天国の日々 / 9



 取り敢えず、依頼を受けてくれる気があるのであれば来て欲しいと頼まれ、銀時は殆ど衝動と勢いの侭原付に飛び乗っていた。今スピード違反などで捕まったら飲酒運転も加えて切符を切られそうだったが、構わず出せる限りの速度で車の間を摺り抜け走る。
 病院の駐輪場に原付を押し込んで、ヘルメットとゴーグルをハンドルに引っかけて。そこで漸く、するのを忘れていた様な溜息が一気に溢れた。
 (……何、やってんだ、俺ァ)
 状況と山崎の様子からして、土方がニュースで言われていた『真選組隊士に出ている重軽傷者』の中の一人に含まれるのは間違いない。
 だが、だからと言って、自分はこんな風に気軽に見舞いになど顔を出せた立場だっただろうか。思って自嘲する。別れを切り出したのだから元通りの自分たちの距離感に、限りなく隔てられた途にそれぞれ戻らなければならないのだ。そう、己に言い聞かせたばかりではないか。
 ニュースを見てつい心配になって、土方の携帯電話に連絡を入れる。自分達はそんな関係では無かった筈ではないのか。
 山崎が『依頼』がどうの、と口にしていなければ、銀時はここで思い直して回れ右をしていただろう。そう、内容が何であるのか詳細は知れないが、真選組は、少なくとも山崎は今万事屋への『依頼』事を抱えている。だから来たのだ。それだけだ。
 我ながら諦めの悪い、とうんざりしながら、銀時は朝の時間帯、未だ外来も開いていない大江戸病院の外壁を見上げた。聳え立つ壁の様だ、と、そんな他愛もない様な感想を込めて、乗り越えるとも崩そうとも思わない侭、そちらに向かって歩き出す。
 まだ受付も開いていないから、正面玄関はロックされているだろう。だから銀時は迷わず、駐車場から近い裏口へと向かった。ちらりと見遣った救急車用のスペースは空いており、『今』は急患は担ぎ込まれていないのだろうなとぼんやり考えた。
 裏口の、緊急時にはストレッチャーも通れる両開きの戸を押して、隙間から院内へと入り込む。診療も始まっていない時間帯の廊下には薄暗い非常灯しか光源が無く、愛想のないリノリウムの床を更に平淡に見せていた。
 裏口の受付は警備員の詰め所になっていたが、その向こうに座る制服姿の中年男は銀時の事をちらりと一瞥すると軽く顎をしゃくる仕草をしてみせて、それから直ぐに手にした朝刊へと視線を戻して仕舞った。予め話は通してあると言う事なのだろう。白髪頭の胡散臭い浪人風の男が来たら黙って通せ、とかそんな具合に。
 警備員の示した通りに廊下を少し進むと、左に階段、右に小さなエレベーターホール兼休憩スペースがあった。正面は外来用の各種診療室のあるブロックの様だが、今は閉ざされた観音開きのガラス戸に遮られている。開院時間になれば開け放たれておくのだろう、ドアストッパーのハンドルが見えた。
 銀時はぐるりと、億劫な心地と惑いとを抱えながら右側、エレベーターの方を振り返った。そこには自動販売機に寄り掛かる様にして立っている、栗色の髪の少年の姿がある。
 「お早うございます。こんな朝早くから旦那に会える日が来るたァ思いませんでした」
 「あいつは」
 出迎えに出て来たのだろう沖田は、銀時が自らの軽口を余裕もなく除けた事に、ほんの僅かだけ不快そうに──少なくとも銀時にはそう見えた──片眉を持ち上げてみせたが、息を吐く様に肩を下げると、啜っていた粒入りコーンスープの缶を背後のゴミ箱へ無造作に放った。ガラン、とかなり重たい音を立てたスープの缶がゴミ箱の底に落ちる音が響く。飲みかけ、どころか、まるで手などつけられていなかったのかも知れない。
 「……付いてきて下せェ」
 とん、と伸ばした指先でエレベーターのボタンを押せば、此処に下りて来た沖田以外に利用者はいなかったのか、扉は直ぐ様に開いた。銀時は促される仕草に続いて無言でエレベーターに乗り込む。
 同じ様に無言で沖田の押した、三階と言うボタン。エレベーター内に貼ってある案内板に因ると、そこには『集中治療室』とあった。
 
 
 一階の構造と同じく、エレベーターの到着した三階には直ぐ、治療ブロックと入院ブロックとを隔てる扉があった。そこに立っていた真選組隊士が敬礼の姿勢を取るが、沖田は一瞥もくれない。
 エレベーターを下りて目の前には未だ忙しくなさそうなナースステーション。
 入院患者の朝食などだろうか、フロア全体が薬剤と食事との匂いに満たされていて、少し気分が悪くなる。
 「こっちです」
 言うなりすたすたと治療ブロックへと歩き出す沖田を追って、銀時は軽くナースステーションに会釈する様な仕草をしながら続いて。
 足が止められたのはそれから直ぐだった。
 それはそうだろう。危険な容態の患者だからこそ、ナースステーションの傍にいなければならないのだろうから。
 「……………」
 反射的に前のめりに硝子窓の向こうを覗き込んだ銀時は、横の沖田が意味のありげな視線を寄越して来るのもどうでも良く、喉の奥の掠れた吐息を必死で飲み下した。
