天国の日々 / 13



 土方との事を思い出すと必ず夜の風景だった。
 ……などと言う爛れたイメージが確かに正しいだろう関係ではあったが、その時はよもや、こんな風に落ち着いて寝顔などを拝める日が来ようとは思わなかった。
 (……その程度しか楽観的な要素無ェのかよ我ながら)
 椅子に座って腕を組んだ姿勢。難しい顔で銀時は嘆息した。
 人が多く出入りする病院と言う場所柄、日中の方が不審者は紛れ込み易い。が、こうして横に護衛が四六時中貼り付いている状態では手も出し辛い。念の為を思って、定時に運ばれた食事も適当に時間をずらしてから摂った。護衛が規則正しい生活習慣を遵守するなど、パターンを読んで狙ってくれと言わんばかりの話だからだ。
 ともあれ、日中に手を出し辛い状況を作る様心掛けていたのもあって、銀時は夜にこそ気を張っている様に心掛ける事にしていた。
 その為に、周囲に注意を払う事は忘れ無いが、思考は取り留めもなく停止せずにだらだらと流れて行く。今の議題は、土方の静かな寝顔についてだ。
 そう言えばコイツの寝顔なんぞ真っ当に見た事無かったかな、とふと気付いたのだ。閨は共にしても、それだけで帰る事の方が多かった。朝を同衾した状態で迎えた回数がただでさえ多くない、そんな所に持ってきて、大概の場合の土方の寝相と言えば、まるで籠城する様に寝床の隅で一人布団にくるまって身体を丸めて眠っている様な状態なのである。
 互いに寝床などを自由に選べる生活をしていなかった事は知っている。故に環境を問わず眠る──身体を休める程度の睡眠であっても──事は出来る。眠りは浅くとも最低限必要な休息を効率的に得られる様に身体は慣れているのだ。ふわふわの寝台の上であってもそんな寝心地の悪さを態と選ぶ様な眠り方は、何時何が起きても瞬時に覚醒出来る様心がけていると言う事だろう。隅で丸くなっている黒猫か何かにしか見えない土方だが、例えば携帯電話が鳴るなり物音がするなりすれば、即座に飛び起きて寝台の横に立てかけてある刀を抜くに違いない。
 つまり土方は、油断の出来ない身を銀時との逢瀬の際にまで意識から手放せず、だが疲れているから休息は取りたい、と言う事だ。そんな鋼鉄の意思を不自由な眠り方に見出して仕舞えば、無理矢理布団から引っぺがしてその顔を見てやる気にもなれなくなる。寧ろ全面的に降参するほかないだろう。
 付け加えて、銀時は基本的に埒も無い様な会話が嫌いではない。一瞬先にはどうでもよくなる冗談の類や、言葉で土方の感情の起伏を好きに突いてみるのも楽しんでいたし──土方にとっては迷惑なものだったとは想像に易いのだが──、まあ要するにだらだらとピロートークを、互いに眠くなるまで交わしてみたいなどと密かに思っていたものだった。
 とは言え、セックスも一人では出来ないが、会話も一人では出来ない。一戦終えて風呂に行って仕舞えば、土方は行為の最中の献身ぷりはお湯と共に流して来ましたとばかりに、『いつも通り』に戻って帰るか寝るかに移行する。まあセックスの後に上機嫌でペラペラ喋る男と言うのもどうかとは確かに思うのだが、如何にも疲れましたと言う風情で居られると言うのも流石に淋しいものがある。
 翌朝のシフトが早番とかなら疲労の解消と言う意味では理解を示せないでもないのだが、非番であってもこれが全く同じなのだ。「寝る」と一言素っ気なく言って、まあ本当に疲れてはいるのだろうが、そっぽを向いて警戒を保った侭泥の様に眠って仕舞う。そんな土方が安堵の眠りに落ちる所なぞ、真っ当に見た憶えが銀時の記憶に無かったのも致し方ない。
 (…………まぁ……こんな形では、避けたかったけどな)
