JULIA BIRD / 21 新八が家に帰り、神楽が欠伸を噛みながら定春と共に納戸の押し入れに消えた後。 銀時は点けてあったテレビを消して、風呂から上がって来た土方にソファで待っている様に言い置いて台所へ入った。 予め皮を剥いて塩胡椒を振って刻んでおいたジャガイモとピザ用のチーズを水で溶いたお好み焼き粉に放り込み、卵を加えてざっくり混ぜてからフライパンに少量ずつ落として焼き上げる。 ジャガイモは夕飯に使ったベーコン炒めの余りを確保しておいたやつで、粉物は長持ちするのもあっていざと言う時の為に買い込んであった分だ。 裏表に返して強火に掛けたら蓋を落として、皿を用意しながら暫し待てばやがて香ばしい匂いが漂い始める。 火を止めて、焼き上がった食材を皿に移してソースとケチャップを混ぜたタレを満遍なく掛ければ完成だ。皿と一緒にマヨネーズを手にして居間へ向かえば、土方は言われた通りソファに座して待っていた。テーブルの前に向かう銀時か、その手にした皿にか、視線を向けてくる。 皿を置いたら台所に取って返し、冷蔵庫から缶ビール二本を取って来て一本を土方に放り、銀時はその向かいにどかりと腰を下ろした。 「じゃ、飲みますか」 言って、缶をぷしりと開ければ土方もそれに倣う。どちらともなく缶を相手の方へ少し傾け、乾杯に似た仕草をすれば自然と柔く笑みがこぼれた。 喉を下る久々の酒の味に、「くぅ、」と思わず声が出る。今回の『依頼』を受けて向こう、深夜まで飲み屋で管を巻く訳にもいかず、かと言って家で消沈して見える土方を余所に飲む事も出来なかったので、銀時がこうしてリラックスして酒を煽るのは本当に久し振りの事と言えた。 見れば土方も同じ様な心地だったらしく、声の無い溜息をついている。その目元から過分な力が抜けているのに気付けば、銀時はなんだかこそばゆい様な心地になるのだった。 その内箸を手に取った土方が、皿に乗せられたつまみを示して『これは?』と問いて来るのに、 「あり合わせで悪ィけど、夕飯の残りとかで焼いたエコつまみ」 そう説明を添えてやれば、じっと銀時の顔を見ながら聞いていた土方は得心を示す様に頷いてから、箸で一口摘んだ。咀嚼の間を置いてから、次にはマヨネーズを手に取り、皿の隅に遠慮なく絞り出す。 出したマヨネーズを付けながら、香ばしく焼けた料理を頬張る様子から見ると、まあ気に入ってくれたのではないかと思う。相変わらず、あれでは元の味など解らなそうだが、元々の味付けなどないに等しいスナック感覚のものだから別に構うまい。 ビールを煽りながら銀時も同じ様に箸を動かし、暫しの間無言の時間が流れる。350mlの缶はそう長い間を保たせるには足りない。それを解っていたのか、缶を置いたのは土方の方が先だった。 『で?』 そう言いたげな視線に晒され、銀時は指先で摘んでいた缶を揺らした。泳ぐ様に彷徨った視線が、缶ビールと、量を半分以下に減らした皿と、壁の時計と、雨の降る窓とを順繰りに巡って、行き場無くやがて土方の顔へと戻って来る。 「ンな面しねーでも、別に何か特別にある訳じゃねェって」 ただ飲みたかっただけだ、と続けるが、僅かに目を眇めてみせる土方の表情の物語る所は、『嘘つけ』と言った所だろう。声を喪ってからの土方は、他者との理解の──距離感の──齟齬にやたら敏感になっている。今まであんなに堂々としていた男が、酷くネガティブな感情に容易く陥るその理由は解らないでもないが、こうも真っ向から疑われると流石に少々胸が痛む。 何せ、この即興の『飲み会』には、銀時の打算しか無かったからだ。 無言で目を逸らした、聲の無い男との繋がりや理解が酷く曖昧に思えて。問いの言葉も尽くさずにそんな事を思って、殆ど思いつきの侭に誘っていただけの事だった。 だがそれでも、応えられれば嬉しい。供したつまみに舌鼓を打ってくれるのは嬉しい。同じ様に酒を飲み交わす、知己の様な距離感が嬉しい。 だから、だ。そう告げて仕舞ったらどうなるのだろうか。言葉が在ろうとも、この感情を何と言い表したら良いのかなど、全く解らない侭だと言うのに。 久々のアルコールに浸された脳はふわふわと浮ついて思考の明確な行き先を定めてはくれない。