JULIA BIRD / 8



 シャッターが開き、トラックが倉庫内へと入って来る。車のエンジン音に紛れる様に土方は素早く階段を下ると、一階のフロアに並んでいる荷棚の陰に身を隠した。取り敢えず会話が聞ける範囲に近付こうと、背を棚に付けてじりじりと入り口の方へと接近していく。
 トラックがエンジンを切ると、辺りには再び静寂の空気が落ちる。耳が痛くなる程の、と言う訳でもないが、物音ひとつ立てるのも憚られる身としては、触れただけで張り詰めていた弦が弾け千切れる様な緊張感を齎すものに感じられる。
 棚に疎らに詰められた荷物の間から覗き見ると、トラックは車体後部を僅かに入り口から出した状態で停車した様だ。シャッターが閉められない、と二人組の片方が抗議の声を上げているのが聞こえて来る。
 遠目で解り辛いが、運転席に一人。助手席には──少なくとも見て解る位置には──誰もいない様だ。ただしトラックの荷室は外から内部を窺う事は出来ないので、そこに仲間が乗り込んでいないとは言い切れない。
 抗議の声を受けて、エンジンを再始動させて停車位置を直すでもなく。運転席が開いた。
 「おいおい、シャッター閉めらんねェって言ってんの解ってんスか?」
 チンピラのとって付けた様な敬語(未満)は、注意やお願いと言うより絡む調子が強い。二人組の方も、運転手一人だけと言う『取引相手』の姿を見て訝しんでいる様だ。だが、大事な客相手に横柄な態度で出る訳にも行かない。失敗したり相手の機嫌を損ねたら、組織の末端でしかない自分達の身の方が危険になるとは知っているのだろう。
 「あー。すんませんね。なんせこっちも仕事なもんでェ」
 だぼついた作業着の運転手は、威嚇する様に近付いて来た二人組に戯けて両手を挙げる仕草をして見せていたかと思うと、目深に被っていたキャップを脱いだ。
 「……!」
 声が出なくて良かった。土方がそんな事を考えたのは一瞬だけで、次の瞬間には、キャップの下から現れた銀髪頭に、胸中で思いつく限りの罵声を浴びせていた。
 「どうも。真選組でェす。お荷物のお届けにあがりましたァ」
 ひらり、と脱いだキャップを振って、脱力感さえ感じる笑みを浮かべてみせる運転手に、二人組は、
 「は?」
 と、解り易く口を丸く開いて凝固している。突発的な『真選組』の単語が現実と結びつかず、未だ『取引相手』の冗談か符丁なのかと思っているのか、二人で顔を見合わせるばかりだ。
 そんな二人組を余所に、作業着をだらりと着た銀時は両手で筒を作ると、倉庫の奥──に潜む土方──に向けて声を上げてくる。
 「副長ー。もう出て来ても良いですよー。こっちは片付きましたんで」
 「…………」
 やられた。
 この一言をこぼせないのは良かったのか悪かったのか。土方は片手に顔を埋めて大きな溜息をつくと、棚を回り込んで倉庫の入り口へと向かった。土方の内心の苛立ちをその侭表す様な早く重たい足音に、二人組が漸くぎょっとなって身構えるが既に遅い。
 銀時の、作業着に隠して佩いていた木刀が、片方の取り出し掛かっていた拳銃を払い落とした。そして、一瞬それに気を取られたもう一人が我に返った時には、土方の向けた抜き身の刃が顔の横僅か一糎の所に突きつけられている。
 「……う」
 冷えた刃先で、冷や汗の伝う頬をちょんと突いてやれば、男は大人しく懐から拳銃を持った手を出し、促される侭に足下に銃を落とした。土方が靴先でそれを蹴り飛ばすと、すかさず銀時が先に落とさせたもう片方の銃と一緒にそれを拾い上げ、ぽいと無造作にトラックの下に転がして仕舞う。
 「……」
 これで済んだ、とばかりに軽く手をはたいてみせる銀時を土方は無言でただじっと睨み付けた。これはもう口パクなぞせずとも、文字に書かずとも解るだろう。
