天国の日々 / 24



 家は一軒家で、高い生け垣に囲われた広い庭まであった。江戸の中の借家と言うぐらいなのだからと、万事屋の建物以上にこぢんまりとしたイメージを抱いていた銀時は、いきなり出端を挫かれた形になった事に口を下げる。
 平屋だが部屋は、床の間付きの客間、寝室、居間、書斎、台所、風呂、厠、納戸と揃っており、それなりの広さを持つ和風建築だ。インターホン付きの門扉から玄関までは2米ほどの小径。近所の家々も似た様な規模らしく、『お隣さん』が気易い距離ではない。
 高級住宅街と言うより、武家屋敷や商人などの別宅が多く軒を連ねる地域だとかで、余り生活の気配はしない。江戸、それもかぶき町の様な雑多な風景とは趣を大分異にしている。
 商家のご隠居、訳あって本宅には住めない良家のご子息やその母など。山崎が密かに調べたご近所の家族構成はそんなものらしい。道理でだ。
 道中車で、家から最短のコンビニへ乗り付けて品揃えなどの様子を軽く伺ってみたら、如何にも下働き風の中年の女性が客として訪れているのを目撃した。恐らくはお手伝いさんか何かなのだろう。
 「江戸の人達って基本的に好奇心旺盛ですからね。町中だと目立っていかんのですよ。その点こう言った土地柄なら、ご近所同士に関心なんぞ殆どありませんしね」
 とは、お眼鏡に適う物件を探し出した山崎曰くだ。
 そう高級過ぎて気後れする程のものではないが、どことなく居慣れないのも第一印象での事実だ。故の、口の端のだらりと下がった表情である。
 真選組の後ろ盾であると言う、物騒なサングラスの親父が資金を提供したとか近藤は言っていたが、金とはある所にはあるものなのだなと、思わずやっかみに似た感想が湧き起こるのを禁じ得ない。
 部屋はどれもこれも基本的に殺風景だったが、箪笥や机や卓袱台と言った生活用品は一通り揃っており、何れも家に元からあったものだと言う。古く使い込まれた道具の気配は人間の手に馴染みがあって落ち着きを持たせてくれており、自然と心地よさを感じる。
 取り敢えず居間へと、病院から持って来た鞄二つを放り込み、茶を入れる山崎と、その傍ら簡単に机仕事の手解きを受ける土方とを置いて、銀時はまずはぐるりと家を回ってみた。好奇心ばかりではなく、これは己の眠る場所の地形の把握をしておきたい癖に因るものだ。以前土方も似た様な癖があると言っていたので、これは野生の獣の性なのかもなあと思ったものだった。
 縁側に面した廊下には、障子代わりの曇り硝子戸が入れてあり、日当たりの良さそうな書斎の一角には座り心地の良さそうな籐椅子が置かれていた。この椅子に限らず家具や部屋に埃の痕跡が無いのは、予め真選組の人間かそれに雇われた業者の掃除でも入ったのか、それともここが借家として空けられてそう月日が経っていないからなのか。面倒な埃の叩き出しの手間が省けた分は、何れにせよ何れでもないにせよ銀時にとっては有り難い話である。
 廊下から見える庭は殺風景で、手入れの必要無さそうな庭木が幾つか植えてあった。生け垣は無意味に艶々と青い葉を持つ椿の木だ。冬と言う季節もあってか、夏中はさぞ繁茂しただろう雑草は枯れ草になってしょぼくれた風情でいる。落ち着いたら適当に刈っておいた方が不用心では無くなるだろう。
 日当たりの良い客間と書斎の畳は、日に焼けた懐かしい匂いがした。その一方で寝室には窓が無く、灯りは部屋に置かれた行灯のみだった。古風なのか何なのか電気式では無かったので、後でホームセンターに買いに行くか、山崎に持って来させるかしようと思う。
