猫と副長の七日間 / 4



 正直、馬鹿馬鹿しい話だと思った。そう笑い飛ばすつもりが、図星と思い至って仕舞った為に、当初憶える筈だった馬鹿馬鹿しさは厭な可能性の論へと飛んで土方を大いに苛んだ。
 それだけと言えばそれだけの話。
 あの寝てばかりの図々しくふてぶてしい猫が、坂田銀時と言う人間に何となく似ている様に思えた。などと言う、馬鹿馬鹿しさを通り越して仕舞って、惚気にさえ聞こえそうな話。
 だから有情であった──のかも知れない──などとは誰にも知られたくはない。思われたくもない。ただでさえ『猫を可愛がっている副長』と言うよからぬイメージが生じて仕舞うやも知れないと言う事態だと言うのに、これ以上余計な風評が加わると言うのは土方にとっては何よりも願い下げな事だった。
 (…まあ、万事屋ぽいったって、山崎が指摘したのは毛色程度のもんだ。あいつが日頃からぐうたらしてる姿なんざ、具体的に知ってる奴もそうそう居めェ)
 万事屋稼業が不安定で不定期な収入の物語る通りのものである事は事実だが、だからと言って銀時の日頃の生活態度までそれに沿ったものである──、とまで知る者は多分に多くは無い筈だ。少なくとも真選組には(山崎や沖田以外には)居ないだろう。斯く言う土方とて日がな一日銀時の観察をしていた事など無いのだから、本人の口から聞く以上の日常などと言うものは実の所知り得ていないのだが。
 「………」
 そうだ、偶々住み着いた猫が偶々万事屋に似てなくもないかな?と思えた。その程度の事だ。
 無理矢理そう整えた結論を三度胸の底で唱えた所で、土方は溜息を吐くと歩いていた足の動きを止めた。街路の端に移動してからの停止だから、誰も足を止めた土方の様子に頓着などする事無く流れて通り過ぎて行く。
 (関心なんてのァ、思う程には無ェもんだ)
 この、猫の一件も少し自分が考え過ぎていただけだ、と改めて笑い飛ばそうとした所で、然し土方の口端はぐっと下がった。重たい前髪の下で眉が盛大に寄っているのは意識しなくても解った。
 立ち止まったそこは、繁華街からは少し離れた、飲み屋やら花屋やらの各種商店が軒を連ねる界隈。最近見慣れて来た町の雑多な風景の一つで、特に歩き慣れた区画だ。
 自然と視線の行くスナックは、まだ日も高いからか暖簾も出ていない。そこから上へと視線を動かせば、万事屋銀ちゃん、と書かれた大きな看板が目に入る。
 巡回目的で歩いていたつもりが、考える内に無意識に道を辿っていたらしい。その事実の方が、情人に似ている気のする猫がどうのと言うより問題である気はしたが、土方はそれを無理矢理に飲み込んだ。どうせ今は自分一人しかこの場に居ない。
 (…そう、まるきり目的が無かった訳じゃねェんだ)
 最早誰に大しての強がりなのかは解らなかったが、無理矢理にそう思って、土方は目的地になる筈の建物の、二階へ続く外階段へと近づいて行った。と、外階段に足を掛けた所で階段を下りて来る足音に気付いてそこで停止する。
 《こんばんは、土方さん。銀時様にご用事ですか?》
 機械の無機質なアナウンスにも似た音声に顔を起こせば、箒を手にした、整った容姿の機械(からくり)の娘の姿があった。階下のスナックの従業員のたまだ。土方にとって知らない顔では無く、またたまにとっても真選組の人間は知らない存在では無い為、それはごく普通の挨拶だ。他意など勿論無い。筈の。
 「……まぁ、そんなもんだ」
 掃除中だったらしい彼女に道を空けてやりながら一応は頷くと、綺麗な姿勢で一礼をしたたまは階段を下りた所で、然し立ち止まった。珍しい所で珍しい人間を目撃したとでも思っているのか、それとも特に意味も無いのか、感情の読めない無表情でじっと見上げられて、土方は居心地悪く身じろいだ。
