JULIA BIRD / 10



 幸い左肩を貫いた銃弾は貫通していたし、右手に刺さった短刀もそう大きなものでもなかった。どちらも両の腕を使い物にならなくする様な負傷でもなく、後に引く症状を齎すものでも無い。
 だから即日退院を土方が申し出たのはごく自然な流れだった。…のだが、念の為に検査を受けろだとか、事後処理の人手も間に合っているから気にせず休めだのと近藤に半ば強制的に押し切られ、土方は不満な入院生活二日目の朝を迎えていた。
 昨晩の内に適当な白紙に纏めておいた『報告』を、未だ朝も早い内から病室を訪れた山崎と近藤とに渡す。任務の上の報告書ではなく、飽く迄今回の経緯についての詳細な覚え書きに過ぎないものだが、現状土方が彼らに説明をする手段はそれしか無かった。
 紙の最後で、銀時への捜査協力と言う形での依頼料──報酬──を支払う様にと、妥当と思える金額の捻出を頼む事は忘れなかった。なかった、が、あれだけの血が流れ危険も伴った捕物に巻き込んでおいての対価、と考えると胸の何処かが重くなるのを禁じ得ない。
 理由は『一般人を巻き込んだ』単純な葛藤だけではない。銀時は強い人間ではあるが、覚悟と保証を以て集った真選組の隊士ではないからだ。尤も彼ら万事屋の荒事への関与の回数を思えば、全く覚悟がないと言う訳ではないだろうし、修羅場の潜り抜け方などにも慣れてはいるだろうが。
 (野郎が、なまじ強い…つうか頼り……、いや…、『使える』から、つい勘違いしそうになっていけねェ)
 思考の中で自然と浮かんだ銀時の、気の抜けた横顔に向けて言い訳めいた事を紡ぎながら、土方は包帯に包まれた掌の中でボールペンを弄んだ。見舞客用の小さな椅子に腰掛けた近藤と、その傍らに佇む山崎とは、そのボールペンで土方が刻んだ『報告』に、難しい顔を向けながら目を通している。
 その理由にも──或いは感情にも──気付いてはいたが、気付かない素振りで土方は二人の言葉ないし意見を待った。否、気付いている事を伝えたくとも、この役立たずの体は謝罪や言い訳のひとつすら土方に吐き出す事を許してくれはしないのだ。
 「……状況は解りました。見廻組の中に裏切り者が居るとなると、今回の件では納得の出来る部分も幾つかありますね。こちらも逮捕した生存者から証言を取りたい所ではあるんですが…、元々取引されそうだった品物が幕府直轄の工廠由来ですからね、盗難犯を発見する為の捜査の管轄はウチにある、と幕軍なんかが既に上に圧力を掛けに来てます。弁護士も貼り付いているしでこちらも取り調べとか手荒な真似をする訳にも行かないんですよ」
 やがて、先に口を開いた山崎が苦々しい調子を隠さず伝えて寄越したのは、土方にとってはそう予想外の事でもなかった。見廻組から出た不祥事が、幕府内に様々なパイプを持つ佐々木を易々擦り抜けて出て来れる筈もないとは端から承知だ。
 逆に、火消しにそこまで躍起になる以上、見廻組の何某が、攘夷浪士と繋がりを持ち幕軍の装備を盗ませたと言うのがほぼ確定的になったと見て良いだろうが。
 (だが、結局の所の問題は、証拠が何も無ェって事だ。死人は口を利きやしねェし、真実なんざ圧力に握り潰されるだけの空言でしか無ェ)
 銀時が気絶させたと言う見廻組の何某は、真選組が発見した時には既にトラックの荷室で他の気絶した仲間らと共に死んでいた。見事なまでの皆殺し──口封じだ。駆けつけて土方らと一戦を交えた連中が殺したとは、その致命となった銃創から判別されたが、大勢の死体の山の中では誰が犯人だと探す事も出来やしない。真選組が駆けつけるより先に殺されたのかと言う単純な時系列でさえも判然としていないのが、更に厄介な事実だ。
