愛する人よ(真実は)誓わずにいよう / 02 居心地の悪い家を出る時、勝手に持ち出した金を使い江戸で真剣を買った。廃刀令が発布された所に持って来て、十四郎にも物の目利きがあった訳ではないから、半ばぼったくられる形で買ったそれは恐らくは碌な代物ではなかったのだろう。 だが、どんななまくらであったとしても、何かが断てれば十四郎にとってそれは紛れもなく『刀』でしかなかった。 見上げたターミナルとやらでは、ひっきりなしに天人の船や戦艦が出入りを繰り返しており、最早江戸と言う町は異国を通り越して異世界の様な様相である様に十四郎には見えた。 だが、恐ろしい程に発展しつつあるそんな江戸の町ではあったが、繁栄と安寧の一見平和に見える足下には未だ、終結したばかりの攘夷戦争の影が確実に落とされていた。 何でも、戦死を免れた攘夷志士らが江戸に潜んでおり、彼らはこの町を戦場に、火の海にしてまでも倒幕の意志を貫く心算であるのだと。幕府に因る情報統制の中にあっても、人々が密やかにそんな噂を囁き交わす程に。 江戸の人々には戦そのものを知る者は存外に少ない。ただ、空を飛ぶ巨大な戦艦の砲弾が天守を貫き、幕府が早々に降伏勧告を受け入れざるを得なくされた、その最たる恐怖だけは良く知っていた。 あれにかかれば容易くこの国なぞ決する。そんな絶望感だけは、戦場に出た者らより余程実感していたのかも知れない。 故に、噂される『攘夷戦争の生き残り』──支配者であり隣人たる天人らとの関係性に新たな火種となる可能性を持つ攘夷浪士(彼ら)の存在を、諸手を挙げて受け入れる者は少なかった。だがまるきりゼロだった訳でもない。 それは、国の為に戦いを続けようとした攘夷志士たちを、愚かだと見る者の数以上に、その心根や魂を──侍の在り方を支持し憧れを抱く者らがそれだけ多かったと言う事なのだろう。 戦は決したが、終わってはいない。平和を求める民は迷惑顔で、戦の名残に燻った若者は我が事の様に、新たな火種の予感を口にする。 近々、そんな攘夷浪士たちを犯罪者として取り締まる侍達の集団が結成されるとも噂されている。 ──侍が侍を狩る時代。だが、それは嘗ての戦国時代の様な互いに覇権を巡って武力を拮抗させた頃とは異なり、片方には吠えるだけの大義が、片方には権力の名の正義が持たされるのだ。即ち──攘夷思想を謳う『侍』達は悪なのだと。 侍とは一体なんなのだろうかと、無知な十四郎でさえもそんな疑問を抱いた。身分の名である士とは異なり、侍とは心の在り方の様なものだと、義兄は大昔に口にしていた。農家の家では武家に縁などなかったし、武道とも刀とも無縁ではあったが──刀、と言うのは、それを抱く象徴でもある『侍』と言うのは、この国の男の矜持であり憧れであるのだろうと、その頃は漠然と思っていた。 では、果たして今、刀を選んだ己は果たしてどちらに類する『侍』であるのかと問われたら、十四郎は迷い無く前者であると笑っただろう。 十四郎は戦には参戦していなかったが、見様見真似で振るい始めた剣の扱いには喧嘩程度になら自信があった。攘夷思想などと言う小難しいものは解らない。ただ、天人に迎合し膝を屈して腑抜け、良い様に支配されて行った幕府に対する憎悪は紛れもないものだった。 もしもなれるのであれば、攘夷の徒として蔑まれるも構うまいと、そんな事を思いながら、十四郎は今宵も物乞いの振りをして道端に蹲っている。 繁華街から市街地へ続く淋しい路地の、更に裏の、片隅だ。江戸で職を得た天人だって仕事帰りに酒ぐらい飲みたくなる。その帰り道に通るかも知れない様な道だ。 汚い蓆にくるまった十四郎は、夜道を近付いて来る足音にそっと耳を澄ませた。腰の後ろに押し込んでぼろきれで隠した刀に手を近づける。 足音は人間のそれではない。人間と同じ二足歩行のイキモノだが、動物の様な生物の進化したものだからか、元々の重量や骨格が違うのだろう。良く聞き分ければ、足音の主が人間ではない事は見ないでも知れる。 天人は道端に蹲る十四郎の横を何事もなく通り過ぎた。或いは、闇に紛れた存在に気付かなかっただけかも知れない。 天人が己の前を通り過ぎた三秒後に、十四郎は蓆を放り棄てて刀を抜きはなった。ばさ、とか。がさ、とか。そんな音に、通りすがりの哀れな天人が振り返るより先に、その背を袈裟に斬り付ける。 なまくらである事と、不慣れな十四郎の腕もあって、然しそれは致命傷にはならない。猫の様な目が闇の中で緑色に光るのを見ながら、十四郎はもう一本、逆の手に持っていた小刀をその天人の首に突き刺した。刃が柄までめり込むのを確認するなり直ぐに抜く。 「──」 悲鳴の代わりに血飛沫と呼気が漏れて、そうして天人の身体はどさりと地面に俯せに斃れた。びくびくと痙攣するその頭の辺りに血溜まりが忽ちに拡がって行くのを、十四郎は殊更に無感動に見下ろした。 想像した通りの動物、猫らしき種族の天人だった。江戸の文化に馴染みつつあったのか、着ている装束は着物に袴。尻尾を出す孔が空けられているのが何だか滑稽だと思う。 この天人にどんな人生があったのか、とか。家族が居たのか、とか。そんな事はどうでも良い。興味も無い。知る必要も考える筋合いも無い。十四郎は手早く天人の亡骸を探って、財布を見つけるとその中身を抜き取った。未だ慣れない、幕府の新たに発行した紙幣を懐に押し込み、拭い紙で血に濡れた刀身をざっと拭うと、その紙も懐に一緒くたに仕舞い込む。 辺りを見回し目撃者の無い事を確認すると、蓆やボロ布、刀の鞘と言った自分の痕跡を拾い上げ、素早く夜闇へと潜り込んで姿を消す。 どうやっても切れ目が悪かったんです…。 ← : → |