 良くは、見えない。
 正直、はっきりとそれが見えた訳ではない。だが、確信していた。それしかなかった。消去法だ。有り得ない。
 窓の向こうには、よくドラマなどで見る様な光景があった。小難しく煩い機器に囲まれたベッド。生命維持や体力の回復の為の管に繋がれた人。
 水色のカーテンが幾つかのそんなブースを仕切っていて、その一つから黒服の地味顔が身を覗かせた。銀時と沖田の姿をそこに認めるなり、一旦ベッドの方を振り返ってから、そそくさと立ち上がって廊下へと出て来る。
 「旦那、」
 おはようございます、とも、わざわざすみません、とも、ありがとうございます、ともその先は続かず、ぺこりと山崎は頭を下げた。恐縮し過ぎではないかと言うぐらいに深く。
 「ついさっきまで近藤さんも付き添っていたんですがねィ、爆発は真選組(ウチ)の失態だとか下らねー話も出てるんで、これからお偉方と仲良く記者会見だそうです。
 ったく、馬鹿一人の為に偉ェ騒ぎになっちまった」
 ふん、と鼻を鳴らして言う沖田へ、寸時咎める様な目を向けた山崎だったが、結局はその侭無言で立ち尽くす。沖田の眇めた視線の先には、先頃山崎がカーテンを開いた事ではっきりと窓から視認出来る様になった、男の寝姿が見えた。
 沖田の視線を追う様に、銀時もまたゆるゆると頭を巡らせ、視界にその姿を漸く捉える。
 白い包帯が黒い髪を掻き分ける様にして覗いている。眠る顔を覆うのは呼吸器。ぶら下がった管。一定の間隔で明滅しているバイタルサイン。
 現実味が湧かない。近くに寄ってその顔を覗き見てやる迄は、アレが土方なのだとは到底思えやしない。
 騙されやがった、と身体中を繋ぐ管を鬱陶しそうに外して笑って起き上がるお前と、笑いを堪える山崎と、ドSな顔をして、泣きそうにしていた俺の顔を携帯で撮影している沖田の姿が。きっと次の瞬間にはあるんだろう?
 そんな他愛もない事を考える、銀時の表情がそれこそ泣きそうにでも見えたのかも知れない。沈痛そうな面持ちを作った山崎が、何かを言いかけて止める。
 「……何が、あった?」
 三度の深呼吸の後、銀時は何とかそう切り出した。すれば沖田が肩を竦める気配。だがその視線は硝子の向こうの上司の姿を見据えて離れない。
 「……何が、も何も。見たまんまですぜィ。馬鹿が無謀な馬鹿やらかして爆発に巻き込まれたってだけの顛末でさァ。指揮官が現場に一番近い所でもたくさ逃げ遅れるなんざ、どんな芋兵法にもありゃしねェ」
 辛辣に紡ぐその調子は、何かに呆れている様で、苛立っている様で。沖田自身の表情の読み辛さも相俟って、それが何に対するものなのかも良くは知れない。
 「沖田隊長、」
 少し咎める様な口調で、銀時の問いに真っ当な答えを差し挟んで来たのは山崎だった。
 「………逃げられた、筈なんです。現場には爆発物処理の、専用の装備をした隊士だけが残って解体を始める所でした。時限式では無いとは知れていましたから、余裕は多分幾らでもあった筈なんです」
 爆発物は、犯行声明に記された標的の屋敷と、犯行声明を送られて来た警察庁とに在ったと言う。
 ブービートラップと言う訳ではないらしいのだが、爆弾には解体する事に応じて爆発する様な機構が仕掛けられており、一見簡単そうに見える構造から、警察庁側はそれに気付かず解体を進め、そして爆発。対爆スーツを纏っているとは言え、重症を負った。
 その報告を受けた土方は、未だ解体に入る寸前だった屋敷の爆弾にも同じ仕掛けがあると践んで、部下を止める為に現場に戻った。
 「爆弾の残骸からは集音装置と思しき部品が発見されました。副長は……いえ、誰もがその可能性に気付く事が出来ませんでした。
 その場に居た解体班の中でも比較的軽傷だった隊士の証言で、未だ爆弾の解体は行われていなかった事が明かになっています。ですので、爆弾には何らかの遠隔起爆の機構が、気取られない様に取り付けられていた事は間違いありません」
 ぐ、と山崎は両拳を握りしめて俯いた。それを見て、沖田が続ける。
 「警察庁に送付された爆弾ってだけでも、充分意図的な要素はありました。更には屋敷のはご丁寧に犬の剥製の中に仕掛けられていたそうでさァ」
 恣意的じゃあ到底ないでしょうねィ。言って不快に嗤う。喉の僅かな震え。
 「誰だか知らねぇが、警察を標的にした輩が、あの野郎の声を、まさかそんな場面で聞く事になろうたァ、さぞや思ってもみねぇ好機だったでしょうねェ」
 「…………つまり、その爆弾犯とやらは、あいつの声がそこに──爆弾の前に現れたのを盗聴器だかマイクだかで盗み聞きして、」
 ドカン、でさァ。
 銀時の途切れた言葉を拾ってそう言うと、沖田は子供の癇性めいた仕草でこつんと床を爪先で弾いた。神楽だったら地団駄でも踏んでいる所だろうか。そんな事を思いながら、深く息を吐き出す。
 爆弾?目の前で、爆発?部下に注意を促そうとして?あの凛とした声を聞いた何処ぞの爆弾犯が躊躇いもなくスイッチを押して?
