天国の日々 / 16 その日の午前中にCTやMRIや口頭での問診、その他あれこれの検査が終わって、取り敢えず外傷性に因るものだろう健忘症状を除けば、身体は徐々に快復に向かうだろうと診断が下りた事で、土方の身は集中治療室から病室での入院に切り替わる運びとなった。 真選組側から病院に働きかけたのだろう、上の階にある、そこらのホテル(いかがわしいものではなく宿泊サービスをメインにしたものの事だ)並の個室に移され、パーテイションで区切られた入り口付近には銀時の待機する簡易ベッドも運び込まれた。 政財界の人間や著名人などが『逃げ込む』用途に使われる事も多いらしく、個室には当然の様に内鍵が掛けられる様になっていた。一日一度の回診と検査、食事を運び入れる時以外には、特別に呼ばない限りは看護婦がわざわざ『通りかかる』事も無い。ナースコールは枕元に一応下がっていたが、下の階のナースステーションに通じる内線電話(※外線電話も可能)がある所為でその存在感は目立たない。 このフロアにある同様の役割の病室の全てが嵌め殺しの頑丈な強化硝子の窓で、そこにはブラインドが隙間なく下ろされて更に遮光のぶ厚いカーテンが下がっている。 一般入院患者が収容される事のないこの階層に上がるのにはエレベーターか階段と言う手段があるが、廊下へ通じる扉には常に鍵が掛けられている。エレベーターホールに見張りを置けば不審者の侵入は叶わない。監視カメラで警備室から二十四時間態勢の監視もされていると言う。 「警察の病院より余程セキュリティ整ってんじゃね?つーか俺いらなくね?」 ざっと階の地理を確認しながら銀時が思わず、一緒についてきていた山崎にそうこぼせば、 「まあそうなんですけど……こっちの事情がちょっと。あと旦那はアレです、副長の専属ガードマンだから外せないでしょ」 そう、曖昧な表情で指で環を作って返された。成程、特定の人種しか利用しない様な宿泊施設もとい入院環境がプライバシー保護の名目で作られるのを思えば、かかる費用は馬鹿にならないだろう。 「副長の…その、体調が安定しましたら、いずれ何処か『療養』出来る環境に移す事を今、局長が検討しています」 言う山崎の横顔は珍しい憔悴に窶れて見えた。事実『足手まとい』の置物でしか無くなっている今の土方の処遇を今後どうするのかに関しては、今から既に悩みも問題も多い事だろう。同情的なものは湧かないでもないが、何かを出来る気もしてやる心算も銀時には特にない。 土方は、午前中に見舞いに訪れた近藤と山崎にも、銀時の時同様の反応を示した。近藤が男泣きに泣いてあれやこれやと語っても、真選組の事を口にしても、説明しても、こうなった経緯を教えても。何れの言葉にも土方が特別な反応を見せる事は残念ながら、無かった。 本を読み聞かせられる様に事実を情報として受け取ってはいる様だが、それが己の『記憶』であるとは、土方の裡では恐らくまるで結びついてはいない。 尽くす言葉も無くなり、後は項垂れて泣く近藤を、土方はおろおろと惑いを隠せない目で見てはいたが、そんな事はしないで欲しいと止める事は矢張り無かった。真選組の局長が頭を下げて泣き崩れる。その意味を、それがどう言う影響を意味として持つのかさえ、まるで理解も思い出せもしなかったのだ。 なお、沖田は予想通りだが姿を見せはしなかった。近藤は何も言わなかったが、病院に行く前に声を掛けなかった筈はあるまい。それでも此処にいないと言うことは、そう言う事なのだろう。 「あの、それでですね、旦那」 一通りフロアの構造や避難路、厠や風呂場と言った設備を確認し終えた頃、不意に山崎がそう切り出した。「烏滸がましいんですが、」そう言い置いて、元の造作にも目立つ申し訳無い様な情けの無い様な表情を浮かべて、銀時の顔色を伺いつつも続ける。 「副長の護衛、と言うのは勿論已然変わらず遂行して頂きたい役割ですが、それと併せて、と言いますか……その、…土方さんと出来るだけ会話をしてみてはくれませんか?」 副長、ではなく、土方さん、と切り替えた山崎の指す所は概ね想像には易い事ではあったので、銀時は割と意識して重たく息を吐いた。「まあそう来るんじゃないかとは思ったけどな」人の往来の気配のない廊下の壁にとんと背を預ける。 「護衛とお姫様のお喋り相手と。大概ワンセットなのはよくある話だしね?」 銀時の僅かに込めた揶揄には不快感に似たものが差し挟まれている。その気配に聡くも気付いたのだろうが、山崎は退かず押しに来た。 「何も、思い出話をしてくれとか記憶を取り戻してくれとか、そう言う話ではないんです。