ハコの中の空 / 4



 どん、と叩いた壁の手応えは重たい。振動や音からしても、相当にぶ厚いものが『壁』としてそこに在るのは何となく解る。
 だが、例えば監獄とか、そう言った『内部に入れた者を出さない』機能的なものが感じられないと言うのも確かだ。内部の隅々まで鉄筋の張り巡らされ、コンクリで執拗に固められている様な『壁』にある、居住性を粗方無視しても機能面と役割とに特化した、そう言ったものとは、何かが違う気がしてならない。
 確かに壊せそうな気はまるでしない重さと質感だ。然しこの部屋の四方を囲うだけの壁は、ただの居住空間の──言って仕舞えば家屋の、ごくごく当たり前の『壁』であると、そう感じられる。
 奇妙過ぎて疑問符を浮かべるほかない感覚ではあったが、直感だ。そして土方は己の直感を大体の面で信じるに値するものであると思っていた。
 (だが…、仮にここが普通の家つーかワンルームマンション的な何かだったとして、そんな所に閉じ込められる理由も、経緯すら解らねェ)
 況してやそれが、度重なる共闘や借りはあれど、心の底から信じるに値するかと問われると答えに困る様な相手と一緒くたにされてなど。
 「………」
 盛大に溜息をつきつつ、土方は背を預けていた壁に後頭部をこつりと寄り掛からせた。その視線の先、一つきりの寝台の前の床にだらりと座している坂田銀時と言う名の男は、現状に不本意そうながら、それには同意するとでも言う様に肩を竦めてみせた。
 「……話を整理させろ」
 「あぁ。構わねーけど。っても、俺からの説明はさっきの通りなんだけど。つーか殴ったりするより先にまずそう言う所から入るよね普通は」
 「つまり、気づいたらここに居た。それだけか」
 何やら恨みがましげな視線と共に言われる抗議めいた言葉を聞き流して、土方は顎に手を当てた。習慣的に煙草が欲しくなるが、先頃確認したら中身は三本しか残っていなかった。朝の巡回前に確認した通りだ。いつまでこの状況が続くとも知れない中では、三本きりの煙草は大事にしたい命綱だ。
 「そう言うおめーはどうなの。目ぇ醒ます直前の事とかなんか覚えてねーの?」
 「え、」
 つらつらと煙草に思いを馳せていた土方は、質問調子であった所に急に逆に問い返された事で、驚きを隠せずに瞬きをした。きょとんと発した一音に、銀時の眉間にうんざりと皺が寄る。
 「え、じゃねぇだろ。お互い同じ状況に置かれてんだ、呉越同舟とか何とか言うが、協力とか歩み寄りとかしねぇと話が進まねェって」
 「……」
 つい、自分が警察と言う身である事も手伝って、巻き込まれた側、なのだと勝手に思っていた。絶対に銀時の側に何かあるか、銀時自身がやらかした事なのだとしか思っていなかった。
 そこで、まさか、お前はどうなのだなどと逆に問われるとは思いもよらなかった。
 ひょっとしたらかなり的外れに疑心暗鬼でいたのではないかと気付かされた土方は、決まり悪く目を逸らした。銀時の事を全面的に、全てに於いて疑っていたと言う訳では無いのだが、何かがあるのならあちらに理由があるのだろうと、そう思い込んでいたのだ。
 被害者同士。そう纏めると急に馬鹿馬鹿しいような心地になって、土方は、まだ壁から背を離す気にはなれなかったが、その場にどかりと座った。
 「ここでさっき目を醒ます前は──…、朝の巡回に出てて、てめぇに会って…、」
 記憶を探ろうと頭をひねるが、ほんの数時間前程度だろう筈の事が、靄でもかかった様によく思い出せない。それでも断片的な光景を掻き集めれば、町中でよく銀時らに遭遇する、そんな光景がぼんやりと像を結んだ。
 「え?会った、っけ?」
 必死に記憶を手繰っている土方に、銀時の方が困惑した様に呻いた。彼もまた頭をひねっているのか、目を瞑って額を揉んでいる。
