愛する人よ(真実は)誓わずにいよう / 13



 会議は主に、今まで決めていた事柄の最終確認のみで行われた。
 卓の上に桂が拡げて見せたのは、江戸の要であるターミナルの青写真。その図画の中心、細かな線の密集した一点を示すその指先へと視線が集中する。
 「ここが、我らの目指す最終目標となる、ターミナルの中枢──即ち、ターミナル全てのエネルギーを制御している機械(からくり)だ」
 桂がどの様な手段を用いてその図面を手に入れたかは定かではないが、その信憑性について疑いの声を上げる者はこの場に居ない。桂は頻繁に江戸に出入りし、市内に潜む攘夷志士と連携を取っていた。その労を知らぬ者もまた居ない。この戦艦の江戸への侵入もその手腕があってのものだった。
 そんな桂の作戦指揮、しかも玉砕と言っても良い内容だ。居並ぶ将格の攘夷志士らの目は真剣で、そして必死で。何かの執念を湛えたその様は、平和の時代となって猶燃え尽きる事を知らぬ、想念の燠火の様であった。
 「戦艦は全員小型艇や降下で脱出次第、ターミナルに直接『当て』る。地上に降りたら各班直ぐに散開しそれぞれの役割に就く事。分担は事前に決めた通り──」
 ぐるりとそんな一同を見回しながら、桂はそれぞれの部隊を率いる将たちに最終確認を兼ねた指示を出して行く。誰もが言葉少なに諾を応える、その様が何よりも雄弁な『玉砕』の覚悟であるのだと肌で感じられて、十四郎は密かに喉を鳴らした。
 作戦の主な内容は、ターミナルへの特攻だ。戦艦での奇襲で騒ぎを起こした後は殆どの部隊と人員とで外部からやって来るだろう幕軍や警察を押さえ、ごく少数の人数がターミナル中枢を目指す。その目的はターミナルの破壊ではなく占拠──ハッキングだ。
 桂曰く、ターミナルを爆破するのは容易いが、それでは言葉通りの単なる玉砕特攻にしかならないし、地脈のエネルギー源を断たなければターミナルの機能なぞまた直ぐに復興されて仕舞うものだと言う。故に、ターミナルを制御するシステムを乗っ取る事で、その膨大なエネルギーごと自分たちの制御下に置こうと言うプランが提唱されたのだ。
 無論、国どころか星の命運さえも左右しかねない代物が容易く悪漢──自分たちの事だが──の元に下る訳もない。だが、天に挑むに、たったのこれだけの軍勢では他に手段も選べないのが現実。そして平和の時が流れれば流れるだけ、攘夷志士の運命は先細りになる一方。
 無為に消える前に、当たってから砕けろ。誰もが口にそうは出さないが、思っているのは明白であった。
 攘夷志士の中には、ターミナルの設計には携わってはいないものの、そのシステムのプログラムに関わった機械技師も居ると言う。生憎とその人物は年齢もあり荒事には不向きだった為、ハッキングを担当する内部突入部隊は彼の作ったウィルスプログラムを仕込んだ端末を所持して行く事となっている。
 正直、機械には疎い十四郎にはそれらの話はちんぷんかんぷんなのだが、突入部隊の一人としてその扱いだけは教えられている。端末をどう接続し、どうウィルスを流すのか、程度ならば何度も模擬練習をさせられた。目的地に辿り着きさえすれば、後は習い通りにすれば良いだけの作業だ。
 ……だが、それでも。十四郎にはこの作戦が攘夷志士(じぶんたち)の打つ最善手であるとは未だに思えずにいた。
 作戦に粗があるとか、無謀だとか。そう言った『解り易い』部分だけではなく──予感、とでも言うか。或いは本能とでも言うものの悟る所なのか。
 ”この作戦は失敗する”
 そんな考えが十四郎の頭からはどうやった所で抜け切れずにいた。だが、それでも決行の時は迫るし、一分一秒一言毎に彼らの目には覚悟が宿る。計画は十四郎が銀時に連れられここに来る以前からあったもので、彼らの思いはその頃から──それとも攘夷戦争の頃からか、脈々と息づき根付いたものだ。それを、無駄だ、と水を差す様な真似が出来る筈もない。
