誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 6 16:12 ----------------------------------------------------------------------------- 江戸の地下にはまるで網の目の様にエネルギーの通り道が走っており、要所要所には地下街などもある。概ね無法者の巣窟となりがちな区域ではあるが、元々メンテナンス用の拠点として設けられた事もあって、地下だからと言って特別行き来の難しい事はない。吉原地区の様な例外はまあ除くが。 江戸の人間の多くは、地下にエネルギーの供給施設が縦横無尽に造られている事を知ってはいるが、余り身近にそれを感じる事はない。そのぐらい自然に、人々は常に滞りなくエネルギー資源の供給を受けているのだ。 事実上、ターミナルから──その地下から供給されるエネルギーは無限に等しい。流れっぱなしの水道を放置するなら、各々が有効活用出来る様になった方が良いだろう、と言う訳である。 無論、それらのエネルギーの安定した供給を行う施設やその機器のメンテナンスの費用として金払いは必要なのだが。 ともあれ。どうせ穴を掘るならまとめて、と言わんばかりの都市設計だった事もあり、地下のメンテナンスエリアへは地下街へ向かう通常ルートの他、下水などと共に地中に通っているエネルギーパイプラインを辿る事も出来る。土方がターミナル突入(と言うよりは侵入だが)に選んだのはそのルートだった。 地下街の通常の入り口から真選組が大挙して侵入、などと言う画は目立つなんてものではない。一応報道管制は強いてあるが、強行とも言える突入策など余り人目には晒したくないものだ。 建築技師やターミナル警備部の人間の話では、規制線の内側にも下水とエネルギー供給管とが併設されている箇所へ近付く道は幾つかあると言う。要するにマンホールの事だが。 下水では行き先と役割を同じくするほぼ全ては繋がっている。故に何処から入っても目的地へと辿り着ければ良いのだ。成る可く、目立たない様な人数で。目立たない様な場所から。それが望ましい。 下手に隊を分散させるのには懸念材料の方が多かったが、エネルギー管のメンテナンスに用いられる、専用のGPS式の情報端末を各隊に一つづつそれぞれ貸与して貰った。ターミナルの各システムに携わる警備員や作業員も使うものである為、詳細な見取り図がターミナルまでインプットされており、現在位置も併せて表示してくれるばかりか、目的地を逆検索する事も可能と言う代物である。 逆に言えばそのぐらいにこれから挑む城は複雑怪奇な迷宮であると言う事だ。そこに来て、どう言った状況になっているとも知れない未知の要素まで持ち合わせている。 どの道物理的に完全にシャットアウトされた塔に、地上や空から接近する手立てがないのだから、単純な話だが地下から潜入するのが最も適している。最低限の構造図のみで、内部がどうなっているとも知れないのは今までの潜入や討ち入りでも同様だ。 「どうも気が乗らなくていけねぇんですが。俺ァ観たいテレビがあるんで、早退しても良いですかィ」 「馬鹿抜かすな。大体、テレビなんざ何処もこの事件の事で一杯に決まってんだろ」 あふ、と態とらしい欠伸の仕草をして言う沖田を窘める、土方の視線は借り受けた手元の端末に向けられている。以前も護衛関係の仕事で似た様な端末を扱った事はあったので慣れない訳ではなく、単に地形や構造を頭に叩き込んでいるだけである。 「テレ江戸辺りは揺れようが大事件が起ころうがムー○ンやってるんですがねィ」 「しつこいぞ総悟。