密花に宿れば / 7



 土方からの『依頼』を受けて四日。
 よくよく注意して館内を歩いてみれば、確かに宿泊客たちの中にはぱっと見て『そう』とは知れないものの、立ち居振る舞いや行動が明らかに一般人と異なると知れる者らが紛れて居る事が解る。
 彼らは土方が手ずから真選組内から選出した護衛たちだ。正確には、土方の装った『偽物の絹姫』の『護衛役』として宛がわれた、真選組の隊士たちと言うべきだろう。
 一般客と同じ部屋に寝泊まりしている彼らは、真選組の隊服こそ着ていないものの別段護衛である事を隠すつもり自体は無い為にか、日中は館内を見廻る様に歩き回り、朝昼夜と一日三度報告の為に離れの土方の元を──もとい、姫の元を訪れると言う大体のサイクルを遵守している。
 毒や薬物を盛られる警戒もあった為に当初は彼らが、宿で供される食事を直接運んで来ていたと言う。だが、護衛が幾度も離れを出入りする事で、態と狙われ易い様に、離れの部屋に一人きりの姫、と言う状況を作っている事が無意味になって仕舞うからと、今では宿の従業員が通常通りに仕事を行っていると言うのは銀時も知る所である。
 宿に土方ら絹姫の偽装団が投宿してからやって来て、同じ様に長期滞在をしている客は何組か居る。彼らのいずれかが脅迫状を送った攘夷浪士の一味と言う可能性は無論高いのだが、今の所は全くぼろを出す気配も無い。大胆な脅迫状を送って来た癖になかなかに慎重な連中なのか、それとも端から襲撃をするつもりなんざ無いのか、と暇を持て余した土方は皮肉気な笑みをたっぷり添えてそう言う。
 それもそうだろう、わざわざ面倒で不自由な思いをしてまで、罠の為に体を張っていると言うのに、何も起きませんでした、では徒労に過ぎる。
 尤も警察の立場としてはその徒労でさえも「何事も無くて良かった」と言わざるを得ない所なのだそうだが。
 なお、肝心の『本物』の絹姫様は、現在予定通り江戸にある某大名の屋敷に匿われていると言う。そちらには念の為に少数の精鋭として沖田や斉藤が密かに詰めているそうで、恐らく安全は確実だろうと土方自ら太鼓判を押している。
 まあ確かにあの二人だけでも居れば、そんじょそこらの一個隊を配置するよりも余程信用に置ける。両方とも性格に若干の難があるのが玉に瑕だが、その辺りは銀時の斟酌する所ではない。
 依頼を土方から直接受けてから、銀時は取り敢えず新八と神楽には状況だけは説明したが、今のところ特に手伝いはさせていない。と言うのも、銀時がこそこそと客を嗅ぎ回ったりしている間の仕事を代わりに引き受ける役が必要だったからである。
 あの美人の女将は、従業員の仕事ぶりに呆れる程熱心な観察をしている様で、目に余る程の、仕事を放り出した『依頼』にかかりきり、と言う訳には行かないと銀時としては判断せざるを得なかった。バイトをクビになってこの宿を追い出される様な事になれば本末転倒だ。
 仕事そのものは新八と神楽が銀時の分の一部も受け持つ事で何とか済ませられるが、銀時自身の行動についてを注視されて仕舞えば実に動き難い。
 全く、代理の女将だと言うのに熱心な事である。呆れ半分、感心半分にそんな事を思いながら、銀時は今日もその女将の目を何とか逃れて、客室の前の掃除に励んでいた。
 今様子を窺っている部屋の名は『菖蒲』。初老の夫婦が泊まっており、数日に一度宿泊手続きの更新をしては、日を伸ばし伸ばし滞在している。怪しいと言えば怪しい対象の一組だ。
 部屋の前の廊下にある、名のある名工の手がけた逸品と思しき花瓶と、活けられた花との周囲を、かれこれ十分以上は掃除しながら、銀時は室内の様子をそれとなく窺っているのだが、見廻ってきた他の部屋と同様に、ここも矢張り室内に大した動きは無い。
 (まあそんな、見て直ぐ解る様な真似はしねェたァ思うが)
 それも、長期戦を覚悟で居る相手ならば尚更の事だろう。もう既に幾度手直ししたかも解らない、花の角度を銀時が弄っていると、やがて扉が開いて中から妻の方が出て来た。「行って来ますよ」と室内に声をかけつつ歩き出す初老の女に、銀時は作業を──している素振り──一旦中止させ、頭を下げた。にっこりと微笑み同じ様な会釈を返した女は、その侭階下にある温泉へと向かう様だ。
 念の為に気付かれない程度に後を尾け回してみるが、想像通りに浴場の、女性用の脱衣所へ消えて行く姿を見送っただけに終わって溜息を一つ。
 (脅迫でも犯行予告でも何でも良いが、もうとっくに諦めちまってるとかそう言う話なんじゃねェの、コレ…)
