ハコの中の空 / 3



 「……で?」
 簡潔に放たれた一言に銀時が顔を起こせば、その向けた視線の先で黒い背中が大きく上下する所に丁度出会う。べち、と扉を手のひらで叩く所作は既に、どこか疲れた様子のそれである。
 「で。って」
 寝台に寄り掛かる様にして床に座った銀時はそう鸚鵡返しにしてから顏を顰めた。盛大な殴打痕の付けられた頬は口を動かすと少し痛む。せめて歯を食いしばれていたらこんな事にはならなかっただろうに。
 まあ、歯が折られなかっただけましなのかも知れない。思って見やる視界の中で、土方の黒い背中がゆっくりと振り返った。べし、と今度は先程より少し強めに扉を叩いて、二度目の溜息。
 「ドッキリか何かなのか?」
 「…だからぁ、」
 「今なら罪も軽ィぞ。正直に洗いざらい喋った方が身の為だと思うが?」
 頭を掻きながら呻く銀時の言葉を遮って言う、土方の表情はと言えば、平淡であった。憤りや混乱も一周回ると却って落ち着くものらしい。
 だが、切り替えが早い事には感心するが、初めっから結論ありきで喋られている気がしてならない。だからどうにも噛み合わないのだ。
 なお、結論とは即ち、この訳の解らない事態の責任の追求先が銀時の側にあると言う前提から成るものであろう。訊くまでもない、土方の視線は露骨に刺々しい。元々目つきの宜しくない男であるが、それで二割増しぐらいは剣呑な気配を漂わせている。
 「だから今説明しただろーが!目ェ覚ましたらここでお前と寝てた!以上!それ以上も以下も知らねェって何遍言わせんだ、耳ついてんのかおめーは!人の話はちゃんと聞きなさいって通知表に書かれるタイプだろ絶対ェ!」
 恐らくは八割方正しいのだろう推論に自分で苛立って思わずそう怒鳴れば、頬が早速痛んだ。口の中が切れているのだから当然だが。
 そんな銀時の姿を遠目に見下ろして、土方は露骨に舌を打った。鎖の横断し絡みつくドアノブをがちゃがちゃと無理やりに動かそうと暫くの間格闘し、然し無理と見ると、靴底で二度三度と乱暴に扉を蹴る。
 然し何れもやはり効果らしいものは見られない。大きく、今度は幾度か肩を上下させて息をつくと、諦め悪くも土方は扉をあれこれと検分し始めた。
 まあ当然の反応かも知れない。思って、銀時は口内の傷を舌で探りながら、寝台に寄り掛けた背を少し滑らせた。天井の白色灯を見上げて嘆息する。
 
