内部の宇宙船を、展開したゲートから外宇宙へと転送させる役割を負っている。言っていて原理や理屈などは土方にはちんぷんかんぷんなのだが、まあ天人の齎す人智を越えた技術など大概が『そういうもの』なので仕方がない。 ともあれ、そんな縦坑である。目を凝らしても反対側には『壁がある』程度の認識しか叶いそうもない。通路や梯子なども取り付けられている筈なのだが、到底目視は無理だろう。 二人が出たのは、円柱状の壁の内側をぐるりと囲う様にして取り付けられた、螺旋状の階段だ。メンテナンスや緊急脱出時などに使うもので、半周毎ばかりの間隔を置いて、今銀時が立っている様な踊り場が点在している。踊り場と言っても、長い長い長い長い長い螺旋階段のほんの僅かの休憩所程度のものだ。広さは畳二畳分もない。 「……広いな」 解ってはいたが、と思いながら、土方もダクトの縁に手を掛けて、二米ばかり下の踊り場へと降り立った。足下の螺旋階段は中層程度のビルの避難口などによくあるシンプルなつくりのものと大差なく、手摺りも全体の高度などを考えれば不安になりそうだ。 手摺りを掴んで縦坑を少し見下ろせば、中空にゲートがぽっかりと空間に──文字通りの『孔』を空けていた。 「ゲート展開機構が破壊されてるだろう、たァ聞いてはいたが、」 現実では有り得ない様な不可思議な光景に、土方は呆気に取られながら首を捻った。どんな誤動作を起こすか知れない、と技師も口にしてはいたが、それにしても目の前の『それ』は余りにも現実離れした様相であった。中空に空いた『孔』の中はただの茫漠の黒色しか伺えない。光さえ届かぬ様な重力を持つそこに、空間を越えるだけの『距離』が圧縮されていると言う事だ。 下層からエネルギーを汲み上げる機構の辺りだろうか、肉眼ではよく伺えないが、黒煙が僅かに立ち上っているのが確認出来る。その周囲と『孔』の付近には、余ったエネルギーが、大気中にまるで放電する様な反応を時折起こしている。 「…間違っても近付くんじゃねーぞ。何が起きるかも解らねぇんだし」 気付けば手摺りから大きく身を乗り出していた土方の肩を、諫める様に銀時の手がぽんと軽く叩いて行くのに、漸く我に返る。 「ああ、」 今の所はゲートを固定している機構が正しく作用しているのか、『孔』が拡がったり消滅したり──何らか変容を起こす気配はしない。素人の、しかもまるで専門外の事象なので、実際次の瞬間に何が起こるとも知れない状況な訳だ、が。 取り敢えずここで茫然と『孔』を見張っていても始まらない。土方は手摺りから離れると、ダクトに入る為に外していた刀を腰に戻した。前方、緩やかなカーブを描いて上へ上へと昇る長い螺旋階段を溜息混じりに見上げる。 「一周、どれだけ距離があると思う」 らしくもない投げ遣りさの潜む土方の軽口に、銀時は虚を突かれた様な顔を一瞬だけ見せたが、それから直ぐに肩を竦めて口を歪めた。考える様なフリさえしない、そんな様子に憶えたのは、不満よりも安堵に近い感情だ。 (発案者(言い出しっぺ)は俺だしなどうせ) 思って歩き出す。長い階段の変わり映えしない風景の行軍は、若者だろうが年寄りだろうが足腰に堪え難いものになるだろう。道中、ショートカットの効く梯子でもあれば良いのだが、この馬鹿馬鹿しい階段が避難路と想定されて設置されているのだとすれば、考えるだけ無駄である。 「まァ、そう遠くはないっつう見立てで来てんだ。一周も上がれば良いんじゃね」 黙々と階段を上り始める土方の背後で、ぱちん、と小さな音と共に銀時が追って来る気配。また時計でも確認していたのだろう。日頃は時間なぞ気にせず自堕落に過ごしている男だが、依頼で──仕事として動く時はそれなり真剣なのかも知れない。否、そうなのだろう。 