 風呂は万事屋のものより一回りは広く、シャワーまで完備された近代的なユニットバスだった。なんだか似合わない気もするが。未だお湯汲みで湯張りをしている万事屋とは違って、ガス完備がされているからこの季節には色々と楽そうだ。
 当面の住居としては悪くない。どころか満点以上だ。この時点で十二分にそう評価しつつ、その他にざっと台所などを見て回った銀時は、満足気に頷くと居間へと戻った。すれば丁度、時計を見ながら立ち上がる山崎の姿に出会う。
 「何、もう帰んの」
 「はい。こっちも副長の抜けた穴を埋めないといけないんで、毎日戦争みたいな有り様で。まあ碌に筆も執った事ない様な連中ばかりですしねぇ」
 苦笑を浮かべて言う山崎だが、声を潜める様子は無い。卓に向かう土方が僅かに顔を難しげに歪めるのが目に入り、態とだろうと解っていても銀時は苛立ちを憶えずにいられない。直接的ではないが釘を刺された様なものだ。さぞや土方にとっては痛烈に感じる事だろう。
 「それじゃあまた明日来ますんで。今日は無理せずゆっくり休んで下さい、お二人とも」
 「おー」
 呼ばれん限り二度と来なくても、と悪態は胸中でのみに留めて、おまけの様に労いの言葉を置いて立ち去って行く山崎を見送ってから、銀時は玄関戸をぴしゃりと閉めた。苛立ち紛れに塩を撒く様な仕草をしつつ戻れば、土方は卓袱台の前でうんうん唸っていた。
 重要な裁決などではないだろうが、目の前にどんと置かれた、書類とその書式を細かに説明した紙面が綴じられたファイルが、唸る対象の様だ。練習程度で良い様な内容なのだろうが、土方は真剣な表情でそれらを見つめている。
 万事屋では、基本的に信用商売と言う事もあって、書面の類はメモ書き程度にしか無い。新八は一応依頼料と生活費面のみの収入支出の家計簿をつけてはいるが、銀時がそれに目を通す事なぞまず無い。何しろ財布に金がある時はあって、無い時は無い。その程度の金管理しかしていないのだから。
 ……なので、机仕事に関して銀時が土方へアドバイスや指導をしてやれる事は残念ながら、なさそうである。精々、文字が書けないなどの突発的な問題に対する手助け程度か。
 「まだ初日だし、あんま無理すんな」
 唸る土方の隣に腰を下ろした銀時はその手の中の書類を覗き込んでみたが、案の定ちんぷんかんぷんである。今まで土方が一体どれだけの種類と数の書類に忙殺されていたのかを思えば、まあ頷ける様な頷きたくない様な。
 「つーかね、元からアイツら仕事しなさ過ぎなくらいだったから。これを機にちょっとぐらい自立心身につけなさいって話だよ」
 田舎から出てきた破落戸めいた連中ばかりの集団。そこに持って来てトップに立った人間の一人が、世話好きとか面倒見が良いとかを通り越してワーカーホリックのきらいがあったのだ。これでは頼るばかりで誰も成長しないだろうに。
 呆れより諦め混じりの、励ましよりは愚痴めいた銀時の言い種に、土方は少しだけ微笑みを浮かべてみせた。力は然程ないが確かな活力の込もったその表情は、病院を出て初めて目にする活き活きとした有り様だった。思わず息を呑む。
 「でも、それを『俺』は嫌ってはいなかった様だからな」
 だから良いんだ。そう落とされた言葉に、薄ら暗さを伴った剣呑な声が自然と滑り出た。止める気もしない。
 「俺は良くなかったんだけど」
 「…え?」
 「お前の、仕事の言い訳は本当は好きじゃ無かったんだけど、って言ってんの」
 不機嫌、不満、不快感も顕わに転じた、棘のある銀時の言い種に、眇めた目の先で土方は寸時瞬きをして、それから困った様に顔を歪めた。おろおろと惑う気配は、今までの土方には到底有り得なかった態度で、銀時はほんの少しだけ胸が空くのを感じて、そんな自分にも矢張りほんの少しだけ後悔した。
