ハコの中の空 / 9



 閉じ込めると言う行為は思いの外に手間と労の要るものである。
 例えば誘拐。建前としては、拐かした人質が生きていてこそ交渉材料と言う価値に成り得るものなのだが、実際は(警察の把握している)殆どのケースで、『生きている』と言う証拠を示した後にはリスクを考え始末されている。
 一度でも見せ札として提示すれば、後はどうした所で犯人側の方が優位に主導するのだから、始末したと言う事実を隠してまんまと身代金を手に入れるだけでいい。犯人を目撃していると言う『生きた証拠』である被害者を解放する事に意味など無いからだ。
 生命を担保にする。生きているものをその侭に監禁する。それは手間でありリスクでしかない。生きている以上は新陳代謝がある。飢餓に脱水症状に排泄に睡眠。始末すると言う前提が無ければどうしたってそれらの面倒を見る必要が生じる。そしてそれらの何れも易々と片手間の様に行えるものでもない。下手をすれば人質の逃走や計画の失敗、イコール犯人たちの命運が尽きる事になりかねない。
 捕虜やストーキング目的での監禁、その他でも同じ事だ。
 生きて意思を持って動く生物をただただ閉じ込めると言う事は、余程の目的が無ければ考え難い。余りに不可解だ。
 この『筺』が時間の流れを無視するものであったとして。否、そうであれば尚更に。
 (『この中』に俺らを閉じ込める。その意味とか目的とか……、苦しんで死ねば良いなんて言う単純なもんじゃない気がしてならねェんだよなぁ…)
 思考に解答がある筈もない。何しろ直面している真っ最中の事だ。喉奥で諦め悪く暫し唸って、銀時は僅かに頭をもたげて扉を振り返った。
 鎖や錠前で執拗に閉ざされた扉。鍵穴など存在していないし、存在していたとして合う鍵は無い。手持ちの品で何とかピッキングを試みたところで同じ事だろう。鍵開けの技能の問題以前に、恐らくは『不可能』に出来ている。
 (まぁでも、扉があるって事は、それが出入り口って事なんだよな…?解放条件が見当たらない癖、扉がわざわざ存在しているって事ァ、どうにかそれを開ける事が出来る筈って事だろ…?)
 ぼす、と顎先をシーツに沈めて嘆息する。こんな思考も既に五回六回は軽くループしている。目元に浮いている気のする隈を、しょぼしょぼする目ごと擦りたいが、腕を動かすのは流石に気が引けるから出来ない。
 銀時の頭のほぼ真横には、仰向けですうすうと寝息を立てている土方の横顔がある筈だ。なんだか見てはいけない気がしているので、実際見て確認した訳ではないが。
 その目元を覆う様にして乗せた己の手は、余り重さをかけない様に僅かに浮かせる様にしているものだから、いい加減二の腕がぷるぷるとしている。何故こんな姿勢で寝かしつけたりしたのだと、今更自分の行動に対して愚痴った所で仕方がない。
 つまるところ、土方には「寝ろ」と言ったものの、肝心の銀時の方は全く眠れていなかった。最初の内こそ俯せに寝転んだ侭眠った振りをしていたのだが、よくよく意識してみれば己のすぐ横で想い人が眠っているのだ。しかも、精神的にも肉体的にも疲れ果てていると言う有り様で。
 なまじ目元を覆ってやったりした所為で、手のひらに息遣いは感じるし、体温も酷く近い。生殺しと言うには相応しくなさすぎる状況下である事は銀時とて理解しているが、コイゴコロと言うものは周囲の事態とは全く別のところで作用するものらしい。
 ただでさえ、変に意識して仕舞って熟睡出来る気もしなかったのが、より酷い…と言うかラッキーなのかさえもよく解らない状況である。
 そんな訳で、眠る事も動く事も出来ない銀時に出来る事はと言えば、ただただ思考をぐるぐると回し続ける事ぐらいであった。
 (拗らせた片思いが原因で眠れねェとか、小学生かよ…)
 そう考えると情けない事極まりない。発端も理由もよく解らない、降って湧いた閃きにも似た恋の自覚を正直に、正確に言い表せる様な年頃ではもう無いと言うのを、己で自覚出来る事が最も情けのない事だとも解ってはいるのだが。
 何しろ立派な大人になってからの自覚である。想いはただ初々しくて綺麗なだけとは到底言い難い。だからこそ余計に気が重くなる。自己嫌悪なんてしてみたところで意味などない、ただのポーズの様なものだ。
 昨日──恐らくは昨日の目覚めの時よりは緊張していない。少なくとも寄り添う(そんな可愛いものでは決して無いが)様にして横伏す程度の事には慣れたのだろうか。
