天国の日々 / 7



 汗ばんで、布団に溺れそうになっていた背を起こした。
 夢を見た訳でもないのに、酷く不快で酷く怖い処に今まで居た様な心地がして、土方は畳に手をついて障子に躙り寄った。まるで主人の秘め事を覗く家政婦の様に、恐る恐る隙間を作った戸からそっと頭だけを覗かせると、左、右、と縁側を見渡して安堵にはほど遠い息を吐く。
 時刻は夕刻に差しかかる頃で、斜めの弱々しい残照が庭木の天辺を薄ら桜色に染めていた。冬の日の沈みは早い。恐らくは布団に入ってから一時間も経過して無いだろう。
 仮眠でもとってみたらどうですか?そんな事を山崎に言われ、渋々布団に入ったらこの為体だ。眠れた気も、休めた気も、落ち着けた気もしない。どうやらまるで時間の無駄だったらしい。
 仕事は、と反射的に見遣った卓の上は、いつもの書類山は何処へやら、綺麗に片付いて仕舞っている。処理待ちのボックスも空だ。ここ数日の土方の寝食を惜しまぬ仕事ぶりに因って、残務などと言う言葉は絶滅した様だ。
 無論常々仕事には没頭するし真剣に向かっているが、真選組副長が書類を事務的に片づける機械(からくり)ではなく人間である以上は、睡眠や食事やその他諸々、自らを削ってまで職務に全てを捧げねばならないなどと言う謂われは無い。筈なのだが。
 「トシ、ちょっとお前隈が酷いぞ?ちゃんと寝てるのか?」
 朝、食堂で狙って相席を取った近藤に、そんな事を少し顔を顰めながら指摘されたのもあって。昼、調査中の事案を報告しに来た山崎にそれとなく、最近どうも寝付きが悪いみてェなんだが、と切り出してみたら、
 「副長、ここ数日食事風呂厠と早朝の鍛錬以外はずっと机に向かいっぱなしじゃないですか。見廻りにも、暇がないとか言って出て行ってませんし……ちょっとした中毒ですよ、机仕事の」
 そんな事を小言めいて言われ、先の仮眠の提案に至る。
 手っ取り早く睡眠導入剤でも寄越せば良いのにと冗談交じりの悪態を返せば、本当に心配そうな顔をされた挙げ句、薬物に頼るのは駄目だとかなんとか突っぱねられた。
 そんな所に通りかかった沖田には、「人間なんですから、疲れりゃその内勝手に眠れますよ。何なら俺が永遠に眠りを提供して差し上げても構いませんぜィ」などとエラく物騒な事を提案されたので、こちらは全力で断っておいた。
 死ぬ気なんぞ未だ、無い。死にたいなどとは、殺されかけたって思わない。
 眠ろうとも休もうともしようとしない、この身体が果たして何を思っているかなぞ知らないが、自分はどうしたってこうするしかない。
 だから、生きて、起きて、動いて、仕事をして、忘れて、進んで行く。
 立ち止まって夢なぞ見たら、なにかに捕まって仕舞う様な、気が。した。
 きっとそれは、自分でも忘れていた、一歩先の、孔の底。

 *

 フロントガラス越しに、前方に鈴なりになっている人間たちを認めた時から厭な予感はしていた。
 息急き切って駆けつけた証の様に、少々急ブレーキ気味で停車した警察車輌から降りると、土方はたちまちにこちらを一斉に取り囲もうとする報道陣を部下たちにあしらわせながら、野次馬の人垣に一直線に向かって行く。
 「土方さん!今回も義人党事件だと言うのは本当ですか?!」
 「爆弾への対処は住民の退避だけで充分でしょうか?」
 「土方副長!」
 こう言う時の鉄則は、何も喋るな、だ。どうせ報道にも使えそうもない面白味などない場面だと言うのに、パシャパシャと忙しないフラッシュと質問とが次々浴びせられるのが鬱陶しい。一時白くなって黒い影を視界に焼き付けるそれに目を眇めながら、土方は無言で足を進めた。
 「退いて下さい!」
 「離れて、近付かないで下さい!」
