GOLA / 4



 穏やかな微睡みの時間は然しそう長くは続かなかった。
 ぽつぽつと言葉を投げ合ってはだらだらと、常の仕事に追われていた己が見たら怠惰と感じただろう程に、ただ静かで穏やかなだけのそんな時間を裂いて無粋にも響いたのは、玄関の呼び鈴の単調な音だった。
 背に触れる温もりを振り切る様に頭を起こして、土方はゆるりと背後の銀時を振り返った。
 「客か?」
 「珍しい事もあるもんだ」
 問えばさも驚いた様にそう言われ、土方は思わず苦笑する。万事屋などと言う職業柄、仕事が入る・入らないは安定したものでは決して無く時の運なのだと、しょっちゅう銀時がこぼしていたのを思い出す。暇そうにしているのをからかった時の事だが、強ち嘘では無かったらしい。
 「自分で言ってりゃ世話ねェな」
 仮にも社長だろうが、と言ってやれば銀時も応じて笑いながら立ち上がる。
 「ま、客なら放っとく訳にも行かねェし、悪ィけど出てくるわ」
 「何遠慮してんだ、馬鹿。良いから早く行って来い」
 「へーへー。適当に楽にしてて良いから」
 ぽりぽりと頭を掻く様な仕草をして、さも億劫そうな様子で出て行く銀時の背中を見送って、土方はこっそりと笑いを噛み殺す。客なら絶対に放っておく様な真似はしない癖に、どうしていちいち腰が重いのだろうか。重いふりをしているだけかも知れないが。
 懐の煙草をまさぐって新しいものを取り出した所で、土方は先頃窓の下に落とした、ほぼ吸い殻めいていた煙草の存在を思い出す。吸うのは良いが、かと言ってまた外に棄てる訳にも行くまい。灰皿か何かその代わりになる様な物は無いだろうか。
 辺りを見回してみるが、寝室には特に目立った家具や道具の類は見当たらない。押し入れの中には何かがあるかも知れないが、流石に他人の家でそんな家捜しをする訳には行くまい。
 居間には何か無いだろうか。皿とか湯飲みでもこの際構うまい。そう考えながら閉ざされた居間への襖に近付いた所で、人の入って来た声と気配とに土方は足を止めた。
 「どうも、邪魔しますぜィ。チャイナとメガネはどうしたんで?」
 「神楽は定春連れて遊びに行ってるよ。新八は買い物」
 「そうですかィ。ま、話が面倒で無くなって結構な事でさァ」
 銀時が招き入れたのだろう、客が喋りながら廊下を歩いて来ている。総悟の声だ、と気付いた途端、土方は襖に掛けていた手を慌てて引き戻して思わず背筋を正した。硬直した、にニュアンスとしては近いだろう。
 何しろ沖田総悟と言う男は昔から、土方に対するイヤガラセや攻撃に余念も遠慮も全くないと言う、厄介で迷惑極まりない性質の持ち主だ。隙あらば土方へ向ける攻撃方法は多岐に渡り、その中には弱味に付け込むと言った実に性格の悪い方法も多分に漏れず含んでいる。
 沖田は現在の所、銀時と土方との関係性については知り得ていない(筈だ)。然し沖田はあれでいて中々鋭い所があるので、全く気付いていなかったと言う事は無いだろう。
 実際に、過去には幾度か疑る様な鎌を掛けられた事はあったが、未だ確信には至っていないと言った所だろう。怪しいとは思っていても、攻撃に使える程ではないと游がされている感さえ憶えずにいられない土方である。疑心暗鬼か被害妄想だろうかとも同時に思っているのだが。
 ともあれ、そんな沖田にこんな、昼から万事屋の寝室に居座っている事実など悟られる訳には決していかない。土方は襖に背を当ててじっと息を殺した。大丈夫だ、恐らくまだ気付かれてはいない。……多分。
 それにしても、一体何の用事があって沖田が万事屋を訪れたと言うのだろうか。土方は不作法且つ無粋とは解っていたが、襖の向こうから漏れ聞こえる会話にそっと耳を澄ませてみる。
 「随分と疲れ顔に見えるけど」
 「そうですかィ。俺は疲れてる気は特にしてねェんですが……、
 ……そう言うのって言われなきゃ案外解んねェもんなんでしょうか。土方さんもいつもこんな感じだったんですかねィ」
 耳を欹てた途端に己の名前が聞こえて来て、土方は思わず身を竦ませた。まさか気付かれた訳ではあるまいなと、気を揉みながらも猶耳を澄ませてみる。
 「疲れてんのに立ち話させる気はねェよ。座ってな。茶ぐらい淹れてやっから」
 溜息と同時に銀時のそんな声。続けて水場の方へ向かって行く裸足の足音と、沖田がソファに腰を下ろしたのだろう、僅かの軋み音。
 「………、」
 土方は少しだけある襖の隙間から居間の様子を伺おうとしてみるが、沖田らしい栗色の後頭部がソファ越しに少し見える程度で、よく解らない。況して彼が万事屋を訪れている理由など窺い知れる筈も無かった。かと言って襖を開くと気付かれかねない。
 また何かの攻撃材料を探しているのか、それとも今日ここに土方が訪れている事を知った上でイヤガラセに来ただけなのか。そのどちらにしても碌な想像ではない。
 そうする内に銀時が戻って来たらしい。軽い足音と、卓の上に湯飲みを置く音。
 「出涸らしで悪ィけど」
 「淹れたてだの玉露だのなんて端から期待してねーですよ」
 応える沖田の声は、嫌味と言って良い内容の割に銀時の軽い言い種とは異なって何処か低い。そこには無味乾燥な、淡々とした『ただ答えた』だけと言う覇気の無さがあからさまに表れていた。余り良い憶えの無いそんな沖田の様子に土方は思わず眉を寄せる。
 「…で、どうなの」
 「最近ですかィ?……まあ、ぼちぼち上手くやってますよ。いつまでも立ち止まってもらんねェって、近藤さんもそう振る舞ってますし、大将がそうすんなら俺らはそれを支え手伝うだけですからねィ…」
 暫しの沈黙の後、口火を切ったのは銀時の方が先だった。受けて、沖田は力の無い調子で答える。先頃と同じ様に淡々と。
 続いたのは、途切れた言葉の隙間を埋める様なお茶を啜る音。言葉が続かない。その癖に会話を一方的に拒否する隔絶にも似た気配の正体がまるで見えて来ない。沖田の発するそれは銀時への嫌悪や忌避ではない。それだったら端から彼がこんな所を訪れる意味など無いのだから。故に、会話を引き千切り気まずささえ漂わせているものの正体は、恐らくは沖田の保つ消沈や疲労の正体と言う事にも繋がるのだろう。そして何故かそれは、近藤の何かの振る舞いにも関係する話の様だ。
 一体何の話なのだろうと、土方は寄せた眉の侭に疑問符を脳内に描いた。最近何かおおごとや沖田の周囲で何かがあっただろうかと記憶を検索してみるが、幾ら頭を捻れど特に思い当たる節は無い。
 それとも、近藤がいよいよお妙に振られ続けた事に疲れ果てて、いい加減諦める事にでもしたのだろうか。そんな可能性はたとえ隕石が降って来た所で想像もつかない事だったが。
 頭を捻り続ける土方に拘わらず、襖の向こうでは話が進んで行く。
 「いきなり全部を負うなんて、出来やしねェってのは重々承知でさァ。だからこそ旦那にも一目見て指摘されちまうぐれェ、『疲れて』なんて見えるんでしょうし」
 沖田の言葉に漸く乗った感情の色は、僅かの苦笑の気配だった。やりきれない、仕様がない、そんな思いを込めた力の無い自嘲に似た声。
 声は相変わらず淡々としてはいたが、そこに常のどこかだらだらとした響きでさえも感じ取れない事に土方は気付いた。銀時の様にどこかいつも飄々としていて、容易く何かに感情の揺れなど見せる事の無いあの沖田が、そんな常の己を取り繕う事も出来なくなっているのか、と。
 果たして沖田のそんな様の正体とは何なのか。万事屋に相談を持ち込む様な事なのだろうか。
 身を乗り出せない代わりに耳を襖につけて、土方はじっと言葉の続きを待った。不作法だとか、見つかったらどうするのだ、と言う事よりも、その事の方が余程に気に懸かった。
 何故か、妙に、気に懸かった。
 そして果たして、その答えは直ぐに知れる事となった。
 「で、本題です。今日来たのは旦那にも一応、教えとこうかと思ったからなんでさァ」
 「何を」
 「墓の場所」
 短いが──否、短かっただけにはっきりと聞き取れたその言葉に、土方は目を見開いた。
 心臓が音を立てて跳ねる。不吉な予感を想起させるその単語に、背を冷えた汗が伝った気がした。
 