土方の記憶している地図では、銀時の言う通りに、制御室は出て来たダクトからそう遠くはない階層にあった筈である。楽観的な試算ではあるが、螺旋階段の一周程度の高さと言うのも強ち間違ってはいまい。 一段一段、ゆっくりと終着点に近付いて行く、その足取りの遙か下方で。『孔』は空骸の様な塔と、それを御していると思っていた人間たちを嘲笑うかの様に、ただじっと音も声もない鳴動を繰り返していた。 * 19:07 ----------------------------------------------------------------------------- 飽きと疲労の来そうな行軍は二十分程で終わった。延々緩やかに続いていた昇り階段を行くと言うのは存外に疲れるもので──何しろ距離に合わず段数が多い──、つい先程まで狭いダクトの中を通って来た背景もあって、それなりにふくらはぎが痛い。捻挫した足の具合は取り敢えず考えたくもない。 いっそ全部バリアフリー政策でスロープとかにすべきだよ、と道中愚痴った銀時の発言を、歩きながらでは「下りは転げ落ちるのか?」と笑って一蹴した土方ではあったが、今は全面同意したい心地である。 中央制御室は管制も兼ねているので、この縦坑に面した壁のほぼ一面が硝子張りになっている。叩いてみた訳ではないが、軽度の衝撃程度なら耐え得る強化硝子で出来ている筈だ。そしてこれもまた当然の如く嵌め殺し構造だ。 通常、職員は縦坑ではなく、セキュリティの幾重にも張られた、建物に面した側から出入りする。こちらの縦坑側にも扉はあるが、それは謂わば非常口だ。犯人グループがここに籠城しているとしたら、そこをきっちり塞いでいない筈はない。正面を警戒する余り背後が疎かになるなどと言う、御粗末な話もあるまい。 見れば、硝子張りの壁面の横に、暗証番号とIDカードを用いる電子ロックの掛けられた頑丈そうな扉がある。一応非常口を示すマークが扉の上の非常灯に描かれていたが、厳重そのものと言った扉を見れば苦笑しか浮かばない。内側からは簡単に開くのかも知れないが、仮に縦坑でメンテナンスをしている作業員がゲートの動作不良などの非常事態に巻き込まれたらどうするのだろうか。この非常階段にも非常口はあるだろうが、こんな構造ではそこに辿り着くにも労しそうである。 (…まぁ、安全って面を考慮するなら、制御室を完全防備にするのも致し方の無ぇ話だが、) 一応はターミナルの概ねの機能を制御するコントロールルームである。そう易々と専門の職員以外の人間を立ち入らせる訳にも行かないのだろう。 逆に言えばこの通り、籠城に最適に過ぎる環境になる訳だが。ターミナル側に犯人の内通者が居る、などとは普通想定しない。 そんな皮肉をつらつらと考えながら、壁面にぴったり貼り付いて非常扉の前にしゃがみ込んだ土方は、突入の際に技師から渡されていたセキュリティ突破用の小型の端末を取り出した。板ガム程度の大きさのその表面に取り付けられた小さな液晶画面を見ながら、同じく小さなボタンを幾つか操作し、起動する。 それから、扉のすぐ横に取り付けられている電子ロックの操作盤を開く作業に取りかかる。とは言え工具を持ってきている訳ではないので、刀を使って壁から無理矢理に引っぺがすだけだが。 壁の中の機械本体に繋がるコードを切らない様に注意しつつ、外した蓋を片手に空いたもう片手で端末を外部入力部に差し込む。 どんな堅牢なセキュリティであれ、所詮はシステムの制御や更新は外部からアクセスする方法でしかアップデート出来ない。スタンドアローン構造にして、ハードウェアごと交換するなどと言う面倒で金のかかる手法はまず行われないからだ。 そしてシステムに外部入力の可能な『差し込み口』があれば、システムを直接攻撃する事が可能である。