密花に宿れば / 10



 (何やってんだ、俺……)
 丈の低い躑躅の茂みの陰、用を足す様な姿勢で蹲った銀時は頬杖をついた侭密かにごちた。
 空しいとさえ言える問いに返る応えなどない。ただただ溜息を積み重ねて頭を抱えると、茂みに潜めた体をほんの少しだけ横へとずらして前方を見遣る。
 山の中の、人里離れた高級な一軒宿。和風建築の離れへと通じる通路に沿って設えられた中庭は、自然の風景を切り取って収めたありきたりな庭園造りだが、辺鄙な地にこれだけの庭を調えたと言う事だけでも、そこに掛けた贅と手間とが易々知れるものだ。
 真夏の最中であっても、標高が高いだけあって気候はかなり涼やかで、木々の生い茂る中庭はその最たる場所だ。天然のクーラー…とまではいかないが冷風扇ぐらいの効果のある滝や池も爽やかさを引き立てる用を為しており、陽が落ちればそれは更に顕著になる。
 動き回れば流石に汗ばむ程度の気候だが、同じ季節の江戸市中を思えばこちらの方が断然マシ──否、圧倒的に涼しい。期せず避暑地と言う言葉を実体験する羽目になった銀時らだが、いっそこれから毎年真夏には山奥の旅館で働き口を探そうかと言う誘惑には否定的であった。
 何しろ避暑どころかひたすらに忙しいのだ。食事が三食きちんと出るし休憩時間もあると言うのに、仕事の密度やしなければならない事が多すぎて、体力自慢の神楽でさえも夜にはぐっすり眠って仕舞う程に疲れを見せ始めている。
 元々故あって従業員不足になっている最中の雇用であった事を思えば、万事屋のバイト三人組など宿にとっては使い捨ての消耗品も同然と言った所なのかも知れない。
 厳しい所のある女将の横顔を思い出してぼやいた銀時であったが、いやいやとかぶりを振ると前方へと意識を戻す。
 物思いに耽っていた為に少し距離が開いて仕舞ったので、音を立てない様にしながら中腰で移動をする。池が近くなった所で再び茂みに半身を隠しながらもそちらを見遣れば、池の畔には憂い顔の美姫が佇んでいた。
 「………」
 製作主:坂田銀時。俯いてそう胸中で三度呟いてから、伏し目がちに水面を見つめる美姫の姿へと視線を戻す。そこに居るのは確かに美しい姫君の立ち姿そのもので、銀時の遠目から見れば尚更にそう見える。寧ろそうとしか見えない。
 流石に武人なだけあって姿勢は綺麗だ。ぴんと筋が通った背は、女性にしては高い丈と調和して、張ったばかりの弓の様にしなやかで美しい。
 長い黒髪がさらりと垂れて、薔薇色の頬に程良い翳りを作っている。控えめな紅の色は整った貌の中で花の様な彩りになり、長い扇形の睫毛の下の瞳は、池の畔の灯籠と言う光源と水面からの照り返しとを受けて、煌めく雲母の様に潤んでいた。
 正しく、美姫の憂い姿としか言い様のないものが目の前に居る。
 「……………」
 もう一度口を引き結ぶと、銀時は絵画めいた風景を彩っている美姫の姿に、いつもの鬼さんの不適な笑みや物騒で無造作な態度とを当てはめてそっと溜息をつく。
 (……笑い飛ばしすら出来ねぇって、俺相当じゃね?)
