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  誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 4



 15:20
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 「判断は現場に任せるってェ伝えときな。コッチは記者会見で軽ぅい頭下げれる連中でも用意しとけや。……あ?ケツ拭く準備に決まってんだろ?解ったんなら、シャキシャキ働け。ハキハキ急げってんだよ」
 耳に小指をぐりぐりと突っ込みながらそう言って、受話器を投げ遣りな動作で戻す。その代わりにタブレット端末を手に取ってどっかりと卓の上に足を組んだ松平の、天を仰いだ口元から紫煙がぷかりと立ち上った。
 「…つぅ訳だ。ま、トシに任せときゃァ、安心……たァ言わねぇが、悪い様にゃなるめェよ」
 「信頼してんだか馬鹿にしてんだかわかんねーんだけど…」
 「少なくとも、テメェに任せとくよりゃマシだって事だよ馬鹿ゴリラ」
 言いながらも、松平の指先はタブレットの画面をあれこれと撫で続けている。
 警察庁長官執務室。庁舎のほぼ最上階に位置する、広々としたその空間は、実際の執務と言う名のデスクワークをこなす用途の為だけにある訳ではない。小綺麗に片付いたその表面積の殆どを土足の脚に明け渡したデスクの少し手前には、革張りの高級そうな応接セットが一揃え置かれており、日々警察庁長官を訪う多彩な来客を迎え入れる役割を担っている。
 寧ろ『客』の相手をする事こそが、警察庁長官の執務とも言える。
 そこに今座している『客』は、松平の口にした通りのゴリラなどではなく、歴とした警察組織の幹部職の一人、真選組局長の近藤勲である。
 近藤は、今まで天の上の重役から末端まで様々な人間を座らせて来た応接椅子にも、来客に正面で相対しようともしない上司の様子にも特に怖じける事もなく、巌の様な顔に顰め面を浮かべた。
 「それで…、とっつぁん。もう用が済んだんなら、俺ァ現場に向かわなきゃなんねぇ。幾ら大将だからって──いや、大将だからこそ、俺ァ連中の一番近くに居てやりてェ。だから、」
 言って、腰を浮かせかけた近藤の。先頃まで尻の乗っていたソファの座面に轟音と共に小さな穴がぽっかりと穿たれた。顔を引き攣らせる近藤の、恐る恐る振り仰いだ視線の先では松平が硝煙の立ち上る銃口を向けている。
 「だァれが行って良いっつった。人の話は最後まで聞きなさいよ、このゴリラ。じゃないとオジさん手が滑って撃っちゃうかも知んねェよ?」
 「イヤ撃ったよね。言う前に滑ったよね手!つーか仮にも警察庁長官の部屋で発砲音がしたのに誰も駆けつけて来ないとかそっちのがある意味凄くね?」
 「あーそりゃアレだ。銃声っぽい目覚まし時計か何かだと思われてんだな」
 「どんな物騒な目覚まし時計?!見境なく発砲するオッさんの部屋になんか怖くて近付けないっていう感じなんだよねソレきっと」
 ぷはァと煙と溜息を同時に吐き出して言う松平が、手にした拳銃をくるりと回転させて懐へと戻すのを見て、近藤はがくりと肩を落とした。何を言っても無駄だろうと諦められるぐらいには、この上司との付き合いも長い。
 「俺だってな、綺麗なおネエちゃんならまだしも、わざわざ好きこのんでむさっ苦しいオスゴリラと密会とかしたいと思う訳ァねぇだろォよ?」
 くわえ煙草を上下に揺らして言う松平に、近藤は訝しむ視線を向けた。サングラスの奥の眼差しは相変わらず気怠そうな中年男の風情で居たが、紡ぐ調子には真剣な色が潜んでいる。そんな些少の変化を察せる程にも、この上司との付き合いは長い。
 「……とっつァん。今までの話の連続テロ関係と、ターミナルの武装占拠……この二つが何か関係でもあるのか?」