組としてもそれが依頼の本質ではありませんから、その結果に関してはどうこうと口出しはしません。 ただ、知り合いだった人間と今までの様に言葉を交わす事が、土方さんが記憶を取り戻す何かの糸口になる可能性はゼロでは無い筈です」 そこで山崎は、己が結構な大声で真選組副長の置かれた現状を口にした事に気付き、口を噤む仕草をした。廊下にも各VIP病室にも誰の姿も無いが、一旦周囲を伺う仕草をしてから、続ける。 「俺達も出来る限りは見舞いに来て、色々と話して聞かせる心算です。ですが、毎日とかそう言う訳にはいきません。見張りの隊士では副長への萎縮や遠慮があって、逆に土方さんを惑わせて仕舞うでしょう。ですから旦那の様に、土方さんと何の衒いもなく話せるお人にこそ、是非とも協力をお願いしたいんです」 「何の衒いもなく話せる、ってなぁ」 まあ確かに、とは思う。銀時が記憶を失って『坂田さん』となっていた時も、周囲から己の親しかった筈の人間たちの気配を無くして独りになった事で、『坂田さん』はジャスタウェイ工場の工場長などと言う将来有望なんだか絶望なんだか知れない途を歩もうとしていた。彼らの慕う『銀さん』の影を振り切って、違う自分へと変わって仕舞おうとしていたのだ。 自分のルーツを知る者たちは、自分をそこへと戻そうとする。『自分』の意志などそっちのけで、今までの生き方と言うものを与えようとしてくる。まるきりの善意で。 思い出せない。違う。受け入れられない。疑い。拒絶。それらの想念は、独りになるとたちまちに肥大し、元在った自分を食い散らかして行く。 そんな中で、与えられるものを享受するしかないと認識した時、その齟齬に堪えきれずに、違う自分を──今在る『自分』の存在を確固たるものにしようとするのだ。半ば本能的な自衛の反応によって。 だが、それは本来違えた事だ。幸せか不幸せかが問題なのではない。悲しむ者が居るとか居ないとかではない。ただ、間違っている。己の人生と言う途からの遁走が、正しい訳はない。 土方の思い出さなければならない事は、今の『土方』では到底受け入れる事が難しい様なものだ。その責任も、立場も、役割も。求められる全てが代替の利かぬ唯一のものであるが故に、『土方』はそう容易く全てを受け入れる事など出来はしないだろう。寄る辺の無い人間の心は、脆い。 思い出す、のではなく、上書きをしようとする、のであれば、それは余計に『土方』の裡に苦しみと齟齬とを生むに違いない。 だからと言って、真選組の鬼の副長を逃がす訳にもいかない。築き上げて来たものや得て来た役割を放り出して貰う訳にもいかない。それでは沖田の怒りも報われない。土方の帰還を信じてついていく部下達も救われない。 恐らく山崎は、残酷で強引な所行と知りながらも、鬼の副長を『元に戻す』事を諦めないだろう。近藤辺りは情が入って仕舞って難しいかも知れないが。 土方を──鬼の副長を『元に戻す』。それは、土方の失われた記憶を取り戻すか、或いはその役割に今までと何ら変わりなく収まる事の二択しかない。そして、その何れであっても、土方にその自覚を促す為の話をして、教え込んで、精練するに似た手段を取るほかないのだ。 その為にも、『土方』が己に与えられる情報に拒絶反応を示さない様に、ゆっくりとその世界の外堀を埋める、謂わばケア役が必要だと言う事だ。それには『他人』で『腐れ縁』で『年頃もそう変わらない』、顔を突き合わせては喧嘩未満の諍いを起こしたり、時には似たり寄ったりの思考で共同戦線を張ったりもした『万事屋』が、今の状況を知る者らの中では適任だと言う訳だ。 その身が概ね自由だと言う事も多分に含めて。 今までの──隠れ忍ぶ恋人の頃、或いはそれ以前の飲み友達だった頃であれば、吝かではないと密かに喜んだ所かも知れない。が、碌でもない爛れた付き合い方をして、つまらない別れ方をした男と言う点で見れば果たしてどうなのか。 (…………ねーな。無いわ…) 少なくとも事情を知っていたら、そんな男は逆に頭を下げてでも近付かない事を願いたくなる対象である。山崎も近藤も、銀時と土方の関係性とその破綻とを知らないからこそ簡単に言えるのだろうが。 そもそも。日常会話でのケアなどと言った所で、真選組の話と今の土方との間を取り持つそれは、銀時に土方へ深入りの情は寄せずに、ただ真選組からもたらされる情報が本物であることと、それが正しい形だったのだと言う事を、なんでもない様な話をしながらも『土方』にそれとなく知らしめろと言う事だろう。