 確かに、綺麗なものを作る自信はあった。言い出しっぺも自分だし、土方の造作ならそこそこに見られる女の顔をしたものぐらいは簡単に作れるとも思っていた。
 そしてその完成品は余りに簡単に出来上がって、想像をこれもまた余りに簡単に上回って仕舞った。
 どんなに美女の顔を拵えてみたところで、その身は男でしかないのだからと思っていた筈なのに、豪奢な着物一つで覆い隠して仕舞えばそこには男性でも女性でもあり得ない様な、ただ美しいと感じられるだけの存在が居た。
 否、きっと元からそう言うものであって、銀時はそれに僅かに筆を足したに過ぎないのだろう。
 自分でやっておいて何だが、出来映えとしては上出来過ぎると言わざるを得ない。それ故にその事実は銀時を大いに懊悩させるに至ったと言う訳である。
 真戦組から連れて来られている土方の部下らも、正直なところ副長の『変身』ぶりに驚いてはいる様だったし、その内の一人などは「副長、記念写真撮っておきましょうよ!」などと明らかに浮かれた提案をして、美姫の外見をした鬼の副長に拳骨を貰っていたぐらいだ。
 まあ少なくとも、己の得た感想は間違っていなかったらしい。そんな事が何かの慰めになるとも思えなかったが、少なくとも自分だけがおかしな審美眼をしていた訳では無かったのだと、思ってから銀時は少し憂鬱になった。
 よりにもよって顔見知りの男の姿に魅入られそうだったなど。しかもその『変身』を手ずから行ったのが誰在ろう自分だったなど。不覚以上の何物では無い。
 茂みにしゃがみこんで半身隠れて、両手で頬杖をついた銀時は、池の畔に静かに佇む美姫の姿をじっと見つめた。溜息。
 護衛は中庭に土方の指示で配されていると言うが、念の為に銀時もこうして目の届く位置に待機している。別に土方に頼まれたと言う訳では無いのだが、何となくそうしている。
 見れば見る程に坩堝に落ち込んでいく心地になるのであれば、いっそ見なければ良い、放っておけば良いだけだとも思うのだが、自分の手ほどきした作戦の要──つまりは囮だが──がどう効果を発揮しているのかは知っておきたいとは思うのだ。変装だけ施して後はお好きにどうぞ、では何だか無責任な気がしてならない。
 (罠に仕込んだ餌の味をちゃんと確認しときたいとか?そう言う心境?何で猟師的な目線なの?て言うかそもそも失敗気味だったのを無理矢理続けさせちまった訳だから、寧ろ動物側の目線か?)
 迷走し始めた思考の隅で、最早愚痴なのか後悔なのかも知れない事をぼやいていると、池の畔の美姫がゆるりと再び歩き始めた。心なし急いた歩調で池の対岸へと渡る朱塗りの太鼓橋の方へと向かって行く。
 慌てて後を追おうとした銀時がふと池へと視線を向ければ、池の水面にぽつぽつと小さな波紋が生じている。掌を拡げて空を見上げると、曇天の空からぽつりぽつりと雨粒が落ち始めていた。
 「こりゃ、夕立になるかもな」
 呻いて見上げた空にはいつの間に涌いたのか、黒く重たい雨雲が早い風に流され集まって行っている。一雨、結構に急なのが来そうだ。
 「坂田さん、こんな所で何をしているのですか」
 と、突如背後から声を掛けられて銀時は立ち上がり掛けた中途半端な姿勢の侭恐る恐る背後を振り返った。向けられた口調は静かで穏やかな響きであったが、静かな怒り、或いは鋭い刃物の様なものがそこには潜んでいる。
 「あー…、ええと、中庭の掃除をと」
 振り返って答える半笑いの銀時に、仕事に厳しい事で知られる美人女将は無言で目を細めて、それから「はぁ」と珍しくも解り易い溜息をついてみせた。頭痛にでも堪える様な仕草で額に手を当てて言う。
 「……離れのお客様への興味は解ります。他の者もさっき同じ様に叱ったばかりですし、況して貴方は男性ですしね。美しいと評判の姫君に関心を向けたくなるのも理解は出来ます。
 ですが、今は仕事中の筈です。短期間の雇用だからと言ってそう言った不作法をされると、雇用契約の破棄を考えなければならなくなりますよ」
 「……すいません」
 静かで飽くまで冷ややかな女将の声に、銀時は正直に頭を下げた。俯いた下で、『美人の姫君に興味を持つ男子(2X歳)』と言うレッテルを確実に貼られただろう己に対する評価を思い、更なる気鬱さを呑み込んだ。
 「雨が降って来た様ですから、廊下に泥水が入る事の無い様、マットを各玄関や戸口に敷いておいて下さい。必要に応じて掃除も宜しくお願いしますよ」
 「……了解です」
 銀時の了承を見て、女将は手にしていた紅い番傘をそっと拡げた。自分の頭の上に差しかけて、中庭を歩いて行く。銀時は一度土方の消えた方角を見遣ったが、まあ護衛も配置しているしそう気を揉まなくとも平気だろうと、旅館の建物へと戻っていった。







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