 そもそも近藤が警察庁長官の執務室を今日訪問したのは、件の天人を狙った連続テロの捜査進捗と今後の展望についての話でだった。テロの一報を受けた後、先頃の物騒な遣り取りを経て近藤は未だこの場に留められている。その理由は、と考えれば自然と、不穏なものが沸き起こる。
 「ちっとコレ見てみろ、近藤(ゴリラ)」
 近藤の、声を潜めた問いに返ったのは、デスクの向こうに座した侭の松平の、手招きをする様な仕草だった。応えて、近藤はデスクの方へと近付き、先頃まで松平の操作していた、A6サイズ程の、前面がほぼ液晶パネルで出来たタブレット端末を覗き込んだ。
 松平の指がその上を慣れた所作で動くと、画面には随分と画質の粗い白黒の映像が表示された。固定された斜め上から俯瞰する風景に、フレームレートの低い飛び飛びの動きをする複数の人間が映し出されている。その独特の様子から、監視カメラのものだ、とは直ぐに知れた。
 『Terminal West:D-6 1045807 14:02』画面の左上には時刻と日付らしきものと、監視カメラの仕掛けられている所在や固有IDらしきものとが表示されている。
 日付は、本日のものだ。
 「とっつぁん、こいつはまさか」
 思わず食い入る様に画面を見つめる近藤に、松平は事も無げに「ああ」と頷いて続ける。「ターミナル占拠の二十分くらい前の映像だ」
 「どっからこんなものを…。今ターミナルは通信関係も全部通じないと聞いたぞ」
 先頃、松平が事件の概要の報告を受けた際に近藤も同席していたのでその辺りの状況は一応頭に入っている。訝しげなその問いに、松平は監視カメラの録画再生を一旦止め、声を潜める仕草をしてみせながら、
 「ターミナル関係の犯罪はな、お上の権威、天人との親和関係にどう影響を及ぼすか知れたモンじゃねェ。だから、あちらさんにゃァ極秘でなあ、警察(ウチ)で通信関係は全て傍受させて貰ってるってワケよ。
 ……勿論コレ極秘だから。国家安全うんちゃら法だかなんだかに立派に抵触する事だから。一応お上の一存って事になっちゃァいるが不許可でやってる事に変わりねーから。ゴリラの一吼えでも漏れたらアレだから。俺もお前も首ィ飛ぶからな?解ったなゴリラ?」
 「極秘なら余計軽々しく漏らさないでくんない?!」
 「まあそんな事ァ今はどうでも良い。問題はこの、占拠の前に警察庁(ウチ)に逐一送信録画されていた分の映像だよ。制圧までの手際が余りに良すぎるんでな、手引きした者が内部にいる線も疑って観ていたんだが」
 最後は脅迫の様に転じていた言い種に悲鳴を上げる近藤をいなして、松平は再び再生ボタンを押した。
 途切れ途切れの不鮮明な白黒映像。監視カメラとしてはそこいらの街頭のものより精度は高いが、映像から伺えるのは、覆面で人相も伺えない幾人かの人間が作業員から奪ったのだろう作業着を脱ぎ、積荷運搬を装って運んでいた荷物から出した、ミリタリーマニアの好みそうな、収納力の大きく和装ではない動き易い装束に着替えている様子のみだ。
 彼らの様子は手慣れたもので、淡々と着替えて重火器で武装し、脱ぎ捨てた服はその侭に直ぐに行動開始するとカメラからフェードアウトしていく。実のある映像はその間二分程度の短いものだった。後は、如何にもバックヤードと言った風情の愛想のない廊下が延々映し出されるだけになる。
 「これが、犯人グループと見て間違いないだろうな」
 頷く近藤に、「当たり前だろうが」と小突く仕草をしながら、松平は再生時間を示すバーを指で動かして映像を巻き戻し始めた。
 「この映像から解る事ァ他にもあんだよ。よォく見てみろ、ここ」
 言って、一時停止ボタンを押した松平の太い指先が画面には触れずにちょいちょいと指す部分を、近藤は身を屈めて覗き込んだ。
 そこには、一緒にフレームに入り込んでいる他の連中と同じ様に、動き易い装束に着替えた一人の覆面姿がある。粗めの画像の、しかも覆面と全身を覆う衣服の中では人相や年齢なぞ知れないが、体格が大きく見えるので男の様に見える。
