愛する人よ(真実は)誓わずにいよう / 14 醒める前に。知りたいと望んだ。 だから。嘘は要らないのに。 『 』を護りたいと願いながら、その真逆を望んでいた己の本心に。 気付いた時にはきっと、もう遅かったのだろうと思う。 これは。決して己の望まない事であった筈なのだから。 * 坑の底に足が到着するなり、安全帯を切って十四郎はメンテナンスルームへと走った。流石にこんな中枢の地図は事前に用意なぞ出来なかったが、道は一本しかなかったから迷い様もない。 パスコードロックされた厳重な扉を、携帯して来た小型爆弾で吹き飛ばして無理矢理に内部へと踏み要る。忽ちにアラートが紅い回転灯と共に鳴り響き始めたが、階上の惨状を思えば直ぐ様に駆けつけて来れる警備兵も居ないだろうと踏んで、十四郎は複雑怪奇にケーブルやコードを這わせた、壁一面の制御コンピュータを見渡した。 どうやらここまで辿り着いたのは自分だけだったらしい。銀時や他の仲間もここに別のルートで向かっているかも知れないが、最初に着いた以上、ウィルスをインストールする作業は十四郎が行うほかないだろう。 時間も無い。思いながら、持たされていた小型の端末を開き、壁から伸びるケーブルを、教えられた手順を思い出しながら繋いで行く。端末の液晶画面にざっとプログラムが起動しているらしいメッセージやタスクが流れて行くが、矢張り意味は解らない。 紅い回転灯がぐるぐると、不気味な機械群の陰影を照らし出す、酷く落ち着かない世界。そこに甲高い警告音が規則正しい鼓動の様に響いている。中枢の異常事態を察知した警備兵がここまで駆けつけて来るのにどれだけの時間があるだろうか。その前にこのウィルスとやらは本当にターミナルのシステムを支配出来るのだろうか。 (ターミナルを手中に収めた所で、これまで払った犠牲が報われる、訳でも無ェのは、解っているが、) 無機質な液晶画面を見下ろして十四郎は小さく息を吐く。銀時の口にした通りに、『これ』が己の望みの招いた結果であるのなら、それがどんな結末を齎すものであろうが、受け入れる事こそが課せられた責任なのだろうと。 (………俺は、『これ』を選んだ。それがどんな意味であろうと。選ぶ事を、手前ェ自身で望んだんだ。望んじまったんだ) だから、きっと『 』には顔向け出来やしない。 「…………………… 、」 紡ごうとした名が、喉の痛みに掠れて消えたその瞬間。 「………、え?」 胸から。己の胸から、紅い刃が生えていた。 香の甘い、憶え深い匂いと共に。背後から男の声が。 「悪ィな、十四郎」 底冷えのする様なそんな声音と共に、十四郎の胸から刃が抜かれて消えて。代わりに黒い洋装が真っ赤な花を咲かせ、足下に同じ様に紅過ぎる花弁をぼたぼたと滴らせた。 「た、…かすぎ、」 喉と胸との痛みの合間で、十四郎は茫然とその声の主を指す名を紡ぐが、応えず、高杉は紅く染まった刃を続け様に足下に落ちた端末へと突き立てた。すれば、ばちん、と弾ける様な音をさせて、端末が液晶画面を真っ暗にして静まり返る。 「個人的に手前ェの事は嫌いじゃァ無かったがな。ま、最初に此処に辿り着いちまった手前ェの手際の良さでも呪いな」 言いながら振り返る男の、長い黒髪の狭間から覗く金色の眼差しは、紅い光を照り返してまるで血の色をしている様に見えた。 何よりも濃い、憎悪の色をしている、と。今更の様に十四郎がそう思うのと同時に、その身体はがくりと自らの作った血の海に倒れ込んでいた。 「……生憎な。ヅラの目的はターミナルの掌握だのと言う、腑抜けた話だったが。俺のは少し違うんだよ。無駄死には無駄に死ななきゃァ、無駄死ににはならねェって言うのに、手前ェらはそれを無駄死にで終わらせようとしてる。……馬鹿げた話だ」 嘲る様に喉を鳴らすと、高杉は憎悪の色を宿した眼差しで、倒れた十四郎の姿を一瞥してからコンピュータに向き合った。そしてまるで得ているかの様にコンソールを叩き、何やら十四郎には理解出来ぬ操作を始める。 