誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 14



 19:40
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 一歩毎に近付く、時と。
 一歩毎に迫る、焦りと。
 それらに背中を押し出される様にして、土方は螺旋階段を猛然と駈けていた。足や肋の痛みなぞ既に遠い。躊躇いに歩みを留める様な事があれば、そこで全てが決して仕舞う。きっと。
 廻る時計の針の様に、延々と続く階下への段を走り続ける事暫し、土方は視線の先に漸く目的の姿を捉えた。よろよろとした足取りで、足下の危うさに頓着する事もなく男は前へ前へ、下へ下へと進み続けている。
 背後に迫る土方の足音に気付いたのか、振り返った住吉──本名かどうかは知らないがこの侭通す──は必死の足取りを更に早めた。が、振り向いた事で注意の疎かになった彼の足が段をずれて踏み抜き、あ、と思った時には転倒したその身はごろごろと丸太の様に、残り数米だった踊り場までを一息に転げ落ちていた。
 踊り場に蹲った住吉は身じろぎをしているが、直ぐに動き出す気配はない。土方はそれを油断なく観察しながら刀を抜いた。踊り場に近付くにつれ歩調を緩め、切れた息をそっと整えながら接近していく。
 先頃銀時と昇って来た距離より大分下がって来ている。あの時は登りの、それも緩やかなペースだったが、今度は追う者であった事もあって全力疾走だった。周囲を観察する余裕を取り戻してみれば、縦坑の底に大分近付いていた。ばちばちと、ゲート展開機構が『孔』を覗かせる場所にも程近い。
 制御室に鳴ったアラートがこの機構の何処の異常を──この期に及んで猶も『異常』以上の事態があるのかとも思ったが──示して来たものかは知れない。が、爆破された機械の周囲が相も変わらず上げ続ける黒煙の中では紛れもなく、人智には制御し得ない『異常』が起きており、それが危険域にも至るものである事は確かだ。
 踊り場に蹲っていた住吉が、土方の接近に体をのろのろと起こした。壁を背に何とか立ち上がり、憎悪と恐怖と──僅かの緊張を孕んだ表情を向けてくる。血塗れの制服に彩られたその様相は凄絶の一言だった。
 よく見る、攘夷浪士の姿の様だと思った。尽忠報国の士として、使命に命をも賭す事を厭わない、紛う事無き気骨の知れた──侍、の。
 踊り場の四段上。そこに佇む住吉まで一息の距離ギリギリに足りるかどうか。そんな空隙を空けて土方は立ち止まった。叶うならこの侭一気に取り押さえたい所だったのだが、住吉のその表情と決して空手ではない手つきから、恐らくは懐中に銃でも忍ばせているだろうと判断したので、一旦留まる事にしたのだ。
 住吉はこの侭黙ってやられはすまい。最期の隙をついて、土方に一矢報いる事を選ぶ筈だ。
 その一撃を躱すなり避けるなりすればそこで投了。だが、足場は危うい階段上。そう油断してかかる訳にはいかない。
 土方は慎重に住吉の動きを計った。住吉もまた、この一発が生死の決定打となることを理解している為に動かない。互いに迂闊に動く事はせず、慎重に伺い合う。間。
 これは真剣勝負での立ち会いではない。住吉が銃を抜けば概ね土方の勝利は確定する。足場が侭ならないとは言え、土方には抜き放たれた銃口を前にすれば、その狙いから致命的な部位を逸らす自信ぐらいある。怖いのは、狙いも不確かなやぶれかぶれの一撃と、住吉が自害を選ぶ事だ。
 (とっとと片付けるのが良いか)
 そう判断し、場の膠着状態を動かすべく、土方は腰の鞘にそっと手を掛けた。外すなり落とすなり投げつけるなりをして、僅かの注意の逸れたその隙に斬り込もうと体勢を僅かに沈め、
 「トシ!待て、待ってくれ!」
 住吉の喉を掻っ斬る想像まで土方が巡らせたその瞬間、螺旋階段の逆側──つまり住吉の居る踊り場を挟んだ下方から、駈け上がって来る近藤の姿とその声とが耳に飛び込んで来た。
 急制動。竦んだ様に動きを停止させた土方の隙に、然し住吉もまた驚愕を浮かべ動かなかった。挟み撃ちにされた形になった事に狼狽し、眼前の土方だけではなく、左右の敵に相対すべく壁にべたりと背中を貼り付けてきょろきょろと左右を見る。
 「近藤さん──ッ、アンタなんで、」
 住吉から注意を逸らさぬ侭、土方は数米先で踊り場を挟んで同じ様に立ち止まる近藤の姿を、焦燥に晒されながら睨む様に見遣った。近藤の直ぐ背後で、油断なく抜刀姿勢を作り歩いて来る沖田の姿を見ればその答えは歴然ではあったが。