 「……いや、はっきりとはしてねェんだが…、朝議の記憶はあるし、巡回に出た記憶も…、多分、ある、…筈………、だよ、な?」
 銀時にまるで思い当たりが無さそうに見えて、もう一度思い返そうとするが、こんがらがった紐の様に、記憶は手繰れど手繰れど曖昧模糊になって仕舞う。思い出そうとすれば幾つも日常風景が断片的に浮かぶのだが、それがいつの事だったのか、先頃の事であったのか、その判断がつかない。
 「や…、俺に訊かれても」
 思わず尻上がり調子になった言葉に、銀時も途方に暮れた様に言って、暫し二人して記憶を探ろうとうんうん唸ってはみたものの。
 (何だ…、酔い潰れて記憶が途切れちまった時よりもっと酷ェつーか…、変な薬物とかでも盛られたのか?)
 雲の様に掴めない記憶に焦りと苛立ちを隠せず、俯いた土方は喉奥で唸る。だが、そう言った脳に作用する類のドラッグに特有の倦怠感は身体には感じられない。寧ろ眠ってすっきりした感さえある。
 「……あのさぁ」
 ここの所、別に仕事が忙しくて不眠気味だった、などと言う事はなかったのだが。そんな事を反芻している所に少し遠慮がちな銀時の声が挟まれて、土方は顏を起こした。そんなに不機嫌そうな顏はしていなかったつもりだったのだが、彼は少し鼻白んだ様に頬を掻いて、「あー…」と、続く言葉を躊躇って目を泳がせる。
 「何だ。言いたい事でも気づいた事でも何でも良いから言え」
 「…………いやね。出来れば怒ったり拳振り上げんのは無しにして聞いて貰いてぇなって前置きさせて」
 「?…まぁ、内容に因るが…」
 こんな状況で何かふざけたジョークなど投げられると思った訳ではないが、一応そう返す。片手で目元を押さえる様な仕草と共に俯いた銀時は、制止の仕草の様にして手のひらをこちらに向けた。悩む様にかぶりを振る。
 口から生まれた様に、日頃は無駄に舌のよく回る男にしては珍しい、逡巡の気配である。それもあからさまな。土方は訝しみつつも、黙って続きを待つ事で、その大層に口にし難そうな言葉を待った。
 「…これって所謂、アレなんじゃねぇの?って」
 「あれ?」
 思わず鸚鵡返しにする。いわゆる、と前置かれる様な『アレ』とやらは、土方の思い当たりにはない。
 「だからさ。アレだよ。簡単に言うと、『○○するまで出られません』系の部屋、的なやつ」
 「………………」
 結局。慎重に口に出された『所謂』『アレ』とされるものにぴんと来る答えは己の中に無く、土方は更に積もった疑問符を払う事も出来ず、銀時の事を真顔で見返していた。
 だが──
 「……いわゆる、と言って良いのかは解らねェから、てめぇの言う『アレ』と同一のものかは定かじゃねェが…、………そう言う事件なら耳にしてる」
 銀時の言い種では、『アレ』とは、よくあるテンプレート的な話の様だ。例えば昔話では欲をかくよりかかない人物の方がハッピーエンドを迎える、と言う様な、お約束とでも言うべきもの。
 いわゆる、と定義された所で、当たり前の様に言われた所で、そんなものには土方は思い当たりはない。
 だが、事件と言う意味で検索すれば、記憶に容易くそれは浮かんだ。数時間前の記憶はあやふやな癖に、知識として得たものや日時に関わらぬ記憶は普通に思い出せるらしい。
 「え、ナニソレ…、つーかそう言うアレじゃなくてもっとこう、アレなアレって感じの…、」
 事件、などと物騒な単語にされた事に、どこか呆気に取られた様にもごもごと言う銀時に、土方は小さく息を吐いてから口を開いた。
 「『筺』事件って通称されてる。聞き覚えは?」
 我知らず、問う調子は事務的な警察の様になり、銀時は無言の侭に頭を左右に振った。





何かしないと出られない部屋に閉じ込められた俺とツンデレ彼との同棲生活(ラノベ風副題(嘘

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