愛する人よ(真実は)誓わずにいよう / 07 銀時から提案が出されたのは、それから二日後の事だった。 「道場に?」 「そ」 十四郎の問いにあっさりと頷くと、銀時は味噌汁を一啜りしてから続ける。 「門下生とか指南役のバイト、って訳には行かねーが、道場は空いてるし、俺の手も概ね空いてるしで。新八にも許可は貰って来た」 新八と言うのが道場主の少年の名前だと言う事は既に聞いている。何でも眼鏡からビームを放てるだとか訳の解らない紹介を添えられていた風に思うが、その辺りはしっかり聞き流していた十四郎である。因って必要最低限の情報だけを頭の中で転がし取り出してから、おずおずと頷いた。 道場で剣術を学んでみないか。 ──銀時の言い出した提案はそんなものだった。 何かの勧誘の様な文句ではあったが、昨今道場剣術を真っ当に続けられるのなぞ、極一部の有名な流派の、しかも宗家のみと言うのが世の当然の認識である。そしてそう言った者らは未だ権力と財力を持つ武家の人間に限られており、庶民や落ちぶれた田舎道場から出て来た者らなぞ当然門前払いにされるものだ。 庶民が士に憧れを抱く時代はもう終わったのだから。スポーツ感覚で、嗜み程度に剣術を学んだ武家の子息たちが、行く行くは腰にお飾りの大層な拵えの得物を提げて、国を動かす幕臣のひとりになっていく。士と言う名がただの身分で終わる様に、剣術と言う概念とその必要性も、やがては消えゆくだろう。 だから、銀時の『勧誘』は、十四郎には渡りに船であった。どころか、酷く魅力的なものである。否やを唱える筈もない。 大っぴらに看板も掛けておらず、密かに続けている程度の小さな町道場だと言う。道場主がまだ十代の少年であって、指南役は見ず知らずのバイトしか居ないと言うのだから、その格の低さは想像に易いものだが、今まで真っ当に剣術などと言うものに触れた事の無かった十四郎にとっては、伝統ある流派だろうが町道場の芋剣術だろうが関係無かった。 「どうよ?付きっきりマンツーマン指導って訳にゃ流石に行かねェが、ちょっとした打ち合い程度なら」 「行く」 頼む。是非。即答と共に続けて言うと、十四郎はちらりと自らの傍らに置いてあるなまくらの刀へと視線を落とした。他人の家に置いて貰いながら不作法なものだが、傍にある以上身体から放すのが落ち着かないのだと言えば、銀時は別段気にした様子もなく、構わないと言ってくれた。 十四郎にとっては刀とは侍の象徴であり、強さの証明の様なものであった。憎悪を血で洗う為の刃は、目の前の銀色の侍の振るう『刀』とはきっと異なっているのだろうと漠然と感じてはいたが、それでも、そこに十四郎の求めたい何か──人を導く燈火の様な何かがあるに違い無いと、確信している。 故に、銀時の持つその勁さに近付きたい、触れてみたい、学んでみたいと、銀時に命を救われたあの日からずっとそう思い描き続けていた。 知って、得て、強くなって、──そして、 仕合いたい。 その願望はまるで探していた欠片か何かの様に、十四郎の胸にかちりと嵌り込んで動かなくなった。最初から其処にあった、そんなものの様に、たちまちに大きな面積を占めて十四郎の裡を満たして仕舞った。 こんななまくらではなく、何かもっと誇れる様な志を乗せた刀を持って、お前と、仕合いたい。 殺したいのでも、倒したいのでもない。ただ、そんな命の遣り取りにも似た喧嘩がしてみたかった。 身を乗り出さんばかりに勢い込んだ十四郎の目をぱちくりと見返して、やがて銀時は「そか」と笑って目を細めてみせた。なんだか子供の成長を喜ぶ親の様な表情だと思って仕舞ってから十四郎は、大して年齢も変わらなそうな癖に、と胸中で密かに悪態をつく。 