 『説明しろ』
 付け足すなら、『但し俺を納得させられる様に』。
 鬼の尋問調子の視線を受けて、銀時はやれやれと肩を竦めてみせた。そのさも面倒臭そうな態度に土方の表情は益々険しくなる。
 「結果オーライって事で良いと思っときゃ良いだろうがよ。
 まあ簡単な話、取引相手って事はその内外から来るんだろ?だからこのトラックが来たら倉庫に一緒になってこっそり入り込もうかと思った。そんだけ。乗ってたこわーいお兄さんたちは全員気絶させて後ろの荷室の中」
 一緒にこっそり入り込む、プランがどうして、取引相手を全員叩きのめして自分がそれに成り代わる、に変わって仕舞ったのか。心底問いたかった──と言うより怒鳴りつけたかった──のだが、この顛末を思えばどの道然程に変わりも無かったかも知れない。ここに一人や二人敵が増えていたところで、土方と銀時の即興タッグでも御せなかったとは思えない。
 そんな微妙な心地良さや小気味良さにも似た感覚を、然し喜ぶ気にも認める気にもなれずに持て余しながら、土方はホールドアップ状態の二人組を刃先で促して壁に向かわせた。取り敢えず捕縛対象は無力化するに限る。
 こんな、現場判断とも言い難い、組織の体面を無視したその場判断は馬鹿馬鹿しいものだとは思う。計画の破綻は時に組織にとって大きな損失や害をもたらしかねない愚昧な行動だ。土方とて組織構造の内では大分奔放に動く方だから、余り他人を非難出来たものではないのだろうが。
 「で、」
 不意に続く銀時の言葉に、手錠を探りかけていた土方が振り返れば、銀時はサイズの合わない作業着を脱いで(下はいつもの黒い上下だった)、トラックの運転席から白い着流しを引っ張り出しながらこちらを見ていた。
 特に先程までと何が変わった訳でもない、重たげな目蓋。ただ、口元からへらりとした笑みは消えている。
 「一人、こんなん持ってる奴が居た」
 少し目を瞠った土方へと、曰く『こんなん』と言って示してみせたのは、白い色をした、二つ折りの財布ぐらいの大きさのものだった。土方の懐の内のメモ帖とほぼ殆ど同じサイズ。くるりと回されるとはっきりと解る、定期入れや名刺入れの様な薄っぺらい物体。
 「……………」
 メモ帳や定期入れなぞより。もっとぴたりと合致したサイズと形状のものを土方自身も所持している。縦向きに二つに折って携帯する身分証。但し、己の所持するそれは、白ではなく黒い色をしているのだが。
 (……何の──いや、誰の、)
 無言で片手を突き出した土方の掌に向けて、銀時は『こんなん』と呼んだそれを放り投げて寄越す。
 受け留めた土方は白いそれをぐるりと引っ繰り返して、そこで「は」と笑った。正確には笑いたかったのだが。ふ、と喉からこぼれた様な音に、着流しを纏ってすっかりいつものスタイルに戻った銀時が訝しげに片眉を跳ね上げる。
 「……何。予想済みとかそう言う?」
 問われるのに、いや、とかぶりを振りながら、土方は白い身分証の表面を指先で一撫でした。金で箔押しされた葵の御紋の手触りを追う指が辿るのは、『特別警察見廻組』の文字。一応開いて見るが、中身はごく普通の見慣れた己の警察手帳と殆ど変わりはない。顔写真にも憶えは無かったが、名前と所属と階級と共に脳に書き込んでおく。
 ──見廻組の人間、しかも階級だけ見れば真選組で言う隊長直下クラスに当たる者が、まだ現場では採用されていない兵装の情報、そして物品そのものを犯罪シンジケートに横流しした。或いは、盗難の手引きをした。
 仮にこれが見廻組の潜入捜査だとしたら、とは考えたが、通常では潜入中にそうとはっきり解る身分証を持ち歩く馬鹿な潜入捜査官はいない。故に、横流しに関わっていた容疑者──と言うか実行犯──である可能性が最も高いと土方は践む事にしたが、