 それは恐れの類から出たものではない。だが、そう、だと説明するには些かに難し過ぎた。妨害する者の存在、容易くは無いターミナルのセキュリティ。幕軍の勢力。経験なぞない筈の十四郎の頭でさえ、それらの障碍は挙げればキリがない程に積まれている。
 然し。今更十四郎ひとりが異を唱えた所で何かが変わる訳でもなく、変える事の赦されるものでも無いのが、攘夷志士(かれら)を待つ命運だった。
 彼らは十四郎が感じて来た体験と同じで、憎しみや苦しみを抱えた侭を生きるには余りに世界の平坦さも幸福さも辛いものなのだと知っている者たちだ。憎悪も、それを張らす為の手段も、魂に刻みついて離れない。ただ普通に生きる生こそが詛いで、それはどれだけの応報を以てしても購えない飢餓の様なものなのだ。
 その尺度は人によって異なる。堪え生きる事の適う者も居れば、苦しくて死を選ぶ者も居る。復讐を求め彷徨う者も居る。
 人に因って違う。だが、一つだけ言えるのは、それが酷く辛いものだと言う事だ。一つだけ解るのは、それが残酷なまでにこの世界に於いては無意味だと言う事だ。
 だから、彼らは──十四郎は剣を選んだ。自らの魂ごとその憎念を殺す事をさえ厭わず、応報を世界へと望んだのだ。
 桂はどうだか解らない。比較的に被害の少ない計画を立ててはいるが、この作戦で散るも構わぬと言った決意や心情は伺える。
 高杉は全面的な賛成以上の賛成を見せている様だ。日頃顔色の良く伺えぬ男だが、その裡に秘めた憎悪の情は誰よりも強い。
 銀時は、…………矢張り解らない。問わぬ侭に想像は繰り返したが、結局は解らない侭だった。
 十四郎の知りたかった筈の夜叉は、然しなりを潜めて仕舞った様に大人しい。この作戦に賛成するでもなく反対するでもなく、会議の席には着いているが、積極的に参加する気配は微塵も見せない。隣に座している十四郎がちらりとその顔を見上げてみても、そこには大凡攘夷活動──玉砕の作戦に参加する者の覇気や決意は見て取れそうもなかった。
 ひとつだけ、作戦について銀時が口出しをしたのは、「俺ァ十四郎と一緒に行動すっから」と言う一言だけであった。周囲の不可解そうな目と桂の渋面とほんの少し片眉を持ち上げた高杉の表情とを一身に受ける羽目になった十四郎の方は、言葉通りの針の蓆の気分であったが。
 今も、変わらず。
 銀時は桂の語る作戦を、一応は聞いている様だが、何を口出しするでもなく熱心でいるでもなく黙って其処に居るだけだ。
 それを横目に伺う十四郎は、俄に沸き起こる不満めいた感情を持て余す。
 この作戦を無謀と思う本心はある。だが、ここを──白い夜叉の隣で剣を振るい死ねる途を十四郎に選ばせてくれたのは、誰在ろう銀時自身だった筈だ。だから、十四郎は銀時にその命を預ける心算でこの場所に居る。これからの、無謀でしかない戦に身を投じようとしている。
 それだと言うのに、当の銀時自身は未だ、十四郎の知りたいと願った白い夜叉の姿を見せてくれようとはしない。十四郎の望む応報と、攘夷志士たちの目指す復讐とを肯定してくれようとはしていない。
 お前のものでよい、と選んだ。それは、思考と復讐の放棄では決して無かった筈だ。
 存在を、傍らに居る事を赦されたのは、剣を以ての事である方が良かった。
 そうでなければ余りに報われない。与えてくれる情愛が絶対のものであれど、喜ばしいものであれど、それは十四郎には未練にしかならないものだからだ。
 欲しいのは未練ではない。選択の後の結果と、それが正しい筈だと言う解答。
 空いた侭の空虚な孔はその侭。幾ら銀時が情を流し込んでくれた所で埋まりはしない侭。
 肯定されぬ刃に何の意味があるのか。
 解らぬ侭進む事でさえ、最早憎悪で生きるだけの亡霊には、不要なものなのかも知れない。
 