 松平が指さしてみせたのは、その男の、肩の辺りだった。
 男がカメラから近い位置に立って、件の肩を丁度こちらにはっきりと向けた姿勢になっているのが幸いした。その肩には、隊章の様なものが縫いつけられている。鋭角的なラインで構成された、菱形を四方囲んだ様なその意匠には、近藤も見覚えがあった。
 「っ、と…とっつぁん、コイツは、春雨の……宇宙海賊『春雨』の紋章か…?!」
 思わず声を上げる近藤の驚きを余所に、松平は「ほぉ」と感心した様な声を上げる。
 「ゴリラでもそんくれェの事ァ知ってたみてぇでオジさん安心したわ」
 「ゴリラゴリラって言うけどさ……とっつぁん、俺一応警察だからね?特別警察の、しかも局長職だからね?」
 「……ンなのァ解ってんに決まってンだろうが」
 「イヤ今一瞬間空いたよね?!一瞬考えたよね?!」
 「ガタガタ煩ェんだよ、男は細ェ事ァ気にすんな。警察幹部だろーがゴリラ山のボスだろーが似た様なもんだろ」
 割と本気で涙目になって言い募る近藤をさらりと躱しながら、
 「問題はそこじゃねーだろゴリラ。コレに気付かねーならお前本当にゴリラ山の野良ゴリラだぞ。あ、もうゴリラだったな済まねェ」
 松平はそう軽く言って肩を竦めてみせた。「へ?」と近藤は静止した侭の動画と、溜息をこぼす上司の顔とを何度か見比べる。
 「や。だから、犯人グループは春雨の連中、って事じゃ無ェのか?」
 「………」
 きょとんと言う近藤に、松平は心底憐れみの込もった視線を向けながら、「やっぱりゴリラはゴリラか」と煙草の煙を思い切り吐き出した。
 それからやおら、ばん、と手をタブレット端末の横に叩き付けて立ち上がった松平は、近藤の襟首を掴みその静止している画面へ鼻先が接触しそうな程に押しつけた。
 「なァんで着替えんのに覆面してんだ?なァんでわざわざ監視カメラの前でむっさい集団のお着替えショータイムなんざやってるんだ? な・ん・で、春雨のエンブレムをこれみよがしにカメラに向けて何秒も突っ立ってんだコイツは??」
 一言一言を強調しながら示される、眼前の焦点の合わない画像を見下ろしながら、近藤は苛立ちも隠さずに怒鳴る松平の言葉を暫し噛み砕き──それから頷いた。
 「あ、そう言えば…変だな?」
 「変だな?じゃねェだろォが。手前ェの脳ミソはゴリラ以下か?」
 怒りを通り越して呆れにしかならない、と言った様子で、松平は近藤からぱっと手を離した。タブレット端末に表示されている、カメラに──その向こうに居るだろう者へと──『見せつけ』る様な春雨のエンブレムを見下ろす。
 「しかもこの映像はまァだターミナルの通信途絶が起きる前のモンだ。つまり、犯人共(コイツら)は態と警察ないし外部に漏らす為の情報として、手前ェらは春雨ですよと宣ったって事だな。意図的に」
 この星と宇宙各星との国交が始まるより遙か以前から、宇宙海賊春雨の名は銀河系最大の犯罪シンジケートとして知られていた。奪えるものは奪い、利になるものは利用するその遣り口は、海賊と謳われる通りに概ね武力を以て行使される。武力とは言葉通りの火力そのものを指す事もそうでない事もあるが、その組織力が宇宙に於いて絶大なものである事は確かだ。凶悪な程に肥大したその影響力は同盟の各惑星の中枢にまで至っている所もあると言う。
 それだけの組織の名を騙る事に、果たしてどの様な意味があるだろうか。メリットより些かリスクが高すぎる気がすると近藤は思う。虎の威を借る、その代償。事が『虎』に露見して仕舞えば相応以上の報いを受けさせられるのが関の山だ。
 定かではないが、幕府中枢には春雨にコネクションを持つ幕僚も居るなどと言われている。そうでなくとも此処は天人の権力の強い江戸だ。春雨の仕業と見せかけられた事に因って何ら風聞が生じた所で、春雨の力が何ら弱まる訳でもない。
 そもそも、ターミナルを武装占拠した所で一体どの様な益があると言うのか。