 (いや…、野郎を買い被る訳じゃ無ェが、あのエリート局長が部下の組織への背信に気付かずにいるとも思い難ェ。が、それより、)
 「お。そろそろ応援の到着する頃?」
 土方が思索する横で、銀時が耳を澄ませる仕草をしながらシャッターの方を振り返った。トラックの後部が間にある為に閉められていないシャッターの外は、既に宵闇に沈みつつある埠頭の倉庫街の風景。灯りの少ない闇の向こうから、銀時が口にしたその通りに、複数の車が走ってくる音が聞こえて来る。回転灯の赤い色も、サイレンの音もしない。乱暴な運転。
 (そもそも、幾ら兵器が単体で無害とは言え、幕府直轄の武器工廠から車ごとの盗難騒ぎがあって、それが全く公にされず捜査さえ碌にされて無ェってのが──)
 感情と思考と、どちらが先に結論に達したのか。それは最早どうでも良かった。土方は咄嗟に銀時の腕を掴むと、倉庫の奥に向かって走ろうとした。
 「え?」
 何?ときょとんとした表情でいる銀時へと、説明をしてやれる言葉が無い事を心底に忌々しく思いながら、土方はただ無声で掴んだ腕を強く引く。
 走れ、と促す。
 早く、とか、逃げるぞ、とか、隠れるぞ、とか、危険だ、とか。そんな端的な言葉で何をどう納得を得られる様に『話せ』ば良いのか解らないから、兎に角行動を先に起こさせるしかない。
 「…、」
 銀時が不審げな表情をしていたのは寸時。土方の切迫した様子から何かを感じ取ってくれたのか、土方に引っ張られる侭にして走り出す。その直後、急ブレーキと共に次々停車する車たちと、そこからわらわらと飛び出す足音の群れが背後から聞こえて来た。
 倉庫に集まる車と人間。倉庫の奥に逃げる警察。その狭間に取り残された形になった二人組は、これ幸いとシャッターの方角に向かって逃走を図る。
 荷棚の影に再び潜むその寸前、振り返った土方が見たものは。
 暗い闇の外と、明るい光の内との、四角く切り取られたその境界から飛び出した二人組が、何発もの銃声と共にその場に立ち尽くし──次の瞬間にはばたりとその場に斃れ伏す、その様だった。
 「……おめーらが、あんな無粋な鉛玉を、しかも問答無用でブチ込む訳ァ無ェ、よな」
 態とらしく首を竦ませる銀時に頷きだけを返すと、土方は先程までよりも更に慎重な動きで裏口の付近へと移動した。
 とは言え裏口には相も変わらず警報機が仕掛けられている筈だ。本当は脱出口の確かな三階へ上がりたかったが、階段を駆け上がるのは如何んせん音が響くと思い咄嗟に止めたのだが──あの問答無用の発砲を見る限り、行かなくて正解だっただろう。
 「で、どちらさん?」
 アレ。と、シャッターの方へ親指を向けて小声でそう訊いて来る銀時へと、土方は無言で先程渡された見廻組の警察手帳を示してみせた。すれば銀時は暫し唸るに似た表情で考えていたが、倉庫内にぞろぞろと入って来た闖入者たちの風体が遠目に見ても見廻組や警察どころか、不逞浪士そのものとしか言い様の無いものである事から、一応の推論を弾き出したらしい。
 「口封じ、ついで?」
 大量の説明を要する様な馬鹿な男では決して無い事に──確信もあったが──安堵しつつ、土方は溜息をつきながら口を開いた。
 あのエリート局長であれば、部下の中にそこそこの組織と繋がった背信者がいる事を見逃すともそう思えない。見廻組は真選組よりも出自に徹底した人事を行っており、それ故にその内部監査は非常に厳しいものとなっているのだ。不正や横領などの不始末をエリート組織から出してはならない、と言う儼然とした法(ルール)を幕府の手前何よりも遵守している。
