天国の日々 / 18



 立てた膝の上に傾けて乗せたアルバムには、見覚えのない風景と見覚えのない人たちと見覚えのない記憶たちが詰まっていた。
 何度となく同じ頁を繰ったところで、その印象は変わってくれそうもない。
 見ているのは、この不必要に豪華な個室に移された日の夕方、山崎と言う部下──だったと言う──の持ち込んで来た三冊のアルバムのひとつだ。
 土方の所持品ではなく、近藤のものや他の部下たちのものだと言うその写真の幾枚かには、確かに憶えの無い風景の中に加えられている己の姿がある。
 隠し撮り(というかこっそり撮ったと思われるものだ)や映り込み程度のものがその殆どだった所を見る当たり、土方十四郎は余り好んで写真撮影に入り込むタイプでは無かった様だ。
 そもそも余り社交的な質では無かったのだろうか。ここ数日で鏡の中に漸く見慣れた『自分』は、どんな場面でも大概、到底人好きしそうにない厳しい表情か顰め面をしている。
 数少ないほぐれた表情は、花見で宴会でもしている時のものに見つけた。『鬼の副長』とやらもアルコールが入れば流石に険も消えるのか、上機嫌そうな赤ら顔で杯をくわえている。
 (去年の…春だろうか)
 桜の木々が深い水色の晴天に薄桃色の彩りを添えて拡がっている。お花見日和だ。
 場所は何処だろうか。警察だと言うのだから、大勢で職務放棄をする訳にもいくまい。上野のお山辺りだろうか。最近は公園として整備が進んでおり、植樹された桜並木が美しかった憶えがある。
 (憶え…)
 ごく自然に辿ったその感想に、頭の何処かと心の何処かとが同時に鈍く痛んだ。
 土方の記憶は完全にゼロになった訳ではない。医師に因ると、人の辿った人生を記憶や学習効果と言う名の一本の樹と喩えるのならば、土方の健忘症状とはその木の枝の幾つかが枯れ落ち、残った幾つかの葉も虫食いの様になっている状態なのだと言う。
 例えば、土方、と読む事が出来ても、それが己の名前だと認識していなかった。
 難しい、知りもしない様な論語なぞは諳んじれるのに、平仮名の五十音が正しく言えなかったり。
 会話が出来ても、読み書きをしようとすると上手く出来ない、とか。
 人間には縁遠い様な星の知識があるのに、江戸の町名が思い出せない。と言った様な事があった。例を挙げればキリがない程に症状は──枯れた葉や虫食いの葉は──幅広く混在している。
 その例に倣ってみれば、土方は恐らく以前に、上野のお山に花見に行った思い出ないしそれをTVや雑誌か何かで見た記憶があるのだろう。だが、上野と言うのがそもそも江戸の何処なのかが解らない。と言った所である。
 箸は無意識で使っていたのに、匙の持ち方が思い出せなかった時には我が事ながら流石にショックを受けた。ショックを受けると言う事は、匙の持ち方なぞ子供でも知っている、と言う知識だけは頭に残されていたからだ。
 そんな風に土方の記憶はあちらこちらに綻びが出来ていて、自分自身でも未だにその事に対する対処法が上手く見つからない。
 一つずつ解決し、取り戻して行けば良いんだ。見舞いに来た近藤はそんな事を言って笑ってくれたが、それは土方にとっては励ましであれど残念ながら何の慰めにもならなかった。
 この、写真の中の『親しい人たち』がどれだけ自分を思ってくれているのかは、解る。だが此処に来るのは近藤か山崎が殆どで、他の真選組の人間にはまだ会ってはいない。誰かを連れてこようかと提案された事はあったのだが、土方の方からそれを辞退したのだ。
 自分ではない『自分』を見る人たちが、一体どんな顔をするのか。それが、怖い。役立たずであちこちの壊れたお前ではないのだと、彼らが『副長』の話をする度にひとつひとつ具に知らしめて来るのが、こわい。
 アルバムの中に活きている真選組の人たちは、恐らくは──否、間違いなく『鬼の副長』の土方を求めている。ばらばらになって仕舞った土方の裡に、そのひとが未だ存在してはいないかと、期待している。
 爆破テロで?警察を狙った犯行で?現場に居て?巻き込まれた?