ンなにテレビ観たきゃ録画は欠かさずしろ」 「んじゃ今からして来て下せェ、土方さん」 「焼きソバパン買わせに行くノリで言うな。気乗りしなかろーが何だろーが、手前ェにゃこれが仕事だ。黙って準備でもしてろ。黙らねぇなら黙れ」 地図の暗記と情報収集に集中している土方の受け答えは、そうでなくとも淡々と打てば響くだけの様な調子になっている。沖田はそんな土方の横顔を暫し見つめていたが、やがてさもつまらないと言いたげな仕草で肩を竦めてみせた。 「随分カリカリしてるみてェですが、石橋を叩いて壊して橋を架け直す、いつもの土方さんにしちゃ、ちっとばかり短慮な気がすんですがねィ、この潜入作戦」 声は潜めてはいたが、珍しくも噛み付く響きのある言い種に土方は端末の画面からほんの少しだけ視線を持ち上げた。横隣の慣れた高さを見れば、そこには憤然とした気配を潜めた沖田の顔がある。 いつもどちらかと言えばフラットな態度を崩さない沖田にしては珍しい事だ、と思いながらも、土方は掌の上の端末を軽く揺らした。液晶画面が曇り空の僅かな光を反射してきらりと光るのに目を眇める。 「そりゃ気乗りしねェのは俺も同じに決まってんだろ。敵が『何』なのかも定められて無ぇ侭賽子を振るなんざ正気の沙汰じゃねぇ。だが警察である以上動かねぇで静観してる訳にもいかねぇんだよ。だから精々、出目がどう作用しようが悪い方角にならねぇ様に尽力してんだろーが。 あと、苛立ってんなァヤニ切れだ。察しろ」 「机上の皮算用なんざ当てにすんな、っていつも言ってんなァどの土方さんでしたっけ」 「……気持ちは解るが愚痴んな。ついでに俺に当たんな」 「土方さんこそ。煙草切れだからっていたいけな部下に当たんなァ止めて下せェ」 「「…………」」 暫しの実の無い遣り取りの後、同時に沈黙する。先に小さく溜息をついたのは沖田の方だった。すっきりしない心地をその侭弄ぶ風情ではいたが、食い下がってまで埒も無い会話を続ける気にはなれなかったらしい。後頭部で軽く腕を組んで、背後のパトカーに寄り掛かる。 一方の土方はと言えば、眼前の広場で突入準備を進める真選組隊士らの耳や視線を意識して、沖田と下らない遣り取りをしながらも顔色一つ変えてはいない。溜息を吐くなぞ以ての外だ。 「ま。精々ショボいミスでもやらかして腹でも切って下せィ。介錯くらい務めますんで、安心して死んでくれて良いですぜィ」 「丁重にお断りします。……つーか、近藤さんはどうしてる?とっつァんの所はもう出たって聞いたが」 粗方気は済んだので端末を胸ポケットに仕舞い込みながら、気持ちを別所へと切り替えた土方がそう問えば、沖田は空を仰ぐ様な仕草をして見せた。 「道が大渋滞になってるだろうから、ヘリ飛ばして貰って戻った方が良いってとっつぁんに言われたみてーなんで、そろそろ到着する頃合いだと思うんですが」 言う沖田に釣られる様にして土方もまた天を仰いだその時、丁度視界の中に、旋回する報道ヘリとは明かに異なった動きでこちらに向かって来る機影が見えた。額に当てた手で庇を作る様にして見上げた、そのヘリの機体に三ツ葉葵の紋を見て取った土方は、我知らずそっと息を吐き出した。 「……気乗りの問題じゃねぇ。埒の開かない事態にいつまでも留まっている訳にも行かねぇ。急がねぇと──、」 横で同じ様にヘリの姿を見上げている沖田に、先頃切れた遣り取りの延長線の様にそう続けた所で、土方は口を噤んだ。 「?」 不自然に切れた言葉尻に、沖田が怪訝そうな顔を向けて来る。 急がないと。 急がないと? その『先』に何か続けるべき言葉があった筈だと言うのに、何故かそれが上手く出て来ない。表現が見つからない、言葉が浮かばない、と言う訳ではない。そもそも何を言いかけたのだったかさえ解らない。 