JULIA BIRD / 16 いつも通り八時頃には出勤して来た新八は、いつもならば起こすまで眠っている筈の銀時が台所に──しかも二日酔いの気配も無しに──立っていた事と、いつもならば銀時の足置きの用しか為せていない机に向かう、いつもならば万事屋では見かける事なぞない姿とに大層驚きを隠せない様子で、問いたり慌てたり、説明になっていない端的な説明「真選組の連中からの依頼で暫く置く事になったけどあんま気にしなくて良いから。座敷童みてーなもんだから」にお約束通りにツッコんだりしていたが──、 依頼と言う言葉に加えて『声が出なくて屯所にいられない』『済まないが少しの間世話になる』と土方の書いた文面を読んで、幾つもの『いつもならば』有り得ないこの状況を納得する事にしたらしい。 土方がそんな冗談や嘘をつく様な人間ではない事、仲の悪さで有名な銀時がこの状況を平然と受け入れている事も、新八に速やかに必要とされた順応力を後押ししたのだろう。 「声が出ないって…、何か怪我や病気とかで…?大丈夫なんですか?」 躊躇いがちに新八が紡いだのは、お世辞にも実のある問いとは言えたものではなかったが、土方は子供の気遣いを無碍にする様な大人気の無さは見せず、正直に頷いてから、心配は無用だと言う態度を返した。驚いた事に、警戒心を解く為と安心を示す為なのだろうが柔い笑みに似た表情まで添えて。 三人分の朝食を卓の上に並べる合間にそんな遣り取りを見て仕舞った銀時は、昨晩から続く不思議──と言うより奇妙に過ぎる現状に輪を掛けておかしな有り様だと言う実感が増すのを感じていた。どう考えても『いつもならば』有り得ない、有り得る筈もない、想像でさえした事などない、そんな画が目の前にある。 それは土方が家に居る、と言う現状だけではない。見た事も無い様な面を新八に向けている、と言う所までを含む。 その土方は今、万事屋に宿を借りて世話になる以上、己に掛かる依頼料以外の諸経費──食費光熱費その他諸々含めた生活費等だ──の計算をすると『言って』、万事屋の帳簿に算盤片手に向かい始めた所だった。 銀時は帳簿なぞ付けていなかったのだが、現金の収支ぐらいは、と新八がちょこちょこと大学ノートに付けていたものが役立っているらしい。結構な事だ。 銀時としては適当に一日一律幾らで良いのではないかと思うのだが、日頃から組織の金銭の遣り繰りに悩まされている土方にとってはそうも行かない事だったらしい。金銭の計算など普通はトップに次ぐ副長位の仕事では無さそうなものだが、『鬼』の名前は財布の紐にもしっかりと働いている様だ。机に向かって黙々と筆を動かす姿だけを見れば、普段通りの土方の姿にしか見えない。 「あ、僕神楽ちゃん起こして来ますね」 ぽんと手を打った新八が小走りに納戸へ向かったのも、目前の仕事に打ち込む土方の様子に気易いものを大凡感じられなかったからだろう。張り詰めていると言う程ではないが、その横顔は真剣そのものと言った体だった。 或いは土方こそが、この奇妙な『いつもならば』有り得ない光景に馴染む事に苦心していたのかも知れない。 年頃の乙女の居る家に見知らぬ男を泊めるなんて! …とかなんとか。神楽は──どこぞのドラマの台詞なのか──芝居調子で憤慨して見せたが、依頼料で滞納分の家賃が片付くから三食デザートに酢昆布が付くぞ、と銀時が一言言い添えた途端に掌を返して応じた。 それならしょうがないアルな、と唇を尖らせて言う様からは、納得に至るにはまだ距離がありそうだったが──、これでも神楽は万事屋の仕事と言うものを心得てはいる。掌の返し方は余りにあっさりとしたものだったので、酢昆布に釣られたと言うのは恐らく建前だ。 土方が理由もなくここに預けられる様な事態は普通ではないと、新八同様の迅速な理解には至ったのだが、真正面から受け入れるには抵抗もあったし、依頼を受けた銀時にも当事者である土方にも気詰まりな思いをさせると感じて敢えてごねてみせたのだろう。神楽は一見子供っぽくがさつな様で、あれでなかなか侮れない娘なのだ。 尤も、如何に依頼とは言え、基本的に余り折り合いの宜しくない相手である。これがもしも沖田相手だったら依頼だろうが何だろうがごねた挙げ句取り敢えず一戦交えない事には、こうは行かなかった事だろう。 とは言え沖田ではなく土方だろうが、諸手を挙げて大歓迎と言う気はさらさら無い様で、朝食の間ずっと土方を牽制する様な態度を取ったり、(客がいるので)珍しくも数種類の食物の乗せられた皿を狙ったりしていたのだが。 だが、本調子ではない相手に対して無用に棘と毒を吐く心算は無いらしい。神楽は日頃から結構に口と態度の悪さが目立つが、それが土方への無闇な攻撃に使われる事は取り敢えず無かった。 万事屋として依頼を受ける以上、その分別はきちんと弁えてみせた神楽と、複雑そうな表情をしながらも大人しく『お願い』をする土方の姿とを交互に見た銀時は、図らずも新八と目を見合わせて仕舞った。 慣れない。 万事屋に今いる誰もがこの瞬間、ひょっとしなくても同じ事を考えていただろう、と、社長椅子に背を深く沈めた銀時がそんな事を思った丁度その横で、食後の茶を運んで来た新八が小さな声で、「なんか…不思議と言うか妙な光景ですよね」と呟くのが聞こえた。 