じっと注がれた侭の土方の視線から、銀時は決まり悪く目を逸らして頭髪をぐしゃりと掻いた。 ネガティブに猜疑心を働かせる土方は、他者の負の感情は何一つ取りこぼすまいとする様に敏感に反応するが、逆に好意の類には呆れる程に鈍感だった。元から己に向かう感情は殺意以外には鈍い節があったが、声を喪って向こうそのきらいが更に強く、マイナスの一方向に特化して仕舞ったのだろうかと思う。 無力感や後悔と言った感情が、自暴自棄や劣等感に繋がる事は珍しくない。こと、真選組に全てを一途な迄に捧げて来た土方の性格上、今の、真選組の副長である任務をこなせずにいる己に相当の鬱屈を抱えているのだろう。 「ホント何でも無ェって。ただお前があんまりにも…、こう、鬱ぎ込んでる様に見えたっつーか…、だから、偶には埒開けて飲んだりすんのも悪かねェかな、と」 土方の視線が真っ直ぐに注がれ続けているからなのか、舌の回りは余り良くはなかった。 単にお前と飲みたかっただけだ、言わせんな馬鹿野郎。 寸時考えて顔を顰める。言わせられて堪るか。何だか詰問の挙げ句に口説いている様でばつが悪いことこの上ない。 銀時の言い分は余りまとまったものとは言えなかったのだが、やがて土方は根負けした様に小さく息を吐き出した。それで感情を切り替えた様に、ソファに思い切り背を預けると、皮肉げな成分の含有した笑みを浮かべてみせる。 励まされている、と言う部分に、少しばかり決まりは悪いが、感謝はしていると言う事だろうか。少なくとも不興を買った訳ではなさそうだと土方のそんな表情から見て取り、銀時はほっと息を吐いた。 その油断が、続く言葉を厭に滑らかに絞り出す。 「おめーもさ、早く真選組に戻りてェだろ、やっぱり。あ、いや迷惑とかそー言うんじゃなくてよ、真選組の副長サンしてるお前以外ってどうも想像つかねェって言うか……、 だから、その、なんだ。あんま鬱ぎ込んでばっか居ると、沖田くんに首取られるぞマジで」 それは銀時にとっては、咄嗟に浮かんだ激励の言葉に過ぎなかった。 ただ、土方と真選組と言う存在が切っても切れないものだと言う理解だけはあったから、そう励ましてやるのはきっと悪くないと。それだけ、思ったのだ。 「──」 その瞬間、緩い微笑みを形作っていた土方の表情が、明かに変化した。否、表情そのものはまるで変わっていなかったのだが、凍りついた様に瞬きでさえ寸時停止させたその有り様は、言い表すのであれば感情の変容としか言い様がなかった。 「………」 静止は分秒にも満たぬ間。今度は銀時からの注視を受ける形になった土方は、暫し無言を保った侭、それからゆっくりと硬直していた──そう、硬直としか言い様が無かったのだ──表情筋を和らげた。 微笑んだ、のだと。解った。 見たこともない土方の和らいだ表情と、笑う代わりに吐いた息遣いを、銀時は場違いな程に神妙な表情で見返していた。 僅かに唇が揺れる。『ありがとう』と、そう読めた。 何が、かなど、解らなかった。 だが、それは何故か非道く胸を打つ、何処か老成した笑みにも見えて、困惑を憶える。 そんな、銀時の裡の惑いには気付いた様子もなく、やがて、土方はゆっくりとした口調で紡ぎ出した。 『諦めがついた』 と。 『お前の言う通り、俺は手前ェが真選組の副長である事以外は、想像もつかねェでいた。だが、そんな甘えはもう終わりにしなきゃなんねェ』 淡々と並べられる言葉の羅列を読みながら、銀時は思わず瞠目した。 『此処に居るのは気が楽で良かった。てめーらにも世話になった。でも、もう終わりだ。未練はあるが決心はついた。 俺はもう今までの俺には戻れねぇし、それはキツい事なのかも知れねェが──、』 土方はそこで一旦言葉を切った。まるで憶えた台本を諳んじているだけの様な言葉たちを前に、銀時はただ茫然として── 一厘の望みを、そこに見出していた。 『それでも、俺は、お前 、 』 「土方、」 言葉を最後まで紡がせず──読まずに、銀時はそこに急いた声で割り込んだ。 それは、己の裡に慥かに存在した、土方の紡ぐ『諦め』に対して得た落胆を忽ちに塗り潰しすり替わった感情。 