五棺桶島 / 10



 洞穴には既に人の気配があった。想像から繋がる安堵を憶えつつも胸を撫で下ろしたりはせず、一応は緊張の気配を保って覗き込んで見れば、果たしてそこに居たのは土方の想像通り──或いは当初の想定通り──に、山崎の姿だった。
 「お帰りなさい。副長、一体どこ行ってたんです?一旦ここに戻ってたみたいだったんで余り心配はしてなかったんですが、あんまり危険な行動は取らないで下さいよ」
 「ああ…、」
 琺瑯のポットに涌かした湯を各々のカップに移し替えながら言う山崎に曖昧に頷きながら、土方は相変わらず座り心地の宜しくない岩の上へと座した。
 カップの中に固形の携帯食料を一欠片割って放り込めば、湯を吸った具材が膨らんでほぐれて簡易的な粥の様な食事が出来上がる。木匙を添えて手渡されるそれを受け取って、土方はいただきますの仕草をしてから無言で口へと放り込んだ。もっと水を増やせばスープになるだけあって少し味が濃く、カロリーは普通の白米を食べるよりもありそうだった。
 「てめぇも随分と時間が掛かってた様だが」
 心配になって一人出て行ったのだ、とは正直に伝える気になれなかったので、山崎の問いには答えず逆にそう問い返せば、彼は必死に弁解するでもなく「ええ」と普通に頷いて寄越した。土方が出て行った理由は恐らく見抜かれているのだろうとそんな態度から思ったが、敢えて指摘する理由は無い。土方は口とカップとの間で匙を往復させて続きを待った。
 「村落の高台に、篝火の焚かれた不審な家屋があったんで、ちょっと忍び込んで来ました。多分にこの島の人間たちの指導者の使っている家なんじゃないかとは思うんですが、とても家族団欒を楽しんでるって雰囲気じゃなく、何やら宗教的な儀式の真っ最中で」
 匙をカップに戻して、土方は片眉を上げた。篝火の焚かれていた家と言うのは村落を見回した限りでは一件しか無かったので、恐らく山崎が侵入したのは土方が神楽を発見した土蔵の表にあった大きめの家屋だろう。どうやら山崎は偶然にも土方とほど近い距離に居たらしい。想像通りならそこに新八曰くの村長とやらが棲んでいるのだろうが。
 「儀式?」
 「はい。お祈り…って言うんですかね?家人かどうかは知りませんが男が七人ばかり広い部屋に集まって、何だかヘンな薬でもやってんじゃないかってトランス状態で呪文みたいなものを唱えてて」
 「………そりゃ、不気味過ぎる光景だな」
 描きかけた想像が余りに気味悪く薄ら寒く思えて、土方は途中で浮かんだ画を振り払って首を竦める。夜も暗い古びた部屋の中、蝋燭の灯りだけが照らす空間で呪文だか祈りだかを捧げる男たちなど、ちょっとしたホラー映画かイヤガラセかのどちらかだ。
 そんなものを目の当たりにしていた山崎に同情めいたものを憶えつつ、土方は食事を再開しながら今度は己の得て来た報告を始める。
 西山には社があったが中の調査は行ってはいないと言う事。島民が社に時折行き来している様だと言う事。故に社を調べる価値はあるだろうと言う事。そして。
 「万事屋の連中に会った」
 「そうですか。まあ旦那が首を突っ込んじゃうのなんていつもの事……ってええええ?!」
 素っ頓狂な声を上げた山崎の手から茶の入ったカップが転がりそうになったので、それを受け止めてやりつつ土方はふんと鼻を鳴らした。笑っている様に見えていれば良いと思いながら、口端に力を込めて歪める。
 「あの連中も大概、毎回碌な事に巻き込まれねェが、今回のは群を抜いてるわ。まァこの状況だ、こっちも立ってるもんは近藤さんでも使う気だったからな、連中には島民の崇めてるその『神様』とやらの情報を探る様依頼しておいた」
 「いやあの色々ツッコみたい事はあるんですが副長、」
 「大体てめぇの想像してる通りの経緯だ。ただ、万事屋とメガネは島に厄介になってる漂流者って体だが、チャイナだけは余り良い状況とは言えねェ。出来るだけ早い所解決してェ理由がまた一つ増えたな」
 土方は匙をカップへと戻し、ごちそうさまの仕草をしながら言う。山崎はざっくりとしたその説明だけでも、何となくあの厄介事遭遇率の高い万事屋の連中の身に降った状況を半分程度は察したのか、「はぁ」とどこか気の抜けた響きで頷くと、両眉を下げた情けない表情で両肩を落とした。いちいち突っ込んでも無駄だと思い直したのかも知れない。賢明な事だ。
