密花に宿れば / 14



 《ま、作戦の半分は成功したって所だァな。オジさん寛大だから及第点ぐれェはくれてやる》
 全面的に優しい言葉をかけられ褒められるなどと思っていた訳ではないが、開口一番貰ったそんな言葉に、土方は見上げた天井に向けて息をそっと吐いた。
 大凡、負傷した部下相手に上司の寄越す労いとして相応しいとは思えない内容ではあったが、どうせ何を言っても無駄だと解りきっている。天に向かって唾を吐きかけた所で自分に返るだけだ。
 「そいつァありがてェこった。後は精々、てめぇの不肖の部下たちが怪我負ってまで得た成果を役立ててくれやがれ」
 《言われるまでもねェよ。こっからは一先ずオジさんたちの仕事だ。まァた荒事になりそうだったらそん時は声掛けるから、覚悟だきゃァ固めとけ》
 「……荒事以外にはなりそうもねェって言い方だな?」
 《相手は、多少ぐれェは選ぶがな。基本オジさんはな、舐められたら倍返しする主義なのよ》
 「重々承知してら」
 まぁ解りきっていた事だが、真選組は警察組織の中でも特に、荒事に特化した性質であって存在である。松平公お抱えの刃などと揶揄される理由もその辺りの事情から来ている。役目に応じて鞘から即座に抜き放たれるのが刃の役割であって仕事だ。お役目の質に因っては、理解や納得と言った段を一段飛ばしぐらいにして下命が成される事も珍しくは無い。
 (この分だと、とっつァん的には舐めた真似してくれた連中とやらの見当が大体はついてるって事だろうな。内々の処理が必要な輩か、それとも政敵かは知らねェが)
 どちらにせよ最終的には荒事での解決を要される可能性が高いと言う事だろう。幕府内部の人間が容疑者であれば、戦闘員など大して抱えていない事が多いので後味の悪い仕事になる。まだテロリストの隠れ家を強襲する方がマシだとは思うが、こればかりは仕方がない。
 結局、ご苦労、とか、よくやった、など労いに類する言葉は一つも寄越さない侭、じゃあな、と簡潔な言葉と共に、通話は半ば一方的に切られた。
 あの破天荒な上司が部下を部下とも思わない様な傍若無人な態度を取るのは概ねいつもの事ではあるが、一応は死にかけた身であるだけに何となく空しいものを憶えないでもない。
 襲撃されて負傷した土方もだが、同伴してきた護衛たちは、盛られた下剤に似た毒に因って食中毒並の目に遭ったと言う。命に関わる症状では無かったとは言え、職務に就けない程に苦しんだ事は確かである。事が片付いたら何か見舞金なりを出す必要があるかも知れない。
 「まぁあれで感謝はしてるんじゃないですかね、多分」
 「今更あのオッさんから感謝の言葉とか貰いてェなんざ思う訳あるか」
 布団に仰向けに横たわった土方の耳元に衛星電話の受話部分を差し向けていた山崎が、明らかに気休めの様にそんな事を言うので、土方はふんと態とらしく鼻を鳴らして枕に後頭部を沈めた。視線の先にある、見慣れた天井を見上げて再びの溜息。
 件の宿の、借り切った離れの建物だ。思いの外長期逗留をする羽目になったお陰で、最早宿と言うよりは私邸にでも居る様な感覚を憶える程に、風景にも寝心地にも馴染みはあるのだが、本来の宿の等級を思えば土方の様な人間が宿泊──しかも長期で──する事などまずあり得ない様な場所である。
 あれから、銀時の宣言した通りに、気を失った土方の身はこの離れに運び込まれたらしい。彼が一体どう言う方法で、気絶し脱力した上に水に濡れて重たい着物を纏った男一人をここまで運んだのかと言う事は、土方自身の心の平穏の為に訊かずにおく事にした。
 ともあれ土方が意識を取り戻した時には、銀時は気絶前に出しておいた大体の指示をこなしてくれた様で、懸念していた事に関しては粗方が片付いていた。
 矢継ぎ早の土方の質問の殆どに答える事になったのは、直後に駆けつけて来た山崎で、その連れて来た応援班たちは速やかに宿の安全を確保。偽女将とその仲間の女中一人を捕縛し、これにて松平主導の囮作戦──の半分──は晴れて終了となったのだった。