そう、然程年齢も変わらぬ様に見える男同士だと言うのに、どうしてかこの坂田銀時と言う男には十四郎の事を庇護しようとするきらいがあるらしい。まだ僅か数日のみの同居人だが、銀時が手伝い以上の『頼み事』を十四郎へと言いつけた事も無ければ、まるで歳の離れた弟かはたまた養い子にする様な接し方をして来る。それが、決して十四郎の事を軽んじて見ていたり馬鹿にしているからと言う訳ではないのだから、益々手に負えない。 ホームセンターで買ってきた布団──有言実行だった──を拡げる時も、寝心地はどうだとか寒くないかとかしつこく訊いて来たのを思い出せば自然と十四郎の眉間には皺が寄せられ、さも苦そうな面持ちにもなろうものだ。 悪い訳ではない。ただ、慣れない。そして、よく解らない。 「すんげェ皺寄ってんだけど。どした?」 行儀悪く柳葉魚を頭からばりばりと咀嚼しながら、十四郎の眉間を箸で指して言って寄越す銀時に、己の思考を纏めるのさえなんだか面倒臭くなって「何でも無ェ」と素っ気なく投げ返す。 勁い男だと思う。そして、聡い男だ。 十四郎に対する諸々の態度も、十四郎程度が何をした所で己にはまるで影響なぞないのだと言う自身の裏打ちにも見える。そのぐらいに、銀時は十四郎にとって不可思議な程離れた男なのだと思う。 達観と、老成。勁さや優しさの裏に在るそんなものが、この男と己との距離を何処か遠く感じさせているのだろう。 この男に近づけるのか、望む仕合いなぞ出来るのか、そんな事は未だ解らない。未来が未だ決まっていない今は、解らない。 だからせめて、望む事を引き寄せて進むしかないのだ。 * 結果から言えば惨敗だった。喧嘩には多少の腕のある十四郎ではあったが、銀時の前には全く敵わず、赤子の手を捻る……どころではない程に打ちのめされる事となった。 当然だろう、とは思っていたものの、ここまで差が歴然であると流石に少々憮然ともなる。 「銀さんの剣って我流なんですよね。今は竹刀だけですけど、本気の喧嘩になると手は出るわ足は出るわで、本当に喧嘩剣法って感じですよ」 容赦のない銀時の竹刀に打たれた十四郎の痣や擦り傷の一つ一つを、甲斐甲斐しく手当しながら、そう苦笑に似た表情を添えて新八は言う。慰めではないが慰めの様なそんな言葉に、十四郎は曖昧に「……あァ」と頷いて深く嘆息した。 十四郎の攻撃手段も、我流且つ手も足も使えるものは全て出す喧嘩剣法である。それでも差は大きい。そこらの破落戸程度になら負けない、と自負はしていた心算であったが、真っ当に一太刀も浴びせる事の出来ない現実を見れば、それもただの思い上がりだったのかも知れないと思えてくる。 銀時に言わせればその『差』は実戦での慣れ、だそうだ。 まあ筋は悪く無ェから、磨けばかなり良い線行けるだろう。 遂に疲れて道場の床に倒れ伏した十四郎にそんな評価を落とした張本人は、十四郎を傷の手当てごと新八に押しつけて、今は他の門下生を相手取って指南をしている。竹刀で軽々と相手の動きを捌くその様子からも、確かに舌を巻く程の身のこなしである事は明瞭で、幾ら得体の知れぬ男とは言え、新八が信頼し指南役などを任せているのも頷けた。 十四郎は故郷の方でも喧嘩程度ならした事はあるが、刃物を持った刃傷沙汰に遭遇した事は幸いにか無い。木刀での喧嘩ではそこまで危機を憶えた事はないが、それが全て刃であったとしたら──また、別の話である。 一太刀が致命の傷。そうなれば敵との対峙方法もまるで変わるだろう。 銀時の動きを見ると、道場剣術の門下生が相手だからなのか、竹刀で律儀に相手の太刀を受けている。