人が人になるまでにたった一万三千年 / 6



 ぱき、と乾いた音を立てて鉛筆の芯が折れた。
 「……ち」
 これで今日は何本目だったろうか。苛々とすると筆圧の加減まで効かなくなるとは。
 これだけ文明の進んだ世なのだから、苛立とうが怒ろうが折れない鉛筆を誰か作れば良いのに。
 胸中で悪態をつきながら、筆入れを手で探ってみるが、もうそこには無傷の鉛筆は残っていなかった。溜息をついて、土方は抽斗から小刀を取り出す。
 土方の担当する公文書類に鉛筆を用いるものは殆ど無いのだが、よくサボる部下や誤謬の多い上司の為に下書きをしてやる場合は話が別である。両者共良い歳をした大人なのだし、下書きで書類の指示を書き添えてやるなど過保護だとは思うが、こうでもしておかないと今度は後から赤ペン先生になるだけの事だ。隊内の書類ならばそれでも構わないが、上や他部署に提出する必要のあるものは流石にそうも行かない。
 (何より手間が倍増しだ)
 修正と再提出との遣り取りを繰り返すのは、胃にも時間効率的にも良くはない。そろそろ本格的にデジタルなシステムを取り入れた方が良いのだろうかと、土方が思わず真剣に予算の内訳を考え始めて仕舞うのはこんな時だ。
 予算の組み立てを頭で考えつつも、手元はくるくると器用な手つきで鉛筆を削っている。小型の鉛筆削りもあるのだが、そちらの方が出来具合が折れ易い気がするので余り使っていない。こんなに苛々している時は特に。
 削り終えた鉛筆を一本、目の高さに持ち上げてくるりと検分すれば、窓の外がもう大分暗くなっている事に不意に気付かされる。
 「………」
 どうやら苛立ち紛れに仕事に没頭し過ぎていたらしい。
 壁と襖の修理にと銀時が来たのは昼前の事だ。奴さんは図々しくも、昼食ぐらい出してくれと山崎に頼み込み、目立つ形の男が屯所を一人歩きするのは宜しくないからと土方はそれに付き合わされて屯所の食堂で少し早めの昼食を摂る羽目になった。正直腹など全然減っていなかったが、確かにあの元攘夷浪士の不審者を屯所内で放置するのは体裁上まずいのだから仕方がない、が。
 それから銀時が帰るのを見送ってから部屋に戻り、後はずっと煙草か筆かを動かしていた記憶しかない。いつもは堆い書類山が大分少ない事が、土方の仕事への没頭ぶりを物語っていた。
 謹慎中で、暇なのだから机仕事に熱が入るのは当然だ。別にそれで無理をしたり徹夜をしたりしている訳でもないのだし。
 軽く肩を回して溜息をつくと、土方はのろのろと身体を起こした。時刻は丁度夕食時だ。相変わらず空腹なぞ然程に感じないが、昼食を入れてからの時間を思えば、腹もちゃんと減っている筈である。流石に不眠不休でエネルギー摂取も無しに生きれる程、土方の人間としての機能は損なわれていない筈だ。今はまだ。
 (まあ、行けばなんか食えんだろ)
 今日のメニューは何だったか。適当につらつらと考えながら部屋を出る。上着とスカーフは置いて来た。外気温は上着を必要とする程ではないし、食事程度の間なら構うまい。
 副長室は屯所の大分隅に近い場所に位置している為、共同空間である食堂や風呂への距離はそれなりに遠い。
 「副長、お疲れ様です」
