JULIA BIRD / 24 その後はもう言葉にはならなかった。伝えたい想いも知って貰いたい言葉も、話して欲しいと言う望みの促す侭に、滴る雨粒に混じってただただ零れていく。 今まで抱き続けて来た葛藤も泣き言も自責も、みっともないぐらいに正直に吐き捨てて。 気付いた時には雨だか涙だか解らないぐらい濡れた顔を、同じ様にずぶ濡れの銀時の手が子供でもあやす様に拭ってくれていた。 情けないと思ったが、そうしている目の前の男も何だか酷く消沈している様に見えたから、まあお互い様かと思う事にした。 * ピンポン、と言う入店音と共に迎え入れられたファミレスの中は、平日の昼下がりと言う事もあってか客は疎らで、どこか気怠い空気が流れていた。 笑顔で近付いて来る店員に、「待ち合わせなんだけど」と告げながらそう広くもない店内を見回せば、奥の角に位置する席に陣取っていた男がひょいと首を覗かせ手を振って来るのが目に入る。 「どうも、旦那」 地味顔に人当たりの良さげな表情を浮かべてへらりと言う男に適当に相槌を打ちながら、銀時はその向かいの席に腰を下ろすなり備え付けのメニューを引っ張り出した。 「大体、一ヶ月ですね」 主語も意図も特に無さそうに投げられる挨拶に、「ああ」と返して、メニューの一番最後からページを捲って行く。デザートやドリンクは大体最後に記載されているのがどこでも定番だ。 「依頼料も丁度一ヶ月分だったろ、先払い分」 「……ですね」 嫌味めいた言い種をした心算は銀時の方には無かったのだが、向かいの山崎はほんの少しばかり眉を顰める様な表情を作った。それは解り易い非難の調子に見えなくもなかったが、長続きもしない。 「一月で、何がどう変わる、とも知れてはいませんでしたけどね」 溜息混じりの言葉は弁解に似ている。申し訳なさげな苦笑を浮かべる山崎の方から銀時は視線をついと逸らすと、水とおしぼりを持って来た店員に「ストロベリーサンデー一つ」勝手にそう注文すると、椅子に背を預けて片足を曲げて膝上に持ち上げた。 そうして暫しの沈黙。緩やかなボサノヴァの音楽が流れている店内で、どちらからともなく、溜息の様な息を吐き出す。 気が重い。口も重い。議題は恐らくどちらにとっても余り楽しいものにはならないだろう、そんな予感しかしないのだから仕方ない話なのだが。 無言の息遣いの狭間にて、お冷やのグラスの中で角を溶かした氷がカランと小さく音を立てる。その音に誘発された訳ではないが、再びの溜息で気怠い空気を振り払い、口を開いたのは珍しい沈黙に沈んだ山崎ではなく銀時の方だった。 「……で、進展でもあったのか?わざわざ呼び出してくれた以上、彼奴の耳にはあんま入れたかねェ事が何か起きたんじゃねェの」 「ええ、まあ」 問いと言うよりは断定に近い銀時に、山崎もまた曖昧な素振りをした断言で返す。 「今の副長には詳しい事は話せんと言うだけです。内緒話と言う訳じゃありません。あの人、根拠の無いただの想定だけで物事を話されるの嫌いなんで」 はは、と最後は茶化す様に付け足しながら、山崎は頭を掻いた。後頭部で尻尾の様に軽く結ばれている髪がその動作に合わせて揺れる。 適当な相槌を求められているのだろうなと、それを見るとも無しに見ながら思うが、銀時は気付かぬ素振りでだらりとテーブルの上に頬杖をついた。その眼前に、ストロベリーサンデーが──要するにパフェなのだろうが──運ばれ、伝票を置いた店員が遠くに立ち去るのを待ってから、テーブルの上で軽く指を組んでいた山崎は漸く重たげな口を開いた。 「……以前、と言うか発端ですが。旦那と土方さんがトラックの庫内で見つけた帳簿、ありましたよね。 