 
 *
 
 銀時の纏った白い装束は少し古風で、侍と言うより武士と言う趣であった。桂と高杉も概ね同様で、彼らが三人居並んだ姿はまるで攘夷戦争の再来の様だと誰か一人がそう漏らした。
 一方の十四郎に与えられたのは、珍しい洋装だった。黒一色の袖の長い羽織にも似たコート風の軍服に、脛までを覆うブーツ。下も白いシャツに黒いズボンと言う仕立ては、攘夷志士と言うよりも幕軍の幹部の様だと評されもしたが、見立てたのは銀時なのだから仕方がない。
 黒と白の色彩で構成された戦装束は、髪をばっさりと項まで短くした十四郎によく似合っていた。自分で言うのも何だが、姿見を見た時に余りにしっくりと収まったその姿に思わず感心して仕舞った程である。
 長いコートは動きにくいと思ったが、防刃の為だと言われれば脱げもしない。一方で下の洋装は慣れなかったが存外に動き易くて助かった。
 腰には以前までのなまくらではない、なかなかに立派な拵えの刀を佩いている。二本差しで佇む姿は侍の様で、然し全く異なった異国の存在の様で──それを『似合う』と思う自分が何処か不思議でもあった。
 最早抱くのはなまくらの刃ではない。これが無意味な復讐心を満たし無聊を慰めるだけの行為ではないのだと、示す様に。
 そう。これが、選んだ途。ひとりの男を望んだ、その先の世界だ。
 桂と、高杉と、銀時と十四郎は、それぞれ別の小型艇へと、それぞれ率いる部下達と共に移った。
 既に戦艦の飛行する場所は江戸の領空内だ。識別コードは発信しているものの、不審な動きをしターミナルへ向かう船舶へと、先頃から何度も警告の通信が届けられている。
 それぞれの小型艇の中で、或いは落下傘で直接降下する者らの間で、ごくりと生唾を飲む音が響いた。各々合わせた時計の中で、秒針が定められた時刻を刻む。一秒、一秒、鼓動にも似て。
 「──」
 行くぞ、と誰かが叫ぶでもない。轟、と応える大音声が響くでもない。ただ静かに、戦艦から六機の小型艇が発信し、轟音が江戸の上空を揺るがした。
 猛スピードで射出された小型艇がターミナル付近に勝手に着艦する、その急激な重力に顔を歪めるよりも先に、安全ベルトを外した銀時が席から立ち上がった。
 後は早かった。小型艇から志士達が飛び出し、事態を理解出来ずにいる市民の間を駆け抜けターミナルへと突っ込んで行く。戦艦の衝突の起こした凄まじい爆発がターミナル上部を揺るがし、降り注ぐ瓦礫と破壊の惨状とに、遅れて辺りが悲鳴と怒号の喧噪に包まれていく。
 何かのうねりの様な、猛烈な波音の様な流れに背を押される様にして、十四郎もまたターミナルに──目的とする中枢へと向かって走っていた。既に地図は頭の中に入っている。立ち塞がる警備兵たちを仲間が、自分の剣が次々と切り伏せ、忽ちに平和な世界は戦禍に曝されていく。
 新八やその姉が、道場の門下生たちが、そこに居ない事を身勝手にも願いながら、破壊と応報とを、消極的にも手段として選んで仕舞った一人である十四郎は、その身に幾度も返り血を浴びながら足を前へとひたすらに進ませるしかない。
 今まで天人たちを、その善悪も問わず斬って来たのと同じ様に。目の前に立ち塞がろうとする者を、仲間を斬り捨てる者を、己の刃で──己の意志で以てこわしていく。憎悪もなく感慨もなく。ただ一人の背だけを追って、走る。
 この選択を取ったのだ。あの時に銀時の伸べた手は、『これ』を指していた訳ではないと、解ってはいても。それでも、あの男の横に、傍に立つ事を選んでみたかったのだ。
 その銀時は、十四郎の少し先を走っていた。刃を振るうその身は皆と同じく矢張り血に染まり、纏うのが白い装束であるだけに酷く鮮やかで、まるで何かの残酷な世界の体現者の様に見えた。
 銀時の所業がではない。それをさせた、この選択が、だ。
 十四郎を護ると口にした、その答えが。だ。
 作戦に何も思わぬ風情で居た男は、然し結局は十四郎の望みたかった通りの夜叉であったと言う事だと知る。
 但し──、護る、と言う行為の為に刃を選んだ、優しい鬼だっただけだ。
 (それを、選んだのは、)
 十四郎は銀時の、未だ白い背中を追いながら唇を噛んだ。選んだのは銀時自身だったかも知れない。だが、それを強いたのはきっと己なのだろうと不意に理解したからだ。
 (俺が、望んだから)
 この可能性を。ここに空いた空虚の孔を、埋めるたったひとつの方法を。誰あろう十四郎自身が望んだからだ。選んだからだ。
 それを見ることを。望みとして肯定されることを。
 虚構に夢を見ることを。
 
