JULIA BIRD / 18



 ブーツを履いて、踵を三和土でこつこつと叩いて具合を確認する。その横でひょいと自らの靴の上に飛び降りた神楽が爪先を鳴らし、傘立てから愛用の傘を抜き取って歩き出す。玄関戸に手を掛けた新八がそれに合わせてからりと戸を開く。
 「行ってきます」
 「行ってくるネ」
 口々に言いながら、二人は晴れた空の下へと出て行く。その足音が階段の方へと向かって行ったのを確認してから、銀時は一度背後を振り返った。すれば、合わせた両袖の中で腕を組んでそこに佇んでいる土方と、目が合う。
 「まあそんな長くはかかんねェと思う。夕方までにゃ帰るわ」
 『ああ』
 「昼は下のバーさんに頼んであっから、適当に腹減った頃行ってくれや」
 『ああ、つーか毎回言わなくても解るわ』
 苦笑混じりの『返事』に、それもそうか、と態とらしく言いながらも、銀時は一連の奇妙な生活への慣れの無さを改めて拾い上げずにはいられない。
 土方を預かる『依頼』を請けてかれこれ二週間少々の時が経っている。
 土方は当初本人が決めた通り、山崎が一日にまとめて持って来る仕事を卓に積み上げ黙々とそれを消化する生活を続けていた。銀時や神楽が居間でごろごろしていようが、新八が部屋を掃除していようが変わらず構わず、何か行動をプログラムされた機械(からくり)の様に、毎日寸分違わぬ姿を見せている。
 かと言って他者の干渉をそれで拒絶していると言う訳ではない様で、音声と言うコミュニケーション手段が喪われていると言う厄介なハンデを抱えながらも、万事屋での生活にも漸く慣れた様だ。
 新八の淹れる茶にぎこちない礼の『返事』を返したりするし、余った紙を貰った神楽が傍で落書きに勤しんでいる様にほんの僅か目元を緩めたり、暇を持て余して昼寝を楽しむ銀時に辛辣な『言葉』をちょろっと投げて来たりもする。
 やり辛い舌戦になるのが億劫だったので咄嗟に『聞こえ』ていないフリをしたが、ひょっとしたらその時の土方は喧嘩の一つぐらいしてみたい気分だったのかも知れない。他者のテリトリーに収まって、そこの主と気易く馴れ合える様になった事は、借りてきた猫の様だった最初の内を思えば進歩と言えるのだろう。……土方の望んだ方角への進歩かどうか、と言えば、間違いなく違うのだろうけれど。
 依頼料や生活費が入るお陰で万事屋の懐事情は久々に潤っているし、きちんと一日三食を真っ当に腹に入れる事が出来ると言う点でもこれは『依頼』としては申し分なさすぎる内容だった。その見返りを思えば、声の出ない土方ひとりを預かる事ぐらい何と言う事もない。
 犬猫の様に付きっきりで面倒を見る必要も無いし、万事屋面々が依頼で家を空ける時も大人しく留守番をしている。依頼内容が少々グレーなものであっても弁えて余計な口を挟んだりはしない。黙って──黙るほかないと言うだけかも知れないが──見送っては、銀時らが帰宅するまで一人仕事に励んだり休んだりして過ごしている様だ。
 ただ、衆目に触れる所に単身で出掛けていく訳にはいかないからと基本家に篭もりきりになるのが少々堪えるらしく、時折断りを入れては銀時の木刀を借りて階下の路地裏で素振りなぞをしている。銀時も一応は依頼を請けた義務もあるので階段に腰を下ろしてそんな背中を見張っているが、何が起こる事も何の変化がある事もない。今のところは。
 それも、暇潰しと言うには実に慎ましいものだから、迷惑に感じる程に煩わされるものでもない。
 唯一の問題は、銀時らが依頼で家を空ける事になった時の土方の食事だったのだが、それは土方を預かる事が決まった時にお登勢に頼んでおいた。誰よりも世知に詳しい妖怪ババアは唐突な話にも、何故、とも訊かずにあっさりと請け負ってくれたので、少々胸を撫で下ろして仕舞った銀時だ。頼むついでに持っていった滞納分の家賃が効いたのかも知れないが。