「…………急がねぇと、また無能だの税金の無駄使いだの、言われる羽目になる、からな」 取り敢えず疑問を追うのを諦め、土方は何処か投げ遣りにそう続けて、ヘリの着陸の準備をしている広場へと向かった。沖田は何か言いたげな顔をしていたが、やがて黙って大人しく続く。 少しづつ薄暗くなりつつある陽の下、誘導灯を振り回す隊士の元に、ヘリがゆっくりと降りて来る。轟音と暴風とに暫しの間土方は目を閉じて、祈る様に繰り返した。 急がないと。 急がなければ、ならない。 そうしなければ── * ヘリのローターの奏でる轟音と暴風とに晒されながら、土方は目を僅かに細めて、そこから降りて来る近藤を迎えた。黒塗りの中型ヘリの乗組員らにブロックサインで礼を告げれば、本庁お抱えらしい生真面目そうな敬礼が返って来た。 そうして再び騒音と風とを引き連れてホバリングする機影を見送ってから、乱された髪や隊服を軽く整え、まだ耳の奥に音が残っている様な違和感を振り切って、土方は漸く安堵にも似た声を上げる。 「近藤さん」 「遅れて済まなかったな。大体の所は聞いては来たが、状況は変わっていないか?」 「ああ、已然籠城の気配は変わらず。施設の自衛セキュリティの所為で迂闊に踏み込めねぇのも変わってねぇ」 土方は本部に向かって歩く近藤の傍らに付いて簡単に状況説明をする。その少し後ろに沖田が続く。周囲では真選組隊士らや警察関係者達が相変わらず慌ただしく動き回っていた。 埒も開かないから潜入作戦を立てた。実行寸前。 説明がそこに至った時、近藤は大仰な程に驚きの表情を作って、思わず足を止めた。数歩先に進んだ土方も慌てて停止すれば、振り返ったそこには酷く狼狽えた様に唸る近藤の姿がある。 驚いた、とか。思いも掛けなかった、とか。そう言った意味合いを持つ表情でも無ければ、土方の立案に対する反論でもなく、誰何でもない。 何か──少なくとも土方の認知していない所に、近藤がそんな表情を浮かべるに至った『理由』があるのだ。そして、近藤自身はそれを土方に対し提言しようとはしない。そんな類の『理由』だ。 「潜入作戦、」 固い声音でそう諳んじて、それから寸時押し黙る近藤の姿を、土方は油断なく見上げた。 良くも悪くも、近藤は隠し事の苦手な質だ。裏表が無い。嘘が吐けない。勝負は常に真っ向から。日頃大将席に座している以上には、それは別段欠点とは言えない。些か正直過ぎて腹芸には向かないとは思うが、そこはそれ、適材適所であると土方は割り切っている。 故に。近藤がターミナルへの潜入作戦に対して何か、土方らに告げられない様な、『思うところ』があるのだろうとは直ぐに気付けた。聡くない人間だとして容易に気付けるだろう。そのぐらいに近藤の様子は解り易い。 近藤が先頃まで居たのは警察庁だ。午前中から松平に呼び出されて何らかの話し合いの席に居た。単なる説教かも知れないし、懸案事項かも知れないし、はたまたいつも通りに娘についての愚痴だったのかも知れないし。或いはその何れでもないものかも、知れない。 と、なると。この現場まで本庁お抱えのヘリで送られた事も、土方の現状報告と潜入作戦の事も。 (『それ』絡み、って事か) 近藤が特別解り易い質である事も、それを近藤自身が噤んだ以上は土方が訊くべきではないだろう事実であるだろう確証も、全く以て忌々しい。溜息を一つこぼした土方が近藤の顔をもう一度振り仰げば、そこには『すまない』と言いたげな面がひとつ。 訊いてはくれるな。答えられないから。──嘘は、つけないから。 大将と言うよりは、慕わしい親友からの葛藤の乗ったその表情と語る所に、土方は下唇に軽く歯を立てながらかぶりを振った。理解と諦めとは組織人にとって等価であるべきだ。そんな枯れた納得を少しでも振り切る様に。 