土方の様な機械に縁も知識もない人間でも、端末の簡単な操作方法さえ学べば、ハッキングの真似事ぐらい簡単に叶う。 小さな液晶画面に幾つか、土方には意味の知れない様な内容が表示されては消えて流れて行く。システムのハック中なのだろう。土方に解るのは、取り敢えずセキュリティ突破は無理ではなさそうだと言う事ぐらいだ。片手に持った侭の、カードスリットや暗証番号を入力するボタンのついた機械の『蓋』部分を持て余すが、そこから壁の中の機械本体へと繋がるコードが万が一抜けたり切れたりしたら事なので、仕方なくその侭突っ立ってハッキングが終わるのを待つ事にする。 その間銀時は、硝子窓から慎重に中を窺う様な仕草をしていたが、やがて、業を煮やした様に堂々と硝子窓の前を横切って土方の立つ扉の前へと戻って来た。「なあ」そうしながら上げるのは軽い声。 「おい、」 中から発見されたらどうするつもりなのか。思わず出かけた土方の抗議は、続く銀時の言葉にさらりと遮られた。 「なーんか中、人の気配がしねぇっつーか…動いてるもんが無さそうっつーか……、誰もいねぇ様に見えんだけど」 「…………」 特に鋭い調子でもないのに、その指摘は蜂の一刺しの様に土方には感じられた。 この期に及んで、最も可能性の高く最も意味のある筈の『目的地』に犯人がいない、などと言う事が有り得るのだろうか。否、有り得る以前に、あっても良いのだろうか。 刺し返せる要素もなく、土方はその侭黙り込んだ。確かに、この制御室の外側に近付いていた時から、そこに警戒やシステム掌握の作業などの『動き』がまるで無い事は、薄々と感じられてはいたのだ。 だが、他に──この、ターミナルを掌握出来る部屋を差し置いて、ターミナルを襲撃し籠城し黙り込んで動かない、そんな『意味』が、何処に──否、『何』にあると言うのか。 土方も、事件の解決に当たった者も全て、ターミナル襲撃と籠城の目的は、ターミナルの崩壊や機能停止或いは掌握にあると踏んでいた。それ以外に、示威も無く取引する目的もなく、籠城する意味なぞ無い。有り得ない。考えられない。 空の威容の中の、空の目的。見えない意図と見る事の叶わない糸。 仮に。犯人がこの制御室にいなければ、他に、ターミナルの何処に居ると言う。 仮に。犯人が既に『目的』を達成してターミナルから抜け出したとしたら。その『目的』とは何であったのか。 この空箱に何を詰める心算でいたのか。或いは──? 「……連中が此処にいねぇとしても、当面の目的は人質の無事な確保である事に変わりはねぇ」 口にするのが己に言い聞かせる様な調子の言葉であるとは理解していたが、土方はその侭続けた。思考すればするだけ、雲を掴む様な得体の知れない『目論み』を考えれば考えるだけ、深みに嵌ってどこまでも落ちて行きそうな不安定感がある。 だが、だからと言って目を背けて思考を放棄するなど、策を立て兵を動かす指揮官としては致命的だ。目的を知らずして達成は叶わない。結末を見据えずして在る過程なぞ、過ちの無いものである筈がない。 「行方不明の職員は、事件発生当時この制御室に居たんだ。連れ出されたにしろ閉じ込められてるにしろ、何かしら手がかりがあるだろう」 そんな、段階を飛ばした物言いが幾分弱気で遠回しな事に気付きはしたのだろう。端末に目を落とした土方をじっと見る銀時の瞳に気遣わしげな色が僅かに過ぎった。 意識して銀時の視線と感情の気配とを振り切って、土方はタイミング良く、ハッキング成功の合図をちかちかと液晶の表面に映して来た端末を引き抜いた。それこそ刀を抜く時の所作の様に鋭く。 引き抜いた端末をポケットに押し込み、機械の蓋──操作盤を壁に戻す。 それからゆっくりと刀に手を掛けてみせる土方を見て、銀時は何かを口にする事は無かった。ただ無言で、扉を挟んだ左右反対側に立ち、同じ様に腰の木刀にそっと手を掛ける事で応じる。 