誰も知らないひとつの叫びのために世界はある / 7



 17:13
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 目を開くよりも先に口が開いた。胸の裏側に鈍痛が走り、その感覚は息苦しさを齎す。
 衝動的に、こふ、と咳き込めば喉がカサついてひりひりとして、どうやら己は相当に埃っぽい所に居るらしいと土方は察した。
 目を開いていなかった訳ではない、とぼんやりと気付いたのは、目の中に砂埃が入る痛みに思わず目蓋を閉じた事でだった。何も見えないと言う事に一瞬、目がやられて仕舞ったのかと考えるが、次の瞬間には単に視界がゼロに等しい暗闇にあるだけだと理解する。
 仰向けに転がっているのは解った。手と足の感覚を手繰って、四つともが取り敢えず繋がっている事に安堵する。だが手足のみならず胴体もあちこちが酷く痛むので、全くの無傷と言う訳でもなさそうだったが。
 呻いて身じろごうとすると、胴の上に圧迫感があった。どうやら何かの下敷きになっているらしい。動けるだろうか、と手足を突っ張れば、背中がずるりと滑る感触がした。何かが身体の上に乗っている様だが、潰されるには幸い至っていなかったらしい。横向きに転がるには上下の隙間が足りそうもないので、土方はその侭慎重に背中で這いずって、何かの下から身体を引っ張り出した。
 布団にしては固すぎるものを選んだ様だ。そんな冗談を力無く考える内、取り敢えず身体は自由になった。座り込んだ侭辺りを見回すが、已然辺りは暗闇で何も伺えない。手探りで、今し方抜け出た『布団』を触ってみれば、鉄製の足場や配管の破片か何かだろうと伺える。上から降って来たのは間違いないが、偶々に土方の身体の致命的な部位には落ちなかったらしい。少しでも位置がずれて、潰されていたらと思うとぞっとする。
 口中の砂利を不快感と共に吐き出せば、途端肺に鈍い痛みが走った。先頃感じた、胸の裏の痛みだ。流石に瓦礫の様なものたちの布団に潰されかかっただけあって、やはりまるきり無傷とはいかなかった様だ。肋骨をやっているだろう可能性は想像に易く、土方は溜息を殺してそっと息を吐いた。
 真っ先に確認した右手は掌に擦り傷程度しか負っていない。左手は降り注ぐ残骸から無意識に頭を庇った時に打たれでもしたのか、手に痣や擦り傷が出来ていた。脚には目立つ外傷は無さそうだったが、右足首が立ち上がろうと動かすと痛んだ。捻挫でもしたのだろう。後は、満遍なく全身を打ち付けたのだろう鈍痛が、数えるのも馬鹿馬鹿しくなる程に幾つも。
 続けて頭の上へと手を動かしてみれば、辺りにはどうやら同じ様な残骸たちが点在しているらしく、手にごつごつとした破片が触れるのが解る。取り敢えず自分の座る位置は開けていたが、視界が殆ど効かない闇の中で余りゆっくりしている気にもなれない。
 上を見上げれば、遠くに僅かの光量が確認出来た。ここに至るまでの状況を具に思い起こしてみれば、恐らくあそこから落下して来たのだろうと察しはつく。
 下水からエネルギー供給パイプラインの張り巡らされた区画に出るまでは何も問題は無かった。非常用の防火扉を、念の為に電源を落として手動で開いて立ち入ったその区画は、大凡地上の江戸の風景とは趣を異にした場所だった。張り巡らされた管の各所にはメンテナンス用の通路や梯子が完備されており、定期的な整備の為に人が度々立ち入っているのだとは知れた、が。
 自分たちの足下に拡がる、地上の風景とはまるで異なった異世界。侵入の為の作戦行動とは言え、ここはまだターミナル内部ではない。故に隊士らの顔にも緊張の他にちょっとした物見遊山の気配が浮かんでいたのは確かだ。
 土方は無線を用いて残る五班との動きを合わせながら、作業員に案内される形で上を目指した。地下にはエレベーターを動かす訳にも行かない為に延々と梯子を下って来たのだが、その降下距離を考えれば、現在位置は地下六階程度に相当すると言う。それでもまだ下方に雨水処理の水路などが走っていると言うのだから、正しくここは地上とは別の世界に等しいだけの拡がりを持った空間であると思う。
 行軍距離は想像した以上には長くなく、程なくしてターミナル地下に繋がる扉へと一行は辿り着いていた。予想通りに、扉はセキュリティ起動した防火シャッターに遮られており、それは他の扉の前に到着した五班の前でも同様。
 電子ロックのかかった防火シャッターの強度は専用の機材でも持ち込まねば破れない程度。こう言った事態の想定はあったが、電子カッターなどの工具は荷物になる為持ち込んで来ていないし、何より今は未だ突入ではなく侵入の段だ。
 土方は当初の予定通りに、シャッターの外に熱源反応などが無い事を調べさせた後、電子ロックを技師に開かせる様命じた。確認はしてみたが地上との交信は已然不通。情報端末のビーコンは届いているかも知れないがそれを確認する術もない。