あの一件は見廻組から捜査を封じられる形になりましたが、件の組織側にはまだ調べられる余地もありましたんで、その帳簿──顧客名簿から密かに捜査は進めていたんです。 土方さんは見廻組を告発するも吝かでなさそうだったので、そっちの方向から調べを進めるとは伝えていなかったし、勧めもしなかった、し、寧ろ止めたりまでしたんですが…、」 そこで一旦言葉を濁し目も逸らして、山崎は小声で素早く付け足す。 「……まあ要するに俺の、と言うか俺達の独断みたいなものなんで、出来ればこれはオフレコでお願いしますよ」 声を潜める様な仕草を見せる山崎に、さて?と言う心算で肩を竦めてみせながら、銀時はパフェ用の長い匙を手に取った。バニラの白とストロベリーの赤とでマーブルに巻かれたソフトクリームを掬って口に放り込む。 要するに、土方は工廠から盗難された物品が見廻組の何某から流れたものである、と言う点を取って仕舞ったと言う事だ。『声』を治す手がかりになり得る、薬物関係のとっかかりを求めて取引品で盗難品でもあるものを運ぶトラックにまで乗り込んだと言うのに、己の目的よりも、警察として捨て置けぬ、警察組織の犯罪──の可能性と言う事態──の大きさに引かれた、とでも言うべきか。 決して見廻組への私怨だけで生じた事ではあるまいが、不器用と言うか抜けていると言うか。 甘い筈のアイスを苦い心地で飲み下して行く銀時に、山崎も似た様な感想を抱いていたのか、どこか訳知りの調子となった言葉が続けられていく。 「で、何とか帳簿の暗号めいた符丁を解読して調べを進めて行く内、土方さんの『症状』を起こした薬物を製造していた……、と思しき天人の薬売人と、その所属する組織に辿り着きました」 「………へぇ」 片眉を持ち上げた銀時が一応は賞賛めいて言うのに、山崎は浮かない表情を崩さぬ侭でいる。 朗報と言えば朗報だろう。だが、正直に喜ぶ事の出来ぬ事情があるのだ、と言う事か。甘いソフトクリームの層の次に拡がる、いちごジャムをまぶしたスポンジケーキを賽の目にカットしたものの層を前に、銀時は繰り返しそうになる溜息を自制した。溶け出したアイスやジャムの水分を吸っているとは言え、ぱさぱさとしたスポンジを苦労しながら匙で取り上げる。フォークは付いて来ていなかったのだ。 「追えば、土方さんの『盛られ』た薬そのものか、対抗薬になるものが発見出来る可能性は、あります。件の組織の周辺には幕府の人間や春雨の様な大物の気配も無い事は、既に調査済みですし、犯罪者相手として大っぴらに調べる事は容易いです。 ……然し、件の薬物は試作の様なものだった事もあり、全く同じものが発見できる確率は余り高くはないでしょう。況してやそこから、成分を分析して対処可能な薬を製造出来るかどうかは……、」 そこからは続かない。山崎は俯き加減の視線を悔しげに自らの指先に向けて投げながら、小さくかぶりを振った。否定の意か、その考え自体を振り払いたかったのか。銀時には解らない。 さくり、と口内で咀嚼したスポンジは、矢張り喉に不快に貼り付いた。 「ですが、」 銀時がさして話には乗らぬ事など承知だったのか、山崎はその侭の調子で続ける。視線は逸らした侭だったが。はっきりとした調子で。 「どの道、薬が発見出来ようが、精製出来ようが、そろそろ土方さんには真選組(うち)に戻って来て貰わなきゃならんでしょう。 ここ数日以内に、件の組織への立ち入り調査と取締が行われる予定ですから、その後になりますが」 『声』の機能を取り戻して戻る事が叶うか。今の侭戻る事になるか。その何れかが、これで決まると言う事だ。 「依頼の期限としても、丁度良いタイミングになった、って訳か」 嘲笑めいて口にした心算が自嘲になった。