 少なくとも金銭的な利益は直接には生じない。江戸の物流を一時的に押さえた所で、何処の惑星の何某に多大な影響が及ぼされる訳でもない。
 政治的意図にしても、ターミナルを武装占拠した連中が春雨の一味だ、と言う『事実』が生じる事そのものに何か利益があるとも思えない。
 結局の所、リスクが高い以前に、メリットが何も無いのだ。攘夷思想を表すテロリズムだとするなら猶更、春雨の仕業にしなければならない理由なぞ無い。そもそもテロリズムは社会的抗議の為の示威行動だ。武装占拠の終わった今、声明でも声高に上げなければ意味もない。
 「…………これはオジさんの勘、だけどよ。どうにもこの事件、規模は兎も角焦臭ェな」
 近藤が頭を捻って呻いていると、松平が抑えた声音でそうぽつりと呟きを寄越した。くわえ煙草を噛んだ口元にいつにない険しさが乗っている事に気付いた近藤は、その剣呑な気配に喉を鳴らす。
 松平は一度、長めの息継ぎと共に煙を吐き出してからどっかりと椅子に座り直した。黒革貼りの大きな椅子の背もたれが軋む音を立てる。
 「そもそもだ、春雨の仕業に見せてんのは、『誰』に対してなのか。奴さんらの想定は、警察庁(俺ら)がコレを見る事なのか。それとも、警備室の誰かが偶々コレに気付いて警察に証言する事なのか。
 ──それとも、事件解決後に押収された監視カメラの映像から『犯人は春雨の構成員だった様です』って感じの報道が出る事、なのか」
 もしも三つ目だとしたら、犯人は跡形もなく消えると言う事になる。生存してか、死してかは解らない。ただ、証拠も証言も残せない形になる事は確かだ。
 検証不可な証拠は、跡に残った『それらしい』ものを真実とする。真実でなく反証があったとしても、検証も再現も適わない限りは可能正論として最も高い位置に置かれる。
 思いの外苦そうな声を発した松平は、顎をかくんと天井へと向ける。だが、サングラスの奥の鋭い視線は天井板なぞ見てはいない。
 松平は一見、適当に官職に就き横暴な振る舞いをするヤクザ似の中年男でしかないが、警察官僚と言う地位や将軍と懇意にしている関係もあって、その人脈や情報網は幅広くあらゆる方面へ精通している。当人に言わせればそれは、「現場にゃ現場の、会議室にゃ会議室の苦労があんだよ。事件はどっちでも起きてんだ」、だそうだが。
 そんな松平をして、ターミナル武装占拠事件に感じる、額面通りの危機感以上の『焦臭さ』と言わしめる奇妙とは一体どの様なものなのか。
 「………とっつァん。もしもターミナル占拠が一連の、天人を狙った連続テロと関係があるとしたら、そいつァ…、」
 「天人を狙うのにターミナルを襲撃すんのァ筋違いだ。今やターミナルを利用すんのは寧ろ江戸の人間の方が多い。だから、一見繋がりは無ェな」
 近藤の問いに、松平は天井へ視線を向けた侭独り言の様に言う。
 一見。
 と言う事は、連続テロと何か繋がりがあると言うのか。だが、松平の横顔からは確信の気配は見ては取れない。
 「犯人グループは、『誰か』が見る事を想定して、自分達が春雨の構成員であると言う偽装を行ったんだろう?なら、狙いは春雨が──天人が犯人だって思わせる事にある筈だ。連続テロで狙われたのは天人、そしてターミナル占拠犯にされるのも天人…」
 「風評被害ってレベルじゃねェなァ。つーか近藤、お前ゴリラの癖に急に冴えてんじゃねェよ」
 「ゴリラゴリラ言われる俺の方が余ッ程風評被害なんだけど」
 しゅんと肩を落とす近藤を視界の端にちらりと捉え、それから松平はサングラスの下の目蓋をゆっくりと下ろした。
 近藤の言う程度の考えの幾つかは松平の頭には既にある。だが、通常考え得る大凡利益と呼べる様な類はそこにはない。そう。通常ならば。
 監視カメラを使って春雨の存在を匂わせる。映像を見るのが警察庁長官であれゴリラであれ、事件解決後の報道であれ、結果は一つだ。それは近藤の言う通りの『風評被害』と言うものに当たる。
