ハコの中の空 / 5 はこ。と、大真面目に土方の口にした言葉を口中で転がしてみる。 箱。筺。匣。函。まあ字面は何でも良いが、その言葉から連想されるものはと言えば、ありきたりなものだろう。物を容れる為の道具。大体の場合は六面体を想像する。その内一面は蓋だ。 日常生活でも何でも、箱と言う名称で呼ばれる物品に触れずに過ごす事などまず無い。角張った物体を見たら地獄に堕ちるとかそう言う訳の解らない宗教にでも関わってでもいない限りは。 菓子の箱も、筆記用具を仕舞う筆箱もそうだし、解釈を広げれば衣類を入れる箪笥も箱の様なものだ。とにかく、人類が遍く当たり前の様に利用するのが箱と言う道具だ。 然しそれだけ生活に密着していると言って良い物品を指す言葉も、『事件』などと言う言葉には易々とは結びつくものではない。何しろ、普通ならば箱と言う道具はそれそのものが犯罪に於ける凶器やら助けやらになる訳ではないからだ。寧ろ箱の中身が凶器の収納場所だと言うケースの方が圧倒的に多いだろう。 箱を凶器に犯罪を犯すなど、難易度が高すぎる。突発的に手に取った得物がそれだったか、或いは事故でも装うべく入念に仕掛けを施したか。 事件。『筺』+事件。大凡結びつきそうもない二つの単語から、その意味や内容を想像するのは難しい。だから銀時は早々に諦めてかぶりを振った。無駄な妄想を幾ら連ねた所でどうしようもないからだ。 すると土方は眉間にやや深めの皺を寄せながら、慎重に言葉を探す様な素振りで唇を数回動かしかけて、それから溜息をついた。懐を探って煙草を取り出すと、いいか?とでも問う様に銀時の方を見て寄越す。 視線を受けて銀時は室内を見遣る。換気の出来る類の隙間も窓も見当たらないが、こうして二人共に呼吸が何の支障もなく出来ている以上、まるきり密閉された空間と言う訳では無いのだろう。 多少煙いかも知れないが、まあ別に良いかと思って頷きを返すと、土方は無言で煙草を一本咥えて火を点けた。余程にフラストレーションが溜まっていたのか、旨そうに吸った息を吐く。 「……で?」 一服、と言える程度の時間は待ってやってからそう問えば、土方は煙草を唇の間で軽く揺らしてから、壁に預けていた背を少し戻した。 「……まず、事件とは言ったが、真選組の関わったもんじゃねェ。況してや俺が直接に見聞きしたって事でもねェ。警察内での噂話程度や、調書を少しだけ斜め読みした程度の事しか知らねェ。だが、機密って程じゃねェが、易々口に出すのは憚られる性質のもんだ。それを了解した上で聞け」 「……」 どうやら、聞かないと言う選択肢は無いらしい。尤も、「なんか面倒そうだし聞きたくない」とごねた所で現状が変わる訳でもない。それに万一にでも、暇潰しか、ヒントか、とにかく何か進展になるものならば、聞かないと言う選択肢は無い。 無言の銀時の態度を、了解と取ったのか。土方は一度大きめの吐息をついてから口を開いた。 「…さて。どこから説明したもんか…」 * ある所に、二人の男女が居た。 江戸に来てから出会った二人は、もうじき祝言を上げる仲で、正しく幸せの中に居た。 だが、ある時女の様子が、男と出掛けて帰って来た夜からおかしくなった。鬱ぎ込んで、時に錯乱した様になって、そして、女の異変に家族が気づいた時には、彼女は自ら命を断っていた。 死因は飛び降りに因る全身打撲。遺書は無く、ただの婚前の鬱だろうと判断された。 男の方は行方不明だった。職場に連絡も入れず、女と出掛けたその日から姿を消したと言う。 女の自殺は明らかに単独での、突発的な行動の様に見えた。だから警察も、事件性はなく、二人が喧嘩でもして悲しい別れを遂げたのではないかと類推するにとどめた。 