 ところが、実際に不正を行う者が出た。その事実を掴んだ時、佐々木ならばその利害を直ぐに考えただろう。即座に首を斬るのは容易いが、得る利は組織の体裁を護る程度のものでしかない。もしも『不正』が組織の利になるものを孕んでいるとすれば、犯人を知っていて泳がせ、その便宜を働いた犯罪者諸共に釣り上げる事を選ぶだろう。愚かな背信者を少し気付かぬ素振りで放っておくだけで、見廻組は火器まで扱う危険で凶悪な犯罪シンジケートの一つを挙げられる利を得るのだ。
 漁をするのは獲物が肥えてから。逃さぬ様に周到に漁場には網を張って。実に佐々木の好みそうな手段と言えよう。
 そしてそれならば、武器工廠の盗難事件を大きな騒ぎにしなかった事にも説明がつく。連中諸共に泳がせ利と言う名の餌にしっかりと食らいつくまで、網をゆるりと拡げて待っていたのなら。
 佐々木の持つ権力や人脈を以てすれば、警察組織の一部に圧力を掛けるのなど容易い話だろう。同じ手段を──車輌追跡の情報提供ですら容易く求める事さえ出来ない真選組から見れば、実に忌々しく業腹な話でしかないが。
 『餌が集まるのを待ってるとしたら、直に見廻組が乗り込んで来る可能性は高い』
 餌、と言う言葉に、銀時が口の端をげっそりと下げた。
 今の所は銀時も土方も『餌』にはカウントされていない筈だが、発見されればそれも直ぐの話である。
 まず、倉庫に突入してきた如何にも攘夷浪士です風情の集団に見つかれば躊躇いなく殺される事は確実だ。簡単に殺されてやる心算は無論無いが。
 そして、見廻組が突入して来たとなれば、今度は見廻組から犯罪者に荷担した者が出たと言う事実を知る者として捨て置かれるとは考え辛い。何しろ、この場に居るのは単独潜入捜査(敢行)の最中の土方と、それに巻き込まれた一般人しかいないのだ。口封じに殺される、のはリスクが高いから躊躇われるかも知れないが、独断専行且つ、声が出ない、と言う特異な状況に置かれた土方の現状を知られる事もまた、取引材料にされた時に真選組にとっての不利益にしかならない。
 (……或いは、)
 見廻組は既に土方──と言うよりは真選組の何者か──がここに単身(ではないが)潜入の状態にある事を知り得ている可能性もまた、高いと土方は思っている。
 真選組の応援は付近まで来ている筈だ。だ、と言うのに、已然として現場には警察車輌の走っている気配は無い。真選組どころか見廻組までも、だ。
 ここから考えられる可能性は一つ。恐らくは、縄張りだの、捜査中だの──数々の権限を盾に、今回の『漁』を待ち構えていた見廻組が、駆けつけて来た真選組の活動を妨害しているのだ。
 そうなると、ここに攘夷浪士然とした集団が飛び込んで来たのも、取引中に裏切り者が出た、とか適当な情報を流されて来た結果、と言う事であるのなら筋が通る。やって来た連中が、品物を盗難し売りさばこうとしていた連中の側の組織なのか、買おうとした側の組織なのかは知れないが。
 無論目的は、身内の口封じ諸共、馬鹿な単独行動中の真選組の人間が巻き添えになるかも。と言う所だが。うっかりと真選組に先に乗り込まれ、身内の犯罪者が露見する事に比べれば、縄張り争いで揉めている間に両組織から『潜入中』の捜査官の尊い犠牲が出て仕舞った、と痛み分けの様な結果になる事を選ぶのは当たり前の判断だろう。何しろ死者は何も語らないのだから。
 その結果を重視するのであれば、土方が(真選組の人間が)駆けつけた無法者達たちから生き延びた所で概ね変わりはしない。
 生きようが死のうが。変わりはしない。
 見廻組から出た背信者の存在を知った所で、それを証拠として示す材料は土方の手元には未だ無い。ただの潜入捜査中だったと言い張られればそれまでだ。