なんで。 疑問は浮かぶが声にはならない。十四郎は血溜まりの中で不格好に藻掻きながら、ぜいぜいと呼吸を繰り返し必死に上体を持ち上げようとするが上手くいかない。失血が酷い。意識が遠のく。手足の先から段々と重たく冷えて痺れて行く。眩暈と耳鳴り。憶えにも深い、絶望的な世界の終わり。高杉と向かい合う度感じた、あの焦燥感と忌避感に似たものと同じ感覚。 「ターミナルのシステムを使って、そのエネルギーを各所に転送させて自壊させる。既に天も事態を察知しちゃァいるが手遅れだ。江戸は春雨みてェな武力組織を始めとした、近隣の惑星を巻き込んで世界中に喧嘩を売って、そして『死』ぬ」 「……、」 江戸は、と紡いだ筈の高杉の言葉は、世界は、とも聞こえた。 いつの間にか聞き慣れていた昏い声音の中に潜んだ闇は、高杉の半生を知らぬ十四郎には到底理解なぞ叶わぬものであったが、 「ターミナルを掌握して、世直し、たァ…。ヅラの野郎の考えは『俺ら』には甘過ぎなんだよ」 そこに澱んだ自らの生と他者の生への強い詛いと、何処にも辿り着けぬ、誰にも受け止め切れぬ無念の苦悶だけは。解る様な気がした。して仕舞った。 (何かを、言える訳でも、問える訳でも、無い、のに、) それがもしも理解や共感と言う感情であったとしたら、何と言う残酷な皮肉だろうかと思う。 最も適ってはならぬ者が、知った心算で居る事を、然し高杉は──彼の抱いて来た憎悪や執念はそれを赦しはすまい。 彼が欲しているのは他者からの慰めでも共鳴でもない。理解でも恭順でもない。傷を舐め合う人間では無い。向かい立つ障碍のみだ。 己を止めるか、己に殺されるか。その二つだけだ。 正しいか、正しくないかではない。叶うか、叶わないか。──きっと、それだけだ。 (俺なら、きっと、『そう』だから、) 後悔も憎悪も、応報では購えぬ事を、十四郎は知っている。 そうだ。生きるに堪えられないから、詛うのだ。己を。そして世界を。向かい立つ相反する魂を斬り捨てたいと思いながら。 (俺も、きっと、『そう』なっていたから、) 血に塗れた手で床を引っ掻いてのたうつ十四郎を一瞥すると、高杉はコンソールから手を離した。壊れた端末に突き立てられた侭の刀を抜き、出血を続ける胸の孔ではなく、傷のない喉の苦しみに喘ぐ十四郎の前へと刃を向ける。 「………てめェも、野郎が赦せなかったんだろう?手前ェらの全てを身勝手に抱えて、てめェを護るだなんて宣った、銀時が」 ふ、と高杉が何処か草臥れた様な笑みを浮かべるのを見て、十四郎は緩慢に瞬きを繰り返した。 憐れみに似た眼差しだと、直感する。 過去形であると──どこかで、理解する。 「……だから。手前ェは自分から選んだんだろう。野郎に護られ足手纏いになる前に。決する事を」 刃の冷たさに曝された喉が。 ────────胸の『傷』よりも、酷く痛んだ。 「その潔さにだけは敬意を表してやらァ。……『狗のおまわりさん』」 高杉が、満足を得た様に嗤う。見覚えのある表情で。揶揄にも似た聞き覚えのない言葉を刻んで。嘲う。 「、、………、」 くるりとその手元で翻った刃が、十四郎の喉にひたりと触れて。首の皮を撫でる冷たい感触に最後に選んだのは、 (手前ェの、護らなきゃならねェものを、俺が遮る訳には行かない、から、だから、、) ぴ、と血の細い糸が、素早く離れた刃に纏わりついたのは寸時。 喉を鳴らした高杉が十四郎の前から飛び退いたその空隙に、白い夜叉が入り込んでいた。 鬼は声すら上げない。振り上げる鉄槌にも似た刃を受けて、高杉が更に大きく後方へと下がり、その侭両者は火花散る刃を打ち合わせながら広い場所へと移動していく。 遠ざかる剣戟に、混じって聞こえる遠い爆音。首の皮をほんの僅か刻まれただけの十四郎は、喧噪に導かれる様にぐらぐらと揺れる視界を持ち上げた。 駆けつけた銀時はなにひとつ言葉を発しなかった。 そうだろう。こんな事は知らないのだから。