 それは当たり前の話だ。銀時とて、土方の寝姿を存分に拝めると言うのであれば、願わくばもっと健全な場所で幸福を感じながらにしたい。間違ってもこんな、何かの変容する境界の様な処に立ちたくなどは無い。
 一つ感情が揺らげば崩れ落ちて仕舞いそうな、そんな想像から目を逸らし続けるのも、酷い疲労を生む。だからこそ、甘さも苦さもない記憶や議題を手繰る。一瞬先にはどうでも良くなる様な、そんなものばかりを選ぶ。
 そもそも、別れた二人の間に於いて寝顔を拝むだの拝まないだの──そんな話も通じはすまい。冗談に近い思いつきであっても情けない話だ。こんな感慨は未練にしかならないのだから。
 

 時間を過ごす殆どは、そんな風に下世話だったり無駄だったりする思考の遣り繰りだったが、本能的な眠りに引かれる意識を留める役には立っていた。
 まだまだ徹夜と言う仕事の二日目だ。銀時的には眠くなるには大分早すぎるのだが、つい一時間ぐらい前に当直用のシャワーを使ったのが問題だった。風呂は血行が良くなり体温も上がり、リラックス効果を生む。清潔になった事で心にも余裕が生まれるしで──要するに非常に眠くなるのだ。
 無論それを知っているからこそ、当初銀時には風呂なぞ借りる気は全く無かったのだが、衛生面の問題だからと、年嵩の看護婦にやんわりと『命令』されれば断る事も突っぱねる事も出来なかった。母親やそれに類する存在の記憶が己に無い所為か、どうも昔から中年以上のオカン気質の女性には弱くていけない。
 水風呂を浴びると言う考えもあったのだが、それこそ風邪など引いたら情けない以前の問題になる。ならば少々眠気がちらつこうが、臥す人の為にどうとでも尽くした方がマシだ。
 とん、と片手で軽く首の後ろを叩いて、銀時は椅子の上で足を組み替えた。両腕をストレッチついでに持ち上げ伸ばした先、天井の方へと視線を転じる。
 迂遠にも感じる時間にはいつ終わりが来るとも知れないものだと、数時間ばかり前に沖田に言われたばかりだったではないか。
 少なくとも近藤は、土方の容態が『どう』安定するのかが定まるまでは考えを変える事は無いだろう。願わくば元通りに復職。最低でも目覚めてくれる事を、今も猶願っている筈だ。
 銀時には外科手術の専門的な知識がある訳ではないが、普通術後は麻酔が切れたら目を醒ますなりなんなりするものだろうと思う。少なくともバイタルサインを見る限りは、内臓を手術を要する程に痛めながらも取り敢えず機能的には安定している様に見えるのだ。
 肉体的に健常に近い状態ならば、何故こんなにも長く目を醒まさないのか。沖田の言った通りの、打ち所、と言う問題なのだろうか。
 (……そうでもなきゃ本当に、俺がいるから目覚めたくねェとか)
 そんな現実逃避気味な事を今一度思考に滑らせて、荒唐無稽だなと矢張り笑い飛ばして。
 天井の合板の格子模様から視線を外して、銀時は再び臥す人へ意識を向けて──
 銀時のその注視の先で、ぴくりと土方の指が動いた。包帯に半ばを覆われている充血した眼球が不自然に動いて──瞼が、開いている。
 「土方!」
 呼んだ声に反応した、と言う訳では無かったのだろうが、横たわった侭の土方の身体が何かを訴えようとする様に身じろぐ。点滴や、計測機器の繋がれた管がぶらぶらと不安定に揺れて、まるで蜘蛛の巣に捕らえられた虫が藻掻いている様にも見えただろう。
 「土方、おい土方!」
 思わず腰を浮かせて手を掴み、大丈夫か、と問いかけた銀時は、その口蓋から伸びる管の存在をそこで漸く思い出した。気管にまで管を突っ込まれていては喋れる訳もない。
 いや、それ以前に、ずっと臥していた重症の患者が二日ぶりに目を醒ました、それをただの護衛の一般人がどう対処出来るなどと思ったのか。
