人が人になるまでにたった一万三千年 / 2 ぎしぎしと、関節の軋む音がする。 余り身体は柔らかい方ではないのに、ずっと無理な体勢を強いられているからだ。 仰向けで、上から腰を折られて足を大きく開かされたり。 俯せで、腰を高く持ち上げられて肩で全身を支えなければならなかったり。 片足を高く上げられ、横向きに転がされたり。 きっと明日は全身が痛むだろう。 手も足も縛られてはいないから縄の痕は気にしなくて済むけど、兎に角関節が痛い。 あと──男の性器が無遠慮に出たり入ったりしている、後孔が痛い。痔になったらどうしてくれるんだ。 厄介な事に、痛くて堪らないのに、きもちがいいとも思うから、止めて欲しいのに止めて欲しくないだなんて思って仕舞う。 入り口は切れているのかひりひりとする。でも、段々その痛痒感が甘く感じられてくるから不思議だ。 内臓を、その本来の働きに反して逆に押し入られて押し込まれて、苦しいのに段々とその抽挿のリズムが心地よくなってくる。 出て行くのに、排泄感にも似たその感覚がきもちいい。 入ってくるのに、擦り上げられるその感覚がきもちいい。 痛みなんてきっと疾うに麻痺しているのだけれど、この痺れる様な感覚が消えたら痛みだけが残るのかと思えば、ずっとこの侭で居た方が良いんじゃないかなんて考える。 頭が働かないから上手く言い表せないのだけれど、やっぱり全部まとめて見ればこれはきもちがよいことで── それこそが、屈辱だった。 ああ畜生。 こんな連中に囲まれてボコされて、あまつさえケツ穴犯されて、あんあん女みてェに喘いでいるのが自分だなんて度し難い。 酒に漏られたのは何だろう。アッパー系のクスリだろうか。さっきからずっと頭がハイになってて、自分が何を言ってるのか何を言わされてるのか、何を感じてるのかもう良く解りやしねぇ。 だからきちんと薬物の取締を行っておくべきだって散々会議で上申しただろうが、無能な幕府の古狸共が。今日日こんなタチの悪いクスリぐらい、法にギリギリ触れねェもんなら簡単に手に入っちまうって解ってねェんだ。 あれ?じゃあ取り締まろうがしなかろうが関係無いのか? まあ何でも良い、考えるのも億劫なんだ、クスリはその内取り締まろう。憶えていられたら。 それより、馬鹿みてェに腰振ってねェで早い所殴るでも蹴るでも殺すでもしろよ。その方が余程対処が楽だ。 口ン中好きに使ってるテメェもだよ、早くイケよ。苦しいんだよ。ああでも喉奥でブチ撒けんなよ。臭ェんだよ、テメェらの溜まった生臭ェ精液なんざ飲みたかねェんだ。 って、顔にブチ撒けんなよ。目に入ったら痛ェってさっき言っただろうが。しかももっと臭ェ思いさせられるコッチの身にもなれよクソ野郎共が。 え?なんで笑ってんだって? 今なんか凄ェ気分が良くて、気持ちいいから笑ってんだよ。後ろのテメェ、段々掘るの上手くなってんじゃねぇよ腹立たしいな。また気持ち良くなっちまうじゃねェか。 気持ちいいって言ってごらん? なんて三流のAVみてェな台詞抜かされんのは業腹なのに、口が言う事を聞きやしねェんだ。さっきから卑猥な台詞ばっか言わされて、舌を切り落としたくもならァ。 腹を思い切り折られて上から突き降ろされんのが気持ち良くて、喉が勝手に媚びたらしい悲鳴上げてやがる。 全く、煩ェな。手前ェの声なのに。何笑ってんだよ。幾らハイになってるからって、情け無さ過ぎだろうが、こんなん。 言われる侭に、もっとして、だの、きもちいい、だなんて反芻してんじゃねェよ。 