 半ば諦めの思考でそうは思うが、依頼は依頼である。受けた以上は、余程の事が無い限り真剣に取り組むのが万事屋のモットーだ。
 銀時の様に動き回っている訳では無いとは言え、ずっと部屋に閉じこもりっきりになっている土方のストレスもこれでは相当のものだろう。
 (おまけに、煙草もガバガバ吸えねェわ、マヨもそう大量に摂取出来ねェわじゃあな…)
 初日はまだ、万事屋と言う救援が予期せず現れた事で少しは気分も上向きになっていた様だが、一日二日と時が、何の進展も無い侭に経過する事でやはり思う所も出て来たのか、土方の機嫌は目に見えて宜しくは無くなっている様だった。
 役立たず、とまでは流石に、依頼した手前思ってはいないだろうが、進展するかと思った事態がまるきり変わらず動かないと言う事実に、失望はまあ憶えていてもおかしくはない。
 とは言えそれは万事屋の、銀時の所為では無いのだからどうしようも無い事だし、土方も解っているのだろう、大人げなく八つ当たりをしたりはしない。尤もその所為で余計に不機嫌が募っていくのかも知れないが。
 (釣りってのァ、根気が要るんだよ。その点じゃ明らかに人選ミスだよな)
 基本仕事にはああ見えて真面目な鬼の副長だが、そんな彼がじっとしている事が余り得意では無いと言うのは、銀時でも見れば何となく察せる。落ち着きが無いのではなく、単に時間の潰し方が余り上手では無いのだろう。
 土方に『罠』の餌役を任命した、警察庁長官はその程度の事も考えていなかったのか、或いは脅迫状の差出人が想像以上にチキンだったのか。
 何れにせよ、待ち戦ほど短気な人間に堪えるものはないと言う事だ。
 (……しゃーねぇ。今日は少しばかり高級な日本酒でも差し入れてやるか)
 いつもビールばかり頼んでいる土方だが、偶には強くて旨いアルコールでも入れる事で、少しは気分が晴れるかも知れない。どうせ支払いは自分持ちでは無いのだからと、銀時は楽観的にそんな事を思いながら、腕時計をちらと見下ろした。
 次の仕事は中庭の清掃が割り振られている。掃除のついでに、離れを窺う怪しい客はいないか、庭に妙なものは仕掛けられていないか、と言った『依頼』にまつわる作業をしなければならない。
 幾ら地上よりは涼しいとは言え、よく晴れた日の下では重労働になるが、その方が酒もきっと旨くなるだろう。
 
 *
 
 「なぁ、いっそもっと隙を作ってみたらどうよ?」
 高級な大吟醸の一升瓶を前に、然し余り冴えた様子の表情を見せない土方に向けて、銀時はついそんな提案を投げていた。
 「……今でも充分隙だらけだろうが。これ以上何しろってんだ」
 黒漆の塗られた猪口を軽く傾けた土方はぶすりとそう吐き棄て、呑んだ高級酒の味わいに目元ひとつ弛めはしない。折角高い酒を持って来たのに、と少々落胆めいたものを感じながらも、銀時はぐいと猪口の中身を喉に流し込んでから立ち上がった。続き間の寝室の襖を開くと、暗い部屋にぽつりと置かれた衣桁を見やって腰に手を当てて言う。
 「例えばそこの庭園を散歩するとか。ずっと引き篭もりっぱなしじゃ、相手も手が出し難いのかも知れねェだろ?それに、あんまり姿を出さねェといい加減に嘘だって見抜かれちまわァ」
 「…………」
 銀時の言う提案の補足に、土方も一応頷ける部分があったのか、眉を寄せて考え込む様な仕草をしてみせた。険しく寄せられた眉間の皺が、流石に命を狙われる役なだけあってか熟睡は出来ていないのか、少し目立ち始めた隈と相俟って、その姿をいつもよりも酷く草臥れた印象に見せている。
 ストレスの原因は、その窶れの見える様子からも明らかだった。だから、と言う訳では無いのだが、銀時はそんな土方を前につい、早く片を付ける訳に立ちそうな、そんな提案を投げて仕舞っていたのだ。
 どの道、土方がここに留まり続ける以上は、万事屋の依頼も終わらせる訳には行かないのだから、出来るだけ早く終わらせたいと言う点では理に適った話と言えるだろう。
 土方も、銀時が面倒な、宿泊客の見張りと言う仕事内容に埒が開かないと感じたからこそそんな提案を寄越したと思ったのだろう、はあ、と露骨に呆れと苛立ちの乗った溜息をついてみせると、猪口の中身を一息に呷った。
 「言ってもな。流石にこの姿で出る訳には行かねェし、言っただろうが、変装を手がけた山崎が戻って来ねェ事には、『お姫様』の扮装は出来やしねェんだよ」
 「まあそれなんだけどよ、」