 幾度聞かされた所で、それは土方には下手なドラマより現実味がまるで無い。身体中に残る大小の傷と、頭に巻かれた包帯と、時折生じる頭痛と、乱暴に千切られた記憶だけが、それを恐らくは真実なのだろうと肯定している。
 記憶障害以外の身体の症状は、元より頑丈で健康体だった事もあってか良好に快復中だと言う。安静にしているなら数日中には自宅療養に移行するも可能だとかで、本当に一時は死にかけた人間なのだろうかと首を傾げて仕舞う所だ。
 自宅療養が可能と言われれば普通は喜ぶものだろうが、目前にまで迫っているその朗報に土方の気は重くなるばかりだ。
 土方の心地としては病院の中は揺籃の間なのだ。頭が真っ白な侭の目覚めは生まれ出たにも近しい体験だ。だからはっきりと言って仕舞えば、病院から外界に出て行くのが怖い。真選組の副長と言う、そんな鋳型に訳もわからない侭、納得と諦めだけで押し込められて行くのが怖い。自分が『何』なのか解らないのが怖い。
 (……こわい、こわい。子供みたいに、そんな駄々ばかりをこねてる気分になる)
 受け入れるしかない。受け入れて正しく生きるしかない。『何』だと見られようが思われようが、そうして進んで行くしか、自分には何もないのだから。
 (でも、坂田、だけは)
 護衛だ、と言って置かれた、あの銀髪の男だけは他とは違った。彼は真選組がどうだと、以前までの土方はどうだったとかは、殆ど口にしない。
 それは坂田銀時が真選組の仲間ではないからだろうと思う。坂田は決して土方に『副長』である土方を求めない。見出さない。今のこの、『土方』と言う名をした怯えてばかりの男を、その侭に見てくれている。
 土方が意識不明だった集中治療室での二日間はずっと徹夜で。その後この特別病室に移ってからも殆どまともに眠っている所を見ていない。土方の位置からはパーテイションに遮られて伺えない、入り口近くに簡易ベッドが置いてあるのだが、それは仮眠程度にしか使われていないらしい。
 夜中に土方が厠に起きた時も、昼間と変わらず番犬の様にそこに座っており、連れション護衛などと巫山戯た事を言いながら付いてきた。
 そんな頭の下がる『護衛』ぶりには流石に狼狽と申し訳無さが募るが、「万事屋は依頼はキッチリこなすんだよ」と断じられれば何も言い様もなくなる。
 こんな役立たずの、真選組の副長だった男の残骸の命など、狙う者などいないだろうに。護る価値など無いだろうに。実際、病院のセキュリティがしっかりしているのかも知れないが、坂田がその腰の得物を抜いた事は一度も無いのだから、益々にそう思えてくる。
 坂田の献身的で真面目な職務態度に幾度もそう思わされたが、それを口にすれば劣等感がその侭不満や疑心と混じって酷い言葉になりそうだったから、堪えた。
 日々、近藤と山崎があれやこれやと教えてくれたり、話をしたりして行く。その度に、誰もが必要とする『真選組の副長』の土方と、その残り滓の様になり果てた土方十四郎と。その齟齬が生じるのが苦しくて堪らない。解って貰えない事にではなく、それが解らない自分自身が悪いのだと理解出来る事が、酷い失望を日々量産していくのだ。