 天人無しには発展出来なかったのが現在の江戸だ。表立ってはおらずとも、幕府の中枢から庶民に至るまで、文明的技術的、あらゆる分野で天人の恩恵は確かに存在している。
 だが、攘夷思想を抱く者、とまでは行かずとも、天人のそんな恩恵、天人様々と言う市井に無意識レベルに深く根付いているその思想を由としない勢力も未だ幕府内にはある。勢力と言うよりは暗黙の了解の様な風潮だ。天人に阿る反面でそれを厭い、対等或いはそれ以上の存在と権力とを勝ち取らねばならんと宣う、ある意味での愛国者達。
 当然の様に彼らは、天導衆に全てを委ねざるを得ない江戸の政治を、統治を、誰も知り得ぬ支配を諾々と受け入れる事を快くなぞ思ってはいない。
 歪みは何処にでも在る。問題はそれが、切開の痛みを伴ってまで是正されるべきものであるかどうか、だ。
 全てを善悪に切り分け、正しきと思う事を取捨し貫き通す。そう傲岸に言い切れる程に松平は若くも青くも無い。利用出来るものと、触れてはいけないものとを見極めるのは権力者の性である。
 そして松平の長年の勘は、これが後者に類する事であると告げていた。
 監視カメラの映像を見るのが、籠城に困り果てる今のこの状況に於かれた警察であると言うならば。それは、警察庁がターミナルの監視映像を傍受していた事を知る者に限られる。即ち、警察官僚関係の者と言う事になる。そして、その意図は警察が事件解決に動く事そのものにあると言える。
 そして、監視カメラの映像を見るのが、事件解決後の押収物であると言うならば。それは犯人が死体と言う証拠も残さず消える可能性を示唆している。例えば、自爆とか。
 天人。春雨。ターミナル武装占拠。偽装。警察関係者への疑い。全てを隠滅し、それらしい事実だけを遺す自爆テロの可能性。どこを切っても碌な絵柄の出ない金太郎飴だ。
 「……ま。オジさんはどっかのゴリラ共と違って家族がいるからね。無理はしねェ事にしてんのよ」
 この犯人共はそうとは言い切れない。思想或いは目的の達成の為には何をも厭わぬ様な手合いであれば、その狙いは最も恐ろしい所にある可能性をも孕む。
 そんなご大層なお祭りに身一つで付き合える程、松平の身も命も軽いものではないのだ。
 「そうは言っても、もしもこれが幕府内の反天人派に因る仕業だとしたら、警察(俺達)がそれを看過する訳には」
 「あー聞こえない。聞こえねェなァァ?」
 拳を握り固めて近藤が言うのに、松平は態とらしく耳を塞いでそう言うと、急に表情を真剣なものに切り替えた。煙草を灰皿へと押しつける。
 「………勝算どころか勝敗の基準も解らねぇんだ。迂闊な事ァしねぇ方が良い。最悪、俺やお前の首なんざ軽く飛ばされてもおかしくねぇ」
 「だが!」
 「敵を出し抜ける確信でもありゃァ別だがな」
 言い募る近藤を制する様に、松平は新しい煙草を取り出しがてら、手を振ってみせた。続ける。
 「まァ何にしてもオジさんの事ァ巻き込まないでくれや。栗子の誕生日に美恥だかビチグソだかのバッグねだられてんだ。まだまだオジさん死ぬ訳にゃ行かねェから。あと阿音ちゃんにもリゾート惑星旅行プレゼントするって約束しちまってんのよ」
 「そこは『責任は俺が全て取る。お前らはお前らの好きに動け』とか言ってくれちゃう場面じゃないのォォ?!」
 「馬ァ鹿言うんじゃないよ。何でオジさんがゴリラと同じ名前のゴリラの為にギバちゃんになってやんねーといけねェの」
 吐き出した煙を吹きかけられながらそうきっぱりと言い切られた近藤は、引きつった面持ちで溜息をついた。懐をまさぐり、取り出した懐中時計で時間を確認すると、部屋の右側面の一面窓硝子を備えた壁を振り返る。
 「……とっつァん。真選組(俺達)は『いつも通り』に動くからな。現状の制圧と、犯人の──出来れば確保と。逃げられねぇ為には荒い手段を取る事もあるかも知れねぇが…」
