リナリア / 2 ぽたりと、滴る汗の玉を見て不意に我に返る。否、我になどさっきからとうに返っていたし、それどころか理性は一度も手放していない。 故に、我に返ったと言うのは正しくない。ただふと、熱に浮かされる頭の片隅で、どうしてこんな事をしてるんだっけ?と言う疑問を思いついただけだ。 疑問と感じて仕舞う程度には、ここまでの経緯は酷く自然な様に思えて──至極当然の成り行き、流れの侭の事だったのだろうとしか銀時には感じられていなかった。 つまりそれは、己に組み敷かれる形で眼下に伏して白い背中を無防備に晒している男もまた、それに似た考えで居たのだろうと銀時に思わせるには十分な程に、ごくごく自然にこうしているのだろうと言う事だ。その筈だ。 何しろ銀時にも土方にも理性や意識ははっきりとあったのだし、互いに厭だとも止めようとも口にはしなかった。かと言って、良いとか続けようとも口にはしていなかったのだが。 そうして二人が興じているのは、有り体に言わずともセックスであった。雄と雌では無い以上厳密にそれは性行為とは言えないのかも知れないが、少なからず『そういう事』に分類される事は間違い無い行為だ。 見下ろしている背中の、背骨の綺麗なラインへと滴った己の汗が、窪みに沿って溜まって揺れている。酷く熱いと思って自らの髪をぐしゃりと掻き上げれば、額には髪が汗で貼り付いてしっとりと湿っている事に気付く。 眼下の腰を鷲掴んでいる両手の間も湿り気を帯びているし、打ち付ける肉の間でも湿った音が不規則に鳴っている。どうやら、汗みずくになっている事すら忘れる程に夢中に──もとい、没頭して仕舞っていたらしい。いるらしい。 そう気付きはしても、心地よい運動の後の様な汗を煩わしいと感じても、緩やかに繰り返される銀時の動作は止まらなかった。 まあそれはそうだろう。緩やかな快感を、階段を昇る様に少しづつ膨らませ高めて行って、後は昇り詰めて終わるだけの行為だが、詰まる所それはそれだけしか目指すものも考える事も無い行為でもある。階段を途中で昇るのを已める理由はわざわざ探す程には無い。 固くいきり立った己の一物は、自身を深く埋め込んだ孔の中で緩慢な前後移動を繰り返して、銀時の頭を快楽の熱へと浸し続けている。揺するだけの動きに近い僅かの動作だが、銀時の性器をしっかりと銜え込んだ孔はキツい収縮と柔らかな体内の感触で以て確かな悦楽を与えてくれていた。 「っふ、ぁ…う、、は…」 銀時の動きの度に、両掌と腰とでがっちりとホールドされて揺すられている肉体が、吐息の様な呻く様な声を漏らしては背中を震わせる。尻を高く上げさせられた両膝には力が殆ど入っていないのか、がくがくと時折不安定に震え、銀時が手を緩めたら忽ちに崩れて仕舞いそうだった。 「あー…、予想外っつーか、スゲー良いなこれ。なぁ、おめーも力入ってねェみてぇだけど、イイっつぅ事?」 汗ばんで震えている尻を、湿った掌で撫でながらそう声を掛けてみる。銀時に向けて突き出される形になったその尻肉の狭間の孔へと己の性器が入り込んでいると言うのは、我に返らずとも妙なものだと思ってはいたが、実際今口にした通り、『それ』は大層に気持ちが良かった。セックスと言う行為の憶えで分類してみても、格段に良いとさえ思える。 「……、」 そんな姿勢で銀時に己の尻孔を差し出している形になっている土方は、銀時の不意な言葉に寸時何を思ったのか息を詰め、それから指でシーツに深い皺を刻んだ。折り重なる肉体の下、あちこちに複雑怪奇な模様めいた皺を作った滑らかな素材のシーツは、多分土方がその手指を離せば容易くその皺を消して仕舞うだろう。返事を躊躇う懊悩の様なその行動の表れを見遣って、銀時は片手で撫でていた土方の尻をしっかりと両手で掴み直した。 「こんな事、してんだ、悪い訳は無ェだろうが。