 それどころか、真選組幹部が単独行動の挙げ句に声を喪失していると言う弱味を逆に握られる可能性の方が高い。
 『何れにせよ、応援が来るまでに連中が帰ってくれる見込みは薄いな』
 とん、と刀の柄を叩いて土方がそう言うのとほぼ同時に、入り口付近が俄に騒がしくなる。どうやら銀時曰くの『怖いお兄さんたち』がトラックの荷室から発見された様だ。全員気絶状態、と言うなら易々目を醒まさないだろうし、そうなると。
 「おい、倉庫の中を隈無く調べろ。まだ鼠が潜んでるかも知れねェ」
 一方的な殺戮の可能性に胸を悪くするより先に、突入してきた物騒な連中が、既に殺した二人組とトラックの荷室に詰められていた何人か、とは所属を胃にする『第三者』がいる、と言う判断を下した様だ。土方が銀時の方を向けば、隣で銀時も同じ事をしていた。恐らくは表情まで然程に変わらないだろう。
 裏口は近いが、警報が付いていた。当然解除などしていない。倉庫内の配電盤から接続を切っておけば良かった、とは言っても詮の無い話だ。
 階段を上がって三階に向かうのも、今のこの状況では見つからずにそこまで行く事は困難。
 静かに倉庫を抜け出すプランは?と言う土方の無言の問いに、銀時もまた無言で、木刀に手を軽く乗せる事で答える。
 敢えて言葉で想像するならば、「無理じゃね?」と言った所か。
 応援は未だ来ない。
 敵は二十人以上はいるだろうか。多い。
 この状況下での土方の勝利条件は、真選組の応援が駆けつけるまで生き延びる事だ。それも、出来れば見廻組の人間が兵装の盗難を手伝ったと言う証言が出来る『生きた』人間を残して。
 (まあそれに関しちゃ、連中から裏切り者が出たと言う確実な証拠にはどうやったってなりゃしねェからな…。こっちにも俺の事情がある手前、どの道強く言えるもんでもねェ)
 この際出来るだけマイナスに成り得る要素は排除して考えるべきだろう。そうなれば土方が、巻き込んだ民間人である銀時を極力無事に戻す為の行動は概ね一つに絞られる。
 それは即ち、生きてこの場を逃れる事だ。敵を生かすなどと言う打算は極力排除してかかった方が良い。
 (更に理想的な解答を考えるなら…、見廻組が到着する前に逃げる事だな。と、なると応援待ちなんて暢気な事を言ってもらんねェか)
 山崎に電話を掛けるプランも考えたが、この隠れ潜んでいる状態で会話するなど愚の骨頂だろう。
 もう一つ付け足すと、敵の足音は大分近付いて来ている。バラバラに倉庫中を歩き回っている様だが、その全員が荷棚の陰を見過ごしてくれるなどと言う楽観的過ぎる事なぞ起こり得まい。
 更に言えば荷棚に置かれた段ボールや木箱の数は多くはない。棚を回り込んで逃げようとしてもまず無理だ。長時間のかくれんぼに向いた環境とは大凡言い難い。
 生きる。そして逃げる。これが目的。隠れて生き延びる手はこの通りに難しい。
 と、なると。
 泳いだ視線を直ぐ横の銀時へと戻せば、にやりと微笑まれる。
 『やる気か』
 呆れの色濃くそう問えば、『いいや?』と応え。
 「ただ、黙ってやられる気は無さそうなお前を、黙って見てる気は無ェけどな」
 息遣いに紛れる様な小さな声は然しどこか、あちこちが塞がった現状には不釣り合いな不敵さを孕んでおり、土方は僅かに過ぎる頼もしさに似た期待を打ち消すのに苦心しなければならなかった。
 躊躇いや葛藤を誤魔化す様にそっと息を吐くと、土方は突如、棚を回り込もうとして来ていた一人に向けて駆け寄るなり鯉口を切った。無言で斬り捨てるその間に、同時に床を蹴っていた銀時が近くにいた別の一人を打ち倒している。
 倉庫は全体の面積を見れば広いが、荷棚には隙間も多く、決して見通しが悪い空間ではないから、こっそりと敵の数を減らして行くのは難しい。どさ、と倒れる人間の音に、また近くにいた別の何人が気付いて振り向く。