一度だけゆっくりと目を瞑ってから、土方は三本指を立ててみせて、続けて親指で扉を差した。三秒後に飛び込む。そんな合図に銀時が頷くのを見るなり、土方は唇の動きだけで「さん」と言った。 2。 1。 ゼロ、のカウントと同時に、土方は扉のロック解除レバーを倒した。何分狭い通路なので、扉は横にスライドして開くタイプである。そうして出来た隙間から飛び込むなり刀を抜き放ち、硝子窓を背後に右と前方、上方を素早く見遣る。扉を挟んだ左側では、一歩遅れて入った銀時が同じ様に逆側を警戒している。 「…………」 辛うじて溜息は堪えた。気が抜けて魂まで飛び出しそうだったからだ。 「……お留守の様で。何、もう就業時間お終い?」 「残業してる勤勉な奴もいねぇみてェだな……」 木刀を携えた侭、頭をぼりぼりと掻いて言う銀時の軽口に、概ね似た様な調子で応じて、土方は一応は油断なく制御室内部を見回した。銀時の見立て通り、或いは土方の感じた通り、そこには警戒していた犯人からの反撃は疎か、人の気配は何もない。 縦坑側は一面の硝子張り。少し下がった所にひな壇状になったデスクが据え付けられており、コンピューターが並んでいる。職員が普段勤務する場所がここなのだろう、デスクと同じ様に椅子も床に取り付けられている。 そこから左側の壁は一面モニターになっており、ターミナルから入出港するのだろう船舶の様子やゲート展開機構のシステム表示がされている。何れもスタンバイ状態で、異常事態を示している様子もない。 右側には扉が一つ。近くの札には休憩室と書かれている。職員が交代に使うのだろう。扉は閉ざされており、扉には曇り硝子の窓が一つ。中は伺えない。 物陰は多い。人の息遣いは無い。物音もしない。 土方がそうして広い室内を見回す間にも、銀時はひな壇の上方まで上がっていた。道中机の下などを伺ってはいたが、こちらを振り返って肩を竦めている所を見るなり、どうやら死角に潜む犯人や人質の姿は無いらしい。 残るは休憩室だけだ。扉は外開き。扉を開ける者と最初に飛び込む者は別の方が良い。足音を殺して土方が扉に貼り付けば、銀時が扉を顎でしゃくって見せる。自分が入るから開けろ、と言いたいらしい。無言で首を振って、土方は逆に銀時へと扉を示してみせる。一応警察として、一般市民を危険かも知れない先に行かせる訳にはいかない。 すれば銀時は口を尖らせ、潜めた声で言う。 「こう言うゲリラ的な行動は俺のが慣れてるって」 さも当然の様に言われ、一応は──そう、一応は専門職である土方は少々かちんと来た、が。 「一般市民の手ェ借りんのも、そもそも不本意な話だっつったろーが」 流石にここで掴み合いだの言い合いだのを繰り広げようと思う程馬鹿ではない。率直な返答と共にしっしと追い遣る様な手つきで扉の方へ銀時を押し出す。人質が居るかも知れない状況で、皮肉や気の利いた冗談など投げる心算だって元より無い。 やり返さず綺麗に突っ返した土方の様子に何を思ったか、銀時は「……そ」とだけ無表情に応えて、何かを持て余す様に自らの手の木刀を見下ろした。 「……行くぞ」 訊いた方が良い様な気はしたのだが──そもそも『何』を問うと言うのか。何が気に懸かると言うのか。土方はかぶりをひとつ振ってそんな考えを打ち消し、銀時がドアノブに手を掛けるのを待って壁にぴたりと背中を貼り付けた。 今度はカウントの相談はなかったが、先頃と同じくきっかり三秒を数え、ゼロのタイミングで銀時が扉を開け放った。得た様にその半秒後、土方は素早く背中を壁につけた侭部屋の内側に滑り込んだ。重火器や飛び道具があるならまだしも、生憎こちらの得物は刀一本と木刀一本のみである。とは言え相手も同じ条件だとは思っていないので、突入の際には危険が伴う。 