 坂田の存在は、紛れもなくそんな土方の懊悩の日々の中では救いだったのだろう。彼には幾ら感謝してもし足りない。坂田が四六時中傍にいなければ、土方はとっくに諦めの中、自己嫌悪や劣等感を只管機械的に飲み干しながら、真選組の副長に『戻る』事に専心し続けていただろう。何処かで破綻するだろう未来なぞ考えもせずに。思考を放棄して、ただ機械(からくり)の様に生きていただろう。
 (腐れ縁、て……一体何だったんだろうな)
 最初に坂田の教えてくれた事だ。土方と坂田との関係性を問いた時に、そう答えて寄越した。
 その正体は一体どの様なものなのだろう。
 土方の意識が手元のアルバムから剥離し始めた頃、こんこん、と軽いノック音がした。扉は応えを待たずに直ぐさま開き、パーテイションを回り込んで姿を見せたのは件の坂田銀時だった。
 「土方、身体拭くぞー」
 抱えたトレイには湯気を立てるタオルが何枚か乗せられていた。蒸しタオルの様だ。
 まだ入浴は出来ないので、身体は一日一度、お湯で湿らせたタオルで拭うのみだ。いつもならば入り口の洗面台で湯を張った手桶を用意するのだが、どうやら今日はそれとは違うらしい。
 「お湯で拭くったって冷めると寒ィだろ。お前昨日、寒いって言ってたからな、頼んで蒸らして貰ったんだよ」
 土方の観察眼にも似た視線で疑問を察したのか、そう説明しながら足下まで下げてあった寝台の上の簡易机にトレイを置くと、坂田は手早く自分の纏っている着流しの袖──片方だけ抜いた岡っ引きスタイルの様な──を両方とも抜いた。それを見て土方も慌てて、膝の上に置き去りになっていたアルバムを除ける。
 坂田が毛布を足下に丸める間、入院着の紐を解いて上体を脱いだ。骨折している肋骨を固定するコルセットを外し、寝台に横向きに座って足を垂らす。
 土方が準備を整えるのを待って、坂田は蒸しタオルを拡げて持ち易いサイズに畳み直すとその内の一枚を渡して来る。
 「ありがとう」
 「どう致しまして」
 勿体ぶるでもなくさらりと言われる。一週間以上もして少しづつ慣れて来た、いつもの遣り取り。
 受け取ったタオルを手に、縫合痕やまだ残る傷痕を避けながら上体を自分で拭う。その間坂田は寝台から下がった土方の足、膝から下を丁寧に拭いてくれる。
 お湯を絞ったタオルだと瞬間的には温かいのだが、濡れた部分が冷めて仕舞えば直ぐに寒くなって仕舞う。この部屋には暖房が効いているし、身体を拭く時は温度設定は高めにしているのだが、それでも少しはひんやりとさせられるものだった。そこに来て今日の様に蒸したタオルだと水分は然程残さないし、タオル自体もいつまでも温かくて気持ちがよかった。
 「ほい、足終わり。次背中な」
 腕を拭う土方にそう言い置くと、冷えない様に入院着の裾を元に戻しながら坂田は背後側に回り込んで背中を拭き始める。面積が広いからかも知れないが、背中を拭う時が一番心地よく感じる。
 「湯船に浸かりたくなる」
 「医者が許可出してくれりゃ良いんだけどな」
 太股辺りを拭いながら、丸めた背中の温かさに思わず目を細めてそう言えば、坂田の苦笑の気配。土方の感じている心地よさがひょっとしたら声音に出ていたのだろうか、もう一度ゆっくりとした手つきが背中を最初に戻って拭い直して行く。
 本当に、手際が良い上に、気遣いも忘れない良い男だ。
 (坂田がそう言う質なのか、それとも万事屋って言うだけあって、ヘルパー的な仕事もやったりするんだろうか…?)