「……どうかしやしたかィ」 緊張にも似た空気を僅か保ったそこに、沖田が空惚けた調子でそう挟んで来るのを、構うな、と仕草だけで躱す。土方程に組織の為の達観を未だ己や職務に見出していない少年は、露骨に眉を寄せて肩を竦めてみせた。 沖田の感情は解らないでもない。土方とて近藤から無理に聞き出すか、松平に直接問い詰めてやりたい心地はある。が。 松平の言葉は警察本庁のものであると同時に、お上のものも同然だ。近藤がどんな話を聞いて来たのかは知れないし、その話がターミナル占拠事件の何に繋がるとも知れない。推論は百と浮かべど実用的でなければ意味がないのだから、賢しい詮索はするだけ無駄だ。 あのサングラス面の向こうには、大概政治的な意図が潜む。近藤に、何かを言及したのやも知れない。真選組の手を出してはならない、何かの存在を示唆したのやも、知れない。 ともあれ、だ。近藤が潜入作戦について何か思い当たりを脳裏に描けど、直接の判断を下さない以上、土方はその侭説明を続けるほかない。 「潜入方法だが、地下のパイプラインのメンテナンス用の道を使う」 溜息を殺した代わりに事務的な声音を殊更意識しながら言って、土方は先頃借り受けた位置や施設検索用の端末を示してみせた。 ターミナルの独立機構の制御用ネットワーク端末に、こちらの技師が接続出来ればセキュリティの掌握や停止は適う筈だ。流石に完璧なスタンドアローン構造である中央制御室などには到達出来ないだろうが、現在もその辺りに留まっているとされる犯人や人質を包囲する事は可能だ。 こちらからも中身の見えない筺は、相手にとっても同様である。敵がターミナル内部の自動セキュリティを動かしている以上、交戦の意志はあり、同時にそれは物量では外を囲む警察組織に敵う余地がないと認めている事にもなる。 無言の籠城の目的は已然知れない。だが、先頃のゲート機構と思しき箇所の爆破と言い、犯人たちはターミナルの内部で何かを未だ目論んでいる筈なのだ。 仮に。会議でも出た話題だが、犯人グループが自爆覚悟でターミナルのエネルギーを臨界爆発させようなどと目論んでいたとしたら、それこそ江戸は一瞬で焦土と化す。大地に穿たれた文明の象徴が全てを滅ぼすとは笑えない話である。 今の所は外部からのエネルギー検知ではその徴候は見られず、炉の制御コンピュータも十重二十重のセキュリティが張り巡らされていると言うが、可能性として棄て切れるものではない。これは籠城に対する兵糧攻めではないのだから、時間は多く与えないのが開城のセオリーだ。 「……それで問題は無ェな?近藤さん」 粗方の潜入作戦のプランを話し終えて、説明は終わりだ、とばかりに切った土方の言い種は、自分で解る程に棘の潜んだものに聞こえた。何となく拗ねている様でばつが悪いと思って、誤魔化す様に咳払いをひとつ。 「人質も要求が無けりゃ意味がねぇからな、とっくに始末されてる可能性もあるが、だからって端から無視を決め込む訳にもいかねぇ。未だ脱出確認の出来てねぇ行方不明者と合わせんなら益々だ。 不明瞭な内部状況を考慮するなら、本来勇み足な強行作戦は執りたかねぇが──」 やってもやらなくても何でかんでと文句を言われるのが現場の人間の辛い所だ。無論土方にはそんな大義名分で責任逃れをしようなどと思う心はないが。 途切れた言葉尻から土方のそんなジレンマは感じ取れたのだろう、近藤は「ああ」と頷くと懐中時計をぱちりと開いて時間を見た。江戸に出て来た頃に皆で金を出し合って贈ったものだ。携帯電話を開けば時刻の解る今でも、古風なその時計を愛用してくれている事は嬉しいと言うよりも何処か擽ったい。 そんな事を思って少し険の消えた土方の表情だったが、それは次の瞬間に微塵に砕けた。 