 気付いて、反応をする。その僅かの空隙へと土方は斬り込んで行き、銀時もその近くの敵へと向かう。だが、そんな密やかな特攻が長続きする筈もない。五人目を倒した所で、それが遠くにいる一人の目に付いたかと思えば、直ぐに声が上がり、あっと言う間に銃や刀を手にした浪士たちに取り囲まれて仕舞う。
 銀時は乱戦には強そうだし、土方も沖田と同じでどちらかと言うと単身で好きに動く戦い方を得手としていた。部下の隊士らには複数人で一人の相手を確実に御せと教え込んではあるが。
 だから、乱戦の様相を呈した中でも土方は冷静に、日頃の討ち入りと同じ様に近くの敵から対処して行く。銀時と分断された形になっているが、驚く程にそちらに対する心配が湧いて来ない事に、解ってはいたが困惑と苛立ちを隠せない。
 頼りにする心算はないのだ。寧ろ遠ざける事を考えなければならない。便利な腕として『使う』に慣れたくはない。
 クソ、と声に出せぬ苛立ちも顕わにした土方の刃が眼前にいた一人を斬り捨てる。
 敵は銃器を所持してはいたが、味方と入り交じって動き回る対象に向けて迂闊に発砲するのは危険だと流石に判断したらしい。敵の殆どは大人しく腰の得物を構えている。刀相手ならば易々負ける心算は土方にはないし、銀時とて同様だろう。
 土方は戦いながらも階段を伺い、万一にでも銃器を持った人間が高所に出ない事に注意を払いつつ、少しづつ分断されている銀時の方へと戦場を移して行こうとした。
 そんな中。どちらにやられたのか、地面に転がっていた一人がもぞりと動くのが視界の端に入る。その腕が、手が、掴んだ拳銃が、少し離れた位置で木刀を振るっている銀時の方へと、向く。

 あんな死にかけの人間が自棄で撃った弾が当たる確率なぞ低い筈だ。
 仮に撃たれた所でそれが致命となるとは言い切れない。
 だが。
 土方は警察だ。あの一般人を、巻き込んでおいてあまつさえ危険に晒す訳にはいかない。それは或いは、警察として、と言うよりは、土方の願う侍としての有り様にとって必要な信条でもある。
 応援が来るまで、だの何だのと言ってはいたが、あのお人好しで他人を見捨てられない万事屋稼業の男を巻き込んだのは、己だ。
 あの男の周囲の人間たちは、あの男が傷つく事を、それが自業自得であれ他者の責任であれ、望まないだろう。
 勿論、警察と言う立場であろうがなかろうが、土方自身とてそれは同様に。
 
 「    」
 
 万事屋。
 無駄だと理解しながら、叫んだ声は矢張り喉からは出ていかない。
 銀時は──振り返らない。
 『聞こえて』はいないのだ。当たり前の様に。どれだけ『言葉』を交わしている心算になった所で、それは銀時が土方の『聲』を『聞こう』としてくれていたからこそ、叶っていた事なのだ。
 聲の出ない人間が、遠くに居てこちらを見てはいない人間に言葉を、どうして伝える事が出来ようか。
 射手にとどめをさして発砲を阻止する──否、僅かに足りない。
 注意を促す声は出ない。
 たった一言。それだけで良い筈なのに。足りない。届かない。届けられない。
 だから、土方の身体は『声』を上げるよりも先に、射手と的との間へと──致命を齎すやも知れぬ射線上へと飛び込んでいた。
 
 銃声は、遅れて耳に届いた。
 血と喧噪を撒き散らした夜を裂く様な音を、酷く無粋だと。
 思わずそんな事を考えて笑った土方の左肩をも、同じ様に無粋に貫きながら。




見廻組って特別警察なのかも解らないし警察手帳も別に白くはないと思いますが…。

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