 それにしたって、こんな危険な最前線に、このひとが来て良い筈がない。土方は足を止めた近藤の距離が住吉の居る踊り場に些か近すぎる事に、思わず階段の手摺りを叩いた。がん、と言う鈍い音に住吉がはっと土方の方に注意を取られる。その侭住吉の意識を極力こちらに向けようと、土方は殺気と共に構えた刀を容赦なく突きつけた。
 沖田は取り敢えず動かない。土方は斬ろうとして、近藤はそれを制止した。その意味を計り、結論がどちらなのかを待つ様に、ただ無言で近藤の傍に付く。
 「駄目だ、トシ。そいつを斬る事を許す訳にはいかねぇ。頼むから剣を引いてくれ」
 「──、近藤さん!」
 近藤の口にした、鋭さはあるが懇願の込もった響きに晒され、土方はかっと頭に血が昇るのを堪えきれずに声を上げた。
 危険の中に、それだけの為に。この犯人を殺すなと、それだけの為に。この中に自ら、一体何で、『何』の為に。
 真選組にとって、土方にとって最も遵守すべき大将が、今刀を向けるべき相手を庇いに出る。そしてその理由を、土方は知らない。知らされてはいない。近藤が、嘘になるから言えないと暗に告げたその『理由』を。
 ここまで来るのに部下が斃れた。その重みは未だ土方の内ポケットに残っている。
 馬鹿げた目論みの中で、人質は全員殺された。
 坂田銀時は『巻き込まれ』て傷を負った。
 そうして追い詰めた『犯人』を、裁くなと近藤は諭す。土方に正当な理由を何一つ与えてはくれない侭で。
 「……近藤さん、こいつは人質になっていた職員24人を殺した。それだけじゃねぇ。ターミナル占拠と爆破、それだけでどれだけの被害を出してると思ってんだ」
 さも憎々しげにそうは言うが、土方とて住吉を出来れば拘束はしたい所ではある。ただ、当の住吉の方に未だ降伏の意志は見て取れないのだ。油断も、隙も晒すべきではない。
 どの道、住吉が逮捕されれば極刑は免れないのだ。住吉がいなくとも、他の犯人や侵入に使った船舶など、証拠は幾らでもある。入国管理局を問い詰めれば犯人を手引きした者の存在も引っ張り出せるだろう。
 抵抗の意志のある住吉を殺さず取り押さえる。リスクを──況してや近藤がいる前で──負ってまでそうするメリットは無い。
 そうして刀を向けた侭階段を一歩進めば、近藤が「トシ!」鋭く制止の声を上げ、反対側からまた一歩を詰めた。
 「駄目だ。こいつは無傷で連れ帰り、法の裁きの下に出す必要がある」
 近すぎる。その距離に土方は胸中で舌を打った。住吉も己と近藤と土方との距離感と、意見の相違とに気付き、それを状況打破の糸口に出来ないものかと狙いを定めた様だ。その意識は飛び交う言葉へじっと向けられている。
 三者に囲まれたこの状況では、住吉は誰に向けて発砲した所で、残る二人に取り押さえられるなり殺されるなりして終わる。生存、或いは反撃の可能性を模索するのに、近藤の口にした「無傷で連れ帰る」と言う部分に食いつかない理由はない。
 早速尻馬に乗らんと、油断は見せぬ侭に住吉が言い放つ。
 「俺達は騙されたんだ。受けた指示と、話が違った!でなけりゃ、こんな…、」
 黙れ、と土方が目で威嚇するより先に近藤が瞠目した。ちらりと住吉の横顔越しに土方の事を見る様な仕草をしながら、呻く。
 「受けた指示とはどう言う事だ。一体何者がお前達の背後についた?」
 「……それは言えない。連中に義理立てするつもりは無いが、俺が漏らしたと知れればまだ外に残っている仲間達が危険に晒される」
 糸口を見つけた、と思ったのか。近藤と土方と、左右を油断なく見ながら住吉は幾分滑らかになった調子で続けていく。滲む激情を抑え切れなかったのかも知れない。
 「奴らは、ゲート展開機構への工作を指示して来ていた。だが、俺達がその機械(からくり)に近付いた途端、持たされていた道具と、仲間達が次々に吹き飛んだんだ…!!こんな騙し討ちがあって堪るか!奴らは、偽装にと俺達に用意した春雨の扮装にも、爆弾を仕掛けていやがったんだ!」
 泣き声にも似た絶叫を住吉が上げた。彼の見た地獄は如何なものだったのかは知れない。土方は顔を顰め、近藤は息を呑む。沖田は軽く眉を持ち上げたのみ。
 「それで証拠隠滅だ。全て奴らの思うシナリオになる様に、俺たちは籠城そして自爆テロと言う工作をさせられる為だけに使われたんだ!天人の仕業、消耗品の爆弾として!