 部下の隊士らがモーゼの通る道を空ける様に両手を拡げて野次馬を掻き分ける、そこを堂々と進んで、軽く持ち上げられた規制線のテープを潜り抜けていく。
 (大体にして、現場に今着いたばかりの奴が詳細を知る訳ねェだろーが)
 それだけでたちまち遠くなる喧噪にうんざりと口の端を下げて、土方は少し歩調を早めた。その後方から、付近で待機していた山崎が小走りで追いついて来る。
 「状況は」
 僅か左後方に山崎が付くなり簡潔に問えば、既に得ていた様に頷きの仕草すら返す事もせずに、当面土方の知りたい情報が、何かを読み上げる様なトーンですらすらとその口から出てくる。
 「家人及び規制線内の住民は既に避難が完了しています。爆発物は今現場で捜索中。要求等は一切無く、犯行声明の文面や手口からして、義人党の仕業である事は間違いないでしょう」
 「…まァた連中か。正義の味方の心算だかなんだか知らねぇが良い迷惑だよ全く」
 山崎の報告に、土方は軽く舌打ちをして、奇妙に人気の無くなった夜の住宅街を見回した。
 

 国を護る礎、規範たるべく幕府要人の犯した罪、天誅に値する。
 一年ばかり前の話だ。そんな捻りも何もない頭の悪そうな文句で始まる、怨み節の連なった犯行声明とも予告状ともつかない文面を添えた手紙が、一通のA4サイズの封筒に入れられ外交関係の某局に郵送で届けられた。
 その内容は、遠距離からの隠し撮り(しかも携帯電話の様なものに因る)らしい写りの悪い何枚かの写真と、ある幕臣の周囲の違法な金回りを告発する内容の書面。そして同封されていた手紙には先の但し書きの記された、まるで脅迫とも取れる内容が書かれていた。
 脅迫らしき部分は簡潔に一言。○○の不正な財が天誅を下す。(※注:○○部分には当該幕臣の名が書かれていた)とだけ。
 文法的には些か不自然ではあったが、これを犯行予告の類と取った警察に因り、真選組が捜査権を受諾。対テロリスト用特別捜査権限を行使し、半ば強行手段で○○の屋敷を捜索。結果、○○が個人資産を収納していた蔵から意図的に何者かが設置した爆発物が発見された事で、事件は幕臣を狙ったテロと断定。
 更に、爆発物の処理作業の後、蔵から発見された物品の一部が盗品として届けられていた物であると判明した事で、○○の身辺が洗われ、盗品を捌く犯罪グループとの繋がりまでが芋蔓式に明るみに出たのだった。(犯行声明に同封されていた写真は、取引の際の隠し撮りらしかったが、生憎不正の直接の証拠とはならなかった)
 市井ではこの『天誅』が、単なる攘夷浪士の、破壊や脅迫を目的としたテロ活動と一線を画する事が、面白半分もあって声高に囁かれる事となり、報道規制の甲斐虚しくも、一部では事件を起こした『義人党』を名乗るテロリストグループを英雄視する声も上がったりした。
 とは言え、幾ら幕府要職に就く古狸らの汚職や不正を明るみに出した所で、爆弾は本物の殺傷力を持つ代物で、それに因って一般市民や交通網や警察消防が迷惑を被る、身勝手な正義である事には変わりない。
 現場に残されていた爆発物及びそれを仕掛ける事の出来た容疑者、犯行予告として届けられた封書など、遺留品は多かったのだが、犯人の核心に迫れる様な物証には残念ながら至らなかった。
 その後、同じ『義人党』を名乗る、同種の事件が幾度か散発的に起きた。時期も内容もバラバラであった為に模倣犯の仕業も疑われ、実際に多数の事件の中で『本物』と認定されたのはこのうち三件のみである。
 『本物』の区別だが、最初に必ず何処か(主に公的機関の施設)へ送りつけられる犯行声明文にはマスコミには公表されていない落款の様な意匠が記されており、これが『義人党』の曰く『天誅』テロを真似ただけの愉快犯の仕業ではないと判別する術となっている。