 それで先頃の、労う気配一つ無い労いの言葉である。溜息の一つや愚痴の一つぐらい当事者としてはこぼしたくもなろうものだ。
 「こんな勤勉な部下他に居る訳ねェだろうが。俺が殉職してから精々後悔しやがれってんだよ」
 「そう言わんで下さいよ。ご無事で本当に良かったです」
 あからさまに不機嫌でいる土方の様子に目を細めて苦笑すると、山崎はまとめた余分な荷物の入ったキャリーケースをぽんと叩いた。特に意味の無さそうなその仕草をちらりとだけ見遣ると、土方は未だ痺れが酷く体を起こす事も侭ならない己の状態を改めて確認する。
 あの偽女将の所持していた薬物から、暗器を通して土方の血中へと盛られる形となった毒の正体は直ぐに知れた。どうやら彼女は標的を有無を言わさずに速やかに仕留める気は無かった様で、その成分は土方の症状に出た通りの神経毒であった。少量でも効き目が早く、体外には新陳代謝で排出するしか無いと言う代物らしく、手足を重たく痺れさせている症状は未だに土方に元通りの自由をくれそうもない。
 山崎の見立てでは、厄介ではあるがたちは悪く無い代物、との事で、要するに普通にしていればそう遠からず抜けると言う。早く抜きたければ水でもがぶ飲みし厠へ行くのが一番と言う話だが、体を動かすにも億劫な上に苦労する現状では、誰かに厠の世話も頼まなければならなくなりそうで、それは土方としては出来るだけ避けたい所であった。
 手足がまるきり動かないと言う訳では無いのだが、重たくて指先はほぼ自由にならないのだ。苦労する事には代わりはないだろう。それならいっそサウナにでも籠もって汗でもかいた方がマシである。
 「捜査はこれからですからね。とっつぁんはああ言いましたが、多分にそう遠からず真選組(うち)もまた忙しい事になる筈ですよ」
 「……て事はやっぱり、あの偽女将の素性から見えた裏ってやつは、単純にそこらの攘夷党って訳じゃ無いって事か」
 偽女将は何者かの依頼を受けて、絹姫の暗殺を請け負った筈だ。その依頼人こそはた迷惑な脅迫状の送り主である事は間違い無い。
 そして松平は、暗殺の実行犯よりも幕府の名に泥を塗ろうとした首謀者をこそ焙り出し、処罰するつもりで居る。姫のスケジュールの把握が出来ていた事などから見れば、元々幕府内の間者の存在は疑われてはいたのだが。
 曰く、『舐められたら倍返し』なオッさんである。対テロリスト任務に特化した真選組に、荒事の用事を仄めかす事を言って寄越した辺り、後味が悪くなる程に『徹底的に』やるだろう事は既に確定したも同然だ。
 眉を寄せた土方の問いに、山崎は小さく顎を引いて肯定の意を示した。まだ推論の段階でおいそれと話せる内容では無いのだろう、唇の前に人差し指を立てる仕草は、それ以上は現段階では、と言う事なのだろう。土方は、成程、と頷くと、急く様に持ち上げかけていた頭を再び枕へと預けた。この分だと無理に力を入れる羽目になる筋肉が後で痛みそうだ。
 「じゃ、俺は連中の護送もありますんで先に戻ります。局長は、この際だから怪我が治るまでぐらいは休んで良いと伝言して来ましたけど──、」
 「馬鹿言え。大した怪我でも無ェのにいつまでも寝てられるか。毒が抜けたら即引き払うと近藤さんに返信しておけ。あと、麓に迎えも待機させとけよ」
 「そうですか?勿体無いですね。宿側も、暫くはまともに営業が出来ないから、捜査も滞在も好きにして良いと言ってましたけど…」
 「社交辞令だろ。いちいち真に受けてんな」
 宿には暫くは警察の捜査も入る。それに流石に接客業だけあって、暗殺者が代理女将になりすまして入って来ていたなどと言う風聞は商売に差し障る。監視カメラや盗聴器の類のチェックは勿論、危険な毒物や薬物が何処かに紛れたり使われたりしていないかと言う調査の必要性もあり、少なくともこの夏中に元通りの営業は出来ないだろう。