常日頃、何かと出会う事や関わり合う事は多くとも、真選組に対して何処か遠い印象を抱いていたのは間違いない。関わるその都度距離感は異なってはいたが、基本的に(馬鹿ばかりだが)お役人様と一般市民。良く互いを知り、人間性にある種の確信さえ抱いているとは言っても、その途が時折交差する事はあれど決して同じ風には通る事はない。銀時にとっては概ねそんなものであった。 そんな『他人』の一人である土方が、万事屋と言う銀時らの住まうテリトリーの中に居て、一緒に朝食を摂って、神楽の軽口に困り果てた様に唇をへの字に歪めている。 そんな、確かに慣れない絵面ではあるのだが。 「まあな…。まあ仕事だからしゃーねェだろ。お前もあんま、喋れねェからって野郎を虐めてやんなよ」 「そんな事しませんよ銀さんじゃあるまいし。僕は別に嫌だとかそう言うんじゃなくて、大変だなって思っただけです」 「大変て、…そうだな、確かに色々苦労してるみてェだが」 大袈裟に眉を顰めてみせながら、新八はテーブルを挟んで神楽と睨み合っている土方の方をちらと見遣った。険悪な空気と言うよりじゃれ合っているだけの様なものだろう。互いにむきになっている様子ではない。 ホワイトボードにああだこうだと素早く書いて『言い返す』土方に、「なんだかアフ狼みたいアルな」と神楽が茶々を入れている。 「そうじゃないですよ。あの土方さんが真選組を離れなきゃいけない事って、よく考えなくても凄いイレギュラーな事な訳でしょう?」 「………」 新八をして「あの」と言わしめる、土方の真選組への思いや立ち位置は重要な要素だ。言い得て、土方と真選組とは切っても切れない存在であるのだ。 故に新八の言う懸念は、土方個人が、と言うよりも、真選組の現状は大丈夫なのか、と言った色が濃い。 真選組と言う組織が立ち行くかどうか、は銀時の関心の埒外だ。ここまで刀一本でやって来た様な連中はそうそうヤワではないと思ってはいるし、そうでもなければ土方が幾ら参っていたとは言え何も考え無しに離れる訳もないだろう。 「……ま。大丈夫だろ。つーか、アイツ一人が抜けただけで駄目になる様な組織だったら、そっちの方が俺ァ不安だね」 「それはそうですけど…」 言い淀む様な形で新八が折れると、銀時は机の上に投げ出した足を組んで椅子に深く腰を沈めた。それ以上の会話を拒む様に目蓋を閉じる。 土方は真選組を棄てた訳ではない。棄てられたと或いは感じているやも知れぬが。 実際、真選組側が土方の無断外泊を許した挙げ句その事実にさえ気付かなかったのは、土方が今まで程に必要とされていないからと言う取り方も出来る。それは当人曰くの、現場から遠ざけられたと言う事に起因したものなのだろうが、それにしたって少々薄情なのではないかと客観的には思わざるを得ない。 銀時の感じたそれは、果たしてただの解り易い義憤なのか。 殊更に同情や憐憫を抱くでもない心算でいたが、銀時は己で思うよりも土方に対して個人的な情を乗せて仕舞っていた。それには薄々と気付いてはいる。 個人的な情と言うのは、理解や同情の延長線なのか、もう少し意を違えたものなのか。疑問は浮かんだが、解答は出したくなかったのでそれ以上は考えずにおく事にした。 好意からでも憐れみからでもない。これは依頼だ。少なからずそう言い切っておいた方が、些か乾いてはいるが土方にとっても気が楽な事だろう。依頼と言えば金の遣り取りが発生するし、そうなれば依頼主と万事屋との間にも契約の上だけのものであると言う、単純な関係に収まれる。親切も同情も気遣いも、仕事上発生したものだと言い切る事が出来る。 ……尤も、どちらであったとしても、土方にとっては居慣れぬ生活を強いられる事に変わりはないのだろうが。 まあ、何はともあれ、である。 依頼と言う形で正式に土方を暫く万事屋に置く事になり、新八と神楽もそれに一応は納得を示してくれた。土方は慣れない場所での生活に居心地の悪さを憶えるやも知れないが、それは銀時たちの方とて同様だ。 慣れないのはお互い様。慣れたい……か、どうか解らないのもお互い様。 果たして土方はこの状況を──本人が一時でも離れたいと思っていた真選組から、罪悪を感じる様な事なく離れる事の叶った、その事実をどう受け止め感じているのだろうか。 今は目先の苦痛から逃れた事でほっとしているかも知れないが、それは自己への諦めから生じた刹那的な気休めの様なものだ。 ふと我に返った時、土方は一時でも真選組から遠ざかり遠ざけられた事をどう思うのか。 戻りたいと思うのだろうか。……思うだろう。 容易には『戻れ』ぬ事実はずっと土方の裡の理解として存在しているだろう。逃げる選択なぞ端から無い中では、『戻れ』る、『戻れ』ない、と言う二択の未来はほぼ決したも同然だ。 近藤は、土方に考える──覚悟を抱く猶予を与えたのだろう。優しい手心の決断は、逆に土方にとっては処刑までの日数を告げられたも同然の事だとも、恐らくは気付かずに。 土方はここでその覚悟を、じわじわと真綿で首を絞められる様にして、決めなければいけないのだ。真選組に戻る為に。聲の出ない己を諦める為に。 それでも、きっとその『声』は、泣く声は疎か、何をも語ってくれはしないのだろうけれど。 切れ目が宜しくなかったので進んでない上に短め…。 ← : → |