 これまでの『本物』の三度の、何れも爆発物の爆破被害は未然に防がれたが、それを仕掛けられた幕臣や商人は、必ず何らかの不正を暴かれる形となって失脚及びそれなりの処罰を食らう羽目になっている。
 幕府はこの、徳川幕府及び警察組織を舐めているとしか思えない犯行を、国家を揺るがす攘夷思想のあるテロリストとみなして全力で捜査に当たる事を警察関係組織全てに命じた。普段は凶悪で危険思想を抱く攘夷党にしか適用されない特別警戒指定扱いとしたのである。
 これ以上犯罪行為を民草に支持される訳にはいかない。ただでさえプロファイルでは、犯行を行った者は『英雄視される事を望む、社会的に日頃目立たないが自己顕示欲が強く慎重な知能犯』、とされているのだ。人々が事件を良い方に解釈すればするだけ、調子づく事は間違い無い。
 然し先の三つの事件で用いられた爆発物や犯行声明にも、サイン代わりの落款以外の共通点がまるでなかった。土方は良く知らない話だったのだが、爆弾とは作成者の性格や思想が色濃く出る芸術作品の様なものなのだと言う。その爆弾が三つ、三種類、それぞれまるで違う制作者の手に因るものではないかと鑑定された。
 複数人の犯行となると、『義人党』とやらには少なくとも爆弾の製作に長けた者が三人は居る事になる。組織的な規模の大きさ、犯罪シンジケートとの繋がりも懸念される事態だった。
 そういった危機感だけが募り捜査は一向に進展しなかったのだが、そんな中偶々、市中見廻り中の土方と沖田とがとある飲み屋での喧嘩騒ぎに遭遇し仲裁に入ると言う小さな事件が起こった。
 傷害事件となったその被害者は自称IT系の小さな事業を行っていると言う男で(実際はネットワーク軽犯罪に長けたハッカーの類だった様だ)、店内で飲んでいた他の客の女に知らず手を出したとかなんとかで喧嘩になったらしい。まあよくある騒ぎだった。
 だが、店のスタッフルームを借りた簡単な事情聴取の最中、土方は被害者の男の破れた衣服から覗く、二の腕のタトゥーに気付いた。その意匠が件の『義人党』が犯行声明に用いる落款に似たものであった事にも。
 落款は警察のデータベース上の検索では、何れの犯罪組織のものや意味のある紋様としても合致してはいない。恐らくオリジナルのものでしょうね、と山崎は私見を交えそう断定していた。
 土方がタトゥーについてを問い詰めた時、男はそれには答えず懐から素早く携帯電話を取り出した。
 被害者から一転して被疑者。そう言った輩の動きには敏感な土方がその不自然な動きを見逃す筈もなく。半秒後には刃が閃き男の指は飛ばされ、携帯電話は宙に舞っていた。
 落下寸前で受け止めた携帯電話は、その外見にはそぐわぬ重さだった。土方の予想は正しく、それは携帯電話を模した小型の爆弾だと後々知れた。蓋を開くか衝撃が加われば直ぐに爆発したと言うそれには、本体の中に爆薬と細かい鉄の破片が詰め込まれていた。狭いバーのスタッフルームで炸裂していたら、男も、土方も、沖田も、暴力沙汰を起こした容疑者も、大なり小なり負傷を負っていた筈だ。
 指を切断されて泣き喚く男(※注:なお、指は切断面が綺麗だったのと、逮捕しつつも素早く冷やす判断を下した土方のお陰と言うべきか、一応はくっついた)を現行犯逮捕し、事情聴取──と言う名の拷問に近い──を行った所。
 『義人党』とはインターネット上のフォーラムで集まった者らの集いで、シンボルマークと爆発物を用いた正義の告発、と言う大義名分を共通点に、各々勝手に不正を暴く事を主にした犯行を行っていたと言う。
 人数は少なくとも三人以上いるが、正確な数は不明。また互いに面識も一切無い。その時逮捕された男も、簡単な爆発物の知識はあったが実際に未だ犯罪は犯してはいない。(携帯電話に模した爆弾を持ち歩いていたのは、青少年が刃物を持ち歩いてみるのと同じ様な心地だったと証言している)