 例えば、見廻組が裏切り者の存在を察知し、取引相手の組織に内通者を忍び込ませていた可能性。或いは真選組の中に見廻組への協力者が潜んでいる可能性。仮説だけなら幾らでも浮かぶのだが、ここを余り突くと仕舞いには、彼らを最初に無力化した銀時が犯人であると言う事にもされかねない懸念があったので、余り突かぬ方が良いだろうと土方としては判断せざるを得なかった。
 何れにせよ、犯人捜しなどは無意味だ、と言う一定の諦念がそこにあったのも事実である。
 見廻組の裏切り者が、偶々に土方の独断捜査に入った渦中に居た。それは偶然でしかない事であり、裏切り者を泳がせ組織の一掃を狙っていたであろう見廻組にとっては正しく、余計な邪魔が入った、としか言い様のない事だったのだ。
 ──詰まる所は。
 「トシ。自分の事で焦っているお前の気持ちも解るが、幾ら焦った所で事態が好転する訳ではないと、これでよく解っただろう」
 「……」
 タイミング良くもそう放たれた近藤の言葉は、決して真っ向からの叱責では無かった。想像はしていたが、思いの外に響いた言葉の痛みに、土方は胸中でさえも反論を失って黙り込む。
 すまねぇ、と一つだけ浮かんだ言葉は有り体な謝罪ではあったが、声を発しない喉は勿論、手にしたボールペンでさえその言葉を紡ぐ事はなかった。音声ではなく文字にすればそれは、何と陳腐で無意味でそして誠意のないものであるのだろうと、感覚だけで思い知る。
 「キツい言い方ですが、なまじ副長が渦中に飛び込んで仕舞った事で、見廻組は真選組(うち)に対する有効札を一つ得たと言っても良い結果になりました。一方で、真選組(うち)が得たのは副長の負傷だけです」
 これがどう言う事か、解っていますか。
 口にはしないが、恐らくはそう続いたのだろう山崎の問いかけには辛辣な調子が込められていた。
 そしてその癖に、近藤も山崎も、頭ごなしに呵りつけはしないのだ。そうやって子供ではないのだから充分な分別はあるだろうと言い聞かせられる度に、土方は己の焦りと軽率さを羞じずにいられない。焦燥は当然の事だと思う反面で、ただの失態であるとも。
 「お前の焦りの生んだ独断は無意味だ」、「お前の所為でどれだけの人間が心配したか」、「巻き込まれた人間の事も考えろ」──浮かんだ罵声をその侭自分自身に受けて、土方は噛み締めた唇を隠す様に俯いた。
 分別も判断力もある。損害と利益と打算とを組み立てる頭もある。己の行動を悔いる訳ではないが、単純に愚かしいものだったと下すだけの実感もある。
 無いのは、聲だけだ。
 負傷などせずもう少し上手くやれていたら。独断の潜入行動を行うのであれば、己自身にだけ責任を持って全てを綺麗に片付けなければならない。余所にバレなければ違反は問題沙汰にはされないと言うのは、常にアウトロー寸前の所を利用する真選組ならではの手段である。
 故に土方にミスは許されなかった。バレなければ問題のない違反行動も、バレれば斯様なリスクを伴う。
 無論土方には失態を犯す心算などなかった。音声が出ないぐらいの事で問題はないと思っていた。ところが実際は問題も不便も浮き出るばかり。失態も、負傷も、銀時を巻き込んだのも、全ては土方の声が出ないと言う現状から起きた事だ。遡ればそれでさえも自身の過失から生じた事なのだから、最早慰めも言い訳も開き直りも出て来やしない。
 聲の出ない焦りから勝手に動いた、ら、逆に悪い方角へと進んでいった。今まで培ってきた、尊大なまでの自信も実績も、全てが崩れる程にあからさまに突きつけられたのが、失態とそのリスクの重さだった。
 「…………」
 すまない、と唇だけを小さく震わせる。──違う。謝罪だけでは何にもなりはしない。だが自責を憶えれば憶える程に土方は酷い焦燥に苛まれる。