 通りすがる隊士たちが挨拶をするのに、軽く顎だけを引いて応える。
 そうして暫く過ぎた後、ひそ、とした囁き声と、視線とを背中から感じた。半ば反射の様な動きで土方が思わず背後を振り返れば、擦れ違った隊士たちが慌てて目を逸らして去って行く。
 「……──っ」
 ぞわり、と背筋が粟立った。
 歩く廊下。その襖の向こうでは、残務なのだろう机仕事を片付けている隊士らの声。
 廊下の端から、また別の隊士が歩いて来る。挨拶。探る様な目。
 庭で鍛錬をしていた隊士らが、手は止めぬ侭ちらちらと寄越す視線。
 土方は奥歯に力を入れて、その辺りの者に所構わず怒鳴り散らしたくなる己を必死で堪えた。
 こんなのは錯覚だ。気の所為だ。被害妄想だ。何度も言い聞かせて、怖れを乱暴な足取りで踏みしだきながら食堂に入る。
 今日のメニューは煮魚だった。給仕の係に適当になんとか応対をして、いつも座る席ではなく、空いている隅へと移動して、土方は目を軽く瞑る。
 食堂は夕食時なのもあって混雑していた。座した副長の姿に挨拶を寄越す者も居れば、触らぬ神に祟り無しとばかりに目を背ける者も居る。
 目を閉じると耳朶をがんがんと無遠慮に叩く雑音たちは、下らない、或いは他人にはどうでもよい様な、いつもの会話でしかないものたちの筈なのに。
 目を薄らと開き、土方は箸を手に取った。味のしない白米と、魚とを、無理矢理に喉奥へと押し込んで行く。
 顔を上げたら、誰かが見ている。
 ざわざわと、誰かが吹聴する、噂話。
 しれっと怒鳴り散らしているけど。
 あの人。
 一般人との喧嘩に負けて。
 ○○された、って。
 「ッ、」
 まるで関係のない言葉の端々に、何かの悪意や好奇がわらっている。漣の様に、土方の無様な姿を嘲っている声が、何処からともなく響いてくる。
 砕けた自尊心を踏みにじる。ただの無関心な好奇心だけで!
 焼け付きそうな胃の腑に、水を一気に流し込んで、土方は形ばかり終えた夕食のトレーを持って立ち上がった。
 ごちそうさん、と礼まで述べて、食堂を後にする。声も、目も、追っては来ないのに、肌の上にひしひしと感じる激しい嫌悪感。まるで、誰もが『そのこと』を暴き立てようとしているかの様な錯覚。中には本当の噂もあったかも知れないが、殆どが錯覚である事ぐらいは、解る。辛うじて未だ、理解出来る。出来ていたい。
 震え、走り出さなかったのは最後の矜持だった。それを保つのにも酷い労力と理性を強いられた。土方は食堂からは離れた、余り人の気配のない厠へと入ると、最奥の個室に身を滑り込ませ──
 「──、──、──!」
 鍵をかけた戸に背を預けて、口を両手で押さえて吠えた。極彩色の眩暈にも似た感覚。ざわざわと血管を鳴らして通る血流を動かす心臓が、この侭砕けて仕舞うのではないかと思える程にばくばくと跳ねている。
 錯覚だ。錯覚でしかない。少しばかり被害妄想が出ただけの事だ。
 (そもそも、単なる数とクスリの暴力で、喧嘩負けしたってだけの、だけの、話じゃねェか)
 言い聞かせる。こんなものは負い目にも瑕にもならない。若い頃無茶苦茶やって殴る蹴るの暴行を受けて殺されかけてた時の方が余程惨めな想いを味わわされてた筈だ。
 あの頃は背負うものが無かったから?だから?
