密花に宿れば / 6 話を終えるまでの間にビール瓶の一本は簡単に空いて仕舞い、余程手持ち無沙汰だったのか、それとも苛立ちを抱えた侭で話す事が苦痛だったのか、土方は窓辺に移動して体に悪そうな煙を溜息の代わりの様に吐き出し続けていた。 「………」 取り敢えず話は解った。多分。だが、そんな愚痴めいた経緯を顔見知りの、仲の宜しいとは大凡言えない相手へとわざわざ話したかった、と言う訳では──『だけ』ではあるまい。 横暴で迷惑な警察庁長官の話は銀時とて知っている。ついでに、その迷惑を被った事も一度や二度ぐらいはあるとも記憶している。 その警察庁長官と言う上官に今回も無茶振りされた土方は、『脅迫状を送られた止ん事無き身分の姫君』の身代わりとして──或いは餌として、このアクセスが悪い事と高級な事だけが取り柄の辺鄙な宿へとやって来る事になった。 そして現在、『餌』として脅迫状の主が襲撃でもしてくれば万々歳とばかりに置かれている為に、迂闊に身動きが取れない、と。 (…まあ大体そんな所か。ついでに言や、籠もりっきりで暇とストレスを持て余してる、と) 何しろ『姫君』として女装して入り込んだと言うのだから、土方十四郎の姿形では到底部屋から出られまい。入って来た時同様に女装すれば歩き回る事ぐらい出来るだろうが、何しろ元ががさつな男の振る舞いである。チェックイン程度の短時間ならともかく、長時間その状態で居たら恐らく容易く正体など看破されて仕舞うに違いない。 土方本人もそれを解っているからこそ、籠もりきりと言う現状に甘んじているのだろう。実際それが功を奏して、従業員たちは離れに姫君が籠もっているものだと思っているし、離れと言う部屋の立地もそれを手伝う役に立っている。 ここまで隠し通す気がある以上、偽装が露見する事で襲撃の待ち伏せと言う目論見は何が何でも外す訳にはいかないと言う事なのだろう。それ故の土方の、不機嫌と不満とフラストレーションとをこれでもかと詰め込んだ表情と態度と言う事だ。 高級そうな無垢の木材を綺麗に整えて作られたのだろう、つやつやとした手触りの卓上に頬杖をついて、すっかりと空になったビールの瓶を恨めしく横目で見遣りながら、銀時は土方の話へと続きを促す事も、それは大変だと同意する事も出来かねて眉を潜めた侭で黙っていた。 とん、と灰を落とした灰皿を窓の、僅かだけ開いた隙間へと押し込んだ所で、土方は殆ど残っていない短い煙草の吸い殻をその中へと放り込んだ。袂の中で腕を組んで、解り易い溜息をひとつ。 「……まぁそう言う訳でな。不本意ながら囮役を引き受ける羽目になった訳だが、俺ァこの通り絹姫様とは身の丈以外は似ても似つかない、しかも男だ。この様で一歩でも外に出ようもんなら、あっと言う間に囮ってのがバレちまう。そればかりか、てめぇの勘違いみてェな下衆の噂なんぞ出たら、それこそ困った話になっちまう」 何しろ相手は家格の高い所に嫁いだ姫だ。護衛と言って誤魔化した所で、若い男が部屋に上がり込んでいるなどと言う風聞は間違ってでも流される訳にはいかない。 銀時の考えていた予想を概ねの点で肯定すると、土方は先頃部屋に入ってから開けた、続き間を軽く指さす。釣られた形になった銀時が首を擡げてその先を見遣れば、布団の敷かれた侭になっている部屋の壁際に、漆塗りの衣桁が立てられているのが見えた。そこに掛けられた着物は、遠目だが高級そうだと一目で知れる程度には豪奢な、朱の生地に白菊が控えめながら精緻な文様となって花開いた図柄のものだ。 