愛する人よ(真実は)誓わずにいよう / 10 幕府の役人風の男らが、志村新八の道場を訪れたのはそれから一週間も経たぬ内の事だった。 十四郎が銀時と共に道場に通う様になった丁度その頃、幕府は攘夷浪士や攘夷思想を持つ者らの粛正と逮捕とを目的とした警察組織の発足を公に発表した。既に何人かの実働員は地域の同心らに混じってその働きを見せており、『お飾り』の組織ではないと言う事は名実共に明かであった。 発足後最初の『お役目』は、攘夷浪士を支援していた商家の検挙。謂わばそれは彼らのデモンストレーションとして用意されていた捕り物だったのだろう。血も涙も無く速やかに、幕軍よりも高い個々の戦闘技術を以てして、事件は解決された。──粛正の名をした処刑と言う解り易い形で。 続け様、江戸市中を見廻り市民の平和を護ると言うお題目通りに、彼らの姿と存在、その影響力は瞬く間に江戸中に拡がった。 『警察』と言う幕臣の組織が大手を振って歩く、その光景を良しとはしない市民は未だ多かったが、攘夷浪士に同情的である気風は少しづつ廃れて行った。解り易い権力の手が薙ぎ払う力の恐ろしさを、真っ当に生きる人々の殆どは単純に恐れ、関わり合いになる事を厭ったのである。 だが、不当に見える権力には風当たりが強くなるのが常だ。因って彼らは人々に単純に嫌われ、或いは忌避された。揃いの黒い装束は、結束を固める鎖の意味合いが強い。その様を以て江戸の人々は、彼らが幕臣として登用された『侍』と言う名前だけの身分である事を揶揄し、『幕府の狗』と呼んだ。 「実は真選組の人たちが昨晩家に来たんです。道場の話で言い掛かりをつけにでも来たのかと思ったんですが…」 だから十四郎は寸時、家までわざわざやって来てそう切り出した、新八の口にする『真選組』と言うその言葉が、己の裡にあった『幕府の狗』と言う名前と合致せずに首を捻る事になった。 「その時僕は買い物で留守にしていたんですが、偶々家に居た姉上が上手く応対してくれたみたいで、なんとか穏便に『お帰り願った』そうなんですが……、その、彼らの目的は道場の件じゃなくて……、」 そこで言葉を切った新八は、十四郎の横に斜め向かいに座っていた銀時の顔をちらりと伺い見た。十四郎も釣られてそちらへと視線を向ければ、銀時は何か得心がいった様に嘆息した所だった。少しばかりばつが悪そうに。 『真選組』。それが幕府のご下命の元結成された警察組織の名前だ。狗の名の通り、幕府に仇なす危険な人物やその犯罪行為を、武力と言う牙を以て阻止出来する事の許された公の権力。 まさか新八は道場や家族を盾に何かを言われたのだろうか。攘夷浪士の疑いのある男を匿っていたとか、そう言った嫌疑をかけられて…? 十四郎の頭に過ぎったのは、以前この家の直ぐ近くで遭遇した幕臣風の二人組の姿だった。うち片方、近藤の方は「この辺りにある剣術道場を知らないか」と問いて来たのだが、もう一人の少年の方は「目撃者が居た」と言っていた。剣術道場の所在に対して目撃者と言うのは妙な表現だとは、あの時からずっと思っていた事だ。 つまり、それは。 「この付近で度々目撃情報のある、白髪頭の浪人風の男を捜している。其奴はお尋ね者の攘夷浪士で、剣術道場に潜伏し市民を攘夷思想に染め、鍛えていると言う話も出ている。危険人物だ」 十四郎の思考を肯定したのは、新八が姉から聞いたその侭を読み上げただけの様な、平坦な調子で紡がれた言葉だった。直後、銀時と新八とが同時に噴き出す。 「笑っちゃいますよね。うちにはそんな熱心な師範いやしないのに」 「アルバイトの癖に、習うより慣れろとか適当な事抜かしてる師範(仮)なら居たけどな」 不穏な空気に身構えかけた十四郎の眼前で、二人は暫し軽く笑っていたが、やがて銀時が大きく息をついて笑いを止めた。 「…………まぁ何にせよ、迷惑掛けちまったな。済まねェ」 姿勢を正した銀時が頭を下げるのに、新八は困った様な表情でかぶりを振ると、 「よして下さいよ、銀さんらしくもない。僕も姉上も何とも思っていませんし、道場もどの道畳まなきゃならかったんですから。寧ろ銀さんのお陰で今まで続けられていた様なものですし。 ほとぼりが冷めて、また来れる時が出来たら、どうぞいつでも来て下さい。アルバイトでもそうでなくても、銀さんも土方さんもいつでも歓迎しますから」 そう、逆に頭を下げて返した。新八のその言葉の中に己の名が含まれていた事に当惑しながら十四郎が銀時の方を見遣れば、彼は何だか酷く眩しいものでも見つめる様に目を細めていたので、二重に驚いて困惑した。 ただ、何だか銀時のその様子は、見てはいけないものを勝手に覗き見た様な気まずさと罪悪感とを十四郎の胸に落とした。 何の種類かも解らない痛みに似た、忌避したいとすら全力で思わせる様なその感覚から、十四郎は直ぐに目を逸らした。同時に、盗み見た銀時の横顔からも。 「気ィ遣わせて悪ィな、ぱっつぁん。お前の姉ちゃんにも言っといてくれ」 「アイス一年分ぐらい要求されるかも知れませんけど」 「一日のアイスの消費量が幾つって計算なんだよソレ」 銀時と冗談めかした遣り取りをしながら、新八が立ち上がる。彼もまた眼鏡の奥の瞳を悲しそうに苦しそうに歪めていた。 