 自己の失態を雪がねばと思えば思うだけ、不自由になって行く。縛られる事に萎縮と焦燥とを憶える。焦りは何を生むものではないと、これだけ雄弁に証明されながら猶。
 叫べない。弁解も出来ない。怒りも嘆きも、失態を雪ぐ知恵も。何も。
 「……取り敢えず、暫くの間は大人しく療養に努めてくれ。トシ、お前が本調子じゃねェと立ち行かん事は真選組には沢山あるんだからな」
 「……」
 笑い声を織り交ぜて、然しやんわりと釘を刺してくる近藤の顔を土方は見上げられぬ侭、小さく、それでもはっきりと頷いた。
 言い訳も弁解も出来ぬ身には、誠実さしか返せるものがない。羞じと悔しさとで軋む手の骨は、近藤が労う様にぽんぽんと背中を叩いてくれても、弛みそうもなかった。
 「それと、トラックの車内から副長が送って来た帳簿なんですが…、解読を進めれば見廻組の裏切り者の名前も出て来るかも知れないですが、」
 正直勧めはしない、と言いたげにそう寄越す山崎に、土方も応じてかぶりを振る。
 土方の拾って来た件の見廻組の裏切り者の警察手帳は未だ真選組の手の内だが、それ単体では何の証拠にも証明にもならない。そして見廻組が同じ警察とは言え別の組織である以上、内部監査の要請は告発でもある。そこまで踏み切れる確たるものが何も無い以上、喧嘩を売る行為はリスキーなだけだ。
 失態の見返りは無く、苦し紛れの牙も何にも刺さらず終わった。本当の意味で無意味だったか、と土方が疲れた様に密かな溜息をこぼしたその時、病室の扉が音を鳴らした。規則正しい、こつこつ、と言うノック音に押された様に、思わず山崎と近藤が顔を見合わせる。
 土方の今居る病室は一般の病室ではなく、最上階にある個室だ。一応は対テロなどと言う恨み言の渦中にある組織の局長と副長が同席する中だからと、廊下に警備の隊士を一人置いている。医師の回診でもないし看護婦が立ち入る事もない様に取りはからって貰っている。と、なるとこのノック音はその警備の隊士のものと言う事になるが。
 「はい?」
 三者を代表して声を上げたのは山崎だった。万一組織のトップ2を狙う様な不逞の輩が出た時の為、こう言う時返事をするのは近藤や土方以外の人間と言う事になっている。が、果たして扉の向こうから返答を寄越して来たのは見張りに立っている隊士の声だった。
 「すみません。副長にお見舞いと…、その、見廻組局長、殿が……」
 おずおずとした調子で紡がれる言葉に、は?と声にならぬ疑問を吐き出す土方の頭上で、またしても山崎と近藤とは顔を見合わせたが、直ぐに思い直して動き出す。近藤は部屋に備え付けてある来客用の椅子へと移動し、山崎は寝台と個室内とを仕切るカーテンを引いて、土方を完全に隔離させる態勢を取ると小声で、
 「副長は眠っていると言う事にしますから」
 そう早口に囁いてから、外に向かって「どうぞ」と声を掛ける。
 佐々木は土方が銀時を巻き込んで渦中に首を突っ込んだ挙げ句に負傷したと言う経緯を既に知っている(隠し様も無かったのだから致し方ないが)。だが土方が声を発する事が出来ないと言う現状までは知り得ていない筈だ。もしも土方の『不調』と言う何らかの情報を得ていたとしてもその確信や詳細は知らぬ侭だろう。
 だから土方は──真選組側としては、佐々木にそれを気取られる事は未だ望ましくない。土方は無言で山崎の言う通りにリクライニングを倒すと枕に側頭部を落とし、入り口の方に背を向ける形で布団の中へと潜り込み眠っている風情を装う。カーテンが引いてあるとは言え、無理矢理に中を覗かれないとも言い切れない。
 暫くは身動きせずとも構わない体勢を取った土方が目蓋を下ろした時、「失礼します」そんな聞き覚えのある、余り聞きたくもない男の声と共に病室の戸が開けられる音がした。