 何度も言わせるな、とばかりに投げ遣りに言って寄越す土方を振り返ると、銀時は高級そうな拵えの、女物の着物を掌で軽く撫でた。この一着だけでそこいらの庶民ならば一ヶ月ぐらいは食えそうだ。
 「化粧道具と、『お姫様』の見本写真さえありゃァ、俺が化粧も着替えもしてやるよ」
 「………出来るのか?てめぇに?」
 余程意外だったのか、きょとんとした数秒後には露骨に顔を顰めて、土方。眉を寄せて唇をへの字に歪めるその様子から見ても、銀時に出来る訳など無いと疑う──と言うよりは端から出来るなどとはまるで思っていないと言うのが知れて、親切心で提案したつもりの銀時の頬は思わず引き攣った。その口で無理矢理に笑いを形作る。
 「まーこう見えて銀さん器用だしィ?見本さえありゃそんぐらいお安いご用だよ。て言うかオメーな、あの地味顔に出来て俺には出来ねぇって、どう言う料簡だそりゃ」
 流石にむっとした調子で言う銀時の顔をまじまじと見返していた土方だったが、「まあそれもそうか」とややあってから頷いてみせた。銀時はそこで得心されるのも何となく不本意な気がしたものの、こんな所で無駄に混ぜっ返しても仕方がないと思い直して、咳払いを一つ。
 「兎に角だ、毎日ずっとマタニティブルーで鬱ぎ込んでるってのにも限界があんだろ。少し気分の晴れた素振りで、一日一回ぐらい中庭をちょっと歩くとかしてみりゃ案外、あちらさんも全然お姫ィ様に隙が無くて焦れてて、すわチャンスとばかりにすーぐ飛びついて来るかも知れねェよ?やってみる価値はあんだろ。少なくともずっとこの侭膠着状態で居るよかマシだと思うね」
 「…成程な。理には適ってるし、てめぇがセッティング出来るってんなら、わざわざ突っぱねる理由もねェよ」
 衣桁から離れて元通り戻って来た銀時の猪口に酒を注いでそう言うと、軽く膝を叩いて土方は立ち上がり、荷物らしきものの纏められた一角を探って、モデルや芸能人の使いそうな大きな手提げのついた箱をその中から引っ張り出した。言うまでもなく、それが化粧道具の入ったケースだろう。
 「事態がそれで動くってんなら、乗ってやらァ」
 余程に退屈していたのか、可能であると知るなり一も二もなく銀時の提案に乗る事に同意した土方は、猪口に残っていた酒を一息に干した。そこで漸く「うめぇ」と小さく呟く。
 「……まあ確実に動くたァ言ってねぇけどな」
 「そこの所はてめぇの腕前次第かも知れねェがな?」
 余り期待をされても困る、と暗に言えば、土方はふんと少し不機嫌そうに肩を竦めてみせた。だから尽力しろと言いたいのだろうが、元々ただの巻き込まれたに等しいバイトだった万事屋にそこまで期待されても困ると言うのが銀時の本音である。
 だが、動かない事態に些少な苛立ちを憶え始めていたのは銀時の方とて同じである。
 「そっちの方は任せとけ。かまっ娘倶楽部の一番人気になれるぐらいには美人に仕立て上げてやらァ」
 かまっ娘倶楽部とは言わずと知れた、イロモノの何かと多いかぶき町でも名物に当たるだろうオカマバーの屋号である。銀時的な評価としては『化け物の巣窟』と言った方が寧ろ正しいのだが。そんな冗談を正しく解したらしい土方は、化け物の中に自分が立っている事でも想像してみたのか、小さく噴き出した。
 化け物の中で一番人気、などと言いはしたものの、それは無いなと銀時は自分で思う。癪だが、元々の素材は良いのだ。土方は身長がどうとか言ってこの役割に任命されたと言っていたが、恐らくそちらの面の方が選出された理由としては大きいに違いない。丈の問題だけであれば、それこそ合致する男なんてごまんと居るし、誰にだって出来る事なのだから。
 つまりは、身長と、整った貌。その二つが合致していれば、よくよく絹姫の人相など知らずとも、きっとこいつだろう、と判断されるだろうと言う想像からの任命と言う事だ。前者はともかく後者について土方は全く意識などしていなかった様だが。
 「美人に化けられ過ぎたからって、その侭女装趣味にハマっちまわねェようにな?」
 特にその点を指摘してやるつもりの無い銀時が嫌味と自信たっぷりに言うのに、土方は「抜かせ」と苦笑に乗せて言って、再び自ら酒を注いだ。
 どうやら酒の味わいはお気に召したらしい。その事に銀時はそっと胸を撫で下ろしつつ、酒のなみなみと注がれた猪口同士を軽くこつりと打ち合わせた。







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