 爆発物ないし爆弾を用いたのは示威的な意味の強さと、話題性から事件が大きく扱われる事で、警察が仮に幕臣の不正を揉み消したとして、マスコミの影響力に期待出来るだろうと言う判断からだそうだ。
 ともあれ、一応はそのフォーラムにアクセスしていた者らの身辺調査及び捜索令状が下りて、事実上『義人党』と言うネットワーク上の集まりは解散した、筈だった。のだが。
 何分未だ規制の難しい、ネットワークと言う世界での出来事、しかも結局逮捕された暫定『義人党』メンバーらには実質的な罪状が何もない状態。国家反逆罪の適用にも弱すぎる。しかも殆どが未成年か成人したばかりの人間だと言うのだから始末に負えない。
 結局、ネットワーク犯罪行為うんたらかんたら(面倒だったので土方の頭に正確な罪状名は入っていない)とやらで、何れの容疑者(未満)も厳重注意程度の処罰に終わっている。
 そして、一連の流れは報道されなかったにも拘わらず、『義人党』を名乗り、落款をきちんと用いた曰く『正当な』後継者とやら達が、未だ時折世間を騒がせている始末だ。落款についてはネットワークのアーカイブファイルだかなんだかから一部に流出したのか、それとも犯行に及んでいるのが嘗て義人党に『所属』していた者なのか。未だ不明である。
 大事に発展しそうな不正から、コンビニ店長の収益の虚偽報告に因る横領まで。爆弾も、比較的に大掛かりそうなものから、子供にでも作れそうな簡単なパイプ爆弾まで。
 山崎曰く、「最近はインターネットで簡単な爆弾作成の知識程度なら得る事も出来るみたいですし」だそうだ。無論、道具などから犯人を逮捕に至る事もあるが、そんなヘマをやって捕まるのは大概、己が正義を行っているのだと言う考えに耽溺した若者程度のものだ。それも最初の『義人党』と同じく、その名を借りて個人個人で行う犯罪である為、形のない『義人党』と言う思想の母体を潰すには至らない。
 不幸中の幸いと言うか。或いは厄介な話なのだが、『義人党』を名乗る連中の起こした、不正を暴く爆弾テロ、で死者や重傷者が出た事は未だ、無い。爆発物及び爆弾と言う事で騒ぎになって、慌てて逃げた人々などの間に軽傷者がいるぐらいのものだ。
 騒ぎは大きく、社会的影響も大きいと言うのに、実用的な被害は無い。この事も事態を長引かせる要因であったと言えよう。
 こればかりは、例えばネットワークの犯罪行為に対する法整備、爆発物の材料などを簡単に入手不可にする為の法整備、そもそも若者がPC筐体の中の現実に生きるでなく、真っ当に社会で生きる様にしてやらねばならない、と言う社会問題などの方面から解決を見なければ、永遠にイタチごっこが続く手合いの話だろう。
 まだ犯罪シンジケートの方が目に見える組織の形があるだけ扱い易い。攘夷時代を知らねぇ様な若造がイキがって馴れ合う程度のソーシャルネットワークからテロリストグループが生まれるたァ世も末だ、と土方が愚痴ったのは比較的最近の話である。
 

 ともあれ。今回の事件も『義人党』を名乗る者からの犯行声明が送られて来た事に因って発覚した。しかも、今回の犯行声明は大胆にも警察庁に直接送られて来ている。
 存在しない部署の存在しない人間宛で、不審に思った係の者が主任立ち会いの元で荷物を開封した所、中からは小型の爆弾──爆発物らしきものと件の落款の押された犯行声明が出たとの事で、警察は即座に事件を『義人党』の仕業と断定。犯行声明に指定された幕臣、黒川何某の屋敷へと真選組が出動するに至る。
 土方が今向かっているのは、退避命令の出された半径百米弱の中心部にある、黒川邸である。先頃の規制線から一直線にしても百米は歩かねばならないので少々億劫だ。