 俺は人質の始末で汚れちまったから、偶々扮装を解いていて助かった。だが、小林は、中岡は──仲間は全員、奴らに欺き殺された…!」
 怨嗟をぶつけるのは誰でも良かったのだろう。ぜいぜいと軋る様に吼えた住吉は、ちらりと近藤の方を伺った。近藤が己を『活かし』たいその理由が、今の悲鳴じみた経緯にあるかどうかを計る様に。
 住吉の叫びを、思いつきの嘘だと疑わなかった訳ではない。だが、これで一つの可能性の解が生まれた事は確かである。
 職員は全員殺されたが、犯人もまた、今は住吉一人を残して全滅したと言う、解答だ。手負いの住吉一人が残され、潜入して来た警察と言う追求の手から逃れようと、足掻いた。人質の亡骸を狭い部屋に投げ込んで、服を剥いで、被害者の一人のフリをしてやり過ごそうとした。
 どうして、土方の到達の前に、逃げなかったのか。どうして、外部に向けて取引の一つも発信しなかったのか。
 ──逃げようが無かった。伝えようがなかった。住吉の言が苦し紛れの嘘などではなく、言う通りに、爆弾は『持たされ』たのだとしたら。
 端から、犯人グループを手引きした『者』は、彼らも、人質の職員も、生かす心算など無かったのではないだろうか。故に、住吉は己の生存を隠して逃れようとした。それが知れたら、消されるだろうと判断して。
 その土方の想像が合っていれば、近藤が松平から『何』の話を聞いて、そこからこんな危険な行動を起こそうとしたのか。も僅かだが見えてくる。
 「………近藤さん。アンタ、とっつァんに一体『何』を頼まれた…?」
 頼む、と言うよりは、吹き込む、と言った土方のニュアンスに、近藤は困った様に顔を顰めた。
 「…………正しくは、とっつァんは手を出したくねェって話だ。そして、その肝心のとっつァんに今、連絡がつかねェ」
 「………………………」
 土方の沈黙は、無論土方自身の知る所ではないのだが、奇しくも少し前の山崎の感じた反応と同一のものだった。
 精々、入国管理局や外務省庁絡みの、その中に攘夷浪士が紛れていたとかそう言った問題程度だと思っていた。
 だが、違う。こうなってくると、話が違う。想像の、まるきり埒外だ。
 狙われていた天人。被害に遭ったターミナル。皆殺しにされた職員。春雨の『扮装』をして襲撃した犯人。その犯人の自爆行為。
 それらの材料だけで、民衆の心証は「攘夷テロで狙われた天人が、江戸に対し報復めいた示威行動を起こしたのでは」と言った方角に傾くだろう。
 そして、人々の間に僅かでも「天人はやはり恐ろしい」そんな感情が芽生えさせる事が叶えば。そこを衝いて、住吉らを手引きした入国管理局の悪徳が何故か露見し、声高に叫ばれれば。
 幕府も民意に推され、反天人派の人間が中枢に立つのに大きな後押しとなる。そうすれば天人らの権力も今までの様には行かなくなる。ターミナルの扱いも、入出国の制限も、今までの様には行くまい。
 反天人の世を、天導衆に頭を抑えられた今でも猶謳う、そんな勢力が台頭する為の、それは大きな足がかりとなるだろう。
 幸い、用意された筺は、誰も知る事のない空洞。起こり得た事は、結果と言う証拠に上書きされて罷り通る。密室の理。
 近藤の言う通りの、松平ですら危険かも知れない状況を思えば、住吉を生かして捕らえる事は有効手ではあるが、それは同時に真選組の存亡ですら危うくなると言う事だ。否、既に松平の身に『何か』が起きているとするなら、次の瞬間には外部から見廻組辺りが突入して来て、「犯人グループと間違えました」「犯人に既に殺されていました」などと言われ、殺されかねない。
 なれば、住吉を殺して、真選組はこの事態には知らぬ存ぜぬを通した方が良いのではないだろうか。突入し何も出来なかったと言う不名誉は負うが、謂われのない咎を受けて殺されたり、始末されたりする最悪の事態は免れられる。
 罪科或いは謀略に目を瞑るも同義の事は、警察として──侍としてはあってはならない、事だが。
 そんな、名誉だの倫理だの職務だのより、遵守しなければならないと信じるものが、土方にはある。
 仲間割れではないが、二つに割れた近藤と土方との狭間で、住吉は未だどう動くかを決めかねている様だった。住吉が自らの身を盾に、生存する選択を採ったら終わって仕舞う。そうなれば近藤はどうあったとして土方の刃から住吉を庇うだろう。沖田も近藤の意見に従う筈だ。
 くそ、と土方が忌々しげに視線を揺らしたその時。
 
 「駄目だ、土方!早くそいつを──!」
 
 階段を駆け下りる音より先に、その声は土方の脳髄を叩いた。
 銀時の叫んだのは、それは警告でもなんでもない『事実』を訴える、声。
 かちん、と。戻る秒針の音とほぼ同時に。
 魔法が解けた様に、場の全員が動いていた。







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