 今の土方にこんな弾劾を向けても無意味なのは解っている。だが、今の土方が──銀時を寄る辺に立ち上がる選択を強いられた今のこの土方が、どの程度まで銀時の存在を赦すのかに興味はあった。畏れがまるで無いとは言わないが、それでも勝算のある興味だ。そうでなければ試す度胸なぞある筈もない。
 (……俺ってこんな狡かったっけ?狡いつーか寧ろ汚ェ?〜…崖っぷちまで追い詰めておいて、飛び降りるか助けてくれと縋るかどっちかにしろって迫るみてぇな…)
 寸時浮かび掛けた仄暗い愉悦と、眼前の土方の惑いの表情とが銀時の裡の神経をじわりと苛む。だが、それは銀時自身を責める類ではない。罪悪感などには足り得ない。
 取り戻した筈の活気を力なく表情筋から滑り落として、土方は身の置き所を無くして俯いた。謝る選択は無意味で、そんなものが銀時に必要ともされていないと解るから、その場凌ぎでも口には出さない。理由を求めず簡単に逃れようとする手段をまず最初に取り払うその無意識の思考が、実に土方(あいつ)らしいと思う。
 そうやって、どうしたってお前の意の侭になどなるものかと、何処かでそんな土方の抵抗を感じるのだ。無論、それは恐らく言い掛かりでしかないものだ。少なくとも、今の土方の言動や行動に在りし日の姿を当て嵌めて、それをいちいち弾劾するのは正しくはない。愉悦を憶えようとも、正しいものではない。
 差異をいちいち見出し、痛めつける事に愉悦はあれど満足なぞない。逆に土方の心を萎縮させるばかりだろう。強ち悪い事ばかりではないかも知れぬが。
 今の土方は、思考のプロセスが以前までと大差無けれどその先で決定的に異なっている。責められているのは己であって己ではない。だが、無視も切り返しも出来ない。以前までの土方であれば論理的に逆上した所だろう。不当な怒りを不毛と断じて、銀時の悋気に呆れるぐらいの事はした筈だ。
 今の真っ新になって仕舞った土方の、寄る辺となっているのは紛れもなく銀時の存在だ。それしか選べない様に抱え込んで、真選組(逃げ場)を彼の価値観の頂点から奪って戻さなかったのだから、当然だ。
 だから、土方は己の過失に思えるものに怯える。銀時の不興を買ったのだろう己に罪悪を憶える。
 欲しかったのはこれではないが、良く似た愉悦だ。何処にも遣りたくはない。だが、何処にも見せたくない訳ではないのだ。だから、返してやる心算だ。だけど、返さない心算でもある。
 理想は籠の鳥だ。羽を切ったりはしない。ただ愛でる。誰にでも見える場所で、己だけが愛でる事を赦された愉悦を堪能したい。籠の戸は開け放しで、然し鳥が自分から逃げる事もない。自分の意思でそこに留まるのが良い。
 「冗談だっての。ンな、不安そうな面すんなよ」
 己のものではない罪悪感に沈んで溺れそうになっている土方に、ふ、と先程までの棘を消しながら銀時はそう微笑みかけてやる。軽い所作で伸べた掌が頬を包めば、土方はおずおずと顔を、惑いの色を漂わせながら起こした。嫌悪感には到底至らない、狡い、と訴える様な眼差しにも何の力も無い。これ以上迂闊な事を口にして、銀時の不興を買う事を避けたのだ。『あの』土方が。
 正確には、同じ様な、違うものが。だが。
 自己の唯一の寄る辺として、自己を歪められようとしている恐怖。それが、揺らげば揺らぐだけ浮き彫りにされていく。目に見えた証の様に。何かの結実の様に。
 それをこそ銀時は願望であると認めている。傷つける事に安っぽい憐憫を憶えてみたり、手心にも似た後悔を感じる事で、それを正当化しようとする。