 付近の住民は全て退避命令に因って姿を消している。火事場泥棒や野次馬の侵入を警戒する為に警察関係の人間が所々見張りに立っており、上空飛行も禁止されている為に報道関係のヘリの音も幾分遠い。夜八時と言う時間も相俟って、街は不気味に暗く静まり返り、まるでゴーストタウンの様に見える。
 「警察庁の方の爆発物は?」
 土地を広く取った和風建築の平屋。そんな黒川邸の門扉に辿り着いた所で、土方は煙草を携帯灰皿で始末した。敬礼する見張りの隊士らを労う仕草をしてから、山崎を振り返る。
 「時限装置や遠隔装置の類は確認出来なかったそうで、解体作業に入っている筈です。詳しい事は未だ解りませんが、コンパクトなサイズの割には中々手が込んでいるらしいと言う話です。
 また、予告状には黒川殿が尾張屋から不正な献金を受けていたと言う旨のリークがありました。そちらの真偽も現在の所確認中ですが…」
「まあそっちの方は見廻組にでも任せときゃ良いだろ。エリート様方の好みそうなネタなら、どうせ内々から証拠固めでもしてんだろうしな」
 自分たちは現場で爆発物の対処と、それを仕掛けた奴を挙げるのが仕事だからな、と投げ遣りな仕草と共に続ける。
 見廻組の公安的な役割を考えれば十二分にある話だ。連中は真選組の様な実用一辺倒な『現場』主義ではなく、机上も含んだ『現場』を得意とする。
 白服の局長の淡泊な面構えをつい反射的に脳裏に描いて仕舞った土方は、早速次の煙草を取り出したくなる不快感に息を吐きつつ、取り敢えず頭で組み立てた行動を指示にして出した。
 「山崎、お前は傍受でも何でもしてその侭暫くそっちの情報収集に努めろ。こっちに本命の爆発物があるたァ言え、犯行声明にも爆発物が用いられるなんてケースは初めてだ。用心するに越した事ァ無ぇ。
 あと、近藤さんもこっち向かってるってさっき電話があったが、警戒区域内には絶対入れんなよ」
 「はいよ、了解。副長もお気を付けて」
 命令を受けて、山崎は敬礼を一つ残すと踵を返した。警察庁の監視システムにアクセスするにしても、PCとネットワーク環境がある場所に行かなければ用は為せない。
 山崎の姿が人気のない夜の町を戻って行くのを見送ってから、土方は黒川邸の門を潜った。見張りの隊士に案内される侭、然程は広くない庭に向かうと、そこには防護盾を装備した真選組隊士らが待機していた。一斉に敬礼する彼らに、構うな、と手の動きだけで返した時、丁度屋敷の中から専用の対爆スーツを装備した隊士が下りて来た。ハズマットスーツにも似た、全身を覆う頑丈なスーツの関節や胴体の急所に頑丈なプロテクターが取り付けられているそれは一般風景の中で見ると少々奇異な出で立ちである。
 「報告」
 「は」
 爆破物処理班の隊士は土方の前にやって来ると、頭部を覆うヘルメットを後ろに外して敬礼を行った。びしりと背筋を正しながら言う。
 「犯行声明には爆発物の詳細な位置は記されていませんでしたが、犬に検知させた所、家人のコレクションルームにあった狼だか犬だかの剥製の内部に仕込まれているのを発見しました」
 コレクションルーム、と言うのはどうやら剥製などが置いてある部屋と言う事だろう。実に解り易い道楽っぽい趣味だ。
 剥製を作るにはかなり特殊な技能が必要になる。予め屋敷に飾ってあった剥製に手を加えて爆発物を仕込むと言うのは、時間的にも技術的にも少々考え難い。
 「……て、事は、その犬でも狼でも何でも良いが、それが部屋に置かれた時から中に爆発物は隠されていた、と考えるべきだな。
 誰か、黒川殿に犬だか狼だかの剥製の話を聞く様本部に連絡を入れろ。逐一報告」
 鋭い声に転じた土方の命令を受け、庭に集まっていた隊士が二人、諾を示し駈けていく。念の為だが、電波や火器の使用は特に危険範囲内では厳禁とされているので、命令は口頭での遣り取りが主となる。
