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五棺桶島 / 15 一人の島民が見下ろすのは、自ら手に掛けた妻子の亡骸だった。 然しその目に、感情に揺らぎは全く無い。そこには、これは『自ら』にとって不要だと言う、ただの単純な判断しか無かった。 雌と子供の肉体は寄生に適さない。理由は解らないが、そう言うものだと知ってさえいれば良い。孵化したばかりの芋虫が自らの食せる葉を知っているのと同じ様に。 媒介虫を使って少しづつ増やした『兵隊』たちも彼に倣った。妻子と役に立たない者とを無感情に殺めて、亡骸はまとめて畑に穴を掘って埋めた。 彼らは寄生体に奪われた脳で、意思も躊躇いも悲哀も憤怒も無く自らのささやかな生活をその手で壊した。 酷い光景だ、と彼らの姿を睥睨する自らが何処か他人事の様に考えている。これは誰の視点なのか。ただ強い怒りが湧くがそれが何処に向くものなのか、誰のものなのかも定かではない。 やがて、見下ろしていた筈の骸たちが消え失せると、代わりに見慣れた部屋が現れた。きっとこれは日当たりの良い窓を背に、草臥れた社長椅子にだらだらと座っている時に見ている風景だ。呆れた様に声を掛けて来る眼鏡の少年と夜兎の少女。机の上には読んだ事のない漫画雑誌。否、読んだ事があったかも知れないがそれさえも誰の記憶なのか矢張り定かではない。 次に見えたのは見慣れた親友の笑顔と、部下の少年の人を食った様な顔だ。屯所の一室だと思う。何か益体の無い話でもしているのだと思うが、日常的にそんな場面は何処にでもあって、記憶のどの場面であるかは結局定かにはならない。 続けて見えたのは天井だった。ソファの上で天井を見上げているのか、と思えば、見慣れ過ぎた男の顔が目の前にあった。汗ばんだ互いの膚の温度も感触も煩わしい筈なのに、そこに溺れる事が心地よい。近付く口唇を受け入れては、融け合いそうな放熱に苦しくなって酸素を貪ろうと離れる。 混じり合った様々の目で見た風景が誰の──『誰』の記憶なのか記録なのか感情なのか定まらない。だが、この男と相対し得る感情には憶えがある。だからこれは、少なくともこれだけは己の感覚に、或いは感情に相違ないのだろう、とはっきりそう認識した瞬間、土方は漸く開いた瞼の下、霞んだ視界に映り込むものをぼんやりと見つめている事に気付いた。これもやはり、見慣れ過ぎた銀髪の男だ。 それは構わない。ただ不快なのは、自らの横頬が地面についている事だった。床板だろうか。余り質のよくない無垢材の感触だ。 粘ついて剥がれない錯覚を憶える目蓋を無理矢理に開いて、閉じる。まるで酷く酔って眠って醒めた時の様な、時間と空間の前後左右がはっきりしない感覚と、頭を鈍痛でひたすらに苛み続ける倦怠感。 重たくて、怠い。眩暈を起こしている時の様に視界が暗くぶれながら回転している。 それでもなんとか目の焦点を合わせれば、木目と木の匂いが直ぐ目の前にあった。どうやら板張りの床の上へと身体を転がされているらしい。少し埃っぽい匂いがする。どこかの家屋の中だろうか。 拘束されてはいない様だが腕や足が動きそうな気配は全くせず、意識もふわふわと一定せずに揺れ続けている。そんな状況だと言うのに何か危機感を憶えないのは、目の前に見慣れた男が居るからだろうか。 見慣れた筈の男が、全く見た事の無い表情をして立っているから、だろうか。 ……だとしたらそれは、意識の途絶の前から今に至るまでの空白に対して、当たり前に憶える筈の恐怖や危機感に勝る程の怒りを感じたからに違いない。 「てめぇは…、そいつを操ってでもいるのか」 はっきりとしない意識が、然し何かに抗いたくなって土方に軋る呻きを上げさせた。理由は知れている。目の前の男に対する不遜な冒涜に腹が立ったからだ。 意識と記憶とは混じって巡って定かでは無い。それでも土方の意識には先頃と同じ妙な確信があった。きっとこれは、己の感情がそれを知っているからだ。その感情だけが、土方のぼやけて揺れる意識をそこへと繋ぎ止めてくれているからだ。 今見ていた夢だか幻覚だかの主が、土方の知る坂田銀時と言う男を全く別人の様なそれにしているのだろうと、この感情が、感覚が訴えて来ている。 「……少し違うが、まあ概ねは正しいな。ええと…、真選組の副長、と言ったか」 銀時の唇が、声が、姿形が、全く同じで然し全く異なった印象を持って其処に在る。土方は崩れそうな意識の中央にその男の姿を据えて、今にもこぼれ落ちて砕けそうな思考を必死に巡らせた。 どう見たところで目の前のそれは土方の知る坂田銀時とは言えない。