愛する人よ(真実は)誓わずにいよう / 12



 そうして、土方十四郎は坂田銀時の所有する所となった。
 
 十四郎は攘夷戦争には参加していない。その上、戦禍とは無縁の天領に出自を持つ。故に当初攘夷志士の多くは銀時が──攘夷志士の英雄の一人と数えられる白夜叉が──突然連れて来た男の事を快く思わぬ目や態度を向けて来たが、銀時が『そう』であると公言し憚らない事に加え、十四郎自身が戦いの技倆に於いて傑出した才を見せ始めるとそれも徐々に小さくなって行き、指揮官級の扱いを認められる頃にはやがて消えた。
 桂だけは最後まで心底からの納得を見せはしなかったが取り敢えず、眠る虎の巣穴を徒に突くのは愚かしい事と判断したらしい。基本的に疑いはしないし信用もする。ただ、何かが起き疑うに値すると判断した時には躊躇いはない。そんなスタンスで居る事にした様だ。
 一方、銀時と桂と並ぶ大将格の一人である高杉の方は、当初から十四郎の存在に対し寛容であった。十四郎自身は以前高杉に会っている(銀時曰く『ちょっかいを出しに来やがった』だそうだ)事と、またその時憶えた恐怖や焦燥に似た感覚もあってか、彼に苦手意識を抱かずにいられない侭だったのだが、高杉の方は己に向けられる忌避感にまるで頓着する様子も無く振る舞うのだから、十四郎も徐々に彼に慣れつつあった。と言うよりは、これについては慣れざるを得なくなかったと言った方が正しい。
 十四郎が攘夷志士らに認められ、指揮官の立場にまで収まる事の叶ったその主な原因は先に挙げた通りの銀時が十四郎を信頼し大事に扱うのを憚らず振る舞っていた事が大きいのだが、それだけでは軍の命を預けるにも等しい信頼は到底得られない。実力が確かだろうがお飾りだろうが、飛び入りの余所者を全面的に歓迎出来る筈もない。
 そこで大きかったのが、高杉が十四郎の事を銀時とはまた違う角度で認めていると言う事実だったのだ。銀時ひとりの後ろ盾では、十四郎へと皆の向ける目は精々、少々腕の立つ情人で終わっていただろう。ところが、銀時と何かと反目しがちな事の多い高杉までもがその存在を認めている。この効果は大きかった。
 高杉は銀時とは異なり、戦に於ける腕以外の部分でも──強いて言うならば人間的な部分でも広く部下の尊崇の念を集めていた。戦場と日常とのオンオフの差の激しい銀時とは真逆にも、高杉は戦場以外の場所でも何事も誠実に取り組む勁い人間であったらしい。私兵の多くは彼の直接指揮する遊撃隊である鬼兵隊に志願して所属しており、その結束力は絶対のものであった。
 当然の如く、彼らは高杉の言葉を、振る舞いを信頼していた。因って、高杉の認めている十四郎に対してもその見方は当初から厳しいものではなく──結果、十四郎の指揮官位への就任に対して異論が出る事も無く。
 事実。十四郎がこの巨大な攘夷志士たちの一大勢力──幕府に言わせれば残党だそうだが──に仲間、指揮官として受け入れられた要因の多くは高杉のお陰と言えた。十四郎自身が高杉に対し苦手意識があろうがなかろうが、慣れるほか無かったと言う訳だ。
 白い鬼の将の傍らには、黒い鬼の副将が立つ。その様が攘夷志士達の間でまるで何かの光明の如く語られる様になるまで。
 銀時は元より高杉と決して不仲と言う訳ではないのだが、どうにも様々な所で馬が合わないらしく、両者が落ち着いて並んでいるのは戦場ぐらいのものだとこぼしたのは桂だ。そして、互いに認めているが認められぬ仇敵の様なものなのだろう、と最後にそんな事を付け足しながらこう言った。
 「いっそ全く違う立場の存在であれば、反目し合えど互いにもっと気軽に振る舞えたやも知れぬがな。生憎俺たちの関係性はもっと根が深い。近すぎるからこそ開けられぬ埒もあると言う事だ」
 それは、銀時と高杉の、切磋琢磨する様な在り方をずっと傍らで見ていた桂にしか知り得ないものだったに違いない。聞いて僅か顔を顰めた十四郎に、彼は何かを持て余す様な表情でかぶりを振ってみせた。
 仕方がないのだ、と言う風にも。
 適わないものなのだ、と言う風にも。
 見える表情ではあったが、何れであってもそれは十四郎の胸に新たな懊悩を生む事となった。