銀時は土方へ抱く己の感情に気付いた時から、それをどう扱ったら良いかと言う事に酷く惑っている己に苛立っていた。近付いて来そうで来ない土方にも苛立ってさえいた。結果、過干渉を避けるべきだと決め込んで、失敗した。 己から何かを──例えば相手の好意的な感情を──求める事に、銀時は怯えすら感じている。それは幼少の頃や多感な時期に荒んだ生活を送らざるを得なかった事が或いは原因なのやも知れぬが、そんなものに責任を転嫁する心算は無かった。 単に、怖かっただけだ。自分から向けた好意に返るものが。結局いずれは何も無くなると言う達観した厭世観が。己が、相手を酷く傷つけて損なって仕舞うかも知れない予感が。 …………だから。 不意に沸いた、小さな、小さな望みの可能性に、銀時が思わず手を出して仕舞ったのも、已む無き話。 それは紛れもなく望みであるが、望みに満たぬ程の、ただの願望──例えば、明日晴れだったら良いね、と願う程度の、心底であれど口にするには余りに軽いものだったから、余計に。 土方は、己の言葉が遮られた事にも別段苛立ちの類は感じていない様に見えた。ただ、ここ最近で見慣れて仕舞った、素直な信頼の宿った眼差しを向けて来ている。 そこに銀時は、生じた己の願望や欲の混じった感情を、濁った侭吐き出していた。 言葉は時に迂闊で、残酷だと言う、その通りに。 「なあ…、もしもさ、真選組に以前みてェに戻れねェって言うんなら──、 うちの子…っつーか、万事屋の……、その、うちに居るって言うのも、悪くねェんじゃね?──なんて」 その瞬間。土方の表情が凍り付いた。 先頃の硬直とは異なった、引きつって強張った口元は、笑みの残滓を瞬く間にぐしゃぐしゃに歪めて潰して、その面相に悲壮な色を添えた。 蒼白な顔色の中、意志のはっきりとした瞳だけが何か信じられないものを見る様に炯々と銀時を睨みつけて、色を失った唇が戦慄く様に上下する。 そんな土方の表情を見て、銀時は己が失言をしたのだと悟った。だが、それが『何』であるのかが解らない。己の言葉の何が土方を傷つけ、打ちのめしたのか。それが、解らない。 「、」 咄嗟に喉から飛び出しかかる謝罪の言葉を銀時は辛うじて呑み込んだ。接ぐだけの、口先だけの『言葉』なぞ、何も通じはしないのだと、強い弾劾の眼差しに晒された本能が知る。 瞋恚に満ちた表情を、泣きそうに、苦しそうに歪めた土方は、次の瞬間には立ち上がって銀時の胸倉を掴み上げていた。 言葉の無いことばが、声の無い聲が、必死に何かを訴えようと動いて、然しそこで強い失望感に留められてその意味を失う。その感情は、はっきりと解るのに、弾劾も絶叫も出て来る事のない、その事実を思い出して竦んで熄む。 「──ッ」 胸倉を掴み上げているのと逆の手が作っていた拳が、怒りや嘆きや失望と言った土方の抱えた感情のその侭に向かって来るのが見えたが、銀時は目を見開いた侭それを甘んじて受ける事を選んだ。 予測違えず一瞬後に頬を打った痛打の衝撃の侭にソファから転げ落ちて、深夜の室内に派手な転倒音を鳴らす。 それが、当然だと──報いだと思った訳ではない。ただ、受け止めるべきなのだろうと思っただけだ。 床に転がった銀時が見上げた視線が最後に追ったのは、土方がこちらに背を向けて駆け出して行く姿だった。廊下を走って草履を突っ掛けながら玄関を抜け、外階段を転がる様に下りて行く足音が遠ざかって、やがて雨音に混じって消えて仕舞う頃。 理解のある痛みが、理解の無い理由にただ困惑して、それから滑稽な程に悄然とした感情の侭に俯いた。 少し前に見せた土方の笑みも、凍り付いた表情から滲み出る怒りや嘆きに覆われ、もう見えない。あった筈の理解を、たったの一言が全て消したのだろうか。それとも、最初からここには理解なぞ無かったのかも知れない。あったのは、傲慢な思い違え、だけで。 「………」 懺悔も、韜晦も、何も意味のある言葉を紡げず黙り込む。役に立たない言葉は役に立たない感情を持て余して蟠った侭。 「……………痛て」 やがて、思い出した様に痛み出す左頬を、銀時は緩慢な動作で撫でた。 。 ← : → |