だが、全く異なる訳では無い。理屈は解らないが、目の前の『それ』と、銀時との記憶が、恰も土方自身の記憶を辿る様にして『見えた』のだ。坂田銀時では無い別の人間の記憶にそんな再現が出来る訳がない。 理解出来ないし意味も解らないが、土方の思考の裡にまるでそう在る事が自然であると受け取っている部分が出来ている。その事実に本来憶えるべき奇妙さや気持ちの悪さは何も感じられなかった。 「それは、お前達の中に居る端末虫の寄生体と、その親株であり本体である『私』とで不完全ながら意識を共有する事が出来るからだ。記憶や情報と言った類のものはお前達──否、『我々』の共通認識となるが、命令だけは上流から下流にしか流されない。そう言うものだ」 ぐるぐると巡り揺すられ続けている土方の思考に親切にも言葉でそう答えて寄越すと、銀時の姿をした『それ』は横たわる土方の前にそっと片膝をついた。戯れめいた手つきで子供にする様に頭を撫でながら目を細める。 「この間までは島民の一人を乗っ取っていたんだが、この強い侍が外から来た。だから乗り換えた。強い者の肉体を得ればある程度は好きに様々な事が出来るからな。 連れに夜兎の、しかも何の使い途にもならない雌が居たのには肝を冷やしたが、所詮子供だった。あちらは然して労することなく処分が叶うだろう」 その仕草は銀時の記憶を再現でもしているのか、それとも土方の意識が靄がかっている為にそう錯覚して仕舞うだけなのか。然し姿形が同じでも、口にする言葉のまるきりの違いが、それが土方の知る坂田銀時では無いのだと痛烈に突きつけてきている。 恐らく──否、自らもあの気持ちの悪い島民らと同じ状態になりつつある土方には、意識の共有とやらのお陰で確信を持って理解出来ている幾つかの事柄があった。 一つは、これが探していた標的の天人(の正体)である事。 一つは、そいつの正体が他者に寄生し乗っ取って仕舞うタイプの生命体だった事。 一つは、明確な意思を持たない他寄生体たちとの意識共有を宗教行為として誤魔化していた事。 一つは、そうやってこの島を時間をかけて完全に掌握した事。 一つは、神楽と新八、そして山崎は寄生から逃れている事。 ……一つは、意識が途切れる前の、あの蜂の様なものに因って、己には島民たちと同じ寄生体を生み付けられている事。 土方の思考がそこに結論と覚悟とを置くのを待ってか、『それ』は銀時の顔で愉快そうに笑った。 「これの体に入って江戸に向かうより、お前の体に移ればより良い。追跡も逃れられるし、地球の警察組織の内部に入り込む事も出来る」 大凡銀時の口から吐き出されて行くものとは思えない言葉に、土方はなけなしの意識をそこに集中させて、無駄と知ろうがこの状況から逃れようと身じろいだ。感じたのは強い義憤かそれとも純粋な怒りか。揺れて定まらない嵐の中の船の様に激しく振り回される頭の中で怒り一つに縋って強く、それをひたすらに睨み据える。 刀に触れる事の出来ぬ手がもどかしかった。己の裡の『なにか』がそれを勝手に留めている。抵抗を、或いは悪足掻きを。言葉通りに骨を抜かれた様に、その場にぐにゃりと倒れ臥した侭にしている。 意識以外の全ては既に完全に支配されているのだ。そんな中でただ相手を睨むだけの抵抗など、蟷螂の斧を振るう様なものだ。 それでも悔しさと激しい瞋恚を示す事を已めぬ土方の眼差しに晒されて、銀時の姿をした『それ』はいっそ優しげに微笑んで見せると、土方の頬を指の腹でつと撫でた。 「──ッ?!」 途端、電流が走る様な感覚が──、それよりも遙かに甘い痺れが背筋を伝って落ちた。「ひ、」と噛み殺し損ねた悲鳴が漏れて、横たわった侭の全身が大きく跳ねる。 頬に触れた指の仕業ではない。これはもっと、もっと直接的で暴力的な感覚なのだと知らせて来るのは本能的な忌避感と嫌悪感だった。 「未だ解っていないと言う事はあるまいに。端末虫を脳に抱えている以上、親株である私に逆らう余地など無いと」 「っひァあ!?あッ、あぁッ!」 下肢には指一本ですら触れていないと言うのに、そこで確かに憶える感覚が勝手に土方に声を上げさせた。実際に触れてもいないところからの感覚、普段銀時に触れられ強い性感を齎すそこで得るのと全く同じ感覚が脳から一気に湧き出したのだ。 無様に声を上げ、びくびくと陸揚げされた魚の様に全身を跳ねさせて、土方は己の身体が──否、脳が好き勝手に犯される感覚に為す術もなく身悶えさせられた。 知り得ない恐怖と、有り得ない嫌悪と、見下ろされている羞恥と、何もされていない様にしか見えぬ事実と、それに抗い様の無い絶望と、勝手に弄くられた脳に反応する性感と。 