 「すいません、自分、犬にも狼にも…と言うか動物には疎いもので」
 何故か申し訳なさそうに言う爆破物処理班の隊士に、気にするなとぽんと肩を叩いてやって、土方は屋敷を軽く見回した。
 大きな屋敷だ。どの程度『実用的』だったかはさておくが、今までの義人党の手口からすると、捜索にはなかなかに骨が折れそうだ。思いながら言う。
 「他に爆発物は」
 「犬は他には検知していませんが、熱、電波、爆薬検知を用いて人力で捜索中です」
 今までのケースを考えれば、爆発物は一つだけである蓋然性は高い。だが、先入観は禁物だろう。一歩間違えれば大事になる様な類であるだけに判断にはより慎重さが求められる。
 部下の素早く的確な判断に感心しつつ、土方。
 「良くやった。時限装置や遠隔装置の類は?」
 「ざっと見た限りでは無い様に見えますが、結構に複雑な形状の爆発物(もの)ですので、慎重に調べさせています。他に爆発物の気配が邸内に無く、解体が可能だろうと確認出来次第、処理もしくは解体に移ります」
 「任せる」
 頼んだぞ、と短く言い置くと、隊士は再び大仰に敬礼をしてから、頭部の防護を着直して屋敷の中へと消えて行った。
 真選組が爆弾解体の処理班を本格的に新設したのは、そう古い話ではない。そもそも爆弾を良く用いるテロリストとして名高い桂の存在もあり、組の発足当初から計画の青写真だけは既にあったのだ。
 だが、桂の爆弾は簡単な時限式か衝撃式の──所謂手投げ弾に近い類が多く、よくある爆弾魔の仕業の様な、標的の居場所に仕掛けてドカンなどと言う卑怯な真似が行われた事は実は過去一度も無い。
 そんな事情もあって、設置型の爆発物を解体する技能の必要性は真選組には当面無く、処理班結成の話は宙に浮きっぱなしになっていた。
 だが、昨今では市井に現れる攘夷浪士のテロ行為や攘夷党同士の小競り合いなどでも、結構に爆発物は頻出する様になりつつある。それこそ義人党の様に、インターネットなどで気軽にそれらの知識を得る者が増え、悪戯に用いる様なケースも起きている。他星や天人を経由する事で材料が法整備の及ばない所で流通されているのも原因なのだが。
 御粗末なパイプ爆弾と言えど、簡単な時限装置を付け巧妙に仕掛けられればその殺傷力は絶大である。そして爆発物を用いる者と言うのは得てして自己顕示欲が強く、示威としての意志を大きく世に膨らませたがる。無差別に被害を及ぼす可能性が高いと言う実際の威力もさることながら、社会現象的な威力も大分影響を世に残す。
 そんなご時世、万一爆弾事件が発生した時、事件の解決まで真選組が単独で動けなかったり、爆発物処理班を有する他の警察組織とも連携が必須になると、どうしても命令系統などでごたついてなかなか事件が収束に至らなくなる。
 それらの事情もあり、浮いた計画を戻し、真選組にも爆発物処理班が新設される流れとなったのである。
 処理解体技能を一部の志願隊士に行わせ、また外部より専門知識のある人材を招聘し、専用の人員を構成した。また、前線の隊士らにも簡単な講習を受けさせる事で、近年頻発する爆発物事件にある程度対処出来る様に務めた。
 爆発物処理班として技能を学んだ彼らは、他の機関の類似組織同様に優れた専門知識と技能とを有している。そんな彼らの行動や判断を、土方は疑う心算などない。
 そんな頼もしい部下との遣り取りで状況確認を粗方終えた土方は、一旦本部に経過報告をする為に屋敷の門へと戻った。携帯電話を取り出す。
 本来ならば、電波検知で爆発する可能性もある為に携帯電話の使用は禁じられているのだが、そう言った仕掛けの類はなさそうだと言う部下の判断を信じて、近藤宛に状況報告を素早くメール送信しておいた。口頭の方が早いのだが、長くなる可能性もあるからだ。