 *
 
 まあ、目を覚ました直後の対応は、警察とか言う物騒な職業的には正しかったのかも知れない。否、警察と言うか暴力警察と注釈をつけるべきだろうが。
 ともあれ、出来るだけやんわりと、穏便にと願いつつ揺すり起こした銀時の姿を視界の端に認めるなり、避ける間もなく拳が飛んで来た訳である。防衛的な反応としては、見知った男の顏を前に冷や汗をかいて硬直しているよりは、多分正しい。のかも知れない。多分…、いや、多分。
 そう言い聞かせて理不尽に殴打された痛みと憤慨とをやり過ごした銀時は、態と盛大に寝台から転げ落ちて、自分にやましい所も怪しい事もないと態度で示す事にした。
 それから現状解る程度の──言われずとも部屋を少し見れば解る様な事ばかりだったが──事を説明し、自分も訳が解らないのだと幾度も強調してみせた。
 逆にそれが土方の疑り深い性質を刺激して仕舞ったのかも知れないが──とにかく銀時は辛抱強く対応に励んだ。何の対応かと言えば、動物園の檻の中で目を覚ました、昨日まで野生だった猛獣への、と言って差し支えは無い。
 扉をあれこれと調べ回っていた土方が、そこに何の成果も得られなかったのか、今度は靴音も荒く室内を歩き回り始める。壁をあちこち手で叩いて、耳を当ててと、隠し部屋でも探している様だ。そんな容易いものであったら、こんな全体的にシンプルなつくりはしていまいと思えるのだが。
 (…ん?)
 かつかつとフローリングを叩く靴音にふと惹かれて顔を戻した銀時は、己の足を見下ろして瞠目する。よくよく見れば自分も靴を履いていた。いつもの、黒い頑丈なブーツだ。ベルトの傷や素材の皺なども、毎日の様に触って身につけているのだから、紛れもなく己のものであると断言出来る。
 (床が冷えそうだと思ったが、そりゃ靴なんて履いてりゃ冷える事ァねぇか…、)
 この謎の部屋で目を覚ました時の事をぼんやりと思い出しながらそうつらつらと考え、そこで首を捻る。
 目を覚ましたのだ。だから当然それ以前の記憶は、眠る前のものだ。
 (寝る時に、靴なんて履くか?)
 当たり前の様な疑問に眉を寄せつつ見やれば、ブーツばかりか、銀時の全身はいつもの、己で見慣れきった装束である。咄嗟に土方の姿を探すが、こちらも矢張りいつもの見慣れた、黒い隊服姿だ。
 (記憶が途切れてんのは眠る時。だ、ってのに、普段の、昼間みてェな格好…?)
 これでは益々に、夢遊病のケと言う可能性も生じて仕舞うのではないか。否、二人して夢遊病とは少しばかり考え難い。
 或いは、記憶が途切れて仕舞う様な、それこそ正体を無くす程に酔って、ラブがつくホテルにノリだけで野郎二人で乗り込んで仕舞う様な何かがあったと言う疑いまで生じかねない。
 土方の方が何か覚えていやしないだろうか。そう思った銀時が疑問を口に乗せようとした時、壁を油断なく見て回っていた土方が再び舌を打った。
 「監視カメラとか仕掛けてやがらねぇだろうな…」
 仕掛けて、にかかる対象までは口にしないものの、ちらりと向けてくる、その視線は銀時の事を露骨に疑って見ている。
 「この状況で、まーだ俺を疑ってんのかよ」
 頭を掻きながら肩を竦めてみせる、銀時の言い種も少しばかり噛み付く調子になったからか、当然の様に土方も険しい侭の表情で、右目をそっと眇めて寄越した。
 「性分なんでな」
 「そりゃ、呆れた勤勉さと狭量さなこって」
 やれやれとかぶりを振りつつ、こうして売り言葉に買い言葉でいるから、いつもの喧嘩が勃発して仕舞うのだと思って、盛大に皺の寄りそうな眉間を揉む。
 いつもであればそれこそ他愛もないやり取り(挨拶の様なものだ)として済ませられるが、こんな、訳の解らない密閉空間に二人きりで置かれていると言うイレギュラー過ぎる状況で、啀み合って殴り合い寸前まで発展する様なコミニュケーションなどしたい筈もない。
 大人になれ坂田銀時。
 そっと胸の裡へと幾度かそう言い聞かせて、銀時はともすれば際限なく沸き起こる厄介な感情にやんわりと蓋をした。
 「あのな。こんな状況、自分にも多かれ少なかれダメージがあるだろうに、好んでやる訳ねェだろうが。ドッキリにしてももっと楽な方法取るわ。大体、ドッキリ自体そもそもする気もねぇっての」
 「……」
 絡む調子の無くなった銀時の言葉に難しげな表情を作った土方は、一応は納得らしいものに行き当たった様であったが、それでもまだ疑いを完全に払う気はないらしく、「さてな」と少々投げやりな調子で呻いた。
 無駄な捜索に疲れたのか、壁に寄りかかって立つその気配は矢張り刺々しい侭で、解ってはいたが、銀時は少しばかり落ち込んだ。







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