銀時は食べ辛いスポンジの下、再び現れたアイスクリームの層に匙を突き立てると、吐き出し疲れた溜息の代わりに天井を仰ぐ事で、自らの憶えた悲哀や虚無感を表してみるのだった。 * そうだ、副長である彼奴以外想像つかねぇって思ったじゃねぇか。 思い出すのは、トラックの荷台の中での物騒な横顔や、倉庫で戦っている時の顔。 つまり、彼奴自身の個人的な思考とか、そんなのは全然。解ってる筈もなかった。 そんな事を今更の様に思いながら、目の前で俯く黒髪の後頭部を見下ろしてそっと息をつく。そうする間にも右手に掴んだ包帯を土方の、肩口に新たに刻まれた刀傷に当てたガーゼを上から押さえる様にして巻いていく。 傷はそう深いものではなかったが、刀傷はただでさえ治りが悪い所に持って来て、銃での創傷と重なる位置である。大事を取って医者に診せる様に計らう、と、事後処理の連絡を受けて駆けつけて来た真選組──と言うより山崎にはそう言われた。 連絡を入れた当初は、また土方が無茶をしたのではないか、と思ったそうなのだが──、実際の所は違うし、かと言って事態の細かい説明は銀時も土方も何となく口を噤みたくなる様なものであった為に、適当な言い訳を作る羽目になった。山崎はその『言い訳』の名の事情説明から嘘の気配を聡くも感じ取っていた様だが、訝しむ素振りを見せるだけで別に無理矢理問い質す様な真似はしてこなかった。 どうして深夜の雨の中二人してずぶ濡れで、しかも攘夷浪士の襲撃なぞを受けているのか。問いたい事は山の様にあった筈だろうに。 或いはそれは、気恥ずかしさや気まずさを誤魔化す様に、声もなく柔く笑ってみせた土方の表情が、どこか晴れ晴れと──すっきりとして見えたから、なのかも知れない。 声も無く告げられた、悲鳴も悲嘆も愚痴も怒りも。土方の呑み込もうとしていた憧憬も。今度こそ『聞き取った』銀時から見ても、土方の様子は今までの何処か沈鬱な気配を振り払ってただ、静かである様に見えていた。 これが。きっと望まれるべき、諦めを受け入れ呑み込んだ、真選組の副長で在るべき姿なのだろう。 それは、 "真選組の副長で在りたかった" そう土方の口にした本心とは意を違えている事は、今の銀時には解る。 役職として、副長として必要とされる事に応える為に、不具であろうが言葉の紡げぬ身であろうが、その立場を受け入れる事と。 銀時が今までずっと見てきた、『真選組の副長』として生きる彼の侍の姿と。 その齟齬にずっと苦しんで来たのだろう土方が、遂に選び取る事を良しとした──銀時にその本音と望みとを晒け出す事とで、伝える事で、漸く『諦め』を、否定的なものではなく肯定的に、過失ばかりではなく純粋に変化として受け入れるに至ったのだ。 土方が泣きながら(半ば支離滅裂に)『話してくれた』内容には、銀時に対する文句やら詰る言葉やらも含まれてはいたが──ともあれ、それを聞いて漸く、己の言動の『何』が土方に手を挙げさせたのかを理解した銀時である。 応急手当の包帯を留めて、眼前の黒髪をぐしゃりと撫でてみれば、手の下に何やら凄い形相でこちらを睨み上げて来ている土方の顔があったが。 「……な」 頭を撫でる手は止めない侭、意識して土方の目元を隠してそう切り出す。土方は憮然とした気配を保ってはいたが、特に制止をする心算は無い様だったので、銀時は構わず続ける事にした。 依頼と言う言葉を除いた、本心を。本来ならば告げる必要の無かった筈の、個人的な情を。その意味を。 「………………うちの子に、ならねェ?」 ぴくり、と、手の下で土方の体も表情筋も強張るのが解った。 先頃──夜明けの近い今ではもう昨晩と言える時間だが──の喧嘩の発端となった言葉と殆ど同じ言葉であったが、土方が再び拳を振り上げる様な事にならなかったのは、これが単なる無神経から出た言葉ではなく、銀時のそう紡いだ意図を──口にせずにはいられなくなった望みをある程度察する事が叶っていたからだろう。 