 イヤ慣れてもいない。反芻して即座にそう思う。少なくとも小さな同じ空間で、これだけ近い距離に居る程度の事ならば、慣れようと思えば出来るかも知れない。己の自制心とかアレコレと相談の必要はありそうだが。
 (土方は……、まぁよく寝られるよな…)
 寝かしつけたのは誰あろう銀時自身なのだが、少し悔しい気持ちはしないでもない。目元を覆った腕から完全に力を抜く事さえ憚られているのは、コイゴコロがどうとか言うより単に、この眠りを妨げて仕舞いたくはないと思ったからなのかも知れない。
 脳だって人体の一部だ。思考と言う仕事をすれば疲労する。思考が混乱する程に悩む事があれば、眠って仕舞うと良いと言う。眠っている間に脳が勝手に思考の解れを整頓してくれるらしい。無論それで解答や結論が眠りから醒めた時に出来ると言う訳ではないが、少なくとも思考に疲れた脳よりはましな選択をとれるだろう。
 (昨日…つぅか、暫定昨日もなかなか目ェ覚まさなかったよな。やっぱ疲れてんのかね…?)
 余程面倒で厄介な依頼を負わない限りは、万事屋の生活は基本暇だ。今日は何するかな、と朝起きてご飯を箸でつつきながらそんな事を考えられる程度には。
 だが、まあ当然の事だろうが、警察である土方はそうは行くまい。以前魂が入れ替わると言う頓狂な事態に遭遇した時にそれはよく思い知っている。業務と義務と習慣とで雁字搦めになった彼は、それだからこそ己に確固たる自信を持てる程に『正しく』在れたのだろうとも。
 そんな生活が突然、訳の解らぬ理不尽の監禁(?)に因って乱され崩される。『筺』事件と言う思い当たりの背景も背負えば、確かに穏やかな心地でなどいられまい。
 (…だから、せめて眠りぐらいは穏やかに、って…?……はー。らしくもねェに程があんだろ、俺…)
 これもコイゴコロとやらのなせる業か、それとも単なる負い目か。
 時計や時間の解りそうな手がかりは一切無い『筺』──室内で一体どれだけ下らなく埒もない事を延々思考し続けて来たのか、具体的には知れないが、腕の疲労などを思えば五時間ぐらいは経過しただろうか。もっと少ないか、或いはもっと多いのかすら曖昧だ。
 (こんな所でも、か、こんな所だからこそ、か。穏やかに過ごして貰いてェとか…、出来ればいつもみてェに無益に言い争うんじゃなくて、仲良く協力してェとか…、)
 思った瞬間、ふっと腑に何かが落ちる様な感覚に腹の底が静かに冷えた気がして、銀時はシーツに額を押し付けた。鼻が潰されて痛んだが、構わずにかぶりを振る。
 先程──昨日だろうか──もこんな事があった気がする。曖昧でよく解らない感覚。或いは感情。
 「まぁ……、丁度良い時間って事にするか…」
 何時間こうしていたのか、何時間眠らせてやれたのかは解らない侭だ。それならいつ起きても同じなのだが、何だかそれは余り良くない事の様な気がする。
 まあ流石に二度目は殴られると言う事はあるまい。思って銀時は強張って痛む腕をそっと持ち上げた。
 瞼に白い蛍光灯の光が直接に当たるが、土方は眉間に僅かの皺を刻んだ侭、まだ眠っていた。朝かと勘違いして目を覚ますかとも思ったが、そうでもなかったらしい。
 「……土方」
 そっと呼ぶ声は多分に乾いていた。引き攣っていたかも知れない。
 無防備に眠る手足を押さえつけるのはきっと簡単だ。堅苦しい隊服を脱がして捨てるのも。きっと、簡単だ。
 横で眠っているだけで緊張やそわそわする意識を覚えて仕舞う、拗らせた恋。
 欲はある。だが、応えられたい気持ちもそれ以上か同じぐらいはある。だから、踏みとどまろうとしている。踏みとどまれる。
 自然と動いた手が、黒い前髪を梳いて額に触れた所で、ぱしりと止められた。瞠目し見下ろす銀時の視線の先で、土方は、流石に目を覚ましたらしい、どこか眠たげな表情で鬱陶しそうに、己に触れた手をぐいと除ける。
 「……どのぐらい、眠ってた?」
 「………はよ。さあ?具体的には解らねェから、手前ェの体内時計にでも訊くしかねェんじゃねぇの」
 やんわりとだが、払われる様に退けられた己の手をちらと見て、銀時は欠伸を噛み殺す仕草をしてみせながら、辛うじて静かにそう紡いだ。
 
 なぁ、お前今までさ。面倒そうに払った、触んなってばかりに退けた、その手の下で眠ってたんだよ?