 否、形や状況がどうあれ、喧嘩に無様に負けた事に、変わりはない。
 無様だが、醜態でしかないが──それでも、こんなものに何故揺らがされなければならないのか。訳が解らなくなって、土方はその場に立ち尽くしてじっと、この不快な嵐が過ぎ去るのをただ待っていた。
 「いやいやだからそうじゃねーって。マジかどうかってのはもう間違いねェんだからさ」
 「!」
 と、そこにわいわいと騒ぎながら、複数人の隊士らが厠へと入って来た。声と足音からして三人。土方は思わず息を潜めるが、閉まっている個室を気にする風でもなく、彼らは談笑しながら小便器の前で用を足し始める。どこでも男所帯はこんなものだ。
 いつぞや、厠が汚れるからと連れション禁止令などと言うものを出したが、それも気付けばなんでかんで無駄に終わっていた。厠と言う気易い場所と排尿の解放感とが、益体もないお喋りを増長させるのだろう。
 「じゃあマジもんの噂なのかよ?副長が強姦されたっての」
 「!」
 揺れそうになる肩を必死で堪えて、土方は息をも潜めて立ち尽くした。足下から血が全て流れ落ちて行く様な、背筋を冷やす言葉がまるで刃の様に土方の胸を貫き、然しその痛みでその場に押し留めている。
 「俺その日当直だった奴から聞いたし。間違いねぇって話らしいぜ」
 「マジかよ。ただ民間人とトラブっただけって聞いてたけど」
 「そりゃ言える訳ねェだろ。プライドの塊みてーな人じゃん副長って」
 「いやでもさ、あの人鬼の副長だよ?強ェじゃん。襲おうとしても逆に食い千切られそうな気しかしねェだろ」
 「ああ言うプライドの高い人間こそ貶めてみてェっての、あんだろ?」
 「え、お前ソッチの趣味あったの?」
 「いや無ェよ!無ェけどさ…、あのすかした美人面を歪めてみてェってのは解るかもしんねェなァ…。踏みにじりてェタイプって言う奴?」
 「えぇ?!マジかよお前、餓え過ぎだろ?」
 「そう言や、幕臣のお偉方に身売りしてるとか言う噂もあったよな。やっぱソッチ方面じゃ需要あったりするんじゃねーの?」
 「今度副長のマヨネーズのストックにザーメン入れてみっかな。どう言う反応すんだろ?」
 「マヨネーズに向けてシコってるてめぇの姿のが笑えるんだけどソレ」
 けらけらと哄笑を上げながら、やがて猥雑な男たちの声が扉で閉ざされ、遠ざかって行く。
 声が消えて、足音が消えて、やがて狭い厠の中に再び静寂が戻る。喧噪は遠い壁の向こう。触れるものは薄汚れた空気ばかり。
 「────」
 がちがちと震える奥歯を噛み締める事も出来ず、土方はその場にがくりと膝をつくと、洋式便器の縁を抱えて胃の中身を全て嘔吐した。
 「っげ、ほッ、げぇっ、ぐ、ぇ、え、ぁ、」
 ぜいぜいと喉が鳴る。咳き込んで、震えて、冷や汗の濡らす背が冷たくて、震え出す己の身体が滑稽で、怖くて、こわいことが気持ち悪くて、頭を抱えて蹲る。
 そうだ、怖いのだ。
 怖かったのだ。
 騙された己の愚かより、理不尽な暴力と、情の無い下卑た声と、男である己を易々組み敷いた『雄』たちが──、怖かったのだ。
 認めたくなくて、だから必死で隊士らに当たり散らして、虚勢を張って踏み留まろうとしていた。惨めな、惨めな敗残者。
 腕っ節には自信があったのに。刀を奪われて、クスリも盛られた、侍は余りに無力だった。
 否、侍などと標榜するも愚かしい。これはただの負け犬。喧嘩に負けた挙げ句にそれに怯える事しか出来なくなった腑抜けた負け犬。
 『男』としての矜持を傷つけられた。そしてそれは報復の適う様なものではない形であった。DNAから犯人は特定出来ず、今に至るまで最も土方の怖れる所であった『脅迫』や『暴露』の類は起きていない。近藤が犯人たちと取引をして、それを隠している様子もない。
 ほんとうに、ただの無意味な暴力だったのだ。真選組の鬼の副長のスキャンダルをバラ撒かれたり、それをネタに強請る様な『成果』が無い以上、『あれ』は本当に単なる暴行でしかない。女として扱われた蹂躙でしか、ない。