 万事屋は坂田の他に少年少女が一人ずつ居ると言う。写真は見せて貰った。やはり残念ながら見覚えはなかったが、溌剌そうな良い子供らである様に見えた。そんな彼らが揃ってこう言った介助の仕事をしている所を想像してみるのだが、何となくそれは物足りない気がした。
 「どした?傷でも痛んだか?」
 手が止まっていたと言う訳でもないのに、不意に声を掛けられて土方は他愛のない想像の世界から慌てて戻った。「いや、」そう言って、タオルをトレーに戻して入院着を元に整える。そうした土方の動きから、様子が何でも無いと知ると、坂田は片付けに移る。
 こうした坂田の聡さ、とでも言うのか──それが不意に妙なものの様に感じる事がある。
 ちらりと、土方はベッドサイドに片付けたアルバムの表紙へと視線を投げて思う。あの中には殆ど真選組の面々しかいない。土方は、己に憶えのないその中に普通に落ち着いてはいるが、飽く迄『真選組の副長』として収まっている。
 近藤に無理矢理フレーム内に引き摺り込まれたと思しき一枚は、困った様に笑っている。
 袴姿で鍛錬の指示をしていると思しき一枚は、厳しい顔をしている。
 偶々写り込んだのだろう、食堂の遠景でピンぼけ気味になった一枚は、難しい顔をしている。
 大概の被写体たちが笑う中で、一人だけまるで馴染めない野生の動物の様に。人に囲まれていても己のテリトリーの中に居る事を止めない。土方十四郎とはそんな人間に見えるのだ。
 だが、坂田の態度や様子や慣れと言った感じは、写真の中の者らより、余程土方に距離が近しい──非道く馴染んだものの様に、慣れたものの様に、時折感じるのだ。
 「なぁ、どっかやっぱり痛ェのか?さっきから上の空だぞお前」
 土方の思考がくるくると風に翻弄される糸の様に惑い始めた頃、足下から戻す事も忘れていた毛布を坂田の手が引っ張り上げた。少し眉を寄せた顔が土方の顔をじっと見ている。
 それは坂田曰くの『腐れ縁』だけで構築されたものなのか。護衛の対象だからこそ出ているものなのか。よく、解らない。
 「……その。坂田は、家に帰らなくて大丈夫なんだろうかと、不意に思って」
 無理矢理に取り出したそんな言い訳に、坂田は暫し虚を突かれた様な顔をしてから、
 「ああ、新八や神楽を置いといて、とか、そう言う?」
 土方の端的な物言いを自らに解る様に翻訳してから問い返してきた。ので、頷いて肯定を示す。
 言葉にして、疑問に乗せてみて初めて、坂田の本来の生活の事が思いの外に気に掛かった。
 聞けば、眼鏡の少年の方は家から通いだが、桃色の髪の少女の方は同居人だと言っていた。写真の中の少女は未だ子供から抜け出てはいない年頃に見えた。幾ら仕事とは言え、それを何日も戻らず放ったらかしにしておいて良い筈がない。
 ところが、土方のそんな懸念を余所に坂田は、なんだそんな事か、とばかりに笑ってみせるのだ。
 「一日一回は電話入れてるし、つーかその電話自体に、子供じゃないんだから大丈夫ネ、とか低音で返す小娘と、山崎さんから支払われた依頼料からちゃんと僕らの未払いのお給料分は頂いておきましたから、とか真顔で返す眼鏡だよ?端から心配しなきゃなんねぇ奴らなら、泊まり込みの依頼なんてそもそも受けてねぇって」
 途中で、少年少女の声真似なのだろう、わざわざ音声と表情を作ってそう言う坂田の様子や、滲み出て伺える態度の柔らかさなどからは彼らへの絶対の信頼や愛情が感じられて、土方の心の何処かが軋むに似た痛みを憶える。
 坂田への罪悪感。見知らぬ少年少女への負い目。残骸の自分では値しない、そんな疑問への解答を探す、見つからない、そんな痛みだ。
 答えは坂田の言う『腐れ縁』の中に潜んでいるものなのか。
 どう考えても解らない。値する以前に、おかしい。坂田との距離感が解らない。関係性が解らない。
 とても良い男だと思う。ぶっきらぼうな風に見えて、優しい男だと思う。
 護衛と言う宛がわれた立場だけで、一体彼らに幾らが真選組から支払われているのかは知れないが、こんなにも全てを砕いて、健忘症状の面倒な患者の介助などをするものなのだろうか。
 「…………腐れ縁、て、そう言うものなのか?」
 あ、と気付いた時には、裡なる疑問がぽろりとこぼれおちていた。
 「ん?何が」
 訝しげな表情を作る坂田に、土方は手を伸ばした。手近にあったその左肩を掴む。
 その瞬間、坂田の表情がざっと一変した。血の気が引いた、と言っても良い。嫌悪にも似た表情を浮かべて強張った肩は、然し理性で留まって土方の手を振り解きはしない。
 「、坂田は、依頼と言うだけでこんなに献身的に他人の面倒を、看る事が出来るものなのか?」
 坂田の変化に驚くより悲しむよりも、大凡初めて見た内心の顕れだと思って、土方は一つ息を呑んでから更に踏み込んだ。
 「俺には、解らない。お前が、坂田が、どうしてそこまで俺にしてくれるのかが、解らない」
 解らないから、怖い。
 ああ、結局は怖い怖い尽くし。子供の様に。寄る辺すら疑って、そんなことはないよと肯定して貰いたいだけの。幼子の駄々と同じだ。
 ──当たり前だ。何処に行ったら良いのかが解らない。何であったのかが解らない。何をして良いのかが解らない。諾々と与えられる侭を受け入れて信じて行くしかない世界なんて、怖いに決まっている。
 坂田がいなければ。或いは、坂田がいたから?