 無論、現場の規制線内には入るなよ、ともう一度書き添えておくのは忘れない。
 爆発物がどれだけの規模かは定かではないが、犬と間違えるサイズの狼の剥製(の中に隠せた)程度ならそう大きくは無いだろう。とは言え、爆発自体が屋敷の一部を吹き飛ばす程度の規模のものであったとして、爆風や破片が何処まで飛ぶかが解らない上、飛散物に放射性物質や細菌と言った汚染性の類が仕掛けてある可能性も否定出来ない。そんな訳で規制線は爆発物から最低半径百米は離す決まりである。
 と、携帯電話を懐に仕舞った土方の元へ、庭に居た隊士が駆け寄って来た。
 「副長!処理班からの連絡で、"爆発物の反応は他に無し、これから解体作業に移る"との事です」
 「そうか。ご苦労」
 報告に軽く顎を引いて応えると、土方は屋敷の方を振り仰ぐ。処理班の腕を疑う様な事は一切無いが、現場、それも室内に専門知識も装備もない土方が居た所で役には立たない。それが、こう言った現場では何とも歯痒い様な心地になる。
 本来指揮官として極力前線の、最も危険な部分に立ちたいと思うのが土方の性分だ。現場の、苛烈な空気に晒されずに後方で指揮を執ると言うのはどうにも好まない。
 すっきりしない心地を持て余し、ヤニ不足なのもあって少々落ち着きなくその侭門扉の辺りに土方が佇んでいると、ポケットの中で携帯電話が突如震えた。音の設定のない、着信バイブのリズムは山崎からのものだ。
 山崎も規制線内が電波厳禁である事は知っているだろうから、緊急の話だろうかと、土方は躊躇わず着信ボタンを押した。門扉を一旦外に抜けると屋敷の外壁に背を預けて、部下からの報告に耳を澄ませる。
 《副長、大変です。つい今しがた、警察庁に送られて来た犯行声明の爆発物が爆発しました》
 山崎の緊張に硬い声音に、思わず土方は背を浮かせた。見える筈もないが、警察庁のある方角に思わず視線を向けて仕舞う。
 「どう言う事だ?時限式だったのか?」
 《いえ、どうやら解体中に爆発した様です。解体していた人員一名が重症で、後は軽症ばかりの様ですが、》
 通話の向こうからは、山崎以外の声も雑音の様に漏れ聞こえて来ている。警察庁内の通信などを傍受している山崎も、情報の整理に片耳で集中している様だ。察して土方は一旦口を噤む。
 爆発物は基本的に、処理するとしても周囲に危険性の無い場所で二重三重に防護をして臨む。警察庁のオフィスで無防備に拡げて行うものではない。故にサングラスの長官や警察組織を動かす様な上役達に被害が及んでいるとは流石に考えもしていなかったが、それでも肝が冷やされる心地がする。
 そもそも、回収された爆発物は通常ならば解体よりも処理を優先して行う。水中、土中、専用の密閉筺の中などで意図的に起爆させる事で処分するのである。それが、解体と言う判断に至り、なおかつ途中で爆発させて仕舞うとは、どう言う事なのか。
 故に土方の疑問は、時限式などの方法で犯人が意図的に爆発する様仕込んでいたのではないかと言う考えからのものだったのだが。
 少しの間を置いてから、土方の疑問を正しく解していたらしい、山崎が続ける。
 《どうやら、解体出来そう、に見えた為に、解体に踏み切った様です。爆破処理するよりも証拠品がより完全な形で手に入りますからね…》
 信管さえ無事外せれば通常は爆発しない。そういう仕組みだ。それを、爆発物処理に精通したプロがミスを犯すとも考え辛い。解体出来そうだと判断された様な代物であれば猶更だ。
 《意図的に、解体を狙って爆発する様仕掛けた、トラップの可能性もあるかも知れません。地球外の機構や材料を用いた可能性も》
 「……解った。ご苦労だったな山崎。引き続き情報収集を続けろ。トラップで爆発したって言う線があるなら、こっちは未だ間に合うかも知れねぇ」
