誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 15



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 休憩室にあった救急箱を引っ繰り返して、止血帯を無造作に脇腹の傷に貼り付ける。
 こんなケースは滅多に無い事だが、思いの外傷が浅かった事に安堵して、銀時は服をお座なりに整えながら木刀を拾い上げた。赤い回転灯の舐め回す制御室は不穏な空気そのもので、徒に不安と焦燥とを煽られる。
 モニターにはゲートの周囲の機械が不安定な──予想もし得ない動作を起こしつつあると言う事を示す表示が表示されており、速やかな職員の避難と、ターミナル電力の一時分散を促している。
 これを止めた方が良いのか、と銀時は思ったが、然し止める。何度も考えては棄てて来た案だ。前提が覆る。『これ』が無ければ始まらないし終わらない。終われない。
 鎖の切れた懐中時計を袂に放り込んで、銀時は先に行った土方の後を追って制御室から出るなり駈け出した。螺旋状の階段に囲われた縦杭は深く、底は黒煙とエネルギーの不安定な反応で怪しげな鳴動を繰り返している。時間がない。
 袂で刻まれ続ける秒読みに急かされ、銀時が傷の痛みも忘れ駆け下りた階段の先には、住吉と言う男を挟み対峙する様な、近藤と土方との姿があった。
 最早文字盤を開いて確認する迄もない。
 時は既に秒読みの段階。
 あと少し早ければ。或いは怪我を負わなければ。気付いていれば。何度となく思った諦念を呑み込んで、銀時は土方の背中に向けて叫んだ。
 「駄目だ、土方!早くそいつを──!」
 もう、時間がない。
 死因はきっとこれだと、銀時は確信していた。
 手を伸ばした、その袂から時計が転がり落ちる。
 開かれた侭の文字盤。示す針は2と1、14:05分の終わりを通り過ぎて。
 
 落下して、止まる。
 
 
 *
 
 
 19:46
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 銀時の叫びは無条件の確信を以て土方の背を押していた。衝動を促し、焦燥を煽る。怒号の様な鋭く強い声。
 そうだ。こいつを、殺さなければ。
 こいつが、きっと原因になる。
 衝動の儘に握りしめた刃が閃くのに、住吉は慌てて抜いた銃を土方の方へと向けた。
 銃口の狙う射線から土方が僅かに身体を反らしたその時、捻挫していた足ががくりと、ほんの僅か土方の姿勢を揺らした。
 だが、それでもそれは致命的なミスにはならない筈だった。例えば、銃弾を受けるのが左腕から左肩に変わるだけ。その程度の差異に違いなかった。
 故に、その瞬間の近藤の動きは土方が体勢を崩した事が原因ではない。
 だが、それが致命となった。
 その僅かの挙動──或いは予定調和が、その瞬間の全てを定めた。
 銃を抜いた住吉を止めようと、近くにいた近藤は腕を伸ばして住吉の体を引っ張った。力の侭に反転した体が近藤の方を向く。
 蹌踉めきながら、住吉は銃爪を強く握りしめ、銃は甲高い銃声を応えに上げる。
 近藤の背後から向けられた、それより先に飛び出していた沖田の刃が、住吉の喉を貫いたのはその秒にも満たない直後。
 
 「近藤さん!」
 
 突き掛かった膝を無理に起こした土方の目にまず飛び込んで来たのは、近藤の懐から不自然な程にゆっくりと落ちていく懐中時計。
 床の上で勢いよく弾み、蓋を歪めて開かせた、見覚えのある姿となった時計は、罅の割れた硝子の向こうで時を止めていた。
 7と8の間の短針と、9のほぼ上の長針。
 19:46。
 振り仰いだ土方の視界に、こちらを向いた近藤の顔がある。
 その眉間に、黒く深い孔をぽっかり空けた、近藤の、友の、大将の、大きな体が。支えを失ってぐらりと傾いだ。
 小さな直径のその孔から、魂でも抜き取られた様に。重力の侭にゆっくりと崩れる。
 支えるものもない空の肉体は、傾いた重みに従い踊り場の柵を乗り越えて、頭から地面に向けて、孔に向けて、落ちて行く。
 おちて、いく。
 