ケツ穴ん中に吐き出されて、一緒になって射精してんじゃねェよ。 そんで犯してるテメェらも笑ってんじゃねェよ。あとで絶対全員殺してやる。 ああ、畜生。 クスリの所為だと言い訳した所で、手前ェがこうして悦がって啼いて犯されてんのは、何一つ変わりやしねェ。 畜生。 無様な事態を招いた手前ェの油断が腹立たしい。 なんでもっと早く気付けなかったんだよ。馴染みの情報屋のツテだろうが何だろうが、なんで隣に座らせてのんびり酒なんざ飲んじまったんだよ。 なんでクスリ混ざられて気付かねェんだよ。どんだけ平和ボケしてんだよ。 畜生。悔しい。 こんな奴らにやられて、おかされて、まわされてるだなんて。 ちくしょう。 こいつらぜんいんころしてやる。 ちくしょう。わらうな。わらってんじゃねェよ。 ちくしょう。 くやしくて、はらだたしくて、 ──こわい。 怖いんだ。 もう、止めてくれ。 誰か、止めてくれ。 …………だれか、 * 年寄りと鳥類の朝は早いものだ。 窓を開いた途端に耳に飛び込んで来る、ちゅんちゅんと鳴き交わす雀の声と、朝の光合成に出掛けるお年寄りののんびりとした朝の挨拶を聞くとも無しに聞きながらそんな事を思う。 公園にでも行けば犬の散歩や太極拳でもやっている連中が、出勤通学する若者たちより余程元気に動き回っている事だろう。 そろそろ朝の冷えも無くなり、温い風が直ぐに大気を温める季節だ。これが夏休みにでもなればラジオ体操の音がさぞ元気よく聞こえて来るのだろう。アレは正直二日酔いの頭には響く。ただでさえ朝が早いのには弱いと言うのに。 昨夜飲まなかったお陰か、こんな時間だと言うのに珍しく銀時の頭は冴えていた。寝覚めすっきり、と言う程ではないが、まあ活性が早いのは悪いものではない。今朝は食事当番だから、これから台所に立たねばならないのだ、思考ははっきりしている方が良い。 天気は上々。気分もそこそこに上々。縄張り争いに長閑な声を響かせる雀たちが電線の上に連なっているのを見ながら軽く伸びをして首を鳴らしてから、布団は後で干すからその侭にして、銀時は足で襖を開けて寝室を出る。 居間には誰の気配もしない。神楽も定春もまだ押し入れの住人だ。飲んでもいないからビールの空き缶がテーブルの上に転がっている事もない。テレビのリモコンを適当に押してから、洗面所に向かって、いちご味の歯磨き粉をたっぷりと絞り出した歯ブラシをくわえる。 「おはようございまーす」 そこに、玄関戸を開ける音と共に新八の声。思わず時計を見るが、いつもの時間より少し早い。どうかしたのだろうかと、歯ブラシを噛んだ侭頭を廊下に突き出せば、玄関に座って草履を脱いでいる新八の姿に出会う。 「あれ?銀さん今日は早いですね。お早うございます。これ、僕んちの夕食の残りなんですけど、余っちゃったから朝食に持って来ました」 「おー、はふはうわ」 咥内の歯ブラシの所為で発音は不明瞭だったが、新八は”おー、助かるわ”と銀時の言葉を何とか聞き取ったらしい。「ここに置いときますね」そう言って、風呂敷に包んだタッパらしきものを炊事場に置いていく。万事屋には生憎電子レンジなどと言う文明の利器は無いが(いざと言う時は階下のスナックに借りに行くのだ)、温め直す必要があるものなら鍋にもう一度放り込んでも良いし、一度作った食べ物なら冷めた侭でも食べられないものはない。 続け様に、新八は風呂敷を見遣る銀時の横を通って風呂場の方に向かう。昨夜の内に回しておいた洗濯機の中に入った侭の洗濯物を干すのが日課なのだ。 