 「どうも、佐々木殿。わざわざこの様な所までいらっしゃるとは一体どの様なご用件ですかな」
 近藤が立ち上がり、曰く見舞客である佐々木を迎える声。応じる様にかつこつと、靴音を響かせ入室して来る気配は一つ。どうやら佐々木は一人の様だ。……少なくとも病室に入って来たのは一人だけ、と言う意味だが。
 「そう畏まらずとも結構ですよ近藤局長。私は見廻組局長ではなく土方さんの友人としてお見舞いに伺っただけですので。あ、これお花です。上流階級で流行りの百合の品種ですが、お気に召されればと思いまして」
 相変わらずの『無表情』な声が淡々とそう紡ぎ、がさごそと言う音と共に花の濃厚な香りが病室にふわりと漂い出した。咽せそうに濃い生花の香りは正直土方には好きな類のものでは無い。イヤガラセだろうかと思いながら、誰が気に召すか、と胸中で密かに悪態をついておく。
 「ご丁寧にどうも。ですが申し訳ありませんが、今副長は休んでおられまして…」
 「おや。それは残念ですね。まあ眠っている方をわざわざ起こすと言うのも忍びないので、土方さんへのご挨拶はまた次の機会にしましょうか」
 花束を押しつけられたらしい山崎が、顔を顰めるのも隠せない様な声で慇懃に言うのを佐々木はさらりと躱した。近藤と山崎の苦々しい表情が見ずとも浮かび、土方は胸中で彼らに心底同情する。
 あからさまに歓迎されていないと知れる病室の中で、然し佐々木の平然とした声は続く。椅子に腰掛けた気配は無いので、そう長居をする様子でも無さそうだったが。
 「実はですね。この様な所で無粋とは思いますが、件の土方さんの違法……失礼、違法ギリギリの捜査行動についてのお話をと思いまして」
 態とらしいそんな言い回しに、土方は臍を噛みたい心地で薄目を開けてカーテンの方を見遣る。矢張りイヤガラセが八割と言った所か。
 「…と、言いますと?」
 「件の組織に囮捜査として人員を潜入させていた見廻組(うち)と致しましては正直、迷惑と言わざるを得ない状況ではあるのですがね、幕軍の上層部の方も、組織の一部は潰せた事、盗難された品が戻った事の功績は確かであるとの見方を示している様でして。単独行動が何かと問題視されるのは事実ではありますが、それで成果が挙げられたのであれば良いだろうと言う認識なんですよ」
 (……よくもまあしゃあしゃあと)
 舌打ちしたい心地を堪えて、土方はカーテン越しの佐々木の無表情を想像し睨み付けた。
 盗難事件の渦中に在った幕軍側が事態の収拾を求めた事で、見廻組の造反者を、佐々木は本格的に『囮捜査』と言う『事実』にすると決め込んだらしい。双方──と、土方の単独行動と言う問題で立場の弱くなった真選組にとっても、それは当たり障りなく収まりの良い結果にはなる、が。
 「ですので、我々としましても本来ならば土方さんに直接『お話』をお伺いしなければならぬ所なのですが、その功績を認めるとまで言うお偉方の手前もありますし、不問にすると言う事になりました」
 上の人間が褒めた相手に審問を、となると何かと角が立つ。だからだ、と佐々木はさも辟易した様子でそう言ってはみせるが。
 「それは……、うちの不祥事に寛容なご決断、感謝します」
 僅かの衣擦れの音。固い声で言った近藤が頭を下げたのだろう。土方は不甲斐ない己に絶望的なまでの嫌悪感を得ながら、布団の下で掴んだシーツを思い切り握りしめた。噛み合わせた歯が音を立てぬ様、ぐっと目を閉じてひとときの激情を堪える。
 近藤は、真選組は、土方の単独行動と言う負い目が存在する以上、佐々木の言葉が寛容であれど慇懃であれど単なる嘘であれど、諾々と感謝を持って応じるほかないのだと、知らしめられる。