 あいつの奮闘を、馬鹿にする様に、嗤ったのだろうか。憐れんで、虐げる様に。警察官、しかも有名な鬼の副長など、死んで仕舞えと。
 ぐらり、と脳髄の奥が揺さぶられる心地が眩暈の様に銀時の視界を揺すった。
 これは瞋恚なのだろうか。何に対する。誰に対する。
 「土方さんの恰好は平素の隊服の侭でした。その時点で、対爆装備で、それでも危険に晒される爆破物処理班とは訳が違うんですがねィ。悪運が強ェ事にも、爆弾を回収・解体に用いる頑丈な筺があるんですが、それが爆弾と野郎との線上に偶々ありましてね、大分破片から身は護られてたみたいでさァ」
 ドラム缶程の大きさを手で軽く示しながら、沖田。
 「衝撃はさほど緩和されるって訳にゃ流石にいかなかったみてェですがね。…ま、そうでもなきゃァ今頃は全身穴だらけにして即死だったでしょう。野郎の自業自得なんで、部下に自分以上に重症なのがいねーのはある意味救いですよ」
 爆弾の威力は爆薬の齎す火力そのものだけではない。爆風と、衝撃と、破片と。それらの大瀑布の様な威力は狭所でこそ発揮される。
 屋敷の中、と言った所で、江戸城の謁見の間の様な広さがある筈もない。狭い部屋の中では衝撃はひとところに集中し反射して甚大な被害を生む。攘夷戦争時代、爆弾を用いた囮作戦を行った際に桂がくどくどと囮役を含む皆に説明していた憶えがある。
 爆音と圧力とで耳や眼球が最も先に駄目になる。次いで肺。脆い関節部。内臓に衝撃が加われば肋骨や肺ばかりではなく複数臓器も危うくなる。人体は爆発のエネルギーを易々吸収出来る素材で出来てはいない。
 加えて、破片が飛び散っていればそれに因る負傷も無論免れない。爆風に因る建物の崩落もだ。
 銀時は恐る恐る、頭を再び集中治療室の中へと転じた。そこに眠る土方は、少なくとも五体は満足である様に見える。が。
 「集音装置も爆発物の遠隔装置の有効範囲もたかが知れています。規制線内に何者かが潜んでいた事は間違いありませんので、犯人のその痕跡を現在追跡中です」
 真意の計り難い沖田に代わる様にして、山崎が事務的にそう、まるで何かの書類でも読み上げる様に締め括り。それから、おずおずと銀時の顔を見上げて来た。
 「……で、依頼、なんですが、」
 依頼、と言う単語に、銀時の意識は不快な心の波間から不快な釣り針で引き揚げられた。それは己の、何かを違えそうな心を現実に引き戻す誘いだったのか、それとも救いだったのか。
 ただ、望まねばならぬと思う程には心中は穏やかでいられず、惑いのその侭に振る舞い方は判然ともしない。
 『この』現実が不愉快で不本意なものであると感じる、その心地その侭で山崎の方へ視線を巡らせた銀時は、そこで怖じけた様な表情に出会った事で漸く強張りきった己の表情筋に気付いた。
 依頼で呼ばれて来た、と言うだけにしては、余りにも恐ろしい顔をしていたらしい。重たい泥の様な感情を振り切る様に、呻く。
 「…………聞こうか?」







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