 「こんどうさ、」
 
 近藤さん。
 声にならない声を喉から迸らせながら、土方は落下して行く近藤へ手を伸ばした。まるで氷柱で胸を貫かれたかの様に、心臓が凍り付いて背筋から血が下って、胃の底がぞわりと冷える。揺れた意識が悲鳴を上げる。
 そんな馬鹿な。そんな馬鹿な。こんな馬鹿な事が、あって良い筈がない。
 こんな事は赦されない。こんな事は赦せない。こんな、こんな事は、『あってはならない』。
 喪失感は恐怖となって忽ちに、土方の喉を裂いて拒絶の悲鳴を上げさせる。
 近藤さん、近藤さん。
 呼んで、手を伸べて。届けと、ただそれだけしか見えない世界の中に、形も意味も為さない土方の慟哭が響いた。
 届かない。届かない。どうしても、届かない。どうして、届かない。どうして。
 柵を乗り越えんばかりに身を乗り出し、手を必死に伸ばす土方の身体を、後ろにぐいと引き戻す腕。
 抱き締める様に、抱き留める様に、捕らえる様に、藻掻く土方を絡め取る腕の力は強い。
 
 「駄目だ、土方」
 
 囁く声も、強い。何かを堪え何かに耐えて、力にして吐き出し言い聞かせる様な、声。

 「無理だ。駄目だ。もう間に合わない。遅かった。また、駄目だった」

 銀時が何を言っているのか解らない。何で逃がさぬ様に捉えているのか解らない。何で問えぬのかが解らない。何で理解しているのかが、解らない。
 先頃銀時の袂から転がり落ちた時計を、捕らえられてじたじたと暴れる土方の靴先が蹴った。かん、と跳ねる、硝子の割れた時計を思わず見遣れば、それはそのシンプルな外見どころか、負った損傷まで、近藤の懐中から転がり落ちたものと全く同じだった。
 まるきり同一の時計がそれぞれ示す、異なった時間。止まるまでの時と、止まるまでの刻。

 「また、駄目だった」

 無粋な音と共に漏れ聞こえたのは、懇願する様な声だった。歯を軋らせながら、土方の耳へと残酷な現実を吹き込むそれは、同時に自らに言い聞かせようとしているかの様で。
 そう。自らにも理解を命じる様な。
 ──諦念の。
 
 「また、」
 
 また。
 反芻した瞬間、土方の脳裏に近藤の斃れる姿が蘇った。
 突入して来た見廻組の凶刃がその胸を次々貫く姿が。
 動き出したセキュリティシステムに射抜かれる姿が。
 崩れた瓦礫に押し潰される姿が。
 ゲートの爆発に巻き込まれる姿が。
 犯人の凶弾に撃ち抜かれる姿が。
 もっとある。何度もある。憶えている限り、思い出せる限り。
 がくりとその場に膝をついた土方は、戦慄く視線を巡らせて、床に落ちて壊れた近藤の時計を見た。
 19:46。時計がその時を刻み停止するその瞬間に。
 銀時の落とした懐中時計の刻む、ここまでと全く同じだけの時間。
 同じ疵を持つ、同じ時計の刻む、限られた時間を経た時に。
 『また』。
 近藤勲は、必ず死ぬ。
 