銀時は土方の『言葉』を聞いた。聞いて、理解した。 望まれそれを口にした土方は、銀時の理解を確信している。今になって銀時がただの愚かな発言を繰り返しただけだとは思ってはいない。だから、だ。 言葉よりも雄弁な望みの隠れた銀時の『言葉』に、今度こそ土方は何を見てくれたのか。 そっと手を退ければ、土方の唇が何かの意思を持って開かれた所だった。 今度はそれを『聞かず』、銀時は無言でその唇を塞ぐ事を選んだ。 答えに臆病になった故のその、逃走にも似た行動に、然し土方は何も言わず小さく、困った様に笑うのみだった。 * 「彼奴は、手前ェが役立たずだって事に負い目を感じるだけだろ」 どのぐらいの間を空けたのか。銀時がぽつりと投げた言葉は悪態としか言い様のないものであった。その手にした匙がぐしゃぐしゃに混ぜるアイスはすっかりと溶けて、スポンジや下に敷き詰められたコーンフレークを湿気らせ太らせている。 土方の症状は、声帯に影響したものではないから、腹式で言語を紡ぐ代替法は通じない。 喉の喋ろうとする動きを感知し音声に変換する機器もあると言うが、それとて万全とは言えないものだ。 近藤は、どんな手段になるかはさておいても、土方が比較的今までに近い状態で再び『真選組の副長』で在れる様にと尽くしてくれる事だろう。山崎や、他の部下とて同様だろうし、沖田も何でかんでと言いながら、土方と言う存在が損なわれる事は良しとはしない筈だ。 今までと同じ様に、とは行かないだろう。だが、同じ様に在れる様にしたいとは、土方も、周囲の人間たちも求める事なのだ。 理解とコミュニケーションと言語と感情と──必要とされる役割への技能、と。それらの齟齬が土方の事を散々に苛んで来たのであれば、それは易々と解消されるものではないだろう。 土方自身は昇華した『諦め』を受け入れ、前に進む事を肯定的に受け取れる様になった様だが、それが今後も持続される為には、土方自身の感情の変化や姿勢もだが、周囲の人間の理解と協力とがどうした所で不可欠だ。 「……旦那らしい」 その心配や危惧が突き刺す様な悪態になった事を、有能な真選組監察は正しく受け取ったらしい。聡さが嫌味にはならない程度の苦笑を浮かべると、憮然と唇を尖らせる銀時に、へらりと笑みを向けて来る。 「焦燥感に苛まれるあの人に手を差し伸べた所で、あの人はそれに気付ける様な愚鈍なお人じゃないんですよ。良くも悪くも自分自身と仲間の事を信じている様な人ですから。過失があれば、他人に縋る前に自分を徹底的に責める。そんな不器用な人です」 旦那に良く似て。そう小さな声が付け足した様な気がしたのはさらりと無視をして、銀時は横を向いて「け」と吐き捨てた。 土方が理解を他者に求める事を諦めて仕舞ったのは、己の不甲斐なさを強く責めていたからだ。仲間にも、誰にも迷惑を掛ける訳にはいかない、失望される訳にも、失望する訳にもいかないと、自ら理解を放棄しようとしていただけだった。 望まれる『諦め』の為に。彼らにとっての『真選組の副長』で在り続ける為に。 「………あの人は多分、それが堪え難かったから、旦那の所を選んだんでしょうね。旦那の所に身を寄せている間の方が、屯所(うち)に居る時よりも楽そうに、安心している様には見えてましたし」 「………」 山崎はそれを、良いとも悪いとも断じなかった。 だから銀時も、否定も肯定もせずに聞き流した。 突き込んだ匙が、ふやけて柔らかくなったコーンフレークを乱暴に潰す。内容物が全部混じって歪になったそれを、銀時は無言で飲み干した。 。 ← : → |