 だが、土方は己が『そんな事』で折れるとはまさか思ってもみていなかったのだ。クスリと暴力と──喧嘩とに負けただけの、業腹ではあるがそれまでの事だと、思っていた。
 男で。侍で。腕っ節には自信があるところの、真選組の鬼の副長が。こんな敗け方を味わうなどとは、考えてすらみた事がなかった。
 呼吸を整えて、いつしか溢れていた生理的な涙を拭って──体裁は繕ったのに、土方は厠の個室から出る事がいつまで経っても出来なかった。
 
 *
 
 その日土方が会う予定だった情報屋は、市井の情報屋ではない。
 曰く、とある高級料亭に勤める下働きの四十絡みの男だ。名前は知らない。痩せぎすで前歯の目立つ風貌であった為、土方は頭の中で彼を勝手に『鼠』と呼んでいた。
 鼠の勤める料亭は幕臣のお歴々がよく『使う』店であるらしい。そしてお偉方が大凡気にしない様な所から情報を──或いはその材料を──掠め取るのが鼠の得意とする『仕事』であった。
 具体的にその手法を訊いた事はないが、ゴミを漁ったり出歯亀をしたりと言った事なのだろうと土方は想像している。
 方法はともあれ。それは店の信用と幕臣のスキャンダルにも関わる事だ。自らの身の危険も省みずに鼠がその『仕事』を行うのは、単に金になるからだと言う。情報とは流動する価値だ。それを手に入れる手法さえ確立されていれば、株より容易く変動し株より容易く儲かる。無論常に自らの危険も背中合わせとなる、リスキーなものである事には間違いないのだが。
 鼠は自らも情報を常に持っているが、依頼人から『仕事』を請けて自ら仕入れる事もする。鼠にとっては金ヅルにさえなれば、客が将軍だろうが攘夷浪士だろうが土方だろうが関係無い。そして己の儲けと命とを保証する信頼を得る為、客を裏切らない。ある意味では扱い易い存在として、土方はこの情報屋を度々──とは言え滅多にない事だったが──手の出し辛い幕臣絡みの案件に使っていた。
 今回は、とある殺人容疑で真選組のマークしていた幕臣が標的だった。一週間前に鼠に取り次ぎ、その幕臣が接待食事会で鼠の料亭を利用する様に根回しした上で依頼を持ちかける。鼠はいつもの事とばかりに容易く請け負い、成果を持って一週間後に別の料亭にて待ち合わせをする予定であった。
 然し、鼠は約束の部屋に来なかった。鼠の代わりに土方を訪ねて来たのは、見たこともない男だった。少々小太り気味の、お世辞にも綺麗な身なりとは言えぬ男。鼻が大きくて黒っぽい着物を着ていたので、これもまた勝手に土方は頭の中で男を蝙蝠と呼ぶ事にした。
 とは言え、本当は頭の中で呼称せねばならぬ程、蝙蝠と長時間の付き合いをする心算などなかった。土方は飽く迄慎重な質だった。こと情報の取り扱いに関しては神経質過ぎるきらいがある程なのだ。
 蝙蝠は自らを、鼠の代理だと名乗った。名前も添えられたが、どうせ偽名だろうと思ったので憶えていない。土方は鼠当人以外と話す心算は無かった為に、直ぐに席を辞して帰ろうとした。が、蝙蝠はしつこく食い下がって土方を止める。うんざりして鼠に連絡を取ろうとしたが、鼠の連絡用の電話番号に携帯電話が繋がる事は無かった。
 仕方がないので土方は、幾つか試す問いを蝙蝠に投げた。すれば蝙蝠はそれに的確な答えを、情報屋特有の慎重で狡猾な所を見せつつも寄越した。恐らくこの男は鼠と同じ様な情報屋なのだろうと、幾つかの符丁を慣れた様子でかいくぐる蝙蝠の手腕と話術から判断し、散々悩んだ挙げ句に土方は蝙蝠を取り敢えず信用する事にした。なお、蝙蝠と呼称したのはこの時である。
 まずは鼠に依頼した情報を引き取る。この時点で既に酒は二人共に入っていたが、未だ酔う程のものではない。
 鼠の得た情報を蝙蝠は勿体振りながら少しづつ示して行く。ただ話して終わり、と言うだけではない蝙蝠の様子から、引き続き自分を情報屋として利用する気はないかと言う意図を覗き見た土方は、蝙蝠の事を探る為にもう少し、興の乗って来たらしいその杯に付き合ってみる事にした。
 後から思えば、この時にはどの様な方法でか、既に酒にクスリは混ぜられていたのだろう。