 「髪も風呂上がったら切ってやるし、お前が復職出来る様に何だって手ェ貸してやる。護るのも鍛えるのも教えてやるのも、何だって、だ」
 だから心配する事など何もありはしないのだと、静かな微笑みの侭で囁いてやる。
 だが、その言葉は土方にとっては更なる得体の知れない不安を呼び起こすだけの効果しか生まなかった。色を無くした顔を俯かせて、目尻からいつもの険の様なものを宿した鋭さを失った眼差しは畳の上を力なく歩こうとして、躓いて止まる。
 得の知れぬ執着を怯え、憶え知る依存を無意識で回避しようとしているのだ。行き場と、逃げ場とを失った子供の様に。或いは、飛ぶ選択を忘れた鳥の様に。
 「土方」
 下方へ向けられた顔を捉えて、所在無く漂う瞳を己一点にだけ向けさせて。噛み付く様に口接け、土方の咥内を愛撫しながら、今まで幾度となく思った事を繰り返して思う。
 支配したい、飲み込ませたい、啼かせたい、好きにしたい、甚振りたい、滅茶苦茶にして仕舞いたい、心ごと己の全てを受け入れて貰いたい。それは最早願望ではなく、手に届くものになった。
 これは俺の所有物だ。俺の好きに打ち直して行って良いものだ。お前の願望と俺の執着とが体良く利の一致で結びついた結果の産物だ。
 「ふ、」
 しつこく触れ合う粘膜の刺激に、至近距離の土方の目が惑って揺れる。ほんの少し口唇が離れた隙に、消え入りそうな声。
 「こ、んな時間、から」
 最早銀時の口接けがちょっとした戯れのものではなく、欲情を孕んだものである事を確信せざるを得ないと言うのに。曇天とは言え昼間の明るさに白々と明るく縁取られた、居慣れない家屋の生活空間と言う状況と場所とに対して土方は気後れする様に訴えて来る。が。
 「良いじゃん。新婚生活みてェなもんだよ?コレ。お前が復職したらスグに忙しくなって、こんなん堪能出来る時間もそうそう無くなるだろうし、」
 事も無げに笑って言いながら、銀時は一旦切った言葉の合間に、土方の下肢に足先で触れた。
 「〜ッ!」
 びくりと戦く、着物越しの性器は銀時の足指に、如実にその変化を示して来ている。
 「お前のがノリノリみてェだし?……な、病院で抱いてやってから、思い出して抜いたりしなかったのか?」
 「し、してな…い、に決まって」
 至近距離の、情欲も蔑みも隠さない、獣じみた下卑た銀時の笑みに、土方は真っ赤になってかぶりを振る。この様子だとどうやら、『初体験』から向こう、意識だけは常にしていた様だ。
 斯く言う銀時とて、実は忍耐はしていたのである。ただ、本格的に逃げ場のなくリスクも伴う病院と言う場所で、土方を精神的にこれ以上追い詰めるのは逆に得策ではないと思って──何しろ、環境が限定的なので楽しめないと思ったのもあったのだが──、敢えて直接的な行為は避けていたのだが。
 こうして解り易く反応を示してくれると、矢張りそれなりに気分も良くなろうものだ。
 二人のほかには誰もいない家は、正しく本当の意味での揺籃の地となるだろうか。籠で囲う、仄暗い願望を紡ぐ日々を満たすにはきっと相応しい。
 抱いた肩から着物を滑り落とさせながら、銀時は未だ新しい傷痕の残る土方の肌へと、労る様に愛でる様に唇を落としていった。
 熱に揺れ始めた眼差しが茫漠と天井を見る頃には、処理しきれない困惑も棄てきれない羞恥も、思い出したい情も、全てはきっと終わっているだろう。
 後はただ、手を取って優しく。綿に包む様に優しく、そして丁寧に。それを籠へと導いてやるだけだ。
 







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