「俺も潜入に参加するからな」 ぱちん、と軽快な音を立てて時計の蓋が閉じるのとほぼ同時に放たれた、近藤のそんな発言に因って。 「────、は?」 目尻を吊り上げた土方の、発した一音の疑問符の先で、近藤は「だから、」と言い置いて続ける。 「俺も一緒に行くと言っているんだ」 別段。それは珍しい事ではない。突入でも斬り込みでも討ち入りでも、大将だからと近藤は常に後ろに控えている訳ではない。無論沖田なり土方なりが傍に居る事が多いが、自らも率先して戦場に飛び込むのが近藤勲と言う男の武勇である。 それが常だからこそ、近藤は己の発言に何ら違和感を憶えてはいない様であった。至極当然と言う様に言い張るその姿を、土方は声にならない罵声と共に見上げる。 「あのな。アンタ人の話聞いてたか?内部の様子も状況も杳として知れねぇ上、件の爆発の影響がどんな所に出てるかも知れねぇんだぞ?単なる潜入でも突入でも無ェんだ、ここはアンタの出る幕じゃねぇ。寧ろ背後で指揮った方が、」 「トシ、」 遮る近藤の声音が宥める調子である事に、土方は噛み潰し損ねた苦虫を口中で持て余した。自分て言いながらも半ば解ってはいた。つまり、近藤が共に行くと申し出るその事こそが、『それ』絡みと言う事だ。 だが、幾ら松平からの(暫定)極秘のお達しがあったとして、それで近藤を危険に晒すのまでは承伏出来かねる。これに関しては仮令お上だろうが天導衆だろうが、土方は頑として頷く心算はなかった。そして近藤の方も、大人しく退く様子もない。 一体松平に何と言われて来たのか。何がターミナル籠城事件の裏にあるのか。知れないからこそ、余計に腹立たしい。 寸時睨み合うに似た両者の狭間で、ぽんと軽く手を打ったのは沖田だった。 「こんな所で局長と副長っぽいのが睨みあってんなァ、士気にも影響しまさァ。どうでしょう、ここは一つ妥協案を用意してみちゃ如何ですか」 指を一本立てて取りなす様に言う沖田の軽い調子に、近藤は眉間の皺を僅か緩めて唸った。確かにこんな、潜入作戦の寸前で大将格の人間たちが言い争う様な姿なぞ晒して良いものではない。土方は猶も噛み付きたい所を無理矢理に堪えて、苛々と舌打ちをした。 取り敢えずこの場にいない上司のサングラスを叩き割る想像をしながら、折れたのは結局、土方の方が先だった。 「……先遣隊にゃ加えさせらんねぇ。まず目指すのはターミナル一階にあるセキュリティセンターだ。制圧して安全が確保出来たら、そこが前線本部になる。追って、アンタはそっから指揮ってくれ」 完全なセキュリティシステムの全権が置かれた部屋ではなく、警備部の詰め所の様になっている部屋である。監視カメラの類の映像は確認出来るし、館内放送機器も備わっている。 そこをまず制圧するのは元より作戦行動の範囲内だ。そこに至るまでの道と安全とを確保するのは土方を含めた先遣隊の役割である。 安全の確保出来た陣地に来い、と言うのは事実上外様扱いにも等しい。だが、本来これらの作戦行動に近藤を参加させる心算の端から無かった土方にとっては、可成りの点での妥協案だ。 「……」 信頼されていない、と言う訳ではない。それは押し黙った近藤も解り切っている。元より爆発物や未知の兵器などを想定した作戦行動からは近藤を遠ざけるのが、土方の主義であった。 沖田はそれをよく過保護と評する。だが、頭が二人揃って共倒れと言う事態は組織にとっては笑い話にも何にもなりはしない。ただの、犬死にだ。 「………解った。先遣隊の制圧が終わったら、直ぐに俺も向かう。それで良いな」 ここが土方の最大限の譲歩に近いものであるのだと、納得した近藤は重々しく頷いた。 その内心に、『口には出来ない』葛藤が──どの様な種類の意味が潜んでいるのか、土方は寸時斟酌しかけて、やはり止めた。