 《え、ちょっとふくちょ、》
 ぐるりと屋敷へ向き直ると、受話口の向こうで泡を食った様な声を上げる山崎はもう気にも留めずに土方は終話ボタンを押しながら屋敷の庭へと向かった。防御姿勢で待機を続ける隊士のひとりを捕まえてコレクションルームとやらの場所を確認すると、念の為を思って携帯電話をその侭投げ渡し、土足で屋敷に飛び込む。
 「副長?!」
 「総員、念の為に対ショック態勢で待機!」
 庭に居並ぶ隊士らにそう命じると、追って来る制止や疑問の声を振り切って土方は邸内を駈けた。
 これから解体に入ると言っていた。もしも、警察庁に送られた爆発物が、解体しようとするアクションに対し起爆する様な手の込んだ機構であるとすれば、こちらにも同じ仕掛けがあったとしてもおかしくはない。
 然し、今までの『義人党』のやり口とは何かが違う。幕臣の不正行為を暴くなどと言うのはオマケで、まるで何かを意図的に狙っている様な意趣を感じる。
 警察庁。犬だか狼だかの剥製。真選組の爆発物処理班──
 (義人党のやり口に沿わせた、単なる警察組織への攻撃行動にしか思えねェ…!)
 今までの、不正を暴くと言う目的で仕掛けられた義人党の爆発物は、その不正を暴き易い場所の近くに設置されている事が殆どだった。違法売買で手に入れた盗品の入った蔵や、店の金庫、不正な談合の証拠書類など。
 それと比べて、今回は何故剥製の中などと言う象徴的なものなのか。不正を犯した者として示されている黒川は外交系に務める幕臣で、尾張屋は天人要人に納める地球独自の文化で作られる名産などの仲買人だ。両者に職務上の接点があれど、大凡剥製の趣味がそれらに結びつくとは思えない。
 犬の剥製。その意趣が特に雄弁にそう指している標的がもしも警察組織であれば。解体して証拠を確保しようと言う行動に出る事こそが、犯人の狙い所に違いない。
 解体しようとして爆発した、と言うのであれば、解体前ならば恐らく間に合う筈だ。
 時限式や遠隔操作系の仕掛けの可能性は恐らく無い。少なくとも見て解る様には存在しない。それらの機構を解体側が検知すれば、危険を冒してまで解体を選ばない。安全な場所で爆発させて仕舞えば良いのだから。
 コレクションルームとやらには迷わず到達出来た。十畳程度の広間の襖は開け放たれ、居並ぶ剥製が部屋の中を囲む様に鎮座しているのが幾つか確認出来る。同時に、その中央辺りに対爆スーツ姿の隊士らがしゃがみ込んで工具などの準備をしているのが視界に飛び込んで来た。
 部屋の入り口付近には、頑丈な爆発物処理用の筺が出番を待って佇んでいる。
 そこに向けて廊下を走りながら、土方は声を上げた。
 「中止だ!お前ら、解体は直ぐに中止しろ!!」
 頑丈なプロテクターに頭部全てを覆われた彼らだったが、鬼の副長の怒声は奇跡的にもその耳に届いたらしい。驚いた様に、一斉に持ち上げられた頭たちが廊下を振り返る。
 「副長?!ここは危険です、近付いては」
 「警察庁に送りつけられた犯行声明の爆弾が爆発した!解除に際するトラップの可能性がある」
 その言葉に、処理班の隊士らが慌てて道具を引っ込める。解体作業に入っていないのだから、ツールボックスを横に退けた所で何にもならないのだが。思ったが、然し安堵で土方は息をついた。
 仮にも爆発物に近い場所だ。迂闊な振動などは起こしたくなくて、土方はコレクションルームまでの残り数歩を歩いて接近していく。
 「時限装置とかの危険性は無いたァ思うが、直ぐに市街地から移送させた方が」
 
 その瞬間、視界が白く灼けた。







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