 下手に反論を紡ぐ事で、土方の声が出ないと言う所までが知れれば、それもまた負い目以上の負い目になり、真選組の負担としてのし掛かるのだ。
 近藤が堪えている事は、本来土方の負うべき自責でしかない。だからこそ、苦しく、無様で、悔しい。自らそれを受けられぬ事実が、土方の置かれた現状そのものであった。
 或いはそれ以上の。
 一方で見廻組にも裏切り者を出したと言う負い目がある。だから佐々木も敢えて強くは言わない。これが嘘であるから、不承不承に赦免と言いながらも過分な憤慨は見せない。遠回しに土方の事を責めながらも、身から出た錆を突かれるのは本意ではないのだ。
 (………酷い茶番だ)
 互いに弱味を抱えているが、同時にそれを問うも晒すも出来ぬと解っている。負い目があると言う意味では、真選組と見廻組の利害は確かに一致している。即ち『紳士協定』で互いにそれを無いものとして無用に詮索し合わない様にと言う事だ。
 佐々木のこの訪問は額面通りの見舞いなどでは無論無い。お互い様に痛い腹を探る必要はないのだから、痛み分けにしようと言う、佐々木からの譲歩であり提案である。
 真選組は件の見廻組隊士の警察手帳を手に入れてはいるが、それは見廻組から裏切り者が出たと云う確かな物証には成り得ない。囮捜査の人間なのだと言う佐々木の言い分を否定も肯定も出来ない、状況証拠でしかないものだから何のアドバンテージにもならない。それどころか、そこを衝けば逆に、土方の単独行動や一般人を巻き込んだ事を槍玉に挙げて責められかねないのだ。
 それは理解したのだろう。近藤が呻く様に小さく喉を鳴らす音が聞こえた。
 「それで。ご遺族にお返ししたいので、彼の警察手帳を返却して頂きたいのですが」
 続く佐々木のお願い──もとい取引に、土方は密かに溜息をついた。これでその状況証拠でさえ消えた。互いに痛い所を突き合う必要などないと言う一見親切な提案だが、それは同時に土方のした事と得た事とが無意味になると言う結論が定まったと言う事でもある。
 「……ふむ。そうですな」
 何でもない事の様に応じる姿勢を見せる近藤だが、その声音には隠せぬ苦さが滲み出ていた。その侭の声音が山崎に警察手帳の返却の指示を出すのを流し聞きしながら、土方は閉じた目蓋の下で己を詰った。それもまた無意味だと解ってはいたが。
 (クソが。結局、俺が全て足を引っ張ってるどころか、何をした所で、負担にしかなれねェ)
 無力感に感じたのは純粋な瞋恚だった。他者ではなく己への。叶うならば斬り殺してやりたい程の激情は、然し喉から何の悲鳴も罵声も上げられず、空虚に呼気だけを吐き出すばかり。
 佐々木は土方が起きている事など承知の上で居たのだろう。では、と暇を告げ動き出す靴音が、カーテンの傍でほんの数秒にも満たぬ間、動きを留める。
 「お花、綺麗なので飾って下さいね。それではお大事に」
 向けられた声と去る足音とに、土方は有り体に表情を歪めて奥歯を噛んだ。そんな事をせずとも悪態は口から出はしなかったが。恐らくは音声が正しく出ていたとしても、何も言えやしなかっただろう。
 言葉は無く。だが、聲は欲しかった。
 カーテン越しにでも、あの無表情が『嗤って』己を見下ろしているのだと、ただ確信していた。
 ようよう理解が実感となって身を苛む。悔いるも進むも無意味。無力で、愚かで、無意味。
 土方は己の人生に於いて初めて、己がただの役立たずの足手纏いと成り果てた事を実感し、其れを緩やかな絶望と知った。
 そして、真選組の副長と言うその肩書き(名)が、無価値と言う死因に屈して死したと強く感じるのだった。






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