そしてそれが己の脳に寄生し好き勝手にしようとする異物に因る現象だと言う事に酷い嫌悪と恐怖は確かにあると言うのに、それらの感情さえも暴力的に塗り潰し変えられて行く。 脳髄がふにゃふにゃに溶けて行く様な絶頂感がやがて身を襲った。何も出していないのに、何もされていないのに、幾度と無くそこに持ち上げ落とされて土方は抗い様なく弄ばれ続けた。 遠慮を知らぬ刺激の感覚に脳は既に溶けきってまともな思考を紡いではくれない。これが銀時なのかそうではないのか、ここがどこなのか何をするべきだったのか、全てがぐちゃぐちゃに溶かされ攪拌されては靄の中へと消えて行く。 溶けて役立たずになった思考の中、快楽と言う感覚だけが鮮明に過ぎて苦しい。『それ』はそんな土方の姿をただ見下ろしている。嘲るでもなく貶めるでもなく、ただ無感情に。あの男の顔で、まるで実験動物でも見つめるかの様な目で。 「お前はこの男の雌だった様だからな、端末虫に脳を少し突かせただけだが、面白い反応だ」 「……ッ、」 言葉と同時、ふっと已んだ快楽にはぁはぁと荒い呼吸を繰り返しながら土方はそれの姿を見遣った。違う、これは銀時ではないのだと繰り返してみても、意識がぐずぐずと崩れて行きそうになる。 (道理で、奴らしくもなくこんな状況下でサカってやがると思ったら、アレは奴であって、奴じゃなかったって事か…、クソ、下衆が、) 纏まらない思考で土方は考える。これではっきりしたのは、『こう』されたら寄生された人間など何の抵抗も叶わぬと言う碌でもない事実だ。脳から犯される酷い気分など、言葉では到底言い表せそうもない忌避感と嫌悪感とで出来ていると言うのに、その感覚や感情でさえも繰り返される時間毎に曖昧になって行く。こんな状態が長く続けば、本当に脳が違う誰かの──否、何かの一部と成り果てるだろう。それがそう遠からぬ内である事だけは薄らと理解が叶う。だがその事実に絶望を憶えている暇などない。 銀時に寄生したのは『本体』だと言う。ならば、その『本体』が『誰か別の肉体』に移動さえすれば元に戻るかも知れない。土方の様に端末虫とやらを既に抱えさせられていたらそれも難しいだろうが、銀時らがこの島に来てからの日数を考えれば──また『本体』の口振りの通りならば、島民ではない新たな人間でありそれも勁い肉体を持った者である所の銀時に、即座に肉体を移し替えない理由はなかった筈だ。 土方に端末虫を寄生させた理由は、その目的や素性を知る為だ。寄生した端末から『本体』は土方の記憶を探り、それを知った上で銀時からの『乗り換え』を検討している。土方の社会的地位と立場と職位とが、本土に赴き江戸を掌握する確実な足がかりになると見なして。 「その通り。どうやら、お前は将軍と言うこの国のトップにも近付く機がある様だ。お前の次は将軍かそれに近しい者へと乗り移って行き、そうして国を内側から支配するのも悪くない」 にこりと、それは銀時では決して無い表情で微笑むと、倒れた侭虚しく身じろいで抵抗を続ける土方に覆い被さる様にして顔を近づけて来た。 「……っ」 口接けでもしそうな距離で見下ろして来る銀時を──否、『それ』を、土方は必死に形作った嫌悪の表情で睨みつける。 実際に肉体的に得る性感ではないから感覚が止むと同時に落ち着きは戻って来ている。だが、脳の奥で憶えた鋭すぎる快楽と、目の前の銀時の姿形とが土方の感情を混乱させ錯覚させそうになる。 溺れ折れそうになる意識の正体はきっと、いつもあと一歩届かず諦めていた手の憶えていた距離だ。自ら選んで開こうとした関係にどうしても感じる身勝手な鬱屈だ。伝わらない、伝える気の無い、それでも通じている確信だけはあった──逆に言えばそれしか無かった、もどかしさや寂しさや悔しさと言った感情たちが、この酷い仕打ちを受け入れ折れようとしている。 そうしようと、頭の中の『何か』別のものが仕向けている。目の前の、銀時ではない筈のものを、銀時であると錯覚させて抵抗を削いで行く。 「『私』を何処から受け入れたい?『私』は飲み物に混じって体内に入れる程度の大きさしか無い。お前の身体の何処からでも入り込む事が出来る。お前の希望を叶えてやろう、新たな宿主よ」 いっそ慈悲深くさえ見える笑みは土方の知る銀時のものでは決して無かった。よく見慣れた姿の形作る死刑宣告にもほど近い言葉である筈なのに──或いは、だから、なのか。土方の背を伝い落ちていくのは甘やかな絶望と、銀時だけはこれで救えるかも知れないと思う僅かの希望だった。 …あ、虫的なマニアックプレイとかは無いですのでご安心。 ← : → |