ぐだぐだ抜かしてねェで、とっとと、ッうぁ!?」 半ば吐き捨てる様に返された土方の返事は、語尾で不自然に浮いて途切れた。それは尻肉を鷲掴んで寄せた侭、銀時がゆっくりと腰を引いて性器を抜ける寸前まで抜いた事に因る反応だ。 「はいはい、もっとガツガツ突いて欲しいって?」 「っ、──っ、、」 声にならない声を呑み込みながら、シーツに刻んだ皺を益々深くする土方の背は綺麗に反って、滴っていた銀時の汗たちをシーツの上に降らせた。震える膝を宥める様に、掴んだ尻肉で性器を挟む様にしながら銀時は再び腰を押し込んだ。 「っあ、あぁ、あ…!」 「抜こうとするとスゲー吸い付いて来んのな。これ良いわ。おめーもこう言うの好きみてェだし…、」 性器を目一杯に食んだ孔が収縮し、銀時の動きに土方の全身が反応して応えを寄越してくれるのが、互いに罵詈雑言を浴びせながら日頃喧嘩をしている時より、言葉や表情と言った得られる視覚情報は少ない筈なのに、雄弁に聞こえて来る気がして、銀時は増した快感と共に舌なめずりをした。呼吸が再びはぁはぁと上擦り出すのを感じながら、再び腰を引いては深く押し込む。 ぶつかる肉の音と、繋がった部分の熟れた音と、後孔を犯されているこの行為に切れ切れに喘ぎ啼く土方の声や息遣い。それらに煽られながら、銀時は脳内にすっかりと充満しきった興奮の熱に突き動かされる侭に腰を送る。もう後は、周りを見ずに何も考えずに最後まで昇り詰めるだけだった。 そう。これは、ただそれだけを目的とした行為だからだ。 * 理性が無かったら出来なかった、のではなく、寧ろ、理性があったからこそ出来た、のだと今となっては思う。何しろ決して互いに慣れた行為では無かったのだ、どんなに性欲が限界で、酒の力で理性を飛ばせたとしても、扱おうとしている孔が男の肉体のものだと思えばそこで普通は我に返る。 口接けをしたのはただの気紛れだった。千鳥足で連れ立って居酒屋を出た時、ふらついてぶつかった目の前に土方の顔があって、正面にはまるで紗幕か何かの様に紺色の暖簾が下がっていた。だからだ。ただ、それだけだ。 あとは──そう、ほんの少しの間だけ触れた、互いに酒臭い唇が離れた時、土方が余り驚いた顔をしていなかったから。 銀時の知る土方の気性であれば、犬猿の仲の相手から突然口接けなぞされた日には、気持ち悪がって怒るなり殴りかかるなりしても良さそうなものを。気持ち悪がるどころか平然と受け入れじっと銀時の顔を見つめ返してなんて来たりしたから。 だから、と言い訳を探して、誰の所為だ、何の所為だと言うつもりは無いが、そこから始まったあの関係性を銀時は嫌っていなかったし、寧ろ愉しんでいた。そして少なくとも土方も銀時と『同じ』考えで居た筈なのだ。そうでなければあんな事がその後何度も続いたとは思えない。偶然を装いながらもそれが続いたと言う事は、最早必然として繰り返して居たと言う事だ。 (我に返って後悔した、とか) 顔の上に乗せたジャンプ越しに天井を見つめながら、銀時はふと思いついたその考えを、然し消極的な心地で打ち消した。後悔と言う感情はともかく、銀時から逃げ回る様な行動は土方らしくない気がする。自然消滅を目論むぐらいはするかも知れないが、あの男ならばもっと堂々としているのでは無いかと思えてならないのだ。 (避けて回るだなんて、女みてェな真似する様な奴じゃねェよなあ…) ふう、と我知らず大きな溜息が漏れれば、先程から部屋を掃除していた新八が銀時の横になるソファの直ぐ後ろで足を止めた。こちらも溜息ひとつ。 「ちょっと銀さん、珍しく朝早いと思ったらいつまでだらだら横になってるんですか。暇なら買い物にでも行って来て下さいよ」 「暇じゃねーよ、絶賛二日酔い真っ最中で忙しくて堪らないんだよこちとら」 「威張って言う事ですかそれ」 視界は紙の臭いのする雑誌に遮られていても、新八の目が細くなるのは何となく解る。