 技師がロックを解除するまでは正味十分もかからなかった。予めあらゆるセキュリティを突破する為のプログラムを仕込んだ端末を全班持ち込んであったので、接続さえ叶えば解除までは素人扱いでもほぼ自動である。
 ターミナル地下、各エリアに散った六班はタイミングを合わせ、一斉に防火シャッターを開いた。
 僅か。きゅるきゅると音を立てて引き揚げられるシャッターの隙間から、漏れ出る様な薬品臭を嗅ぎ取ったのは土方だけではなかった。
 職業柄、真選組隊士はあらゆるケースのテロの鎮圧に対処すべく日々訓練を行っている。人斬り集団だのと言われるのはその極一部の技能に因るものでしかない。
 彼らは常々己の命を危険に晒す現場に立ち向かう為、危機察知の能力には長けている。況して今は、侵入や潜入と言う危険の直中に放り出されているのだから、猶更だった。
 漂う異臭に、土方は咄嗟にシャッターを見た。既にその高さは人間の腰程度まで上げられている。
 そこに、結びつけられた紐の様なものが目に入った。
 「──」
 全員退避。口を開いた土方が怒号を上げるのとほぼ同時に、各員は一斉に動き出していた。恐らくは、他の五班も同様だろうと確信もある。
 全員が一斉に細い通路を逆戻りに駈ける。道は直線だった。角などはない。通路を抜けた先の空間に出るまでは、逃げ場がない。
 危機察知には疎かった技師と作業員を先へ押し遣り、土方が最後に続くのとほぼ同時に、完全に開かれようとしていたシャッターから、がらん、と大きな音が響いた。紐に括り付けられていた消火器かボンベか、とにかくそう言ったものが加重に絶えかね落下した音だ。
 瞬間。散った火花がシャッターの向こうに満たされていた可燃性ガスと反応し、爆発したその衝撃が一同の身を打った。
 細い通路での爆発は、銃身と同じだ。一所に集中した爆発のエネルギーは衝撃そのものとなって吹き抜け、広くなった地下空間へ一気に噴き出す。
 悪いのは、足下がメンテナンス用の仮設通路だった事だった。まるで何かの冗談の様に天井から下がる支柱を折られて傾いた足場が崩落し、幾人かが辛うじてパイプに飛び移って逃げるのが見えたか、見えないか。その位のタイミングの時には、土方の身体は傾いた通路を滑って宙に投げ出されていた。
 落下の途中で、配管か何かに身体を強く打ち付けて、尚も襲い来る落下感と衝撃とに意識がふつりと途絶えて──
 そうして気付けばこの状況である。
 (………あれだけの高さから落ちて、ほぼ無傷ってのは不幸中の幸い、か?)
 先頃目の前に見た防火シャッターの大きさを考えて、大体の落下距離を想像する。上方には大小様々な太さの配管や電線が点在しているので、そう言ったものに衝突した事が幾分衝撃を和らげるクッション役になったのではないかと思うが、それにしたって運が極めて良い事は事実である。下手をすればその侭落下死している所だった。或いは上から降って来たこの、通路の残骸達に押し潰されて圧死している所だった。
 暫く意識を失っていた様だが、果たしてどれだけの時間が経過したのか。少なくとも上方に真選組隊士の姿や立てる物音は聞こえて来ない。退避の叶わぬ有事の際は当初の目的地であるターミナルのセキュリティセンターを目指し、通信回復と後発隊との合流を行えとは予め出してあった指示だ。それは、落下して行方不明の指揮官を捜す事より優先すべき事だ、とまで具体的には言っていないが、まあ部下達の判断が正しければそうしているだろう。
 埃っぽい隊服の表面を軽く叩いて、それから土方は思い出して位置情報端末を探るが、入れていた筈のポケットには見当たらない。代わりに取り出した携帯電話の液晶パネルを翳して、その発する僅かな光量を使って辺りを見回す。
 そう探し回るでもなく、ポケットから飛びだしたらしい端末は直ぐ傍に落ちていた、が、当然の如く壊れていた。あちらこちらに衝突した土方とは異なり、ほぼダイレクトに落ちて来たのだろうか。人体より脆い機械に思わず舌打ちする。
 ビーコン機能が動いているかどうかも微妙だが、当面持ち歩く意味もなさそうだ。諦めて土方は、うんともすんとも言わなくなった端末をことりとその場に置いた。
 続けて携帯電話の、液晶ではなく背面のLEDライトを点灯させる。光量は増えたが細く、バッテリーの消耗も激しくなるので、手早く周囲を照らし出して辺りを確認していく。
 先頃まで居た、ターミナル地下へと続くメンテナンスエリアの、ほぼ直下の様だ。崩落した通路と共に落ちて来た事で、辺りは惨憺たる有り様であった。電線やパイプが巻き添えになって幾つか同じ様に落下してきており、想像した通りに土方があわや潰されかかっていたのはそれらの残骸に因る物だった。
 地上で停電などが起きていなければ良いがと思いながら、周囲を見回した土方は続けて足下を光で照らしてみた。と、そこで黒い隊服を纏う見知った顔の亡骸に出会って仕舞い、顔を顰める。
 「おい、」