 土方にもお登勢にも特に互いの様子なぞ伺った事は無いが、互いに何も言って寄越さない所を見るとどうやらそれなりに上手くやっているらしい。空気の読めるババアと機械(からくり)の看板娘は、ワケアリで文字通り『無言』の土方には気の楽な相手だったと言う事なのだろう。その例外に当たりそうなもう一人のネコミミ従業員が土方の刀の錆にならない事は祈っておくほかない。
 過干渉はしない。しなくとも事は流れる。それがこの二週間少々で銀時の得た感想と『依頼』に対する方向性であった。そしてそれは土方の側も同様だったらしい。
 こんな風に、出がけに三人が「いってきます」を告げて行くのは妙で、慣れない生活である事に変わりなどないと言うのに。それでもそれが、いつの間にか誰かの中でまるで当たり前の様な事になっていっている。
 見上げた土方の水の様な気配はただ無言でそこに在るだけだ。恐らくは銀時が何をも告げずに出て行った所で何も変わるまい。「いってらっしゃい」と言葉にならない見送る視線だけを背に受けて、人手急募の大工仕事に勤しむだけのこと。
 銀時の過分な干渉や個人的な感情を、土方は恐らく望みはすまい。何故なら銀時は土方にとって、偶さかに『事情』を知るに至り、頼り易かったと言うだけの存在だ。本来ならば犬猿の仲の相手なのだから、弱った有り様など死んでも見せたく無かった筈だろう。
 そんな矜持の高く意地の固い男が、これ以上本人の望まぬだろう弱い部分を晒す事を、厭だと思う気持ちと、それでも構うまいと思う気持ち、そんな相反するふたつの感情が銀時の裡にはいつからか灯っていた。
 前者は恐らく義憤。それは、部外者である銀時にも当然の様に知れている『事実』──真選組に只管に尽くして来た土方が、それを諦め、彼らにも諦められていると感じさせる事に因るものだ。……らしくない、とか、何でだ、とか。そう言う、苛立ちに属する様な感情。
 後者は、それだからこそもっと喚いて悲嘆に暮れてみても良いだろうに、と言う──身勝手な怒りと、憐憫。
 (……それって結局俺が、真選組の副長やってるアイツ以外は想像がつかねェって事だろ…?)
 黒地に銀縁の隊服。腰の刀。いっそ傲慢な程に誇り高く、無垢な子供の様に己の意志と得た使命とを信じ遵守する、侍。
 生き方が、その信念のはっきりとした人間は嫌いではない。だから、銀時は真選組の連中の事が嫌いではないのだ。
 ………或いは、"だから"だ。理解には至らない癖に、解ってやれる様な気がして、解ろうとして、それを叶えてやろうと思ったのだろう。俺だけはお前を──真選組の副長であるお前を理解してやれているのだと、伝えてやりたかったのだ。
 つまり、土方を見る銀時の目に宿った個人的な情は、身勝手な願望であると言えた。
 感情の向いた先を、伝えたいのだろう言葉を紡ぐ聲を理解してやろうと、読もうとして、注意深く土方の事を観察すればするだけ、益々に感情の深みへと填って行く。真選組に対する憤慨で己の感情を正当化しようとしては、無意味であると気付いて止める。
 だから。……これもまた、"だから"、だ。『依頼』であって、過干渉はしないでおく。
 望まれてなどいない。きっとそれは恐らく正しい事だと言う確信だけは違えようもない程はっきりと知っている。
 こつん、ともう一度踵で地面を叩いて、銀時はそっと立ち上がった。
 近いけれど全く近くはないのだろう、彼我の距離を頭半分だけ振り返って、ひらりと手を振る。
 この空隙が埋まる事はあるのだろうか。望む事が、望まれる事が、果たして有り得るのだろうか。
 「じゃ、行ってくらァ」
 勝算はない。──"だから"、
 土方の唇が開きかけるのを見るや、直ぐ様に前を向いて、銀時は玄関を抜けた。きん、と目に飛び込んで来た朝日の柔らかな眩しさに目を眇めるより先に、そこから目をそっと逸らす。
 『ああ。行って来い』
 閉ざした扉に遮られて、それでもはっきりと『聞こえ』ると解るのが、──慣れない。
 慣れない、と思いたい感情が。『慣れない』。
 



切れ目がまたしても…。

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