ハコの中の空 / 6



 現世と完全に切り離された空間を『造る』事が出来ると語った彼は、酷く疲れた様子であったと言う。
 男は天人で、それもかなり特異な異能の持ち主であった。
 元々彼の種族は魔法の様な能力を持つ、宇宙でも稀有な存在だったと言う。その能力に目を付けられ、戦争や政争に散々利用され、機密保持や人質で元々少なかった人数を減らされた挙げ句、連合に『保護』される事となり、ほぼ監視下に置かれた居住区(コロニー)の内部で細々と命脈を保っている。
 そんな種族の中での更に特異な能力を持った彼は、どう言った手段を用いられてか『外』へと連れ出されて『仕事』を与えられた。地球と言う、名すら知らなかった辺境の惑星に幽閉され、雇い主の連れてきた依頼人にオーダーされた通りの空間を造る。
 それは『筺』程度の小さな、小さな空間だ。条件と言う鍵を掛けられる、小さな空間。人がひとりふたり過ごせる程度の『筺』。
 依頼人のオーダーはその時々で様々だった。だが、犯罪行為を伴う様な条件である事が圧倒的に多かったと言う。例えば、『筺』の内の二人のどちらかが死ななければ解放されない、と言った具合に。

 *

 そう土方の説明する『筺』とやらは、矢張り銀時の知る、所謂お約束の『○○するまで出られません』と言う認識で間違いは無い様だった。それを人為的に構築する様な能力があるなどと言う話は眉唾だが、市井でそう言ったお約束的な『お話』が出来る程度にはそう言った事象の実績──蓋然性があったと言う事なのだろう。
 それが噂話や都市伝説となっていた、と言う話であれば大いに頷けはする。
 (そんな、曰くの、『筺』とやらに閉じ込められたとして──、)
 重たくなる胸を抑えて、銀時は頭を乱暴な仕草で掻いた。
 「万事屋もそれなり恨みとか買うけどさぁ…、こんな真似までされる謂われは流石にねぇと思うんだよね。況してやどっちかを殺すとか、そんな犯罪を犯させようなんての、やっぱ銀さんじゃなくておめーの方にこそ心当たり、あるんじゃねェの?」
 「な、」
 唐突に放られた責任の所在に、矢張り土方は驚いた様に顏を起こした。その口から二本目の、まだ長さの残る煙草が落ちる。思いもよらぬ事を言われた、と言いたげなその表情の物語るところは間違いなく憤慨なのだろう。法と規範を守ると言う大義名分を与えられた役職の者にとってはさぞや腹立たしい事だろうとは思う。況してや土方当人は露骨に銀時の事を疑ってかかっていたのだから尚更だ。
 だが、そんな他者の感情を慎重に汲んでやれる程には、銀時にも余裕が無い。訳の解らない事態に余り役には立たない様な話。進展しない状況。進まない理解。
 そろそろそれらをひとまとめにした苛立ちが嵩んでいた。いい加減に己の身の丈どころか忍耐の喫水線を超えそうだ。
 「ただでさえ、嫌われ役の警察な訳だし?上司の命を毎日の様に狙う物騒な部下も居るし?内も外も敵だらけだろ、おめーは」
 客観的に見れば、密かに思う相手と二人きりで狭い部屋に閉じ込められた、などと言う状況になれば、ラッキーだの吊り橋効果だのと思うのかも知れない。
 だが生憎と現実はそんな生ぬるいものではない。なかった。甘い空気どころか、協力して切り抜けるとか言う話に至る以前に、土方の方が端から銀時に向けたのは疑いの眼差し。そして多少なりともヒントになるやも知れない話でさえ、機密だの何だのと先に置かれるから、核心さえ容易く触れさせては貰えないのだ。
 銀時としては、知らぬ仲でも最早ないのだし、もう少し歩み寄って、腹を割っても良いだろうと思うのだ。仲良くとか役得とか、そんな美味しい境地に至らないまでも、せめて心ぐらい開いて欲しい。
 「………」
 (…まぁ、真っ向からそう抗議出来ねぇから、こうやって遠回しに土方に攻撃をしちまう訳で…、)
 余程に銀時の文句が痛烈に響いたのか、煙草をその場で靴底で潰した侭の姿勢で土方は俯いた。項垂れる黒髪の頭部をちらと見て、銀時は密かに嘆息する。自分も大概だとは解っている。そうでなければこんな、拗らせたオッさんの片思いなどいつまでも保ってはいまい。
 呉越同舟だのと尤もらしい建前などを挟まず素直に、協力して何とかしよう、と一言口に出来れば良いだけなのだろうが。そう素直に歩み寄れる余裕なんて、何故だろうか生じそうな気がしなかった。
 「……すまねぇ」
 苛立ちの合間に湧く思考は、余り現実に即していない気がする。それは果たして何故なのか。首を捻りかけた所で突如そんな声が聞こえた気がして、銀時はぱちりとまばたきをした。
 「え?」
 「…一理ある。巻き込んじまったんだとしたら、すまねェとしか言い様がねぇ…」
 「え」
 重ねられた言葉は、紛れもなく謝罪を表すものであった。銀時は思わず聞き間違いの可能性を模索する。