それはきっと本来、幕府の狗共が知るべきではない様な類に及ぶのだろうから。 同時に、近藤がそれを諾々と受け入れていると言う事は、少なくとも『それ』が己らの士道に背く様な類のものではないのだと確信はしていた。近藤の様な『正しい』男が、自らの魂に沿わぬ様な事を受け入れる筈はないからである。 「総悟」 「へい」 事態の転がる方角も、転がして良い道筋も解らないならば、解らないなりに。黙っていようがいまいが悪足掻きだけはする。そんな己の性格に正直に従い、土方は溜息混じりに沖田を振り返った。 「一番隊の半数程度を先遣の三番隊に合流させろ。人員を見繕うのは任せる。残りは後発隊に回して、後から来い。お前は近藤さんから絶対に離れんな」 いいな?と最後を強い調子で言う土方に、沖田は口元にだけ笑みを浮かべて言い切った。いっそ朗らかな調子さえ乗せて。 「そんなの言われるまでもありませんぜィ」 * 16:40 ----------------------------------------------------------------------------- 土方を含む先遣隊が、現場近くに点在する厳重に囲われたマンホールの幾つかへと消えて数分。 地下と言う場所柄、無線や通信機の類は暫く不通となる。GPS探知機が辛うじて居所の予測位置をトレースしてはいるが、それは飽く迄作戦の時間推移を計る目安であり、正確な安否確認の出来るものではない。 仮設本部に運び込まれたモニタや通信機器を落ち着かなさげにちらちらと見遣る、現場責任者達の中に近藤はいた。腰を下ろすパイプ椅子のその傍らには沖田が控え、緊張する一同とは対照的にも、退屈そうに欠伸を噛み殺している。 近藤が松平にそれとなく言われたのは、犯人の無事な確保だ。その目的達成自体は、隠し立てするまでもなく、逆に特別に願い出るまでもなく、土方や真選組の面々の技倆ならば問題なくこなせる筈である。近藤が土方と言い合いをしてまで先遣隊に付き添う必要性は確かに、無い。 だが。 松平も口にした、焦臭さ。相変わらず何のリアクションもない犯人グループの目的と正体。得体の知れないものへと部下を、親友を何も知らせずに立ち向かわせるのは、正直抵抗がある。 ならば話せば良いではないか、とは思う。犯人を無傷で、生かして確保する様にと、そう一言言えば良いだけの話では、ある。 だが。松平はこうも言ったのだ。『オジさんは危ねぇ橋は渡りたかねぇ』そして、『手前ェがどうするかは、手前ェで考えろ』と。 松平には事の真相か或いはそれに近いものの予測は恐らく立っていたのだ。そして、それは手を出してはならないものであると悟っていた。同時に、だからと言って看過するには問題がありそうなものであるとも。恐らくは。 警察庁長官としては、松平の破天荒な性格は少々問題のある所だが、それはあの男が警察庁長官として相応しくないと言う問題に直結する訳ではない。逆に。あの男は少々の痛みを伴わせようとも大局的な結論を見据えて動く手合いだ。一人死ぬのと百人が苦痛を負うのとでは、前者を躊躇いなく選べる男だ。 そんな松平が、適うならば是正の好機を、とわざわざ近藤に言って寄越したのだ。土方に言わせれば体よく嗾けられたと言う言い方になりそうだが、聞いた以上は黙って看過出来ないのが近藤の性分である。 なれば、土方にそのことを正しく告げておくべきなのではないか、と。近藤は僅かに考えはした。その懸念さえ念頭に置けば、土方ならば敵も味方も解らぬ中でも上手く立ち回ろうとするだろう。確信も信頼もある。 だが、問題はそこにはない。 『知っているか』否か。 だからこそ、松平は『手前ェで考えろ』と言ったのだ。つまり、事は犯人の確保が問題なのではない。