部屋に飛び込んだ土方は、視覚で、聴覚で、嗅覚で、素早く室内を走査した。異常は── 「………………っ」 あった。意識に飛び込んだ『それ』に寸時気を取られそうになるが、まずは室内の安全を確認する事に意識を総動員して、それから。 「……」 刀を抜き身でぶら下げた侭。ちょっとした教室ぐらいはありそうな広さの休憩室に、土方はゆっくりと足を踏み入れた。 清潔そうな白を基調とした壁紙と床。蛍光灯の灯る天井。その下には会議室に置いてある様なデスクが二つ並べられており、そこには折り畳みのパイプ椅子が六脚。壁際には職員の荷物を入れておくのだろう簡易ロッカーがずらりと並んでいる。その反対側の壁には給湯設備があり、パーテイションを間に置いて、仮眠用の寝台が見える。 机の上には、暇つぶし用なのだろうトランプと小銭が散らばっている。仲間内で賭け事でもやっていたのかも知れない。金額を見る限りほんの飲み代程度だろうが。 部屋の中の、惨状と呼べるものを排除してみれば、そこは当たり前の様な生活空間だった。名だたるターミナルの職員、その最上級の人間が務める職場とは言え、職務を離れれば誰もが大差無い。人間だ。 死体となっても、誰もが大差ない。 「……24人、いるんだろうな」 20、まで頭部の数を数えた所で、背後に銀時が無言で近付く気配を感じて、土方は溜息に思考を逃がした。連絡の取れないクラスA職員24名。恐らくその全てが此処に居る。 休憩室の中は、一言で言えば──矢張り、惨状としか言い様がなかった。当たり前の様な生活空間のそこかしこに赤黒い血と臓物を悪戯に投げ捨てたかの様な、酷い有り様だ。 彼らは全部無造作に置かれていた。職員の全てが、異常事態発生時にこの休憩室に居たとは考え辛いので、恐らくは全員をこの部屋に集めてから殺したのだろう、が。 それにしては亡骸はあちらこちらにバラバラに点在し過ぎの様に見えた。普通、人質をまとめる場合は自由になどしておかない。殺すのであれば猶更だ。遺体の様子や壁の弾痕から、用いられたのは重火器だろう。ならば、全員一箇所にまとめて撃つ筈だ。 土方が数えるのを思わず止めた理由はそこにある。机の上に、椅子の上に、机の下に、仮眠用の寝台に、ロッカーに寄り掛かって、或いは床に無造作に転がされて。 まるで後から遺体をわざわざあちらこちらに散らしたかの様だ。だ、としたら何の意味があって。 ぐ、と刀に意識を集中させる。遺体を散らしたのだとしたら、それをした何者かが居ると言う事だ。潜み、惨状に目を覆っている隙に襲いかかって来る可能性のある者が。 と、銀時が不意に部屋へと進み出た。土方の横を通り過ぎ、ロッカーの下段、大きめの一つを合図も無しに勢いよく開く。 「ひいっ!!」 咄嗟に身構える土方と真逆にも、ロッカーの中に潜んでいた者が引きつった様な悲鳴を上げた。狭いロッカーの中で、更に身を丸める。 「…おい、」 眉を顰める銀時を制しながら言って、土方はロッカーの中の人物へと近付いて行く。大きめのトランクぐらいは入りそうな収納力のある大型ロッカーの中で、必死に身を丸めているのは男の様だった。白い服は血で汚れていたが、ターミナルの上級職員のものだ。 「安心しろ。俺たちは警察だ。アンタはここの職員か?」 万が一、と言う可能性もある。言いながら、土方はロッカーの前に膝をついて慎重に男へ手を伸ばした。本当に生存者であった場合はパニックを起こされるのが一番困る。 「やめてくれ、殺さないでくれ!たのむ、なんでもするから、頼む…!」 土方は震える男を見て、それから銀時の姿を見上げた。銀時はロッカーの中身の判断を下そうとはせず、くるりと踵を返して休憩室の中央へ戻っていく。その視線が辺りを油断なく動いているのだけを確認すると、土方はもう一度息を吐いた。 「落ち着け。俺たちは警察だ。アンタを救助しに来てる。