 第一、代理ではない、本来の女将の体調も未だ整っていないと言う話だ。ちなみに事の発端である女将や従業員の体調不良も、件の暗殺者たちの手に因るものだと言うのだから、連中は絹姫の暗殺と言うこの任務に相当の金と手間をかけていたらしい事が伺える。
 女将や従業員として宿に入り込む為の手段とは言え、民間人を手段として巻き込むのはぞっとしない話である。
 (…まぁそれを言ったら、どこぞの民間の万事屋を頼る羽目になった俺の方もか)
 顔を顰めた土方がまた愚痴でも言い募ると思ったのか、キャリーケースの持ち手を伸ばした山崎が立ち上がる。正直動作の侭ならない土方にとって、何かと便利な山崎は一番傍に置いておきたい人材ではあるのだが、暗殺者の護送や聴取と言ったものを、他に万全と思って任せられる者もそう居ないのだから仕方がない。
 「…そう言や万事屋の連中はどうしてる」
 何かと便利な、と言う言葉から思わずこぼれたのは、問いと言うよりは呟きに近い質の声音だったが、忘れ物は無いかと点検していた山崎は小さく笑うと、
 「バイト代が出ない代わりに暫く泊まって行って良いと言われたそうですから、温泉でも堪能してるんじゃないですかね。副長の事は旦那に頼んでありますんで、後で訊いてみたらどうです?」
 そう飽く迄にこやかに、他意など全く無いと言った調子で言う。
 「……別にどうでもいい」
 気になってはいたがどうしても知りたかったと言う程でも無い。だからどうでも良い様に呟いた土方に、山崎は帰り支度をすっかりと整えた姿でやれやれと肩を竦めつつ言う。
 「協力して貰ったんでしょう?幾ら非常事態だったからって、あんまり邪険にするのは関心しないですよ。……その、人として」
 言葉の途中で土方が思いきり睨む気配を感じたのか、山崎は余り明瞭ではなくなった言葉でもごもごと言うと、「それじゃあお先に失礼します」と、別れの挨拶もそこそこにキャリーケースを抱えて離れの玄関へと出て行った。
 (別に、邪険にするとかそう言うつもりはねェが…、)
 癪ではある。そう心の中で呻きながら、いい加減見飽きて来た天井板を、瞼を閉じる事で視界と意識とから遮って、土方は肺に重たく溜まった呼気をゆっくりと吐き出した。
 負い目は別に無いが、心当たりはある。良いか悪いかは解らないが、思い当たりならある。
 何かと便利な奴。何かと信頼の置ける奴。そう言った意味で見るのであれば最適な人材と言えるのだろうが──、
 (金は払わなきゃならねェ。それは約束通りだから良い。だが、)
 金を払うと話をつけた、そこまでは確かに万事屋への依頼であって、坂田銀時だけではなくあの三人にまとめて頼むつもりの意ではあった。
 だが、その『先』は。手段の提案をして変装を施して停滞していた囮作戦を成功に導いて、結果的に土方に作戦成功の手柄を寄越す事になった一連の事についてはどう言う扱いになるのか。すれば良いのか。
 単に、報酬を上乗せすれば良いと言う以上に、関わらせて仕舞ったどころか、傍に居るだろう事や助けをすら期待した。当たり前の事の様に。
 (……どう言うつもりで野郎は、こんな訊くだけなら馬鹿馬鹿しいとも思える囮作戦に協力して来たんだろうな)
 またいつものお節介だろうか。民間人の出来る範囲で良いから協力しろと先に言い出したのが己の方であるだけに、何だか銀時のお人好しな所のある性分につけ込んで仕舞った様で余り気分は宜しいものでは無い。
 (どうしたものかな)
 布団の下、脱力して重たい手をのろのろと動かしてはみるが、煙草の箱をこの場所から探るのはどう見たって容易な状況では無い。それこそ無謀だと胸中で吐き棄てると、土方は瞼に力を込めて目を無理矢理に閉じた。
 囮生活の疲れもあったし、出したい答えの曖昧な思考を続けるのも億劫だった。







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