 「……土方、」
 本当に厄介で面倒な患者だ。自分でもそう思うと言うのに、坂田の言葉は酷くやんわりとした調子で発せられた。強張りのいつの間にか取れていた手で、土方が掴んだ侭でいた左肩に食い込む手指をそっと外す。
 「取り敢えず落ち着け。な?」
 掛ける言葉は宥めるもの以外の何でもない。だが、その中に確かな隔絶がある事を、鋭敏になった土方の感覚が聞き分ける。続くのは、逸らされた視線が戻って来ないのと同じ様に、先頃までとはまるで転じて仕舞った、柔らかい綿に包んで隠した固い針の様な声だ。
 「オメーは今、何も無ぇ、手前ェでも解らねぇ所に色んなもん詰め込まれて、それを上手く処理出来なくて混乱してるだけだ。だから、目醒ましてから延々近くに居る俺を頼りたくなんのは解る。だが、悪ィが俺は依頼でここに居るだけだ。真選組に無事なお前を返すまでが依頼。それだけだ」
 坂田の答えは、土方の裡の疑問に正しく当て嵌まる解答を返してくれている。
 紛れもなく、正しい。
 正しいと思うからこそ、土方のひととき見失いかけた冷静さはするりと戻って来た。
 依頼で居るだけの人。腐れ縁でしかない相手でも、面倒だからと放り出す事の出来ない、優しい男。
 それだけ。それだけ、のそこに、縋るべきものを見出そうとしていた、己の弱さに酷く腹が立った。真選組の副長などと呼ばれた男であれば、きっとこんな無様は晒さなかっただろうに。
 「…………すまない。少し。混乱、してた」
 坂田は土方が落ち着いたのを見るなり、「ん」と頷いて、気を悪くした風でもなく──少なくとも外見からは何の気配も感じられなかった──、片付けの動作を再開させていく。
 自分は、この男に甘えを抱いただけに過ぎない。解ってる。
 なにかの可能性をそこに望みたかったのだろう、と思う。
 (………何、を?)
 頭痛が酷い。
 記憶の無い不安定さと、それを受け入れてもう一度己を構築しようとする無意識。
 人は寄る辺がない事には、自己の確立が成り立たない事には人として足り得ない。
 (俺は、無意識のうちに、坂田に『自分』を認めて定義付けて貰いたがっていたのか…)
 真選組の副長と言う存在であると押し込まれ続ける、その以前に、自分と言う人間を確立させようとしている。二足の草鞋の様に、そんなものが成り立つ筈なぞないと言うのに。
 「少し休んでろ。一気に詰め込もうとすると頭破裂すんぞ」
 未だ考えの深い所に居る土方に気付いたのか、着物を着直しながら坂田はそう言って、リクライニングを倒してくれた。眠った方が良いと言う勧めだろう。確かに、埒もない思考はここいらが潮時だ。
 土方が枕に後頭部をゆっくりと沈ませるのを見届けると、坂田は使用済みタオルを乗せたトレーを持って入り口へ向かった。
 扉が閉まって仕舞えば、防音の効いた部屋の中には遠ざかる足音ひとつ響いてはこない。
 まるで世界の隔絶の様だ。
 記憶が無い、と言う事象に対するものとは少し趣の違う不安が、不意に胸の何処かに宿るのを感じて、土方は強く目を瞑った。
 頭痛が、酷い。
 まるで何かの警鐘の様に響く痛みの中、土方の意識はゆっくりと眠りの中へ沈んで行った。
 





坂田って慣れない…。全国の坂田さんすいませんその1。

/17← : → /19