犯人達が、春雨の偽装などと言う事をやらかした──『偽装』と言う事実そのものを知っているかどうか、が問題なのだと、言ったのだ。 例えば。事件解決の後に、犯人が宇宙海賊春雨であると見なされたとして。犯人の目的が『そこ』にあったとして。それを命じた者が、春雨と──引いては天人と敵対する幕府内の一派だったとしたら。政治的な狙いがあって、こんな大それた計画を立てたのだとしたら。 ”それは偽装だ。犯人は春雨でも天人でもない。”そう、証言する幕府の狗が居たとしたらどうなるだろうか。 ………決まっている。証言も狗も恙なく処分されるだけだ。今なら、このターミナルと言う筺の中であれば、幾らでも誤魔化せる。 恐ろしいのはそこだ。そここそが、近藤が口を噤むほかない理由だ。 幕府の目論みであるとしたら、敵は真選組の、警察の内部にも潜んでいる可能性が高い。身内を疑いたくはないが、話などどう漏れるか知れない。どう漏らされるかなぞ知れない。 故に、近藤の出した結論は、土方が、『それ』をまるで知らなければ良いと言う事だった。松平の言った通りに、巻き添えを作らぬ方法を選ぶ事にしたのだ。 潜入の中に自分が加わって、自分の手で犯人と真実とを確保するしかない。そうすれば最悪、被害は最小限に留められる筈だ。真選組のお取り潰しにでもなれば、それこそ取り戻しがつかない。 知らぬふりをして上手くやれるかどうか。 そもそも、ここまでの可能性の列挙自体が未だ推論にしか過ぎない事である。危険を被るのは最小限で良いと、近藤は楽観的にそんな事を考える。 「そろそろ、先遣隊がターミナル地下に入ります」 モニタリングをしていた技師がそう声を上げるのに、本部の人間たちの視線が集中する。ターミナルの敷地に入れば、位置情報端末との通信は復活するのだ。後は先遣隊がセキュリティをかいくぐって警備室に到達すれば、ターミナル奪還の足がかりになる。 通信機の向こうからはノイズ音しか聞こえては来ない。実際地下を走り回っている連中同士は無線で遣り取りが可能だが、地上からはそうも行かない。携帯電話のアンテナの敷設をするか、などとお偉いさんの誰かが苦々しい調子で紡ぐ冗談が、いつまでも通じないノイズの合間に虚しく響いた。 そんな中、モニタの一つに、ターミナル地下へと先遣隊が入った事を示すマーカーが不意に点灯した。マッピングされたその位置を確認すれば、それは土方たちの隊だった。 「無事辿り着いたみてーですねィ」 ターミナル地下、メンテナンスエリアを俯瞰する様なワイヤーフレームの地図上に、赤い光点がちかちかと明滅している、その様は沖田の口にした通りの結果だ。取り敢えず潜入は成功した。後は帯同させている技師らの意見を仰ぎつつセキュリティを回避していくだけの作戦行動になる筈だ。 見る内にも、ばらばらに各所から侵入した光点の数が増える。作戦通りの、六つに分けられた隊と同じ数だけ。 ほっと、誰ともなく胸を撫で下ろしたその時。 無情にも、縋る術の光点が、消えた。ひとつ、ふたつ、みっつ──見る間に六つとも。点灯した事が気の所為だったかの様に、全て消失した。 なにがおきたんだ。 誰かが掠れた声で呟く。通信機のノイズは已然として何も答えぬ侭。地図から光点は消えた侭。 近藤は顔色を無くして、その場にふらりと立ち上がった。 単なる、通信機の、ビーコンの不具合かも知れない。犯人側からの妨害工作の様なものかも知れない。気休めは幾つか浮かんで、然し直ぐに弾けて消えた。 こんな偶然が果たして起こり得るのか。 否。 甘かったかも知れない、と近藤は茫然とした頭で思う。 『敵』は、端から何者かに邪魔だてなぞさせる心算は無かったのだ。 知る、知らぬに拘わらず。 。 /5← : → /7 |