意味は解るな?」 ゆっくりとした調子で繰り返すと、男はやがて恐る恐ると言った様子で丸めていた身体から頭を持ち上げた。土方と年齢は大差ないだろう。まだ若い。服装はそこいらに散らばるターミナル職員と同じ。白を基調とした清潔そうな制服は、然し血と糞尿とで汚れて仕舞っている。 「た、助け…に…?」 怯えと惑いに揺れる男の手を引っ張り、取り敢えずロッカーから出してやりながら、土方は「ああ」と頷いた。 「名前は」 「住吉、武」 おずおずと答える男に、よく出来た、とばかりに、ほんの少しだけ口元を緩めてやりながら、土方は住吉とやらの前にきちりと向き直った。笑顔や激励とは人を安堵も油断もさせる。極限状態の人間にとっては覿面だ。 「住吉。何があったか、話せるか」 名前を強調するのは、意思の疎通が出来ていると示すのに効果的である。咄嗟の行動に支障が生じそうな、膝を付いた姿勢ではあるが油断はせずに、土方はじっと住吉何某の目を見て問いた。 住吉は暫しぱくぱくと口を無意味に上下させていたが、やがて弾かれた様に両腕を上げた。土方の纏う隊服の上着を掴んで、悲鳴に似た声を上げる。 「っみ、皆殺しに、犯人は持たされていた爆弾で、ゲートを破壊して──みんな、殺されて、俺は死体の下に偶々居て、無事で、」 支離滅裂に喚き立てる住吉に圧されながらも、土方は膝を崩す事なくなんとかその場に留まった。落ち着け、と仕草で示しながら、悲鳴を上げて泣き出す住吉の姿を見下ろす。 皆殺し、なのは見れば解る。 犯人が、持たされていた爆弾。ゲートで途中起きたあの爆発はそれに因るものだろう。 何者かの内部からの手引きがあったとしたら、犯人が持ち込んだ爆弾もそれ由来であり、それこそが目的だったと言う事に、なる。即ち、ターミナルのゲートの展開機構の一時的な破壊。 だが、そんな事に何の意味がある?機械は修理すれば直る。今の江戸にある技術を用いれば、破壊の程度に因るだろうが、ターミナルの復旧にもそう時間はかかるまい。一月も不要。 たったそれだけの、しかも『ターミナル』に限った鎖国に何の意味があると言う?不通となるのは物資の往来?国賓の来訪?それとも、本当に単なるイヤガラセ程度……? 否、それよりも。 (持たされて、いた…?) 反芻して、陥った思考の隘路で土方は往生した。 故に、咄嗟の反応が鈍った。 「24人いる」 銀時のそんな声がふと耳に飛び込んで来るが、それが意識に落ちて来るより先に、眼前で俯いていた住吉が舌を打つ音が聞こえた。 「土方!」 二度目。少し焦った様な声音が今度こそ土方の耳朶を打って意識を横殴りにした。咄嗟に身を捩ったのは、警告の響きを滲ませたその声にではなく、単純に目が光るものを捉えたからだった。遅れて届いた声が、全身に危機意識を走らせる。 「──ッ」 住吉が懐から抜きはなった刃が、顔を思い切り横に逸らした土方の鼻先を僅か掠めて通る。続け様に思い切り突き飛ばされ、見開いた侭でいた視界に、本性を剥き出しにした住吉の──犯人の決死の形相が飛び込んだ。 尻をついて体勢の崩れていた土方は、男の振りかぶった刃を見て、怪我の一つは覚悟せざるを得なかった。この体勢では到底真っ当には躱す事は難しい。なれば、少しでも怪我を少なくしつつ、反撃のタイミングを確実に狙うべきだと、冷静な頭の何処かが判断する。 銀時が遺体の数を数えに戻った時に、こうなる事は予測して然るべきだった。住吉の言動にも、犯人サイドしか知り得ない様な物言いが──持たされていた、と──含まれていたのだから、これは単純に己の油断であり過失だ。 刃が右腕を抉って通り過ぎるだろう結果を前に、土方はその後の対処を考え始めた。 が。 ぐい、と背後に肩を引かれ、仰向いた眼前に銀髪の男の横顔が映り込む。 