全く望んでさえいなかったのだから。でもあの男のことだから恐らくは怒っているのだろうと、勝手に想像はしておくけれど。 甘くて苦い想像に浮かんだ笑みをそっと消すと、全身の力を振り絞りながら時間を掛けて十四郎は立ち上がった。血溜まりに抜いた剣を突き立てて、杖の様にして震える膝を叱咤する。 振り返れば、システムは既に十四郎の手に負える状態では無さそうだった。何かのカウントダウンの様に、不穏なアラートを沢山の液晶画面に点滅させている。明らかにヤバいのだろうとは雰囲気から伺えはしたが、だからと言って手が出せる訳でもないし、何より十四郎自身にも手を尽くしてやろうと言う気なぞ既に失せて仕舞っていた。 遠ざかった剣戟とは逆に、近付いて来る喧噪が耳に届く。底の厚い軍靴の足音たちを、その運んで来る危機を、十四郎は己の支えとしていた刀を携え静かに待った。 それから数秒もせぬ内、爆弾で吹き飛ばされていた扉から黒服の一団が飛び込んで来るのに、場違いにも笑みが浮かぶ。彼らに抱く、羨望の様な感情が自然とそうさせた。 黒服たちの間から、見覚えのある偉丈夫が姿を見せるのに。十四郎は無言で刀を構えて応える。 「大人しく投降しろ!最早勝敗は決した!」 そう、声を上げた男の──真選組局長、近藤勲の傍らにぴたりとついた栗色の髪の少年が、十四郎に戦いの意志がある事を見て取るや、無言で刀に手を掛ける。 「……テロリスト相手に随分と寛容な事だな。俺の預かり知る所じゃ無ェが、直にこのシステムはターミナルの炉ごと吹き飛ぶらしいぜ。アンタらも早い所退避した方が良いんじゃねェか」 十四郎の軽口に、身構える少年を手で牽制しながら、近藤は渋面を作った。その両の手には武器の類は見て取れない。 距離にして数米。ここで十四郎が刀を振りかざし駈けたところで、周囲の部下たちか栗色頭の少年に防がれるだろう事は明か。近藤の言葉通り、『決して』いるのは間違い様もない事実だ。 然し、詰みの状況だと言うのに、十四郎の頭には投了の選択肢は無かった。 この侭でいたら、真選組の人間(こいつら)ごと己も粉々になって死ぬのだろうか。 大人しく投降し、彼らにシステムの復旧を委ねれば、真選組の人間(こいつら)も助かるのだろうか。 銀時は未だ高杉を追っているのだろう。高杉もまた、銀時の制止を振り切ろうとしているのだろうか。 世界と、自分とが──応報の叶わぬ事を知った生が尽きる、その瞬間まで。 (………これは、奴らに対する理解でも、共感でも無ェ。ただの、) その苦界の生を知る事が望みではなかった。 俺の、知らぬものを知る事が望んだ事であったとして。 理解した心算になって、終わる。そんな事の為に、あの手を取った訳では無かった。 「…………………すまねェが、今の俺には、退く選択肢は既に無ェんだよ」 無くす、その選択ばかりを与えて選んで来たから。 アンタらを選ばない途を望んだから。 その対極の世界には、あいつしか居なかったから。 こんどうさん。 自然と、押し出される様にそう紡いだ瞬間、十四郎の刃は近藤の方をぴたりと向いて。 激痛を訴える喉から、声にならぬ声がこぼれ落ちた。それは悔恨でも謝罪でも憎悪でもない、己への罵倒とあの男への慕情。 俺は、これを、選んだのだから。 そちらに立っていた筈の俺は、今の、この選択を望む事を赦して仕舞った、愚かな俺ではないのだ。 知りたかった。 近付きたかった。 そうじゃないだろう。違うだろう、とあの男は苦く笑うと解っていたのに。 届きたかった。 炎と喧噪の呼んだ、天に拡がるこの曇天にも似た耿りに。 幾ら繋がっても心を向かい合わせても、俺には得る事の出来なかったその瑕を護ってやりたかった。 あの男の過去と共に生きてみたかった。 その心が抱えたものを、共に負ってみたかった。 土方十四郎があの瞬間に望んだ愚かな夢は、たったそれだけの事だったのだ。 高杉小者にしちゃってごめんね進行。 ← : → |