ハコの中の空 / 7 それで妙に熱心に部屋の中を探っていたのか、と、落ちた腑に嘆息しつつ、銀時は頭を突っ込んで覗き込んだ寝台の下を見回した。 何と言う事もない、木製の木枠にベッドマットが乗っているものだ。家具も販売しているホームセンターでよく見かける、お値段手頃な安っぽいつくりのものではないらしく、上に乗って少々飛び跳ねた所で耐久度に問題はなさそうだ。 「……まぁ、無ぇよなあ…」 「だろ」 先頃の家探しの段で既に土方も、今の銀時と同じ様にして確認している。この部屋──否、『筺』の中唯一の家具である寝台を調べない筈などない。そして、見落とすと言う可能性も。 寝台の下に突っ込んでいた首を抜いて言えば、土方が気のない相槌を投げて来る。その手元には、鞘にも納められていない彼の愛刀が転がっているが、その刃は刃毀れしてぼろぼろになって仕舞っている。 銀時は己の木刀をちらと見て、直ぐ様にかぶりを振った。宇宙産の、強度には自信のある一振りではあるが、恐らく無駄だとしか思えなかったからだ。 土方の刀を毀れさせたのは、出入り口と思しき扉を飾り立てていた鎖や錠前たちである。気合を入れて一閃しようが、幾度も力任せに打ち付けようが、火花が飛んで刃が毀れていくだけで、鎖も錠前も傷一つなく綺麗な侭だ。恐らくはこ『筺』同様に『そう言う』決まりで出来ているものなのだろう。 「…なぁオイ、その『筺』事件には以前もこう言うケースってあったのか?解放の条件が書いてないってパターン」 はぁー…、と盛大な溜息と共に手で顏を覆った銀時が寝台に座りながら問うのに、返るのはこちらもまた溜息。そしてどこか捨て鉢な、鼻を鳴らす笑い声。 「ケースも何も、参考に出来る程の先例が少ない上に、『解放条件が存在していなくて『筺』から出られていない』んだとしたら、それこそ誰も知る訳ねェで終わるんじゃねェのか?」 『筺』に閉じ込められた時点で外界とは別の次元とかに切り離されるんだとしたら、そもそも閉じ込められた人間が『消えた』事実さえ存在していないと言う事なのかも知れねぇが、と、ぼやく様に続けた土方は、立てた片膝に顎を乗せた。 そうして銀時を見るその目は「『協力』をしてこれが何とかなるのか?」と問いかけている様にも見えて、銀時は瞼を閉じる事で視界からそれを遮った。 ──解放条件が存在していない。 改めて至った結論に頭を掻き混ぜながら呻く。 「でもよ、それってフェアじゃねェだろ?迷路に出口がねェとか、ゲームにエンディングがねェとか、鯛焼きに餡が入ってねェってレベルじゃねぇ事だよな?詐欺みてーなもんだろ要するに」 「レベルとか言う割に極めて底辺レベルの譬えで言うかそこ?」 露骨な溜息と呆れの声に、土方がさも人を小馬鹿にした表情を浮かべている想像は易々とついたが、何とかそこに反撃する事は置いておこうと銀時が苦心していたら、先に続きが投げられる。 「そもそも、この『筺』に『必ず出口が無いといけません』ってルールがあるかどうかも定かじゃねェだろうが。てめぇの程度の低い譬えを借りんなら、鯛焼きに餡が入ってねェどころか、鯛焼きそのものが鯛の形状をしていねェとか、鯛焼き自体の存在がそもそも無いかも知れねぇって事だ」 「…そこわざわざ拾って鯛焼きで例える必要あった?」 「鯛焼きとか緊張感のねェ事を先に抜かしたのはてめぇの方だろうが」 ふん、とさも馬鹿馬鹿しいと言いたげな土方の言い種に、銀時は思わず寝台から腰を浮かせた。習慣の様に、土方の胸ぐらを掴んで、土方に胸ぐらを掴まれて、互いに下らない事で怒鳴り合う──いつもの、いつもの事であった筈の光景が過りかけて、 「………やめだやめ」 「あ?」 大きく息をつくなり元通り寝台にぼすりと座る銀時を、床に座った土方が睨みつけて来る。その表情筋に乗っているのが、憤りではなくもっと下らないものであると見て取った銀時は肩を竦めた。 「またこうやって苛立って喧嘩しても仕方ねェだろ。正直温厚な銀さんも苛々しっ放しだけどよ、それが解決方法から程遠いって事は解んだろ」 「…………」 「まぁ苛立ちの発散の為に一発殴り合うとしても、それは今じゃねェだろ。取り敢えず今は続きだ。おめーの知ってる限りの話、頼むわ。自称『体験談』が残されてるとか言ってただろ?」 「………………そうだな」 苛立ち、と。憂さ晴らしの喧嘩を安易に選びそうになった己に思う所でもあったのか、土方は珍しくも素直に銀時の言い分に頷いてみせた。 * 例えば。件の男女に起きたケース。 二人は幸せな逢瀬の帰り道、共に『筺』に閉じ込められた。 狭い部屋の中、出入り口らしき扉に解放条件として提示されたのは『互いに憎み合う事』。 愛し合う二人の心とは真逆になるそんな仕打ちを、一体誰が望んで依頼したのか。それは定かではない。 二人はまず憎み合う演技をした。だが、扉が開く事は無かった。 演技で放つ罵声が本気になって行くのは、恐怖や苛立ちが原因だとは解っていた。