「それじゃあ、銀さん、土方さんも。お元気で。また」 ぺこりと礼儀正しく腰を折って暇を告げると、新八は玄関戸を開けて出て行った。その足音が遠ざかり、やがて聞こえなくなったその頃になって、十四郎は漸く、それが別れを告げる挨拶だったのだと気付く。 否。朝から家を訪うなり新八の言い出した話からもそれは解っていた事なのだが、なんだか実感が無かった。 幕府の狗の捜査の手が、坂田銀時と言う攘夷志士に及んだ、と言う事は。 新八が告げに来たのは、道場にまで連中の手が伸びたと言う状況から成る、『次』の動きへの警鐘だ。迷惑だから道場に来るなと言うのではない。直にこの家も連中は嗅ぎ付けるだろうと言う、遠からぬ未来への警告。 銀時が立ち上がる気配に、十四郎は視線も向けられなかった。 巻き込まれる、などと思った訳ではない。 新八と同じ様に、『別れ』を次に切り出すのは、自分なのではないかと思えていた。 同居の生活で信頼や情が湧けど。結局のところ十四郎は銀時とは違う。攘夷の徒でも何でもない、ただ復讐心と言う無聊を持て余し、天人を卑怯な手段で殺す事しか出来なかった、脆弱に過ぎる存在だ。そこには信念も正義も義憤も何も無い、そう──幕府の狗にしてみれば『犯罪者』、そう断じられる程度のものでしかない。 銀時はそんな十四郎の本質を知らなかったからこそだろう、何かと目を掛け手を伸べてくれた。一方十四郎は己の事を何一つ語らず、ただ彼に憧れ惹かれる侭に甘え続けていただけの、卑劣なばかりの男だ。 だが、それでも──銀時が『護る』と口にした以上、十四郎は彼にきっと護られるのだ。捜査で行き着いたこの長屋に、きっとその時にはもう銀時は姿を消して居ない。残された十四郎は尋問ぐらいは受けるだろうが、道場に出入りしていた浪人風の男、と言う事実だけならば目撃証言とやらの一つに合致している。証拠が無ければ警察の追求もそれ以上は難しいだろう。 そうして、やがて他の場所で銀髪の浪人の姿が目撃され、江戸市中での坂田銀時の捜索は終わる。そうなれば十四郎はまた自由に、天人を狩る仄暗いばかりの生活に戻るのだ。いつか容易く刑罰を受けて終わるだけの、愚かしい犯罪者へと。戻るのだ。 「十四郎」 立ち上がった銀時が、辺りにふらりと出掛ける時の様に、余りに何でもない様に土間に立っていたから。十四郎は漸くそちらに視線を向けられたものの、紡ぐ言葉を何も見つける事が出来ず座った侭無言で、草履を履くその姿を見つめる事しか出来ない。 「ちょっと野暮用で出るわ。飯は適当にしといて良いから。夜までには戻る」 「──、」 追い縋れば良いのか。問い質せば良いのか。そんな資格も無いだろうに、お前と背を合わせて戦いたいと、馬鹿正直にそんな望みを訴えれば良いのか。 或いは新八の様に、別れでも告げれば良いのか。 「行って来っから」 「……………解った」 諾とも否とも取れぬ十四郎の掠れた声の応えに、銀時はほんの少し目を何か言いたげに眇めたが、それだけだった。 ぱたりと閉ざされた扉の向こうで、先頃の新八の様に足音が遠ざかるのを、いつの間にか閉ざしていた目蓋の下で聞いて、十四郎は項垂れた。長い髪がはらりと肩口から落ちて来るのが煩わしい。 追われるならば自分だと思っていた。天人を狙う辻斬り。そんな悪童として。 だが実際、幕臣の警察が標的と定めていたのは攘夷志士の銀時の方だった。 十四郎は己が銀時に何ら瑕疵を与える事になるかも知れぬ予感を振り切って、銀時の元に留まる決断を選んだ。銀時の立場にしたらそれはどうだったのだろう。己がいつか攘夷志士として追われた時、十四郎の事をどうしようと思っていたのだろうか。 己の結論だけを問うのであれば。進まぬ虚構の復讐任せの生活の破綻まで生き延びるより、銀時に付き従い彼に護られ護る存在になりたいと思っていた。が、銀時は果たしてそれを良しとするのだろうか。 ……違うだろう。新八にした様に、銀時は恐らく十四郎を己から遠ざけ護ろうとするだろうから。 或いは、十四郎が天人を狙う辻斬りなのだと知ればどうだろうか。 天人を狙う辻斬りの存在は、町に潜む攘夷志士の仕業であると噂され続けている。この辺りの捜査が苛烈になったのも、攘夷浪士の粛正を目的とした警察組織が結成されたのも、件の辻斬りの目に余る行動が原因の一つになったのかも知れない。 攘夷志士の銀時は、それを侮蔑するだろうか。それとも、共感でもしてくれるだろうか。 幾ら、多くの攘夷志士と十四郎とが同じ様な憎悪や復讐心を抱いていたとして、きっとそれは合致する事のないものだと、十四郎は勘以下の感覚で既に察している。 取り分け銀時はそれを決して是とはしないだろうとも。その感覚が無ければ、疾うに十四郎は銀時を平然と欺きながら夜毎なまくらの刃を再び血に染めていただろうから。 だが。 この侭では、きっと十四郎は新八の様にここに置かれ、護られる。 今し方出て行った銀時も、ひょっとしたらもう戻らないのかも知れない。 いつかまた、雨を降らせる曇天に向けて声の出ない喉で叫ぶ日が来る、そんな愚かしい嘆きも悔いも、味わいたくはないと望むのであれば──、 そうじゃないだろ、お前は。 きっとあの男はそう言うのだろうけれど。 切れ目が半端になり易い…。 ← : → |