「変装用にってんで、チェックインの時に使った衣装一式はその侭なんだが、護衛として連れて来てる真選組(うち)の連中には、『お姫様』の着付けが出来る様な奴もいねェと来たもんでな」 言って、肩を自棄っぱちな仕草で竦めてみせる土方が、その装束を纏っている姿と言うものはどうにもイメージにし難かったが、銀時は「ふーん」と鼻をほじりながら適当な相槌を投げた。知り合いの男の女装姿など好んで想像したいものでもない。 「来る前に支度を調えたのは、この為に着付け教室に通わせた山崎だったんだが、野郎は本隊との連絡もあって下山しちまってる。……知っての通り、この辺鄙な宿は高級な癖に携帯の電波すらまともに通じねェからな」 土方の言い種は結構に深刻なそれだったが、銀時には今ひとつ実感が薄い話である。何しろ携帯電話の類など元より持っていないのだから。 だが思い起こしてみれば、そんな話も聞いた気がする。それもあってより俗世と切り離された雰囲気を演出しているんだそうだが、直ぐに世界や世間との繋がりを必要とする今の世の中でこれがどう言った効果になるのか、果たして大丈夫なのかと少し心配にはならないでもない。とは言っても銀時らにはどうにも理解出来ない感覚の話ではあったが。 土方の言い種を見れば、連絡が易々つかないと言う事は矢張り不便──を通り越した死活問題にも繋がりかねない様な事だと言うのは、何となく察せた。着付け云々はともかく、いちいち連絡役として人間を派遣しなければならないと言うのでは、それは大変だろう。 だが一応、従業員の所には非常及び緊急用の無線ぐらいは置いてあるらしいので、全く陸の孤島と言う訳では無いと言う。だがその設備を緊急でもないのに宿泊客が使わせて貰える訳は無いが。 「つまりは、現状俺はこの離れから全くと言って良い程動けねェ缶詰状態って訳だ。外の様子は、一般の部屋を張らせてる部下から逐一報告を受けちゃァいるが、襲撃者とやらが本当に居るのかすらも定かじゃねェって言う状況だ。正直困ったもんだよ」 「……ふーん」 二度目の相槌は、何となく土方の話の矛先が見えて来た様な気がした銀時の、少しばかり引き攣り始めた気のする口からゆっくりとこぼれた。 その調子からも、銀時が余り乗り気では無い事には気付いたらしい。土方は座った侭で少し姿勢を正すと真っ向から、銀時の気の無い眼をじっと見つめて口を開く。 「頼み事、って押しつけられたのがそもそもの話だからな。またてめぇらに頼み事って押しつけんなァ、正直気は進まねェ。が、背に腹は代えられねぇ」 見据える眼光の鋭さに、こいつはメデューサか何かかと、銀時は逸らせない視線の代わりに口端をむすりと歪めた。きっとどうせ、部屋に上がり込んで話を聞いて仕舞った時点で回避の手段は既に無かった。それが同じ様にして上官に無茶振りされた土方の意趣返しとまでは言わないが。 白旗を揚げる心地で両肩をだらりと落とす。 「……で、何の『頼み事』をしたいって?」 「依頼と取ってくれて勿論構わねェ。ここのバイトに支障が出んならそれを補填出来るだけの依頼料も出す。偶然だがてめぇが従業員なのは好都合だ。宿泊客や同じ従業員の中にそれらしい奴がいないか探る事がひとつ」 律儀にも言い直すと、土方はぴ、と人差し指を立てた。続けて中指がゆるりと立ち上がる。 「もう一つは、」 そう言いかけた所で、彼は目元に込められた、メデューサの眼力めいた力を僅かに弛ませた。そんな僅かの表情筋の動きだけでも、土方が冗談めかした笑みを浮かべたのは解った。 「酒やらマヨネーズやら、あんま注文すると怪しまれちまう様なもんを、てめぇが上手いこと持って来てくれ」 笑みと、その如何にも土方らしい依頼──否、これは『頼み事』に分類されるだろう──に、銀時も思わず釣られて笑った。 。 ← : → |