「 、」 茫然と流れるスローモーションの様な空隙に、赤い血が滴った。土方の右腕を抉っていた筈の刃が、土方の身体を除けて間に割り込んで来た男の脇腹を貫いている。 「くそっ!」 目論みが外れたからなのか、男は誰に向けているとも知れない悪態を吐いて、刃から手を離すなり休憩室からばたばたと飛び出して行く。 「づ、」 苦悶の声を漏らした銀時がその場に膝をつくのに、土方は弾かれた様に身を起こした。 「万事屋!馬鹿かテメェ!」 「ちょ、人助けしたってのにそりゃねーんじゃねぇの…、」 忽ちの内に赤く染まる着流しをちらと見てから、銀時は泡を食う土方に向けてそんな軽口を吐いてみせる。 部屋に遺体が散らばっていたのは、その人数を解り辛くする為に住吉の、犯人の行った偽装だ。職員の一人から制服を奪って着たは良いが、服を剥ぎ取った亡骸をロッカーに隠すのでは、血の痕が不自然に続いて仕舞う事になる。皆殺しにされて遺体となった職員に成り代わって逃げる為に、咄嗟に人数や人員の判断が出来ない様にしたのだろう。 部屋の惨状を作った、亡骸以外の人間が混じっている。その可能性に銀時も思い至ったからこそ遺体の数を数えに行った。恐らくは土方も住吉の言う事を真に受け動揺したりはしないだろうと踏んで。 その点では土方には失態への後悔しかない。住吉を疑っていなかった訳ではなかったが、咄嗟に吐かれた言葉の意味を追求して仕舞った。目の前の警戒も一時忘れて。 『持たされ』た爆弾。その可能性の恐ろしさを、手繰って。 「誰が庇ってくれって言ったよ、何やってんだテメェは…!」 一旦思考を投げ捨てて、土方は銀時の前に膝をついた。ふざけんな、と軽口に対して、悔しさも混じった罵声を遠慮なく浴びせながら、銀時の押さえている傷口を軽く検分する。貫かれた様にも見えたのだが、どうやら掠めただけらしい。出血はしているが、重篤な状況にはならなさそうだ。思わずほっと息を吐く。 そんな土方の気の緩みに、狙った様に飛び込んで来る銀時の固い声。 「ったく、だから、最後まで油断すんじゃねぇって言ったろーが」 「……そう、だった、な」 少し苛立って聞こえる調子に、土方は素直に己の非を認め、悔しさに思わず唇を噛む。以前にも言われた事なのに、またやらかすとは、不甲斐ないにも程がある。 ──、 (……………いつ、言われたんだ……?) 反省を活かす事が出来なかった故の為体。故に、その前例を思い出そうとするのは、必然だった。 だが、そこで土方は困惑した。確かに、銀時に『そう』呆れた様に油断を指摘して言われた、『それ』がどんな状況だったかが、どうしても思い出せない。 そんな疑問を掘り下げる事に──今、それをする事に意味などない。そう、冷静な自分が言う。 だが、堆積した僅かの違和感が、酷い不安定感と不安感と焦燥とを産み落とし、そこにじっと居座っている。何かの過ちを。或いは何かの誤りを。知るべきであると言う、本能にも似て。 「土方」 心にふと起きる漣の様な不快感に眉を寄せる土方の耳に、益々に苛立ちの気配を強く纏った銀時の呼び声が届く。 「止血ぐらい自分で出来るから気にすんな。お前は早く野郎を追え」 時間がないんだ。 繰り返されるその言葉に、今度こそ──そう。今度こそ、土方は立ち竦んだ。 顔をゆるりと向ける。その視線の先では、銀時が懐中時計に視線を投げている。 「……よろずや」 不思議と、喉から滑り出たのは、滑りの悪そうなぱりぱりに乾いた声音。 銀時が怪訝そうな顔を上げる。押さえる脇腹。血を滲ませた掌。 傷の所為ではない、焦りと苛立ちの滲み出た表情。 手の裡の、年代物の懐中時計。 大凡どれもこれもが、土方の知る『万事屋』の──坂田銀時の印象や記憶。それに、合致しない。 人助け。ターミナルに偶々居た。IDカードを拾って来た。ダクトの中の手慣れた所作。人助け。