だが、そうする内に本当に互いを憎む事になるのではないかと怯えた二人は、裂いたシーツで首を吊って心中した。 然し二人は元通りに目覚めた。死ねなかったのではない。生き返った──或いは元通りになったのだ。 だが、死に際して味わった苦痛や恐怖はその侭に記憶に刻まれていた。 死は解放ではない。悟った二人は、暫くの間は互いに励まし合って互いを保ち続けた。二人が憎悪し合う事を望む奴が居るのであれば、それは、そいつの意の侭になっては堪るかと言う矜持でもあった。 閉ざされた空間。二人しか存在しない無限無窮の世界と言うのは正しく地獄であったと、男の語った言葉は、今もなお恐怖と絶望とが彼にこびりついている事をその侭に示していた。 永久に潰えぬ絶望に、互いを縛る愛と言う感情に、二人はどちらからともなく精神が参り始めていた。どれだけの時間が経ったのかなど解らないが、仕舞いには、男は女に暴力や暴言を振るう様になり、女も暴言をヒステリックに投げて喚き散らす様になった。自ら命も断った。少し経った時には元通りだったが。 意図せず、二人は望まれた通りの条件を──互いを憎み合うと言う事を叶えていたのだ。 そうして気づいた時にはそこから解放されていた。あの逢瀬の帰りの夜道に、二人は間違いなく同じ体験を共有した状態でへたり込んでいた。 もうあんな目に遭うのは御免だった。二人はその場で何も言わずバラバラに逃げ帰った。 おかしなもので、『筺』に閉じ込められてから何日も何ヶ月も何年も経過していた筈だと言うのに、実時間は何一つあの瞬間から変わっていなかった。閉じ込められている間に幾度も望んだ、描いた、幸せな夜道の、その続きだった。 ただ一つ異なっていたのは、二人の間には最早愛は存在せず、憎悪は消えども、憶えた絶望だけはその侭に残留し、道に続きなど無くなっていた事だけ。 あれは悪夢か何かだったのではないだろうか。思いながらも、男は逃げる様にして江戸を離れ帰郷した。夢だとして、悪夢だとして、彼女に会って、またあんな恐ろしい目に遭いたくはなかった。 然し、落ち着いてから江戸に戻ってみれば、彼女は自死したと言うではないか。あの別れの夜から幾日も経過しない内に、まるで何かから逃れようとしたかの様に。 強いて言えばそれは、己の内に焼き付けられた酷い絶望が原因だったのだろう。 そこで言葉を切った男は、自分も彼女もただいかれてしまっただけなのかも知れないと言いながらも、涙をこぼして頭を抱えて、懊悩した。 そして最終的には彼女の死した場所で同じ様にして命を断った。 果たして誰がこの男女にそう『筺』を仕向けたのか。互いを憎んで苦しんで、そうして死を選ばさせられた、そこまでされなければならない理由とは何だったと言うのか。 そもそも全てが只の戯言でしかない、『都市伝説』の一つであったのか。 そう疑念を抱かれつつも、男の証言は数少ない『筺』事件の記録として保存され、そうして消えた。 * 感じたのは、間延びさせられた様な奇妙な感覚がひとつ。 苛立って。言い合って。喧嘩しかかって。やめて。話して。また、苛立って。 (……あれ?今は、何度目…、だ……?) ビールは諦めて、床について、目覚めて、筺の裡。 筺の中のふたりは互いを○○○合うまで○○を繰り返した。 土方は刃は毀れぼろぼろになるまで鎖を切りつけて、その侭──、 「オイ、てめぇで訊いといて無視するとは良い度胸だな?」 「え」 はっとなって見れば、そこには土方の不機嫌そうな顏が。 (…目、醒まして。こいつ、起こして。それで脱出方法を探ってた最中じゃねェか…。そうだよ、永い時間閉じ込められたのは、件の男と女の話であって、俺らの事じゃねェだろうが…) 話を聞いている内に、我知らずこの奇妙な空間の所為で、呑まれて仕舞ったのだろうか。銀時は、頭から水でも被りたい心地になりながらも、誤魔化してへらりと笑った。 「大丈夫大丈夫聞いてるから。ちゃんと聞いてたから」 「……」 案の定土方は呆れでしかない眼差しを向けて寄越したが、文句や抗議は飲み込んだらしい。畳み掛ける様に銀時は続ける。 「んで、その男と女は実際どのぐらい『筺』に居たって?」 「さあな。本人も何日か何年かも解らねぇって言ってた様だしな。数えようにも、何をしても部屋の中も自分らも元通りになっちまうんだ。カレンダーに印を付ける作業の大事さを改めて実感出来る話だな」 「元通りか…それもそうか」 例えばシーツを一欠片ずつ切って行っても、自分の血で壁に正の字を刻んでも、何事も無くなって仕舞うのでは、本人の感覚しか数えるのに頼るものはない。そしてこんな異常な空間では、日時の経過なんてまともに数えていられる筈もない。そもそも『元通りになる』のが定期的に一日と言うカウントと言う保証がある訳でもないのだ。 (……数えもられずに巡るだけの日ってのは、ぞっとしねぇ話だなぁ…) 呻きながら銀時は、「続けても良いか?」と問う土方に頷いた。 メタ発言ではなく。 ← : → |