 「…何だ、俺が万事屋を訪ねるのはそんな珍しいもんか?」
 土方が単身で万事屋の建物を訪う事自体は確かに珍しい事かも知れないが、日頃情人と言う関係を隠してはいても、銀時と土方との接点は無論ゼロではないのだ。それは二人の保つ関係である所の、万事屋と真選組副長との、と言い換えても差し支えは無い。
 土方の問いに、然したまはふるふるとかぶりを振った。
 《いいえ、そうではありません。ただ、今は訪ねられても無駄足になるとお伝えした方が宜しいかと思いまして》
 「?」
 無駄足?と正直な疑問符を浮かべた土方に、たまは今度は首を上下させて頷いた。
 《はい。銀時様、神楽様、新八様はただいま留守にしておられますので》
 「…………」
 たまの口から出た言葉が少々予想外のものであった為、土方は数秒固まった。時は平日の昼下がり。一般的な勤め人ならば午後の仕事に励む頃だが、就業時間が不定の万事屋では大体の場合暇を持て余して昼食を胃の中で消化しつつ転がっている事が多い。
 依頼があって働いている、とはなかなか想像に至らなかった己を土方は正直に恥じつつ、少々万事屋の面々に申し訳なさの様なものを憶えて咳払いを一つ。誰にだって珍しい事ぐらいある。それこそ真選組の副長が万事屋を訪ねると言った事の様に。
 「あー…、その、依頼、か?」
 《はい。お登勢様の話では、長期の依頼との事で皆さんで出かけて行かれたそうです。戻りがいつになるかは解らないとも仰っていました》
 土方の目の游ぐ先など気にしない真顔で言うと、たまは再び一礼してスナックの方へと戻ろうとする。「待った」とその背をつい呼び止めて仕舞ってから、土方はそんな己の行動に若干の困惑を憶えた。
 《何か?》
 振り返るたまの、感情の伺えぬ紅い眼に見つめられて、己がどんな馬鹿な事を考えているのか、それを思い知らされた気はしていた。機械(からくり)の思考は論理的で科学的だ。その機械に対してこんな可能性の問いは恐らくナンセンスに違いない。然し土方は己の裡に漂う奇妙な符号を拾い上げてみる事を選ぶ事にした。
 「万事屋は…、その、いつ、依頼とやらに出かけたか解るか?」
 土方が銀時の姿を見た最後は、四日前の事だ。夜、公園で待ち合わせて飲みに行って、ホテルにしけ込んだ。その後深夜には土方は屯所へと戻っている。だから、銀時も大体同じ時刻に帰宅している筈だ。
 そしてその翌朝、件の猫の侵入を許した。銀時にそこはかとなく似ている、猫の。
 土方の問いを、当然だが通常通りの疑問として咀嚼したらしいたまは、少し考える様な仕草をしながら、然し機械らしく恐らくは正確なのだろう記憶──或いは記録か──を告げて寄越す。
 《少なくとも、私が最後に銀時様を目撃したのは四日前の夜、何処かへ出掛けた時になります。家に帰られたのが何時かは解りません。何分、銀時様が酔い潰れてまともに家へと戻らない事は余り珍しくも無い事ですので、特に記憶してはいませんでした》
 「……そう、か」
 途切れた、四日前の夜、と言う言葉に土方はその先を問えずに思わず目を閉じた。噛み締めそうだった煙草を唇から抜き取ると、新鮮な酸素を吸って、吐く。
 これは予感ではない。ここまでは単なる偶然で片が付く。或いは違和感と言う言葉だけで。未だ可能性などと言うものにすら昇華出来ない、そんなもので済む。
 突然現れた猫と、それに似ている様な気のする人間。ただ、その目撃証言が同じ時点で途切れていて、その直後から代わりの様に新たな目撃例が生じただけの交差の偶然。未だ、ここまでならば単なる偶然の笑い話だ。
 然し土方のそんな胸中の葛藤を知ってか知らずしてか、たまは抑揚の少ない声で続ける。