 「……また」
 

 土方がそう茫然と呟いた次の瞬間。
 土方と、土方を背後から捕まえて動かない銀時の二人の身体は、それまでとは全く異なる場所にあった。
 戻って来たのだ。また、『また』この時に。
 そこは、ターミナルの深い縦杭の底にあるゲートの前だ。不安定に鳴動を繰り返すその孔の傍らで、銀時は己に縋り付いて嗚咽を漏らしている、土方の背を抱きしめていた。
 銀時の着流しを脱力と等価の激情の侭に必死で掴んで、涙と悲嘆とをその胸に吸い込ませて。頽れた侭に膝をついた土方は、譫言の様に呟きを繰り返している。
 駄目だった。また、駄目だった。駄目だった。駄目だった。──『また』。
 呪詛の様な悔恨を吐き出し続けている、土方の震える背を宥める様に撫でてやりながら、銀時はそっと手を伸ばし傍らに落ちている壊れた懐中時計を拾い上げた。
 7と9。19:46。そこで永劫に止まった時計。罅割れた硝子の中の文字盤が、無情に示す刻限。
 それが猶予。それがはじまり。それが、土方に──或いは銀時に赦された選択の時間だ。

 
 ゲートの起こしていた誤作動を、時空間を連結し拓いて仕舞った『孔』を利用して、土方は近藤を救う事を『やりなおせ』ないかと考えたのだ。
 最初の──一番最初の時の土方が、一体何を切っ掛けに、どうやってそれを実践しようと思ったのか。いつから、何度目から自分をそこに巻き込んだのか。何度同じ事を繰り返して来たのか。銀時は知らない。
 ただ、何度『この』結果に終わろうとも、土方は強い執念でまた挑み直す事を止めようとしないから、頼まれた通りの『依頼』として、銀時は土方の気が済むまでを付き合う事を決めた。
 土方は今までに何度も、幾度と無く近藤の死ぬ所を見て来ている筈なのだが、この行為そのものが自らの生み出した因果律が原因であるからなのか。土方は必ず『戻った』先でその記憶の殆どを保持出来ず喪失して仕舞う。
 そうして何度も、少しづつ異なった行動を無意識に取捨しながらも、結果は変わらない侭終わる。
 だが、必然の様に、繰り返す事を土方は選ぶ。
 何度戻っても、何度忘れても、何度失敗しても、何度でもやり直して近藤を救おうとする。いつまでも進まない『ふりだしに戻る』双六を延々と繰り返す事を選んで賽子を転がす。
 ……だからきっと、この目的意識が途切れる様な事があった時には、土方は死んで仕舞うのではないかと銀時は思っていた。
 近藤が死んで。それを救うべくあらゆる努力を続けて、それでも変わらない運命の前に屈した時、土方はもうその『先』を生きる事が出来なくなるのではないかと。そう思ったのだ。
 幾度となく、様々なパターンで、不定の行動で、ターミナル占拠爆破テロに挑んで。
 幾度と無く、様々なパターンで、不定の行動で、何者か、それとも何かの作用に因って、近藤は死ぬ。
 変わらない運命と因果とを突きつけるかの様に。
 どうあっても、岐路が変われど、終着点は変わらない。
 近藤は死んで、土方は思いだして、悔恨と無力感とに打ち拉がれ、泣き崩れながら『始点(ここ)』に戻る。
 「……どうする…?」
 『また』繰り返すのか。そっと問う銀時に、土方は苦悶に似た嗚咽の中で、然しはっきりと頷いた。
 始点の『ここ』で費やす時間は、刻限を徒に減らす無為でしかない。だから、どれだけ嘆こうとも土方の決断は早い。
 「わかった」
 もう一度、震える背をそっと撫で降ろしてやりながら、
 「いいさ。お前が諦めねぇ限り、何度でも付き合ってやる。……依頼だからな」
 そう静かに応えて、銀時は揺らぐ『孔』と手の中に遺された懐中時計を見下ろした。止まった時を示し続ける時計を。
 近藤が死ぬまでの、五時間と四十分程。その間の時しか刻まない時計を。
 その間にしか生きる途を見出せないだろう土方の、命の刻限を。





シュタゲではなくまどか風。

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