単なるお喋りの相手に土方の入院期間と言う猶予を費やせと言える程、真選組には余裕が無い筈なのだから。 黙り込んだ銀時の返事が芳しくないものになると思ったのか、山崎が猶も詰めてくる。 「成功も失敗も勿論ありません。責任も問いません。旦那の解る範囲でしたら、土方さんに問われる限り何を教えても話しても構いません。 ……あ、勿論攘夷思想に染めるとかそういうアレは無しで…、飽く迄有効範囲は、いつも通り、の旦那として」 「頼んでんの馬鹿にしてんのどっちなの」 白夜叉と言う名をしたやんちゃな過去の履歴から、もしや、とでも思ったのか、もごもごと付け加える山崎の頭を張り倒して、銀時は渋い顔になった。 「別に不満な訳じゃねーよ。片手間みてーなもんだし、同じ空間に居て無言同士とか気まずいの嫌ェだから、どうせ頼まれなくてもなんかしら喋り倒してただろうしィ?」 銀時の言い種が内容の割には軽そうだった事を受けて、壁に横頬を叩き付けられながらも山崎はへらりと笑った。 「まあ、そうですよね。旦那、静かなのが苦手な手合いって言うか。独りなら良いけど、複数人が居る所で沈黙を愛するってタイプじゃなさそうですもんね」 「だから一言余計なんだよテメーは。普通にアリガトウゴザイマスって言えねーのかコラ」 「解ってます、ありがとうございます、本当に旦那には感謝してもし足りないくらいです。今度何か菓子折的なもの差し入れますんで」 それでも銀時の諾を得て少しは安堵を得たのだろう、軽口に乗せて言ってから、くるりと病室のある方角を振り返る。 「…土方さんが──副長が戻られるかどうかは、無論皆の望む先だし、俺もそう在るべきなのは重々承知しています。ですが…、」 そこで一旦言葉を切って。罪悪感と正しさとの狭間に立つ男は、余りに無力な笑みで無意味な言葉を紡ぐ。 「ですが、俺達にはあの人が必要です。あの人が──いえ、今のあの人が、それを苦痛と共に呑む他ない卑怯な選択肢しか、俺は与えません。あの人もきっとそう望むだろうと言う、俺達の勝手な想像と利だけで、強います」 真選組の副長。鬼と呼ばれる男が『戻って』来ようが、来まいが。『土方十四郎』が真選組の副長と言う職務に就く者である事は変わりなく。変えようもない。 選択肢がないのは、真選組の方とて同じだと言う事だ。 まあ、近藤辺りに言わせればそれは、副長としての土方が必要だとかそう言う問題ではないと言い張る所だろうが。 言い方は些か宜しく無いが、近藤は少々──どころか大分──楽天的なきらいがある。職務が出来ようが出来まいが、記憶があろうがなかろうが、土方が生きていると言うそれだけで良いと大真面目に思っていそうな所だ。 だが、現実的ではない解決方法を模索する近藤よりも、山崎は目先の現実を組織的な目でまず見る事を選んだらしい。 (厭んなるくれェ現実見えてんだろうね、コイツには) 真選組と言う組織が崩れたり有り様を変える様な事になる事を、誰よりも望まないのは確かに土方自身だろう。片腕役の山崎としては、土方の留守を守る様な使命感があるのかも知れない。 病室の方角を、挑む様にじっと見据えている山崎の、毛先の跳ねた後頭部を銀時は暫く無言で見ていたがやがて、首の後ろを掻きながら息をつく。思い直して感傷的な気分を一息に叩き斬る。 「…………正否の問題じゃねぇのは解るよ?テメーらが形振り構ってらんねーのも解るよ?でもな、それをわざわざ俺の前で口にする事で、依頼に従事する様仕向けるのは間違っちゃァいねぇんだろうが、好きな方法じゃねーな」 侮蔑ではないがそれに近い弾劾に、山崎は長く沈黙してから「すみません」と小声で謝って寄越した。実の所依頼を受けていると言う形の銀時にはそんな事を言ってやる資格なぞ無かったし、山崎もそれぐらいは承知の上だっただろう。それでも、互いにそれ以上は無用に触れず、二人は暫し無言で廊下を進んだ。 程なくして辿り着く、ネームプレートの類の無い、部屋番号のみの書かれた病室の前で。山崎は己の内心の決意と役割とを改める様に言う。 「長官の協力も得られてますし、まあ、こっちはなんとか上手くやりますよ。…やらないと、なりません」 それが土方十四郎、真選組の鬼の副長が望むべき途だ。 その為であれば、記憶を無くした無様な己など轢き潰してでも進めと。きっと、あの男ならばそう断じるに違いないと、銀時もまたそう思った。 では、自分はどうなのだろうか……? 戻らなくて良いのではないかと、そう願った自分には一体、何を選ぶ事が出来ると言う……? 。 /15← : → /17 |