実際、男女の痴情の縺れに因る突発的な犯罪や事件は多い。そんな一つだろうと思われた。遺族も、そうとしか思うほかなかった。 だが、女の死から数ヶ月が経過した頃、行方不明だった男が警察の門を叩いた。 男は失踪した訳ではなく、郷里に帰っていただけであった。江戸に戻った彼は、ニュースにすらならなかった女の死を知り、警察を訪ねて来たのだ。 男は言った。 『彼女が死んだ責任は自分にもあるのかも知れない』と。 自供かと当初は思われた。何か、遠隔的な手段でも用いて女を飛び降りさせたのか、現場に居合わせ突き落としたのではないかと、自殺は一気に事件の疑いを孕んだ。 然し、男は女の飛び降りた時間には郷里に居て、親類縁者ではない村人たちにその存在を確かに確認されている。男の郷里から江戸までの交通網の監視カメラにも利用記録にも男の痕跡は一切発見されなかった。 矢張り事件性は無い。だが、男は女の死を自らの責任と言う。 男の口にした『話』──それは一応決まり通りに調書に記されはしたが、余りに荒唐無稽で、意味が解らないものでしかなかった。その『話』からでは、女の死の責任は男に問う事はとても出来ず、『話』を額面通り受け取ったとして、それが女の死の遠因にはなったやも知れないが、現状の法律ではそれは何の罪にもならない。 男は言い置いた。自分と彼女は或いは狂って仕舞っただけなのかも知れないと。 何度も躊躇いながらも。信じては貰えない。自分だって警察の立場だったら信じやしない、と皮肉げな言葉を交えながらも。 そしてその『話』は、男の世迷い言として処理された。調書そのものは残されたが、男には良い病院へ行く事を紹介するにとどめて、罪にも責任も問わず、帰らせた。 その『話』がそこで終わっていればそれはそれで良かったのかも知れない。 だが、数日後には男もまた、女と同じ場所での死を迎えた。同じく自殺と言う方法の死に、今度は遺書が残されていた。それにはただただ、女への謝罪と、自分の残した『話』がただの狂気かそれとも現実なのかを問う言葉とが連ねられていた。 後味は悪いが、これもまた、ただの男女の仲が拗れた挙げ句の、後追い自殺として処理された。 土方が調書とそこに記された『話』とを目にしたのはその頃だった。起きた事そのものはありきたりであろうが、奇妙な点が散見出来た事で、念の為に大掛かりな犯罪が潜んではいないかと少し裏を探る程度の仕事であった。 結果的に何の『裏』も無かった。宗教絡みや思想絡みの面倒な事態を引っ張り出さなくて済んだ事に、警察としては安堵したのだが──、 その数週間後から数ヶ月程度の間に、警察の施設内の保管庫から、件の調書が忽然と消えていたと言う報告が入ったのだった。 * 「…………なぁそれホラー的な何か?いや別に怖いとかねーけど」 土方の語り調子は別段勿体ぶった感じでも、イナガワな怪談の様にじわじわと迫る様なものでもなかったのだが、何となく薄ら寒さを覚えて、銀時は恐る恐るそう問いた。 「馬鹿か。存在の不確かな半透明なもんより、生きた人間の方が怖ェって話だろうが」 すれば土方は呆れた様にそう、吐いた煙と共に投げて寄越した。随分と短くなって、もうフィルターのぎりぎりまで燃え尽きた煙草を名残惜しそうに見つめた彼は、忌々しそうに舌打ちをすると、携帯灰皿の中へと吸い殻を放り込んだ。かぶりを振る。 「その男ってのが実はもう死んでいましたとかそう言うオチじゃねェさ。寧ろそっちの方が都市伝説的には収まりが良かったのかも知れねェがな」 「都市伝説?」 「ああ。生憎と調書は今言った通りに残っちゃいねェんだが、内容を覚えている限り思い出してみりゃァ、どうも他にも幾つか、似た様な、全然違う様な、それこそ『世迷い言』じみた『話』があるらしいってんでな」 肩を竦めて言う土方の言い種はどこか捨て鉢であった。