 声を掛けても無駄なのは、ひしゃげた頭部を見ても明らかだったが、それでも土方は声を上げながら膝をついた。同じ様に落下して来た部下の一人だろう。己は運良くも長らえたが、この男はそうもいかなかったらしい。
 偶さかの何か──『何か』としか言い様のないものが作用した。だから、こうなった。こうなる筈ではない岐路もあったかも知れない。──あったのだろう。けれど。
 俯いた土方は「すまねぇ」と小さく呟きを落として、それから隊士の胸ポケットから警察手帳を取り出した。それを自分のポケットへと押し込むと、後で迎えに来る、と胸中で続けながら立ち上がる。
 防火シャッター──ターミナルへの接点であり侵入口であるそこに、罠が仕掛けられている可能性は考慮していた。セキュリティ用の攻撃タレットぐらいは配備されていてもおかしくないだろうとは提言してあったが、シャッター外からのスキャンではそう言った熱源反応は無かった。人間もいなければ機械もない。そこが油断だった。仕掛けられていたのは実に原始的な機構。
 防火シャッターは二枚構造になっている。外部から両方を同時に開く事は叶わない。そのシャッターの同士の間の距離は5米程度の密室。ダクトなどを用いればそこに可燃性のガスないし気化した液体燃料を満たしておく事ぐらいは容易だ。
 あとは火種。ガスであれ気化燃料であれ、僅かの火花があれば一気に連鎖爆発を起こす。土方が煙草をくわえていなかったのは幸いだったかも知れない。まあ、ガスの臭いを検知する以前に、侵入作戦中だから消してはいただろうが。
 ともあれ、火種はシャッターに紐で括り付けられていたボンベや消火器だった。シャッターが開いて行く事で持ち上げられてやがて落下する。衝撃で爆発。
 それ以前に、ボンベのぶつかる音に驚いて発砲しても爆発するし、そもそもシャッターを物理的に切断ないし破壊しようとした時点でも爆発していた。完全に、侵入者への殺意しかないデストラップだ。
 突破するとしたら、僅かに開いたシャッターの隙間から換気をするか、コントロールルームの類で空調を制御して排気をするかしかない。前者であれば予め知っていなければ出来ないし、後者はそもそも内部制圧が成功している事が前提である。
 ガス検知機の類までは流石に持ち込んでいなかった。想定外だ。仕方がない。
 言い訳の様に巡る思考にかぶりを振って、土方は眼下の部下の亡骸からそっと目を逸らした。落下したのは自分と、この一人ではなかった筈だ。残る五班の事も考えれば、被害はどんな規模になるだろうか、仲間はどれだけ無事でいるだろうかと、不安と懸念ばかりが募る。
 すまねぇ、と──『何』に対してかもう一度そう呟きを落として、土方は携帯電話のライトを再び周囲へと向けた。落ちたのは恐らく最下層に程近い。なんとか上に昇る道を探す必要がある。
 床をゆっくりと照らしていけば、程なくして地面にペイントされた文字を発見する。上から俯瞰して丁度良さそうなその大きな文字を判読すれば、E-774とあった。区画番号だろう。
 ここに来る迄に確認していた地図情報を思い起こして、どんぴしゃとまでは行かずとも、大体のアタリを付けて、土方はライトを消した。目は先頃よりも大分に慣れている。自由が利くと言う程ではないが、幸いにも足場は平坦そうだ。そう躓く事もあるまい。
 念の為に携帯電話の液晶パネルを見てみるが、当然の如く『圏外』とあった。時刻は17時13分に丁度変わった所。30分近く気絶していたらしい。とんだタイムロスだと思いながら、ぱちりと蓋を閉じる。
 再びの暗闇に転じた世界の中で、土方は手探りで近場に伸びているパイプを掴んで、それを辿って歩き出す。エネルギーの供給源がターミナルなのだから、見当はずれの方角に進む事はまず無い。
 耳を澄ませば遠くの方で水の音がした。下水に流入している地下水の通る水路だろう。そこを辿れば下水道、外には脱出出来るだろうとは思うが、こうなって仕舞った以上戻るより進む方が得策である。
 敵が、トラップで土方らを始末出来たと思っている可能性は高い。縦しんば生存した隊士らの存在を確認していたとして、地下に落下して生きている土方の存在までを感知しているとは到底思えない。メンテナンス作業員の証言では、メンテナンスエリアには監視カメラの類は一切無いと言う話だ。
 (突入、でも、侵入、でもなく。本当の意味で潜入になったな)
 負傷はしているが動けなくなる程ではない。刀も無事だ。使える自信もある。
 何より、時間も大分空いて仕舞っている。こんな穴の底で救助を待つのなぞ端から論外だ。
 吉となるか凶となるかは知れない。だが、犯人に気取られる事なく内部を動き回れると言うメリットは大きい。
 詰まる所。土方が大人しく養生している理由なぞ何一つとして無かったのだ。







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