 「…要するに、協力者が出来た、って事で良いんですよね」
 「あァ。お生憎の連中だが、この状況でなら一番信頼出来る奴らだって事は間違いねェ」
 背中を案じると言う、最悪の状況を想定しなければならない様な相手では無いのは、この閉鎖された環境下では心強い。その点で最も懸念すべきは人質も同然に隔離されている神楽の身の安全だろう。幾ら宇宙最強の種族とは言え食事はするし睡眠も要る。食事に致死毒を混ぜられれば勿論死ぬし、寝込みを襲われたら危険な事に変わりない。生物である以上、戦闘行為に特化した身体能力があれど、万能に強いと言う訳では無いのだ。
 『神様』役を演じる天人が夜兎の事を知っていれば──まず知らないと言う事は無いだろうが──、その危険性も重々承知している筈だ。因って生贄と言う処分方法が正攻法の暴力のみで行われるとは少々考え辛い。神楽には全く危険を気取られぬ様にして、速やかに手を下す方法を選ぶだろう。
 それこそ寝込みを襲ったり、食事や飲み物に動けなくなる様な毒を混入させたりと言った方法が最も有り得る可能性だ。そして神楽が連中を全く疑わず、手の内にあるのだから最悪今すぐにでも『生贄』とやらの儀式を行う事だって出来る。当然だが、神楽の仲間である銀時や新八には一切気取られる事は無く。
 (身の安全を盾に取られて、万事屋たちがいざって時にこっちの味方を出来るとは限らねェからな…、目標を発見しても捕獲の前にチャイナの安全を確保すべきだろう)
 土方の思考が実用的に働き始めたその時、使用済みの食器を直ぐ傍にある海水で洗いながら、山崎が不意に笑った。鼻をふっと鳴らす音に、土方は怪訝な目を向ける。
 「すいません。でも、副長がなんか『らしい』なぁって思っちゃいまして」
 「……はぁ?」
 「だってこの任務が始まってからずっと、どこか不機嫌って言うか自棄っぽかったって言うか…、船の中でも言いましたけど、やっぱり不安だったでしょう、多少は」
 問いは飽く迄穏やかな調子を保っている。山崎の浮かべている表情同様に。然し土方は直感に響くものをそこに感じた。それがどちらかと言えば望まぬものだと察して、身構える様に更なる不審の眼差しを重ねて向け続けるが、山崎は気圧された様子もなくあっさりとした風情で続ける。
 「それが、今はもう『らしい』って言うか。いつもの副長面してるなぁって安心したんですよ」
 言って食器の水分を軽く振って払うと、岩陰に隠す様に置いた荷物の方へと置きやる。そうして振り向いた地味な顔は、恐らくあの夜に船の中で見る事の叶わなかった表情と同一のゆったりとした暢気な笑みを浮かべていた。
 「旦那が居れば、副長はそれだけで心強いんだろうなって思っ、」
 「抜かしてんな、阿呆が」
 ぱこん、と作った拳でその側頭部を軽く殴れば、「痛て!」と語尾を悲鳴に変えた山崎がその場に蹲る。土方は拳を握り固めた侭その様子を見遣ってふんと息を吐いた。矢張り碌な事を言われなかった。身構えていなければもっと正直に動揺の一つぐらい出して仕舞っていたかも知れない。
 土方が銀時と所謂『そういう』関係になったのはもう可成り前の話になる。発端や理由など曖昧な、酔った勢いや興味本位の、大凡利口な理性など無いに等しい部分から身体を重ねて、後はその侭ずるずると延長線上での付き合いが続いている。好きだとか何とかは互いに口にした憶えは無いし言って欲しいとも思っていないだろう。
 それでも、付き合っているのか、と言えば恐らくお互いにそうだと答えるだろうと言う妙な確信はあるのだ。少なくとも土方にとっては、江戸を暫く離れると決まった時にそれを伝えておくべきだろうと自然と思える存在ではあると言えた。
 そんな関係性だったからなのか、互いに互いの関係を明け透けに吹聴して回る様な事はしていない。暗黙の了解の様に、密やかで秘された付き合いであった。
 そこに──そんな銀時の存在に土方が安心するに至る要素があるのかと問えば、残念だが答えはイエスと言わざるを得ないだろう。納得出来るかどうか、はさておいて。
 故に山崎の些か突っ込んだ物言いにも、土方は慣れた躱し方で応じた。よもや『そういう』関係とまでは思われていないだろうが、なんだかんだ銀時と土方とは似た者同士で仲が良いのだろうと、山崎ばかりか近藤や沖田までしばしばからかうネタにしているからだ。