 混乱しかかっていた、その事実を奥歯の間で擦り潰しながら、銀時は近くにぶら下がっていたナースコールのボタンを引ったくって何度も押した。そうする内にも藻掻こうとのたうつ土方の身体が、取り敢えず転げ落ちたりしない様に抑え込む。
 SICU内のそんな異常に気付いたのだろう、廊下を巡回していた真選組隊士が泡を食って室内に飛び込んで来るのに「早く医者呼んで来い!」とだけ叫ぶ。
 「土方、おい土方、大丈夫だから落ち着け!」
 術後の身相手にどれだけの加減が良いのかも解らず、取り敢えず土方が暴れて自身を傷つけたりはしない様にと、柔い力で腕を押さえる。実際土方は藻掻いてはいたが、その動きに力は殆ど無かった。
 そうする内に看護婦と医者とがやって来て、あれやこれやと治療行為が始まった事で、銀時はSICUから追い出された。廊下に居た隊士は、局長に連絡を入れて来ます、と言い残して廊下を慌ただしく駆けていって仕舞う。
 深夜の病院。SICUの患者を囲んで慌ただしく動き回る看護婦と医者。目先の硝子一枚に隔てられて様子一つ伺う事の叶わないこの図は正に、真選組に居る土方と万事屋の自分との体現の様だ。
 山崎の置いていった丸椅子が傍らにはあったが、腰を下ろす気にもなれない。銀時は硝子窓に当てた掌をぐっと握り締めた。吐き出す安堵の吐息と混じる思考のノイズが煩わしい。
 無事ならば。元に戻るだけの話だ。
 依頼もここで終わり。わかれた二人はその前に終わり。
 復職までに土方が苦労し苦しむだろう未来の可能性の一つには、銀時は何ら関わる事がない。
 ずっと目覚めなければ、などと言う忌々しい想像に願望の切れ端を乗せた訳では、断じて無い。
 だが、いざ目の前で、微かな寄る辺の様な糸が無造作に千切られた光景には、痛みにも似た感慨を憶えた。それはまるで土方が、お前の思う侭になどなるものかと、拒絶して来た様に思えてならなかったのだ。
 (……俺が居るから目覚めたくねぇ、んじゃなくて。俺が居たからこそ、うんざりして目覚めた、とか)
 そんな馬鹿みたいに未練がましい想像の合間にも、治療だか検査だかは着実に進んでいる様だった。
 届かない、目の前で。持ち去られるのにも似て。
 
 
 それから十五分もしない内に、近藤と沖田と山崎とが病院に駆けつけて来た。深夜だと言うのに慌ただしくも迅速にやって来た様子からすると、ひょっとしたらいつでも動ける様に準備をしていたのかも知れない。
 「万事屋、トシの、トシの容態はどうなんだ?!」
 やって来るなり必死に詰め寄って来たのは近藤。
 「俺が知る訳無ェだろーが。ただ、少し前に突然目ェ開けて…ってだけだよ」
 ただでさえ部外者の身だ。その上SICUからさっさと追い出されているのだ。これで容態や様子を知れている訳も無いだろうに。
 そんな意味も込めて、掴みかからんばかりに必死な様相の近藤の胸をとんと押し返してやれば、近藤は少し落ち着いたのか口を噤んで、しかし硬い表情の侭で硝子窓に貼り付いた。SICUの内部をじっと見つめる。
 一方の沖田は端からじっと視線を硝子窓の内側へと注いでいた。それは或いは、沖田には思い深い光景だったのやも知れない。佇んで動かない、その背中が僅かに震えている様に見えるのは気の所為だろうか。
 山崎も二人と同じ様に食い入る様にSICUを見ていたがやがて、屯所に一旦連絡を入れて来ますと言い残してその場を辞した。
 かちかちと時が刻まれて行く音が、堆積した不安の様に辺りに満ちて行く。だが、幸いにと言うべきか、そんな重苦しい時間はそう長くは続かなかった。
 やがて、難しい顔をした、顔には憶えのない当直の医師らしき男がSICUから手を拭いながら出て来るのに、またしても近藤が詰め寄ろうとする。銀時は今度は特に制止しなかった為、沖田がそれとない仕草で自らの大将を宥めた。気持ちは解らないでもないが、医者にプレッシャーを与えた所でどうにもなる訳でもないのだ。