 《その日は銀時様の誕生日でしたので、祝杯を皆様であげていました。ですが、急ぎの用事があると言って途中で出かけて仕舞われたのです。恐らく個人的にお酒を楽しみに行ったと思われますので、帰りに酔い潰れて仕舞う可能性は高かったと思われます》
 「……………え、」
 我知らずこぼれた間抜けな一音を、然したまは拾いはしなかった。問われた疑問を解消した先に特に何も土方が続けなかった事で、もう用事は終わったと判断したのだろう。ぺこりと再度の綺麗な一礼を取ると、未だ電気の点いていないスナックの中へとその後ろ姿は消えて行った。
 それを追う言葉も意味も思い当たらず、土方は指に挟んだ煙草を落とした事にも気付かずに呆然とその場に立ち尽くしていた。
 四日前の、夜の待ち合わせ。金木犀の香り漂う夜の公園で、何処か物憂げに土方の訪れを待っていて、然し何処か穏やかな態度で迎えた、銀時の。腹の底に『何か』を飲み込んだ。様子。
 「………」
 思い起こして初めて、土方はあの日が銀時の誕生日と決められていた日であったのだと気付いた。否、知った。
 珍しい待ち合わせも、口論にはしなかった態度も、何処か物言いたげであった本心も。多分、今ならば思い起こした銀時の表情や態度や口調全てから知れただろうに。解ってやれただろうに。
 (……馬鹿か、あいつは)
 己の態度がいつも通り、或いはそれ以上のぞんざいなものであった事は今更思い出すまでもない。だから土方は舌打ちをして、記憶の中の銀時の顔面を思い切り殴った。何か特別な思いでもあるなら、そうはっきりと言えば良いものを。物言いたげにだけして結局飲み込んで、後からこうして罪悪感で苛むなんて卑怯だと思う。
 無論、銀時の誕生日などと言う日を忘れていた己も己なのだが、少しふざけた態度で構わないから、祝えとでもいつもの図々しい物言いで言ってくれれば良かったのに。そうすればきっと──、
 (……、待てよ?)
 過ぎた記憶にケチなどつけても仕方がない。然し土方がその無意味に過ぎる思考から戻ったのは、不意にあの夜の記憶が蘇ったからであった。そこに引っかかりを憶えたからで、あった。
 口喧嘩の火蓋を切りそうになっていたその時、野良猫がまとわりついて来て、話は中断された。何だか興の削がれた様な気分の侭、土方はしゃがんで猫の背を撫でた。
 あの時、そんな土方を見つめて、笑いながら、銀時は何と言った?
 
 "俺いっそ猫かなんかに生まれたかったわ。したらオメーの部屋でずっとダラダラ寝て過ごすのに"
 
 「…………馬鹿な」
 溜息は罵倒に似た響きで否定の言葉を紡いだ。
 だが、土方の脳裏にはぐるぐると幾つもの符号が舞って、已まない。それが一つの可能性と言う馬鹿馬鹿しい画を描こうとするのを、止められない。
 四日前の誕生日。待ち合わせた場所に居た猫。戻らなかったらしい銀時。朝、現れた猫。寝てばかりの、銀色の様な色彩をした、猫。
 望みの様に口にした、猫として土方の部屋で寝て過ごすと言う、ただそれだけの言葉。
 「馬鹿な」
 再び落ちた言葉は震えて、口元を覆った手のひらの中へと吸い込まれる。
 証明するものは無い。確かだと思う要素も無い。ただ、それから『人間の』彼の姿を土方が偶々見ていないと言う、たったそれだけの事がこの可能性の画を描こうとしている。
 符号が、想像が、偶然が、可能性が、馬鹿な話が、望みが、一つの画を脳裏に完成して仕舞うより先に、土方は地を蹴ってその場から駆け出していた。
 銀の様な色をした、寝てばかりの忌々しい猫はきっとまだ部屋に居る筈だ。







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