 銀時が己に何の憚りもなく触れて、情愛を示して来る様になったのは、純粋に嬉しかった。情人として扱われる事に、ではなく、己の存在を認めて貰えている、必要とされ満たされていると言う実感がそこにはあったからだ。
 それは十四郎の幼い頃に失って仕舞った、他者との純粋な触れ合いとそれに因る変化の数々だったに相違ない。
 だが、銀時が高杉と向かい合うのを見ると、満たされていた筈の心は孔が空いた様に空虚に沈む。言い様のない感覚は酷い茫漠とした不安をその孔へと流し込み止まらない。
 銀時の心を疑う訳ではない。高杉が銀時に懸想していると思える訳でもない。だが、彼らの殺伐とした、気易い喧嘩や言い争い、時に暴力も混じ得た遣り取りは──桂曰くの一種のコミュニケーションだそうだが──十四郎が銀時の裡に見る情や愛と言ったものとは何かが異なると、強くそう感じるのだ。
 有り体に言えばそれは、嫉妬と呼べるものに似ていたのだと思う。子供が親を独占したがるのと同じ様に、銀時と言う親を奪われる事を恐れている。ただ、それだけの子供じみた感情の流れなのだ、と。端から十四郎の感情を判読し得る人間が居たのなら、そう表したに違い無い。
 だが十四郎は、己の裡に感じているのはもっと深く恐ろしいものである気がしていた。それは妬心と言う解り易い怒りや憎しみではない。似てはいるが、何かが決定的に異なる。十四郎が高杉に感じていたのは紛れもなく恐怖と焦燥だったのだから。
 そして、胸に孔が空く様な感覚を覚える度に、十四郎の喉は言葉を失う。まるでそこに孔でも空いたかの様に、悲鳴や不満でさえも叫ぶ事を許されなくなるのだ。眼前で言い合いをする銀時と高杉の姿をただ見つめた侭、孔の空いた心を持て余して佇むほかなくなる。
 そこに触れたい。そこに居たい。そこに居る筈だった。そこに居ることが出来ない。ただ言葉を失って見つめている。誰よりも遠い他人の様に。まるで無関係な存在の様に。
 銀時は十四郎のそんな絶望的で得体の知れぬ感情とは異なり、解り易い独占欲で一杯になった情を注いでくれた。お前の事が好きだと口にして、身体も重ねた。高杉がそれをからかう様に扱うのも構わず、ただ十四郎の事を大事にしようとしてくれていた。
 それでも。そうであっても。ここに居る限り、どうしたってこの孔は埋まらない。
 彼らの築いて来た時間は余りにも長く、共有してきた記憶も余りに多く。
 きっと己がどうした所で、そこに達する事は出来ないのだろう、と。十四郎が確信したのは、早い内の事だった。
 銀時と、高杉と、桂と。彼らの抱いて来たものたちには、仮令十四郎が彼らと同じ攘夷志士と言う運命に身を窶した所で、届かぬ、理解の出来ぬ、共有の出来ぬ、相容れぬものでしかないのだと。
 彼らと肩を並べる様になって、よりその実感は強くなるばかりだった。
 だから、十四郎は銀時の当初口にした通りの、『彼のもの』である事だけに努める事にした。余計な事は抱かず、疑わず、立ち入ろうともせず。ただ、坂田銀時の所有物であると言う事だけを己の絶対の真実として選ぶ事にしたのだ。
 歩む度に空虚の色を濃くする孔を塞ぐ事はもう疾うに諦め、大人しく所有物たろうとした十四郎の変化に果たして銀時は気付いたのか、気付かなかったのか──それとも気付かぬフリをする事にしただけなのか。
 銀時はただ、己に全てを委ねる選択を取った十四郎を独占して愛した。十四郎の空けた穴に無遠慮に手を突っ込む様な真似はせず、高杉にも桂にも頓着せずに只管に情を注ぎ続ける行為は、その選択が正しかったのだと言い聞かせる様でもあった。
 ……だから、もう良いのだろうか、と十四郎は思った。
 思う度、痛む喉が引き裂かれそうな中で何かを叫ばんとする痛苦を堪えて踏み留まる。
 何かの可能性の適ったやも知れぬ岐路は疾うに過ぎ去った。だから最早抗える時間なぞ戻りはしないと言うのに。選べる不自由なぞ二度と得られやしないと言うのに。
 それでも、まるで咎める様に孔を空かせた喉が痛む。お前の首と胴とは未だ繋がっているのだと、言い聞かせて来る。刀を握り直し戦えと命じて来る。