 「先生、トシは…、」
 「ひとまず意識は回復しました。術後も今の所特に問題は見つかっていません。まだ様子見は必要ですが、取り敢えず自律呼吸も行えていますので、体調は安定に向かう運びになるでしょう。後は負傷の快復のみですが……」
 肺挫傷、鼓膜穿孔、肋骨の骨折などなど、爆傷で土方の負った各種の負傷を連ねて行く医師を前に、銀時は大凡安堵に因るものとは思えない溜息を密かについた。
 土方の無事が──無事に意識を取り戻す、と言う段までが確認出来たのであれば、それ以上は自分の得て関わる必要もない情報だ。細かな症状や、今後の治療プランだのそんなものはどうでも良い。他の、警察関係のセキュリティの確かな病院に移送が叶えば護衛も必要無くなる。
 故に意識的に、眼前で交わされる情報を銀時は頭から閉め出す様にしていたのだが、
 「ただ、一つ──気になる点がありまして」
 そんな、今までの幾分楽観的になれるだろう要素を打ち消す様な医師の切り返しに、思わず片眉を持ち上げた。余所へやっていた意識を連れ戻す。
 「こちらへ。まだ目覚めたばかりですので、余り騒がない様にして下さい」
 近藤と沖田も、銀時と似た様な顔をしたのだろう。医師はそこに居る三人の顔をぐるりと見回してSICUへと促す仕草をしてみせる。近藤の所で長く視線を留めたのは、特に貴方、と言う言い含めだろうか。
 銀時は寸時躊躇ったものの、ちらりとこちらを振り返った沖田に「ついて来ないんで?」と言われた気がしたので、結局は後に続いた。
 土方の最悪だろう目覚めの直後に、別れた元恋人が厚顔で現れると言うのは些かデリカシーに欠けるのではないだろうかと思ったので、前の二人とはそれとなく距離を空ける。
 寝台の上の土方の身体からは、先頃までそこに繋がれていた各種計測機器の類の殆どは取り外されており、人工呼吸器も離脱してあった。爆発事件の、ほぼ中心地と言う場所に居ながらの奇跡的な生還と言えるだろう。
 土方の目は薄く開かれていた。包帯の下に殆どを覆われている左目は解らないが、右の目は確かに開かれており、充血の目立つその眼球がそこに居る人間たちを、確かに見ていた。
 「トシ!おい、トシ!!」
 流石に今度は注意を受けたからか、無理矢理に詰め寄る様な真似はしなかったが、近藤は涙目で鼻をぐずぐず鳴らしながら声を上げた。それをやんわりと制する様に、医師が土方の横に立った。腰を屈めて耳の傍でゆっくりと、一言一言、言葉を発する。
 「土方さん。聞こえますか?」
 すれば、土方の眼球がゆっくりと医師の方を──声のした方へと移動した。ほんの僅かだけ、顎が揺れる。
 「そこに、皆さんが来てくれていますよ」
 言って、医師がそっと指を、土方の視線の先からゆっくりと滑らせて、そこに佇む近藤、沖田、銀時の三人を示す。土方の眼球はまたしてもそれをゆっくりと追い掛けて。

 「………  ?」

 弱々しく、かさついた唇が動いた、その意味を反射的に追った銀時が硬直するより先に。
 土方の頭が、小さく左右に振られた。
 「──」
 息を飲んだのは、近藤ではなく沖田の方が先だった。
 医師はそんな三人の前で、次の問いを口にした。
 「……ご自分のお名前が、解りますか?」
 今度はほんの少しの間。その間で、医師の質問の意図を察したのだろう、近藤の顔がざっと血の気を失って強張った。
 土方は──患者は、暫く茫っと考えていたが、やがてゆっくりと頭を振った。
 左右に。
 







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