 それから小一時間もしない内に、土方は明確な酔いを感じて、引き揚げを告げた。今度は蝙蝠も追い縋らなかった。彼は重たくなった懐に満足そうに笑いながら、料亭の出入り口へと向かう土方の後ろを使用人か何かの様に付いて来る。
 そして支払いを済ませた土方が携帯電話で駕篭(タクシー)を呼ぼうとすればそれを止め、店に頼んで駕篭は呼んで貰いましたんで、と言って来た。胡散臭さを感じた訳ではないが、警戒の習慣で土方はそれを断ろうとしたが、フロントを振り返れば確かに駕篭の手配の連絡をしている様だったので、駕篭屋を二つも呼びつける事は無いかと思い直し止めた。
 そう間を空けず駕篭が到着した時には、既に足下が覚束なかった。酒臭い息で笑う蝙蝠に心配の目を向けられながらもなんとか後部席に身体を押し込めば、その隣に蝙蝠が当たり前の様に乗り込んで来て、行き先を告げる事もなく駕篭は夜の町へと滑り出て行く。
 普段の土方であればこの時点で間違いなく運転手も蝙蝠も手打ちにしていた所だろう。だが、その時の土方の頭の中は、色をぐしゃぐしゃに掻き混ぜたパレットの上の様になっていて、混じらない斑の色たちが眼球の裏で不気味で不定形な画を描き続けていた。
 思考が纏まらない。危機感がない程にハイテンションで、車の心地よい揺れの中で時折笑みさえ浮かべていただろう。頭の何処かで鳴っている筈の警鐘さえ、遠い踏切の音の様にぐらぐらと歪んでよく聞こえなかった。
 やがて車は町を抜け人気の無い道を走り、海沿いの埠頭に出た。開いていたシャッターの一つから倉庫らしき大きな建物に入り、停車する。
 つきましたよ、土方さん。
 蝙蝠のそんな声に促され、顔を起こせばそこが真選組の屯所ではない事など直ぐに知れたと言うのに、土方の頭の中には危機意識も違和感も何も湧いては来なかった。引き摺られる様に車から乱暴に出されて冷たい床に尻餅をついた時、ひょっとして攘夷浪士か、とぼんやりと考えながら腰に手をやるが、既に刀は蝙蝠の手に奪われていた。
 騙されたのだろう。はめられたのだろう。理解は遠く、直接的な思考に結びつかない。
 刀は無い。殆ど暗闇に近い倉庫の中で、非常灯と、連中が手にした懐中電灯の光だけが揺れている。
 男たちは、四人いた。多分。五人だったかも知れない。なんでも良い。
 蝙蝠が、箍が外れた様に笑っている土方の着流しの胸元に、刀の鞘を引っかけて割り開いた。その面白がる様な手つきが不快だと思って、土方は刀に手を伸ばすのだが、上から腹部を思い切り蹴り落とされて止められた。
 胸倉を掴まれて身を起こされ、頬を平手で張られても、何故か痛みも危機感も湧かない。反撃の意志だけが僅かにあって、手を刀の方へとまた伸ばしてみるのだが、子供を折檻する様に容易く叩き落とされて叶わない。
 そのこともおかしくて更に笑えば、まるで物の様に何度か蹴り飛ばされて嘔吐を撒き散らす。
 クスリ、効き過ぎたんじゃねえ?まるで気狂いだ。
 大丈夫だろ、効果が切れりゃ元に戻る。
 げほげほと咽せる土方の髪を掴み持ち上げて目を合わせて、蝙蝠がにたりと嗤うのが見えた。ヤニで黄色くなった不揃いの乱杭歯が汚らしいな、と土方は思考とは別の場所で何処かでぼんやりと考えて、またわらう。
 じゃあとっとと済ませようぜ。
 男たちが笑い交わす、声。ふわふわとしたハイな酩酊感の中で、土方はぼんやりとそれを聞いていた。
 着物を剥がれ、下着を足から抜かれ、急所と呼べる場所を無遠慮に扱われても──なんだか、ただおかしくて堪らなくて、土方は笑いながら泣き喘いだ。
 恐怖や怒りがひととき無ければ、こんなものなのだろう。はっきりとしない頭が更に千々にぐちゃぐちゃに思考を掻き乱して行く中で、土方が唯一はっきりと遠くに感じていたのは、虐げられる己の無力への激しい怒りと、屈辱感と、
 
 (こわい。わけがわからないものにじゅうりんされているのが、こわい)
 
 ………──大凡無縁で味わった事もない様な、恐怖、だった。





弱さの露呈した土方って難しい…。

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