 なんでその時振り払わなかったの。
 まるで夢でも醒めたみたいにさ。いや、全く醒めてなんてお互いいねェんだろうけど。
 
 物言いたげな視線だったと思う。だが、銀時は目を瞑って自分からそれを飲み込んだ。
 「日数や時間のカウントは印とかつけたって消えちまって出来ねェけど、記憶は保持されるんだっけ?」
 「…ああ」
 「じゃ、一応二日目って事か」
 例えばシーツを細かく刻んで並べる事で日数を数えた所で、物体が元通り復元して仕舞うと言うのであれば意味はない。銀時の溜息混じりの言葉に、土方も頭を掻きながら頷いた。
 「なぁ、日時の把握が大事とはこんな状況じゃ言っても仕方ねェけど、眠る時間つーかタイミングは二人共出来れば揃えねェ?」
 今俺は寝てねぇんだけどね、とは心の中でだけ続けてそう言った銀時に、土方は寝起きだけを由来とするのではなさそうな、不機嫌一歩手前の不可解さを表情筋で示して来る。
 「……それこそ、何か意味があるのか?」
 日時が解らないと言う以前に、この『中』で日時を正しくカウントする事は、逆に自分たちの精神状態を危うくしかねない。それは解る。
 解る、のだが──
 「朝起きて夜寝るとか、そう言う感じで。健全な、人間らしい生活っつーの?そう言うの、互いに守った方が良くねぇ?そりゃ、いつもの銀さんは眠たくなった眠る生活してますけど。それでも夜は寝るし朝は起きるだろ?おはようでおやすみが揃う方が、それで日数を数えるかどうかはさておいて、良いんじゃねぇかなって」
 腑の底で蟠る感情の味わいはきっと、舌に乗せてみるまでもなく不快であると言う予感はあった。だから銀時は殊更に軽い調子でそう口にした。
 真っ当ではない環境下での、至極真っ当に聞こえるルール。寝る時間起きる時間を揃えようと、ただそれだけの提案。大して悩む程の話でもない。
 だからなのか土方は、また銀時が障りのない適当に真っ当な言葉を口にしているだけだと判断したらしい。やや億劫そうな様子ではあったが、頷く。
 「まぁ…、互いに同じ状況の共有をしておいた方が、無駄な疑心も生まねェだろうし、別に構わねェが…、常にてめぇのだらけた生活時間に合わせて行動するってのは御免だからな?」
 「そりゃ勿論。昼寝と寝坊は含まねェで、基本的なおはようとおやすみだけは合わせようって事だから」
 「昼寝はするつもりかよ…こんな時だってのに暢気な野郎だ」
 手をひらりと振って言う銀時に、寝台から降りてストレッチめいた動きを始める土方が、昼寝と言う言葉についてか小声でなにやらぼやいているのが聞こえた気がしたが、銀時は聞こえないふりをして過ごした。







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