都市伝説、と自分でそう口にしてはみたものの、銀時に鸚鵡返しにされた事で、改めてその信憑性や内容に何か思う所があったのだろうか。 「……で。肝心の男の、調書に記されたって『話』?その内容はどんなのよ」 どうもそちらが話としては本題の様な気がする。寧ろ今までの話は全く『筺』事件と言う言葉の確信にどころか名称にすら触れていない。 だが、同時にその内容とやら、こそが、土方の口を重くしているのだろうが。 それこそ件の男の口にした通りに、狂っている、としか思えない──世迷い言じみたものなのである事は、想像するに易い。だからこそ、こんな状況下で大真面目に論じるのは嫌だとでも思ったのか。続きを促す銀時をちらりと見て、土方は腕を組んで目を閉じた。盛大な嘆息をひとつ。 「………簡単に言や、まるで戯れの様な課題を解放の条件にした密室に、閉じ込められたって体験談だ。調書や記録として残ってるもんは数件だが、個々の類似性からその密室の事を警察では『筺』と称した」 「やっぱりアレじゃねーか!だからそれ要するに『○○するまで出られません』系の部屋って事だろーが!」 大真面目な顏をして言う土方に、思わず銀時は叫んで食ってかかっていた。回りくどくあれやこれや言った挙げ句に話が元に戻っている──どころか一歩も進んでいない。 だが土方は、叫び散らす銀時を前に眉を寄せてあっさりと言う。 「だから、そのてめぇの言う『アレ』ってのは知らねェってんだろ。系のとか言われた所で、そんなに世の中に浸透している現象の訳ねェだろうが。事件だぞ、事件」 人死にも出てんだ、と続けられた言葉に、銀時もぐっと言葉を詰まらせた。 確かに、銀時の知る『アレ』と一括りに出来る様な、『○○するまで出られません』系の部屋や空間は、もっとこう、どちらかと言えば笑い話で済む様なものだ。どちらかと言わずとも、メタ的なものやら、二次的な創作的な世界では少なくともそうなっている。…とかなんとか。 (いやどこの世界の情報だよとかそう言う野暮な事は言っても仕方ねェ…、) やり場のない、何とももどかしい感情を、眉間を揉んで何とか飲み込みながら、銀時はふと頭に引っかかった言葉を拾い直した。 「……事件?都市伝説って括れる程度には、そう言った『事件』があるって?」 少なくとも、銀時の認識で『○○するまで出られません』系の部屋、と分類出来そうな『筺』事件とやらは、そんな名を冠する程度には数が確認されていると言う事だ。 「…………言った通り、『事件』さ。つまりは『筺』に被害者を閉じ込めていた、明確な犯人は居る。……いや、居た」 「……」 銀時はそこで漸く、土方の余りに捨て鉢な言い種や態度の、本当の意味する所を知った気がした。 思えば、それがどんなに荒唐無稽で、狂人の世迷い言としか思えない『話』であったとして、語るのに躊躇いがある筈もない。 何故ならこの、今銀時と土方とが置かれた状況こそが、その荒唐無稽な『話』そのものでしかないのだ。 同じ様な前例があるならば、その『話』をすればいいだけだ。条件つきの密室に閉じ込められている、実際の、現状では誰も「そんな馬鹿な」などと一笑に付しは出来まい。 つまり、土方の口が重いその理由は。 「事件を起こしていた犯人は『居た』。確かにな。……だが、」 もう、死んでいる。 続く土方の言葉を、銀時は何処か呆然とした意識の中で聞いていた。 死んでいる。だから、もうこんな事は起きる筈が無かったのだ── そう更に続くのだろう言葉を、曖昧に引き攣った笑みの中で。ただ。 メタなのはgntmお約束みたいなものなので深く気にせず…。 ← : → |