 何の。一体、誰の。
 
 「花ぐらい、持ってってやって下せェよ。出来たばっかで綺麗なもんなんですがねィ、皆お決まりの様に煙草やマヨばっか置いてきやがって迷惑してるって、寺の住職がボヤいてんでさァ」
 言った後、メモか何か、紙を破る音。
 「俺にゃもう計り知れねェ事ですが…、仲、良かったんなら頼みますよ。そうでないとあん人、化けて出て来るかも知れませんぜィ?」
 少し砕けて戯けた調子になる沖田の言葉に、答えて銀時の、何処か甘さを持った吐息。
 「……かもなァ」
 それには特に答えず、沖田が立ち上がる音がした。別れの言葉を告げながら玄関へとその足音が移動していき、そうしてやがて静かになる。
 「……………」
 いつの間にかその場に座り込んでいた土方は、たった今まで目の前で、薄い襖ひとつを隔てて交わされていた会話の意味を追おうとして混乱した。
 消沈した様子の沖田。明るく振る舞う近藤。墓。新しい、墓。誰の。
 墓とはそもそも、何の為のものだったか。
 そこに供えるのは、手向けるのは、何の花なのか。誰の為の、何が為の。
 
 「──、」
 不意に襖が開いて、土方の思考はその場で途絶する。
 光差す窓を背に、銀時が見下ろしている。柔い微笑。力が無くて、何処か草臥れて、そう、どうしようもない様な、やりきれない様な、、
 「……かも、なァ?」
 もう一度そう言葉を重ねて、銀時は土方の前にそっと膝をついた。
 近付いて解る。その力ない表情も、無理に刻んだ笑みも、少し震えた言葉も。──理解する。その意味を。
 諦めを、呑み込んだからだと。理解する。

 (かも、知れないは、肯定、だ)

 何の。
 化けて出る、などと沖田の宣った言葉に対しての、それは肯定だ。
 かもしれない、と笑って肯定した。諦めと疲労との果てに知った喪失感をそこに得ながら。
 その瞬間、土方は唐突に空いた記憶を思い出した。
 あの夜道での戦いと、そこから先の空白を。空白になった瞬間を。
 
 ああ、そうだ。俺は。あの時。もう、──







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