 望んだ偽を。
 
 「──、」
 ぎんとき、と声にならない声で叫ぶ。血煙を散らし戦う鬼の姿を追い掛けながら。次々倒れる仲間を振り返る事もなく、玉砕としか言い様のないこの作戦の、目的地へとひた走っていく。
 既に辺りには銀時と十四郎以外の生き残りはいなかった。ぜいぜいと息を切らしながら、十四郎が漸く落ち着いて辺りを見回してみれば、そこはターミナルの中枢にほど近い区画である様だった。頭上で轟音を立てながら崩落が起きているのに身を竦ませ、巨大な縦坑を見上げる。
 戦艦が貫けたのはターミナルのほぼ外壁だけだった様だが、それでも被害は甚大だろう。更には桂が内部から爆破を起こすべくターミナルの要所に爆弾を仕掛ける事となっているが、それは保険の様なものだ。目的は飽く迄破壊ではなく掌握。破壊の規模は大きければ大きい程に敵の混乱を招けるが、同時に内部に居る自らの首も締めかねない。
 その点から見れば幸いと言うべきか、ターミナルの中央部、宇宙船を外宇宙へ転送させるポータル部である縦坑には崩落の影響は酷く出てはいない様だった。とは言え、崩れた頭上階の瓦礫や墜落した宇宙船などで辺りは惨憺たる有り様であったが。
 警備兵も多く斬り捨てて来たが、仲間にも多大な犠牲が出ている。桂や高杉、他の主要メンバー達は無事だろうかと考えながら、十四郎は開かれたエレベーターの前で足を止めている銀時の方へと近付いた。
 エレベーターがこの非常事態で動いている訳もないので、坑を自らの足で下る手筈になっている。このエレベーター(の坑)を下りれば、目的地であるターミナルのシステムのメンテナンスルームは近い。ゴールが近い事にごくりと息を呑んで、十四郎は予め持たされていた安全帯を身体に装着し、ロープを近くの柱へと結びつけてエレベーターの不在の縦坑を下りる準備を始める。
 「……銀時」
 辺りを窺う様に佇んで動かぬ白い背中へと、準備を終えた十四郎が声を掛ければ、銀時は苦笑めいた表情をゆるりと振り向かせて来た。
 返り血に濡れたその顔は──刻む表情は、十四郎にはまるで憶えの無いもので。大凡、想像していた夜叉の表情でもなかった。
 ここはいくさばではない。
 十四郎の知る世界ではない。
 だからなのか、その鬼は苦しそうに微笑みを浮かべていた。
 「………………『これ』が正しいのかなんざ、俺が決める事じゃ無ェ、が。少なくとも、お前は『これ』を望んじまった。それは変え難ェって事だけは、忘れるな」
 「……………、」
 何処か、諦めにも似た平淡な声音でそう言うと、銀時は自らの前に立った十四郎の頬に、紅く塗れたてのひらをそっと押し当てた。
 血を浴びても、血に濡れても、憎悪や苦しみの欠片も抱かぬ様な、ただ温かいだけの掌。
 それは、十四郎の望んだことだけを紡いだてのひらだった。
 その選択の為だけに伸べられたてのひらだった。
 制止する事も。或いは目を閉ざさせる事も。拒絶も叶った筈の、てのひらだった。
 するりと、その手が離れて行く。銀時が、十四郎の横をそっと通り過ぎて歩き出す、その前方に集まって来る警備兵たちの姿。
 「『これ』がただの虚構に生まれた慰みだったとしても。お前が、選んだ事はそれだけで、選びたかったのがそれだけで、俺には何も出来ない事だったとしても、」
 「ぎん、」
 茫然と紡ごうとしたのは制止だった。気がする。だが、声になるより先に、喉がまた、酷い痛みを以て十四郎の言葉を封じる。

 これが選択で、為った事なら。
 お前に否やを唱える資格なぞ無いのだと。責める様に。
 
 「俺ァ、それでもお前を護ろうとするよ」
 
 ふ、と銀時がほほえむのが解った。
 その口元が動く。「行け」と。
 次の瞬間、まるで謀ったかの様に、銀時と十四郎との佇む僅か数米の間に、崩れた大きな瓦礫が落下してきた。咄嗟に身を捩って飛び退いたのは十四郎だけで、もうもうと巻き起こる土煙の向こうに銀時の姿は消えて仕舞う。
 「銀時!」
 声を上げるが、柱に結びつけたロープの先、安全帯は十四郎の腰をしっかりと捕らえていた。この瓦礫を乗り越え銀時の元へと向かうのだとしたら、エレベーターの縦坑を下りるのは叶わなくなる。限りのある終わりへと、やり直す時間なぞ許されてはいない。
 「──、」
 何の意趣なのだろう。何の謀なのだろう。そんな思いを込めて舌打ちをしてから、十四郎は決然と身を翻らせた。エレベーターの不在の代わり、ぽかりと空いた地獄への入り口の様な縦坑へと、手袋をした手でロープを掴み飛び込む。
 これが何かの『罠』なら。これも何かの『決まった事』なら。そこに飛び入るより他に途はきっと無い。
 選んだのだ。──既に、途は選んだのだから。
 『これ』を望んだ十四郎には、終わらせる責がある。終わらなければ終われない理がある。
 (それが──望んだ事だった筈だ)
 俺の知らぬお前と言う存在を。
 お前たちと言う、攘夷志士を。
 思って空けた、この空白の孔を。
 
 埋めたいと、埋めてみたいと望んだのは他の誰でもない、土方自身だったのだから。





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