 恐らく。これは下手なアクションを打つべきではない類の事件だ。軽率な行動ひとつが真選組のお取り潰しと言う最悪の結果をも招きかねないものであるに違いない。
 松平の勘と同じ様にして、近藤もそれは感じ取っていた。
 だが、松平と異なって近藤は退かない。それは侍を名乗る者としての矜持か、或いは単なる青さなのか。
 陰謀や謀略と言った相手に対する戦い方は、近藤には出来ない。だが、ただ捨て置けないだけだ。
 それを看過して生きる事が正しいとは思えない。代償が仮令安寧だとしても。
 「…………………馬鹿なゴリラだよ全く。ま、引き留めた俺にも責任はあるが、巻き込んで多重事故だきゃァ起こさねぇでくれや」
 そう言う、松平の口元には呆れとも怒りとも笑みともつかない表情が刻まれていた。
 ああ、と頷きながら近藤は、現在時刻を15時34分と指している懐中時計をもう一度見下ろす。艶消しの金色の時計には過剰な装飾などは無く、ひたすらにシンプルなもので、土方や沖田を含めた隊士らから誕生祝いにと、江戸に出て来た頃に贈られたものだ。未だ地位は疎か組織の青写真さえ固まっていなかった頃だ、きっと皆の懐には相当な痛手だったに違いない。
 素材もメーカーも知らない品物だが、今の所時間が狂った事もないし、機械式の撥条を巻き忘れた事もない。愛用品だ。
 ちなみに時計と言うチョイスは土方だと言う。組織の長になるんなら時間くらいキッチリしなきゃならないとか何とか、そんな事を言っていた。
 そんな曰く付きの時計の蓋を閉じて、懐に戻しかけたその時。なんとなく見遣った視線の先、窓の向こう遠くにそびえ立つターミナルから、何らかの爆発と煙が上がった。
 びりびりと窓硝子が振動し、地響きにも似た音がその爆音だと知るのに僅かの時間を要した。
 「とっつァん!」
 茫然と、不吉な黒煙を吐き出すターミナルを見つめた侭近藤が声を上げるより先に、松平は険しい顔を隠さずに受話器を手に取った。叩き付ける様な手つきが短縮ボタンを叩けば、現場に居る人間の悲鳴めいた叫びが電話口から漏れ聞こえて来る。
 「オイ現場、一体何があった!ボヤ騒ぎって程度じゃねェぞ?!」
 解りません、ターミナルのゲート付近の様です、今解析調査中です、と言った声が途切れ途切れに響く中、近藤は懐中時計を胸ポケットに押し込んだ。刀を佩き直す。
 「とっつァん。俺ぁ直ぐ現場に向かう」
 片耳に受話器を押し当てた侭の松平は、僅かに視線を滑らせ近藤の方を見てから、く、と顎を擡げた。射る様な鋭い眼光が、サングラス越しに細められるのが見える。
 「……有り難くねぇ事実を一つ教えてやる」
 そう前置くと、松平は埒の開かない報告を続ける受話器を元通りに戻した。通話が切れて、電話の向こうの現場の騒ぎが途絶える。
 それでも当然の様に、関わらず黒煙を上げているターミナル。江戸の象徴。文明の恩恵の出所。天人のもたらした世界を享受した証。
 「あの映像な。アレを見たのは今の所、俺と、お前だけだ。事件の報を受けて、連中の侵入口と想定される区画の映像を探して、偶々アレを見つけた。まあどうせ追々警察庁(ウチ)の録画分は捜査に回されるだろうが、爆発まで起きちまったこの騒ぎじゃ、こんなんには誰も気を回しゃしねぇだろう。
 さっきも言ったが、オジさんは危ねぇ橋は渡りたかねぇから、映像について何か公言する心算は無ェ。何らかの形で公表される時までァ知らぬ存ぜぬで通す。手前ェがどうするかは、手前ェで考えろや」
 「………」
 巻き添えを作るか、否か。
 予め、春雨の仕業と言う偽装の可能性を口にすれば、戦う相手も変わる。犯人グループが天人に罪を着せたい攘夷浪士なのか、警察や幕府の事件への対応から『何か』を目論む身内の虫なのか。戦い方も身の護り方も、全く変わって来る。
 松平の言う通り、敵が解らなければ勝敗の基準も解らない。何に注意をすべきなのか。注意していても良いのか。