 あの、自尊心の高く、自分からでは負けを認めない、負けず嫌いの度合いは銀時より重度の土方が、俯いた侭──ひょっとしたら頭を下げていたのかも知れない──、謝罪の言葉を口にしている。
 (いや、待って?!そこはおめーなら、人の事は言えねぇだろこの無職予備軍が、とか悪態投げ返す所だろォォ?!何素直に謝ってくれちゃってんの?!何おめーの方から歩み寄り易くとかしてくれちゃってんの?!)
 「い、いやあの?」
 「一応は事件って呼べる話で、それに類似してる事態ってのは間違いねぇんだ。てめぇを疑ったのも筋違いだった。ただの八つ当たりだった。それも本当にすまねぇと思ってる」
 三度も重ねられた謝罪──しかも結構に真剣なトーンである──を前に、銀時は己で思っていたよりも激しく動揺していた。ただでさえ、それこそ八つ当たりから出た絡み調子だった売り言葉に、真っ向から謝罪されたと言うだけでも気まずいと言うか居た堪れないと言うのに。
 「いや…、その、良いから。そー言うの取り敢えず良いから。ホラさ、円滑に解決する為にもお互い、蟠りとか捨てて協力すりゃいいんじゃねェかなぁって…、そうだよ協力。協力しようか!」
 しどろもどろになりかかる言葉を無理矢理に着地させた所で、銀時はぽんと手を打った。単なる適当な勢いではあったが、何とか当初の目的に無難に辿り着いた。
 「…協力」
 項垂れていた頭部をのろりと起こした土方が呟く。その調子は冴えなかったが、構わずに銀時は矢継ぎ早に続けた。
 「事件って体なら、おめーの方が多分に俺よりは詳しいんだろ?俺は言った通り都市伝説以上の事は知らねぇけど、なんかこうさ、その『筺』事件とやら、機密とかさておいてもっと詳しく話してくんねェ?何かヒントになるかも知れねぇし…」
 相手の弱みを衝いておいてから譲歩する様な言い種を向けるなど、冷静になって思えばなかなかに酷いやり口なのだが、気にしなかったのか気付かなかったのか、それとも単に埒が明かないと思っただけか、土方は冴えの悪い表情の侭でゆっくりと口を開いた。
 「……被害者と思しき連中の、事件どころか調書にもなっていねェ、自称『体験談』程度と、件の天人の供述程度だが」
 言いながら、座った侭に吸い殻を踏みしだいていた靴底を持ち上げる。潰れた紙巻きがぽろりと崩れて落ちるフローリングの上。『室内』と思えばそれは余りに無作法な行動でしかなかったが、初めから靴履きで居た為にだろうか、余り違和感は憶えない。
 ──或いは、この『部屋』が──、
 「一つ。部屋の中には外部から一切手は出せない。これを作った張本人にさえ。
 一つ。部屋の中は完全に外部とは分断された空間となっている。外に出ても時差は生じない。部屋が一種の停滞した異次元にあるのか、人間の尺度では測り切れないぐらいにゆっくりと時間が流れているのかは解らねェが、要するに行方不明として事件が露見する事はまず無ぇ。結果的に行方不明になっているのかどうかは、中の者が外に出られねェ限り解らねぇんだからどうしようもねェ。
 一つ。部屋の中に保持された物質は一定時間で最初の状態に戻る。怪我は治るし排泄も空腹も感じない。但し記憶は消えたりしない」
 (…この、部屋、が)
 座る床の底からじわりと躙り寄る様な嫌な感覚が、胸の裡で澱の様に重さを増した気がした。銀時は我知らず額に滲んでいた汗を、考えでもする様な素振りで拭う。意識のもっと深い所で何かが一瞬だけ像を作りかけた気がしたのだが、曖昧模糊なそれはすぐ様に形を失って消えて仕舞う。明瞭さの無いヴィジョンは、幼い記憶やイメージの様に現実味が無く、役に立つ様なものであるかどうかの選別も叶わない。
 「……一つ。提示された条件をクリアする以外には、部屋の内部から出る手段は一切無い」
 順番に指を立てて、己に言い聞かせる様にか、確認する様にか、やや硬い口調でそう連ねた土方は、思考にもならない所で佇む銀時へと、唇の片端を持ち上げてみせた。
 皮肉気だったが、弱々しくはない。お手上げだとでも言う様に両肩をそっと竦めながらも、彼はどこか挑戦的にわらう。
 『協力』すればこれをどうにでも出来る、と言う自信の顕れなのか──、
 『協力』してこれをどうにかしてやろう、と言う過信の顕れなのか──、
 「問題は、」
 
 『協力』があればこれもどうにかなる、と言う、信頼の顕れでなければ良い──
 
 「見た所この『部屋』にはその、解放の為の条件とやらが提示されてねェって事だな」
 言って、見回す壁も天井も床も、その何処にも、『鍵』がない。解法はない。
 ただひとつだけ、鎖と錠とで幾重にも閉ざされた、内側の『扉』の一つ以外には。





ただのアレ系の部屋のようでそうではない塩梅がですね…(言い訳

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