 『何』を斬り、何を望んで、何を選ぶべきが正しいのか──答え合わせの時間はそう遠くはないのだと。本能は未だ其処で唸り声を上げて尾を伏せ待っている。
 選択を、ではない。そう、最早選択の許された岐路は戻らない。だから、次に待ち受けるのは抗うか諦めるかの二択しかないのだ。ぽかりと空いた孔の底に堕ち往くその前には、きっと、、
 

 *
 

 微睡みの淵に落ちていた意識がふわりと戻る。
 疲労と言うには気怠さの濃い感覚が全身に纏わりついて、温かな体温や耳に届く拍動の音と共に意識の覚醒を妨害している。
 この侭目蓋を閉じて仕舞えと言う怠惰な意識に、然し真っ向から拒否を示すのも己の意識だった。そちらは腰を下ろす座面から、全身から伝わる低いエンジンの駆動音を通して目覚めを促して来ている。
 眠りにも覚醒にも、どちらにも抗い難い。思いながら、質量の増した様にも感じられる重たい身体をもぞりと動かせば、その動きを封じる様に捉えるふたつの腕の存在を知覚する。十四郎の背をしっかりと抱えて、長い黒髪越しに子供をあやす様に上下に緩やかに動く掌。温度。感触。
 「……銀時」
 時間は、と小さく問えば、まだ少しある、と直接耳へと囁かれて、十四郎は耳朶を擽る吐息に目を眇めながら頭を軽く巡らせた。
 遊郭に偽装した中型の戦艦だ。攘夷戦争の初期に墜とされた天人の遺物だが、今となってはこれが攘夷志士達の最期の抵抗の為の旗艦である。
 戦艦然とした外見を民間船の様に偽装し、防空システムに対する船舶管理コードのハッキングも済んでいる。この艦は領空内を翔んでいる限り、民間の遊郭を経営する艦として通る。
 当然、攘夷志士達が遊郭経営に鞍替えをした訳ではない。遊郭船と偽装し、江戸市中──の上空──に入り込む事こそが目的だ。
 艦は遊郭船らしいゆるりとした速度で江戸に向かっている。そう遠からず、この攘夷志士たちの──自分たちの、幕府を相手取った最期の抗いが始まる。
 玉砕だろう、と十四郎は客観的にそう思ったが、それを口にする程分別がない訳では無かった。
 元より、攘夷戦争は既に終わった戦だ。疾うに決した勝敗に拘わらず残された、無念の敗残兵たちが各々の背に屍を背負い歩き続けるだけのこれは、彼らの癒されぬ傷が求めた応報。
 死に場所を求め、無念の刀を杖に歩く亡霊たちに、理性や常識的な戦の道理なぞ説くだけ無駄なのだと、そう思ったからだ。
 華々しく散ろうと疾る命を、無意味だとは思う。だが、無駄と嘲って仕舞える程に、十四郎は敗残者たちの無念を知らない。否、ある意味では識っていたのかも知れない。己が義兄の仇を求め天人と言う存在全てに、世界の全てに憎悪を向けた──向けざるを得なかった、その痛苦だけは決して理解出来ぬものではない。
 銀時は──己をその闇から引き揚げようとしてくれた、この男はどうなのだろう、と思った事はあったが、そんな問いを口にするのは憚られた。
 それは恐らく、銀時と、高杉と、桂しか知り得ぬ、共有し得ぬものだと理解していたからだ。彼らの戦いの理由は玉砕に値するのか、それ程の応報を求めているのか、或いは死ぬ為ではなく勝つ心算でいるのか。
 「銀時」
 袖を通さぬ着物を纏いつかせた十四郎の身体を、己に寄り掛からせる様にして両腕で支えている男は、呼びかけに応える様に腕の力を少し強めてきた。
 「お前は、」
 問いが出るより先に、喉がずきりと痛んで、十四郎は顔を顰めた。訊かせぬ様にとまるで誰かの計らったかの様な激痛。知る必要はないのだと言う事なのか、知らせぬ様にとでも言う事なのか。
 不快感が忽ちに全身を浸すその心地に、十四郎は腕を突っ張る様にして銀時の両腕から身を離した。密着していた体温が離れると、開け放しの窓から吹き込む風がまだ情交の汗に湿っていた身体を無遠慮に冷やす。
 「まだ時間あるって。十分くらい」
 温かな存在が消えて寒くなったのは銀時も同様だったらしく、彼は身を離した十四郎の長い髪の一房を指に絡めて軽く引っ張って来た。なんだかその仕草が親の気を惹きたい子供の様に見えて、十四郎は思わず小さな笑みをこぼしながらも、銀時のその手をぺしりと軽くはたき落とす。