 ターミナルであれだけの大規模な爆発が起きたと言う事は、解決の為の迅速な行動を促す鞭入れの様なものだ。たった今、犯人が生存していようが、死亡していようが、真選組を含む警察組織は人質の救出と言う名の義務で動かざるを得ない。
 そして、突入が行われた暁には、自爆しようがしまいが犯人は即時殺害されるだろう。無傷で事態を収拾するのは困難に過ぎる。
 だが、一つだけ。確実な勝利条件がある。
 それは、証拠が消えるより先に犯人グループを捕まえて、春雨の仕業であると偽装された『真実』が明るみに出るより先に、その偽装を命じた者に辿り着く事。
 砂漠に落としたコンタクトレンズを探す様なものだ。敵も味方も解らず、確保したい対象の生死すら不明瞭。
 「……………解った」
 やがて、長い時間を掛けてそう頷くと、近藤はくるりと踵を返した。
 その響きからは是とも否とも取れない。だが何処か決然とした気配を纏う、大きなその背に向けて松平は言葉を探す様に「あー、」と呻きにも似た声を漏らしてから。
 「短慮は起こすなよ、近藤。お互い首は大事にな」
 すれば、近藤は少し驚いた様に顔を振り向かせて、それから苦笑を浮かべた。
 「嗾けといて言うなよ。ま、なんとか上手くやってみるさ」
 手を軽く持ち上げてみせる、近藤の大柄な体躯が執務室の扉の向こうに消えてから、松平はゆるりと頭を巡らせた。視線の先には黒煙を噴き上げるターミナル。
 天に聳える威容から上がる黒煙は、まるで煙突の様だ。冗談の様なその風景。江戸の栄華や繁栄の様が潰える時は、きっとこの様な感じなのではないかと、そんなどうでも良い事を考える。
 恐らくは。誰もが薄々感じながらも口には決してしないだけで。
 あの塔と、天人のもたらした世界とは、その実酷く脆いものなのだろう。平和の中の均衡ほど、軽い衝撃ひとつで崩れる頼りのないものはないのだ。
 
 
 *
 
 
 -01:38
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 その頃、奇しくも松平と同じ様な面持ちで、黒煙を上げる塔を見つめる人影が、高層ビル街の隙間にあった。
 その表情の名前は、皮肉或いは寂寥。それと、僅かに含有された虚しさ。
 この辺りはターミナル武装占拠事件の規制線の内側だ。時折逃げ遅れた人はいないか、こっそりと侵入した者はいないかと、避難を促すアナウンスを呼びかけながら警察車輌が巡回している。
 そんなビル群の下の道路は舗装されて幅広い。裏道も車輌が通れる程度の広さがある、綺麗な碁盤の目を描く地区だ。
 だが、ビルの真下と言うのは存外に目立たないものらしい。植え込みやちょっとした公園の様になった広場などを遮蔽物に時折立ち止まって様子を伺いながら、男は上空を過ぎるヘリの爆音をBGMに、眼前高くそびえ立つターミナルをゆっくりと見上げた。
 爆煙に曇る視界。舞い散る塵。吹き抜ける風。揺れる銀髪。
 余りに高すぎて、見上げれば背が反るぐらいの距離である。
 それから、目星を付けていたオフィスビルに近付くと、その近くにある休息所の様な広場へ入り込み、マンホールの蓋を、取り出した器具を使って開いた。
 白昼の小綺麗な高層ビル街に、ぽっかりと穿たれる黒い穴は腐臭にも似た臭いに満ちて、酷く暗い。
 向かう先の穴をじっと見下ろして、それから男は懐から懐中時計を取り出した。竜頭を押し込めば、何かに引っ掛かる様にしながらも蓋が開く。
 近くに立つ時計の示す、15時38分と言う現在の時刻とはまるで合っていない、その針の奇妙な動きを注意深くじっと見つめてから、男はそれをまた元通りに仕舞い直した。梯子に手足をかけて、騒ぎの大きな天より遙か下方へと一段一段と下りて行く。
 
 男の持つ時計の時刻は、そのとき18時14分を指していた。







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