 拳骨を貰った山崎は、それ以上は突かない方が賢明だと判断したのか、打たれた側頭部を大袈裟にさすりながら座り直すと表情と共に話を切り替える。
 「それで、明日はどうします?リーダー格の棲んでると思しき家にも目標の天人の姿や痕跡は見られませんでしたから、次はその、副長の見て来た山頂の社と言うのを当たってみるべきですかね」
 「ああ。目標が村の何処かに潜んでる可能性も否定出来ねェが、そっちは万事屋の連中に任せて良いだろう。何せこっちは敵の容姿すら知らねェんだ。仮に島民に混じってたとしたら、天人か地球人かの判別も近くに居る奴らのがつけ易いだろ。
こっちはこっちで少々危険かも知れねェが、早朝か島民が野良仕事に従事している日中にでも社を調べに行くぞ」
 話題の切り替えに乗って提案する土方に、山崎は「了解です」と頷きを返した。話の腰を中途で折られた割には決断が早い。と言うよりは、余りに出来る事が少なすぎて選べる途そのものが少なかったと言うべきか。
 江戸と言う絶対の安心のある土地では無い此処では、将軍家の威光も幕府の定めた身分や階級でさえも何の役に立たなくなる。この道中で幾度と無く思い返したその言葉を土方はもう一度慎重に口中で咀嚼した。そこに感じる怖れを孕んだ苦味が幾分薄れている事実には、情けないとか現金なものだとしか言い様が無いが。
 然し気持ちの上で安心感があろうが、島に己ら以外の協力者が出来たと言う強みがあろうが、この島が通常の法の上に成り立っていない社会なのだと言う点だけは、絶対に忘れてはいけない事だ。安心感だ何だと言う問題では無い。いつもトラブルに巻き込まれては力業で切り抜ける万事屋の連中と言えどそれは同じだ。
 話通りなら、島民はかなり宗教的な行動を行っている。それが神様を標榜した天人由来のものかはさておいて、閉鎖社会と言う状況も相俟って結束力が固い可能性は高い。いざとなったらどう言う行動に出るかの予測がつかないのは厄介だ。厄介で、恐ろしい。
 (一刻も早く、目標を見つける事。したらチャイナの救出をしてから目標も確保して、後は非常用の救難信号を出して脱出するだけ)
 言葉にすれば酷く簡単な事に聞こえると思って、土方は粟立っていた肌を誤魔化す様に二の腕を掌で擦った。この洞穴は海面に近いだけあって冷える。温かな食事や肉の交わりで温度を保ち始めていた筈の身体はもう大分冷やされ、心許ない。
 「そろそろ休みましょうか。宗教って大概一日の始まりに礼拝とか行いますし、社に向かうのは日中の方が安全かも知れません」
 土方の仕草を寒さを訴えるものと感じたのか、山崎は荷物の中からシュラフを取りだしながら言う。袋状になったチャックを開けば毛布代わりとして使用が出来る品物だ。保温保冷に優れた素材で出来たそれの寝心地は見た目余り良さそうでは無く、キャンプの様な暢気なものにも見えない。
 水で戻す携帯食料と同じ、実用性としてただ役立てば良いと言う、そんな気概を背負った道具たち。胸の奥で密かにそれらに同意しながら、土方はシュラフのチャックを開いて一枚の布の様になったそれを身体にぐるりと巻き付けた。刀を抱えて岩壁に寄り掛かって目を閉じる。
 不自由そうな土方のそんな寝姿へと、山崎は一瞬ちらと視線を寄越したものの特に何も言う事は無かった。火を消すと暫しごそごそと、寝るに適した姿勢を探していたがやがて静かになる。
 海の音はフェリーの中で聞いたそれよりも随分と近い。岩に波が当たって砕ける音も、水面が泡立って揺れる音も、小さな虫の立てる羽音も。何もかもが意識の直ぐ横で騒音と雑音との狭間を保って響き続けている。
 思わぬ遭遇で得たのは、確かに山崎の言う通りの安堵であったかも知れない。だが同時にそれは、己に安堵をもたらしたそれらにも、己同様の危険を与える可能性を認める事でもあった。
 大丈夫だろう、と言う無責任な感情は果たしてこの特異な島の中でも有効で居てくれるのか。この刀で護りきれるのだろうか。
 尽きない思考と、それを打ち消す為のプランと気休めとを波の音の合間に聞く夜はきっと長い。
 人の気配や言葉の途絶えた洞穴の中、眠れるだろうか、と考える迄も無く、土方は己の意識が眠れぬ事を悟って仕舞っていた。




五は五人の五。

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