ひとだすけ。依頼で。人を、助けに。 「……………てめぇは、どうして此処に、何で、居る?」 乾いた唇から溢れた音が、言葉以上に土方の心を激しく揺さぶった。この男が。いや、そんな筈はない。この男が?いや、そんな意味はない。だが。でも。何で。 「人助けって何だ。依頼って何だ。いつも時間なんて少しも気にしねぇ癖に、どうしてさっきから得た様な事ばかり、それに、」 言葉は糾弾と言うより駄々っ子の疑問の様だ。世界の理不尽さを問いにして投げる子供のそれだ。だが、止まらない。土方は次々に浮かぶ疑問と、それを打ち消したい可能性とを頭に列挙して、それを思い切り薙ぎ払いながら声を上げ続けた。 それを無言で受ける、銀時の表情が曇る。困り果てた様に。或いは潜めた瞋恚をそっと飲み干した様に。 「どうして、てめぇの持ってる、てめぇらしくも無ェその時計が、近藤さんのものに似ている?」 問いと同時に、刃は自然と銀時の喉元に向いていた。 誰あろう、土方が見立てて選んだ時計。古風でシンプルな懐中時計。気に入っていると笑って、近藤が今でも──今も愛用している筈の時計。 刃と、刃の様な問い掛けを前に、銀時の表情がぐしゃりと歪んだ。どうしようもない様な、無惨な笑顔。謳う様な達観の吐息。 「……言ったろ。俺ァただ、依頼で来てるだけだ。お前らの考えてるような複雑な幕府だの謀略だのとは無関係だよ」 嘘ではない。本能的にそう思った。 心を一瞬は通い合わせた気のする男だ。それを振り払う事を選んだのは誰あろう土方自身だ。だからこそ確信はある。 ある、のに。 あるから、解らない。この違和感と、この不安の正体は何なのか。解らない。 無言の侭土方が引いた刃が、銀時の手から下がる、懐中時計の鎖を切った。勢いで、弾かれた様に時計がてのひらから離れ、床の上でかつんと弾み。 そして時計は、狙い澄ましたかの様に、蓋を開いたその盤面を土方に惜しみもなく晒して落ちた。 「──、」 時計の針は、短い方を2に、長い方を3の辺りに置いている。2時、14分。 かち、と長針が動いた。2時、13分。 かちかちと、廻る秒針が、逆向きに。12の地点を過ぎて、その侭11へと向かって動いて行き、たちまちに10に、9に── 近藤の持つそれに良く似て、然しそれとは異なり、傷だらけで表面の硝子にも罅を入れた時計。 時間がない。壊れた時計。見た憶えがある。壊れた、壊れた、のは、いつだっただろうか。 「万事、屋」 疑いと、疑問とは晴れた。否、もっと複雑に嵩を増した。困惑に──憶えの深い気さえする惑いに土方が激しい頭痛を感じたその瞬間、制御室の方からけたたましいサイレンが鳴り響いた。 「やべぇ、ゲートが誤動作を始めた」 弾かれた様に銀時が顔を起こす。警報は縦坑の方で鳴っているらしく、赤い回転灯が振り向いた制御室の壁を舐めては通っていた。 「くそ、」 額に汗を滲ませながらも立ち上がり掛けた銀時は、然し傷の痛みに呻き、ぎっと土方を睨む様に見上げた。 「土方、時間がねぇ。兎に角野郎を追え!疑問も文句も後から幾らでも答えてやっから、急げ!取り戻しがつかなくなっちまう前に、早く、」 「、」 まるで鞭を入れられた馬の様に、促された土方は今までの疑問や惑いを振り捨てて立ち上がった。先頃飛び込んで入った非常口から外に飛び出すと、警報の鳴り響く縦坑を囲う螺旋階段を全速力で駆け下りる。 住吉は──犯人は手負いだった。間は空いたが、走れば追いつく。必ず。 (早く、しねぇと) ずっと、頭の何処かにあった焦燥感が、サイレンの音を受けて不意に具現化した様に。急かされる心地で土方は階段を何段もすっ飛ばしてひた走った。 間に合え、と。理由も解らず、急き立てられるその侭に。 大分前の時間チェックミスでしわ寄せがエラい事に。 /12← : → /14 |