別に頼んでやって貰っている訳ではないのだが、水道代の節約と言う目的や、万事屋の仕事で汚れた自分の衣類を洗う事もあって、新八自身も洗濯機を使う、そのついでの様になったのが始まりだったと記憶している。後は、放っておくと銀時がいつまで経っても洗濯物を片付けないから、と言う理由も多分にあるだろう。 脱水まで終えてひとかたまりになっている洗濯物を一枚一枚解いて洗濯篭に移して行く新八のマメな作業からは直ぐに意識を逸らし、銀時は歯ブラシをくわえた侭で居間へと戻った。先頃点けたテレビのチャンネルを回して、見慣れた朝のニュース番組に変える。 結野アナの天気予報には未だ時間が早く、テレビの中ではスタジオのニュースキャスターが昨晩から朝までに起こった各地の事件をニュースとして次々読み上げている最中だった。 交通事故、強盗、横領。江戸で起こった様々な事件が淡々と読み上げられていくのをぼんやりと見つめながら、銀時は歯ブラシを動かし続ける。 昨晩から奥歯に変な具合に引っ掛かっていたもやしの髭が丁度取れた時、ニュースキャスターが強盗犯の逮捕を読み終えた。画面は次のニュースに変わる。 『昨晩未明、大江戸埠頭にある○○屋の倉庫で、警察官が何者かに暴行を受ける事件が起きました』 その声に、洗面所へと戻り掛けた銀時は足を止めてテレビを振り返る。画面には参考映像の様な大江戸埠頭の俯瞰映像と、続けて都市部にある○○屋の建物が映されている。右上のテロップには『警察官への暴行 攘夷浪士グループの犯行か?』と表示されていた。 『発見したのは○○屋の従業員で、早朝に操業の為に倉庫へ向かった所で、負傷した警察官を発見しました。警察官はすぐに病院に運ばれ手当を受け、命に別状は無い様です。現場となった倉庫は○○屋のものですが、○○屋には攘夷浪士グループとの繋がりなどもなく、警察は慎重に捜査を進める方針です』 続けて、○○屋の社長と紹介された禿頭で小太りの男が、自分たちは事件には関係がない、一刻も早く犯人が捕まれば良い、と記者に語っている映像が映し出された。 『警察官を狙うなんて物騒ですね』 スタジオに戻ったカメラの映す、アナウンサーがそう話を振り、傷害事件に詳しいコメンテーターが『被害者が警察官ですからね、怨恨の線が強いと思います。警察も、過去の犯歴者から犯人を捜すでしょうね。被害警官の以前担当した事件などから捜査を進める事になるんじゃないでしょうか』そんな無難なコメントを答える。 『次のニュースです。今年の四月に○○町で起きた強盗傷害事件の──』 そうして場面は次のニュースへと直ぐに切り替わって行く。 暫くの間テレビを見つめていた銀時は時計をもう一度見上げてみたが、天気予報には矢張り未だ早い時間だった。 世の中物騒だねぇ、と背後のテレビに胸中でだけ相槌を打った所で、 「神楽ちゃん、定春!朝だから起きて!」 「うー、うるせーアル……寝不足はお肌の大敵ネ…」 背後から、がらら、と納戸を開ける音と共に賑やかな新八の声と眠そうな神楽の声とが聞こえてくる。銀時は素足の右足で左足の脛を軽く掻きながら、洗面所へと戻る事にした。神楽が起きて来ると、髭剃りクリームの匂いがオッさん臭いだのなんだの言い始めて喧しくなるのだ。 新八の土産もあるし、今日の朝食は簡単に済ませられそうだし、珍しいすっきりとした寝覚めだ。今朝の気分はそこそこに上々だった。 一日中こうであれば良いのだが。思いながら歩く銀時の背後では、ニュースは未だ物騒な世情を淡々と伝え続けていた。 。 ← : → |