 「十分て、もう全然無ェだろ。桂的な尺度だともう時間だ」
 高杉が部屋を出る前に言い残した、銀時と十四郎との『時間』に与えた猶予は一時間の後だった。とは言え、当初の会議の予定時間は疾うに過ぎているのだ。幾ら高杉が取りなしただろうとは言え、桂は相当に気を揉んでいるだろう。何しろあの男は超が頭に付く程の堅物なのだから。
 「だァから、俺はアイツらに見せつけてやっても全然構わねェんだけど」
 「俺が構うってんだろ」
 猶も追い縋る様な銀時の手を再度、今度は少し強めに叩き落とすと、十四郎は着物に袖を通して身支度を手早く整えて行く。重たい身体に纏わりつく重たい黒髪をざらりと掻き上げながら、結っていた紐を目で探せば、銀時がひらりとそれを振って見せた。同時に、とんとん、と目の前の畳を指される。どうやら、結ってやるから座れと言う事らしい。
 別に桂の様に背で流した侭にしておいても構わなかったのだが、なんだか情交の痕を明け透けに示して仕舞う様な心地がして、十四郎は不承不承銀時の指示に従う事にした。
 「早く済ませよ」
 「へいへい」
 十四郎が背を向け正座をすれば、さらりと音をさせて髪を取られる気配がした。銀時は用意の良い事に櫛まで持っていたのか、髪の縺れた部分が時折強く引っ張られる小さな痛みの度に十四郎は顔を顰めさせられる。
 生憎と部屋に鏡は無かったから、銀時にされる侭に十四郎は大人しくしていたが、引かれ梳かれる髪と頭皮とに──銀時に髪なぞ結われていると言う事に、段々と居心地の悪さの様なものを憶え始めた。そこから逃避する様に、いざ決戦となれば長い髪は邪魔だろうかとそんな考えが今更の様に浮かんで、
 「……戦の前に、髪を切るかな」
 そんな事を口にすれば、銀時は一瞬手を止めたが、何も反論も問いも挟まず手を動かし続けて、高い位置に結い上げた髪を器用に紐で括った時になって漸く、
 「………俺、お前の長い髪を触るの好きなんだけどな。楽しいつーか新鮮つーか」
 そう、不満とも残念ともつかぬ様な声で淡々と呟いた。
 「桂みてェに髪質が良い訳でも、況して女でも無ェんだし。良いだろ」
 「まあ、そりゃァな」
 何かの反対意見を待っていた訳ではない、筈なのだが。溜息混じりに結われた毛先を指先で摘んだ十四郎が少しむっとしながら言うのに、銀時は矢張り特に追い縋る様な返しはしてこなかった。
 切るな、と言って欲しいなどと思った訳では決して無いのだが──寧ろ切るなと言われたら余計むきになって切ろうとしただろう──、何となく肩透かしに似たものを憶える。
 十四郎に纏わる事なら何事にも執着を見せる様になった男の事だ、何かしらごねるぐらいはするだろうと考えていたのだが──どうも予想違えだったらしい。何となくすっきりしない心地で、十四郎はくるりと銀時を振り返った。長い髪の尾がはらりと遅れて背中に翻るのを振り切る様に、言う。
 「お前が切ってくれ」
 「…………髪を?」
 「他に何があんだよ」
 上手く噛み合わない訳ではないのだが、少し時差のある遣り取りに十四郎は不機嫌を隠さず口を尖らせる。俺もお前に髪を触られるのは嫌いではなかった、と言う心算だった言葉はこの際呑み込んで仕舞う事にした。
 「……お前が良いなら良いよ」
 溜息に似た息継ぎを吐きながら、銀時の手は十四郎の首の横を通って、結われた髪ごと項に触れて来る。掴む、指に掛かる髪の一本一本が、諾の言葉とは裏腹に強く引かれる。
 それは十四郎が想像していた様な、執着とは違った。かと言って、直に失われるだろうその感触を惜しむ様な類でもなかった。
 寧ろどこか、憎々しげですらある気がして。
 「銀時、痛い」
 十四郎は抗議の声を上げたが、うん、と生返事をする銀時の手を無理矢理振り解く事が出来なかった。
 長い髪を指に絡めて引く、男の、その感情の正体は、きっと知ってはならぬものなのだろう。
 だって、声が出せない。
 またいつもの様に、喉が、痛んで。





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