が、塞いだ視界の中で銀時の胃腸と脳とが重たい二日酔いの不快感に苛まれているのは事実であった。とてもではないが買い物だの散歩だのに行く気など起きる筈も無い。 「そう言えば、銀さん最近はパチンコ屋に余り行かないけど、どうしたんです?」 ふと切り替わる新八の言葉に、銀時は重たいジャンプを指先で軽く持ち上げてみせた。ぼんやりとした曇り空の日差しが咄嗟に眇めた目に突き刺さる。それはひょっとしたら無意識で出た不快の感情の表れであったのかも知れなかったが。 「大人にゃ色々あんだよ」 投げ遣りにそう言いながら雑誌を顔の上へとしっかり戻したところで、新八の苦笑が降って来る。 「最近よく飲みに出掛けてるみたいですしね。パチンコなんてやってるお金の余裕無いだけでしょ」 「……」 答えが解ってるなら訊くなよ、と心の中でぼやくと、黙りこくる銀時から図星の態度を感じ取ったらしい新八は、それ以上その話題に取り付く事は無く、再び掃除に戻っていく。 「今日は大江戸ストアで卵が安売りだから、僕行って買って来ますね。他には……、」 今度は掃除の手を止める事なく始まる、年頃の青少年が口にするには妙に生活感の溢れた内容たちに、銀時は「ああ」と適当に相槌を打つ。 てっきり、お金がないなら仕事に励めだなんだと言われるのかと思っていただけに、少し拍子抜けしたものを感じながらも、銀時は開いた雑誌で覆い隠した視界に目蓋を下ろした。 腹は調子が良くないし、頭は痛いし、茫っとしていれば考える事は巡り巡って同じ所に行き着くだけだし、全く碌な事がない。 答えのはっきりしない、感情の齟齬の想像などするだけ無駄だと言う事など、幾度繰り返す事も無く解りきっているのだ。 ただ、土方が──てっきり己と同じ感覚でああしていたのだと思っていた相手が、どうやら一人勝手にそこから逃れようとしたらしい、と言う事が面白くないと言うのは勿論、何か文句なり嫌味なりを言えたら言ってやりたいと言うのに、姿を見せようとすらしないのではどうしようもないのだと、その結論が不快で堪らない。 いつまでも煩わされているのが己だけだと言う事実を思い知らされているのも、気に入らない。 「そう言えばこの間土方さんにも──」 また堂々巡りか、と益々目を硬く瞑った所で、不意に新八の喋る声の中にそんな言葉が聞こえて、銀時は閉じかかっていた眼をぱちりと開いた。 「え?何だって?」 「だから、この間買い物に行った時土方さんと山崎さんに会ったって話をしましたけど、その時に銀さんは暇そうにしてるって愚痴ったら、買い物の荷物持ちぐらいさせろって言われたなあって」 「……何本人のいねェ所でアイツらに勝手に愚痴ってんだよ」 「だから、そう言う話があったなあって今もちゃんと話してるじゃないですか」 雑誌の下で唸る様な声音で抗議すれば、新八は悪びれた様子もなく言って来る。まあ確かに、買い物などの面倒な作業はほぼ新八と神楽とに任せっきりな事は多いが。 (……ホラ見ろ。こちとら全く会えてすらいねェって言ってた傍からこれだよ) 新八の愚痴など世間話に聞いてる暇があるなら、その面少しは見せてみやがれ、と苦々しく呻いた銀時は、増した気のする頭痛の中無理矢理に眠って仕舞おうと眼を閉じた。 (何こそこそ隠れ回ってんだよ、らしくもねェ。愚痴なら新八より俺のを聞けっつぅの) 今夜いつもの店で会えたら愚痴ってやろう。そんな事を最後に思って銀時は苦く笑んだ。どうやら何がなんでも己は、土方が逃げ隠れして居ると言う事実そのものがまず、信じ難いらしい。 無駄だと解っている筈の事と、それを覆す程の思い込みか信頼か。それとも或いは期待か。そんなものがいつまでも銀時の裡に平然と根付いて仕舞っているからこそ、この無為の空回りは続くのだ。 。 ← : → |