だが、十四郎の喧嘩剣法を相手にした時はそうはしなかった。殆ど剣腹で躱す事なく、自らの体捌きで一撃一撃を見切っていた。恰も刃で仕合う事を目的としているかの様に。 「……野郎、なんであんな馬鹿みてェに強いんだ」 思わずぽつりとそうこぼした十四郎に、傍らに座っていた新八が肩を揺らして笑いながら相槌を寄越す。 「そうですね。我流であそこまで強いと、ちょっと道場主としては凹む事もありますけど。 あんまり詳しく話してくれた事はないですけど、攘夷戦争に参加していたみたいですよ。幾ら後期とは言え、それで戦場から生き残って帰ったんですから、勁いのも無理もないかなって思います」 攘夷戦争。その言葉に十四郎はほんの僅か目を眇めた。 天人を何の感慨もなく斬り捨てた、あの様は矢張り十四郎の見立て通りのものだった、と言う事か。納得は不可解さと同じだけ、十四郎の裡でぐるりととぐろを巻いて居座る。 攘夷志士。天人と敵対する侍。今はその殆どが町の破落戸と変わらぬレベルまで落ちて、幕府に仇成す犯罪者として狩られる。それが現状。 刀を佩いて。小さな町道場で剣術指南の真似事をして。夜道で天人に襲われていた人間を助けたばかりか拾って家に置いている。そんな攘夷志士が、攘夷志士くずれが、一体何を考え生きさばらえているのか。 (……益々解らなくなったな) むすりと顔を顰めれば、消毒薬が沁みたと思ったのか、新八が「もうすぐ済みますからじっとしてて下さい」と宥める様に言って来る。ガーゼを心なし優しげに押し当ててくれているのは、道場の床に擦れて膝に出来た擦り傷だ。稽古程度でよくもまあこれだけ怪我が出来るものだと、他の門下生は何処か呆れ──と言うよりは引いている──た様子で、銀時に挑み続ける十四郎の姿を見ていた。 恐らくは、道場剣術をきちんと学ぶ者らにとっては、己の様な我流の喧嘩剣法などさぞ邪道に違いないだろうと思ったが、新八はそれも余り気にしていない様だった。幾ら強いとは言え、我流である銀時に指南役など頼むだけあって、この少年も大分さばけているらしい。 「はい、これで良いですよ。熱心なのは良いですけど、あんまり無理しないで下さいね。ちょっとの怪我でもどうなるか解らない事もあるんですから」 ぺたり、とガーゼを固定するテープを貼って、手当の終了を告げる少年の思わしげで慕わしげな面に、十四郎は慣れない居心地の悪さを胸中でこねくり回しながら、目を逸らして逃げない様に無理に笑みを作った。 「ああ…、すまない。…ありがとう」 大凡それはぎこちのない表情で言葉だったに違いないのに、新八はにこりと破顔した。救急箱をぱたりと閉じて「どういたしまして」と丁寧に頷きを返してくれる。 江戸の町民の気質なのか、どうやら彼は人懐こい手合いなのだろうと思う。それは年齢の差以前に十四郎には無縁な人種だった。 弟が居たらこんなものだったのだろうか。いや、そんなのが居たら自分に似てさぞ可愛くもない小憎たらしい存在だったに違いない、などと埒もなく考えてから、十四郎は竹刀を置いて立ち上がった。 「少し、外の空気を吸って来る」 居慣れなさは特別忌避したいものではなかったのだが、十四郎は素っ気ない調子でそう言うと、律儀に「はい」と頷いて寄越す新八に背を向けて道場の入り口に向かった。 慣れない、のと。 慣れたい、のと。 剣術と言うひとつの目的の集約されたその空間に感じる不思議な威圧の様なものに押し出される様に、草履を突っ掛けると、庭に向けてそっと息を吐く。 その背後で、銀時と対峙していた門下生が一本を取られる痛打音がした。 。 ← : → |