五棺桶島 / 16



 夜の、碌に目も効かぬ闇の中を器用に走る山崎の背を新八は必死で追い掛けていた。舗装もされていない山林の地面は凹凸が激しく、気を付けなければ直ぐに足を取られて転倒して仕舞う。基本的に江戸と言う都会育ちの新八には深夜の山林マラソンなど慣れよう筈も無い。
 山崎は時折背後を振り返ってこちらの無事を確認してくれているが、それに頷きを返したり救いを求めている余裕など正直無かった。ただ、背後に見えざる追っ手の気配を感じている気がする、そんな危機感と悪寒だけが新八の体を突き動かしていた。
 遡るのは何分か前の事だ。家を訪ねて来た山崎の推論混じりの説明を受けた直後、家の戸を何者かが叩いた。新八は銀時が戻って来たのだと思ったが、戸を開くのを制止した山崎は無言で刀を抜いて警戒を示した。新八にも、銀時の所持品であるいつもの木刀を持って来る様に指示すると、とんとんと言う優しい音からがんがんと激しい音に転じたノックを繰り返す外の人間を、蹴倒した戸と共に押し退けて二人揃って勢いよく外へとまろび出た。
 外に出てまず目に入ったのは、闇の中、松明を手にした島民たちが家の周囲をぐるりと取り囲んでいると言う想像以上に恐ろしい光景であった。
 島民たちは昼間共に畑仕事をしていた時の姿と何ら変わりなく見えた。が、山崎にあんな話を聞かされた後で見ると、彼らは恰も何か一個の生物を形作る集合体の様にしか思えなかった。明らかに一つの意志に基づいて全体が動いてるその有り様は、異常で異様な光景だったと言えよう。
 新八は無意識にその群れの中に見知った顔を探していた。銀髪の、いつもはぐうたらしている癖にいざと言う時には誰よりも何よりも頼りになる人物の姿を。
 だが不幸中の幸いなのか、各々手にした松明の灯りに照らされた島民たちの顔の中に新八の探す人物のものは無かった。然しそれに安堵の溜息をついている猶予など無い。抜いた刀を構える事も忘れ周囲に視線を走らせている山崎も恐らく新八と同じ事をしていたのだろうが、我に返るのは彼の方が少し早かった。
 島民は全員がほぼ同時に動いた。「新八くん!」鋭く頬を打つ様な山崎の声に、新八は弾かれた様に動いた。地面を蹴ってつんのめる様に立ち上がると後はただひたすらに先を行く山崎の背中を追い掛け走った。背後の男たちが無言で追って来る不気味な気配だけをその背に感じながら。振り返ると言う事も出来ず。
 それから速度を落としたり上げたりしながら山林を走り続けている。急激な運動に横腹が思い出した様に痛み始め、肺が新鮮な酸素を求めて喘ぐ。ぜいぜいと切れている息にも気付いていたが、背後を振り返るのが恐ろしくて堪らない。昼間まではただの無関係な人たちか、或いは被害者と認識していた人々がその実化け物じみた連中そのものになっていたなど、想像しただけでぞっとしない。それが想像どころか現実であるのだから堪らない。悪夢良い所の有り様だ。
 島民たちには言葉少なな人が確かに多いと思ったが、こんな前時代的な世界では閉鎖的になるのも仕方がない話なのかなとそう思って、新八は多少気に掛かる奇妙な点を納得させて来た。神楽の事も話せば何とか解ってくれると何処かで楽観的に考えていた。
 現代に普通に生きる人間の考え得るだろう大凡の場合に於いて、新八が今までに経験して来た事はその概ねが常識的な道理で通っていたのだ。こんな状況もこんな世界も、想像の及ぶものでも無ければ対処が追いつく心理状態にも無い。
 頭を抱えて大声で喚きたいと言うのが正直な所だったが、混乱していても思考を逃がしても何にもならないと言うのは解っている。山崎から事前に話を聞かされたお陰もあって、新八は己の理性がまだ比較的に平静を保ってくれていた事に感謝した。
 だが酸欠に程近い脳の中では、理性を総動員させてみた所で浮かぶのは繰り言か罵声ぐらいしか無い。
 家を取り囲む人々の姿を思い出すと目の眩む様な怖気が蘇る。助けてくれた親切な島民と思っていた人々は、皆木偶の化け物だった。彼らとて好きでああなった訳では無いのだろうと解っていても騙し討ちの様な形には罵りの言葉しか出て来ない。アレは銀時を喰い、新八もいつか喰らおうとしていた化け物だったのだから。
 (銀さんを、そんな奴らからどうやって助ければ良いんだ…!その前に神楽ちゃんも助けなきゃいけないし、一体どうしたら)
 己の頼りにし拠り所にしている二人の不在を噛み締めてから、いいや、と新八は強く唇を噛み締めた。恐らく八割方銀時は寄生されている運命にあるのだろうし、神楽は囚われの侭だ。土方も行方が知れない事から、銀時に騙し討ちにされたか何処かで襲撃を受けた可能性が高い。
 山崎はこちらを気にしながら行動してくれてはいるが、足手纏いは迷惑だときっとそう思っている筈だ。
 今、この島に入り込んで仕舞った異物であるところの五人の中で、確実に動き回る事が出来て、何とかする為の方策を考えるのが可能なのは己と山崎の二人しかいないのだ。
 (怖いとか、銀さんと神楽ちゃんが居ないと、なんて甘い事は言ってられないんだ)
 縋れるものや、少しでも明るい可能性があるのならそれを全力で扱ってでも何とかしなければいけない。そうしなければ、この島に五つの死体、或いは一つの死体と四体の木偶人形たちが出来上がるだけの結果が待っている。
 銀時と戦って新八に勝てる要素があるかと問えば、答えは残念ながらノーとしか言い様が無い。だが逆に、銀時を──この事態を引き起こした『本体』を倒す事が出来なければ詰みだ。
 新八の浮かべられる手だての中では、矢張り銀時を何とか取り戻す事が最善だと思えた。何とか『本体』と一体化していると思しき銀時を見つけて、例えば神楽に軽く叩きのめして貰うなりすれば一時的にでも無力化が出来るかも知れない。
 要するに、銀時を倒すのではなく、銀時の身体を使っている『本体』を倒せば良いだけなのだ。そう考えれば僅かでも勝算が涌いては来ないだろうか。
 新八の思考が前向きになったそんなタイミングを待っていた訳ではないだろうが、不意に山崎が足を止めた。慌てて新八も立ち止まれば、彼は新八の腕を引いて木の陰に膝をつくと耳を澄ませる。虫の声も遠い叢の中にはどうやら足音らしきものは聞こえて来ない様だ。遠く木々の狭間に、松明の揺れる光が動いていく様な気がして肝が冷えるが、怖れや警戒の生んだ錯覚かも知れない。
 立ち止まった事でどっと汗と呼吸の乱れとがやって来る。心音が煩い。山崎の横に座り込んだ新八は何度か深呼吸を繰り返し、強張った手で握りしめていた木刀を掴み直した。一旦止まった事で次に動くのは困難だと震える膝が訴えて来るのを無視して、腹の下にぐっと力を込める。
 「全員一斉に動いて来た事からしても、やっぱり寄生されている人たちは意識を共有してるとか、『本体』の命令を直に受けて動いているとか、そう言う感じなんだと思う。
…と、なると『本体』を抑えられれば何とかなるかも知れない」
 新八と同じ様に呼吸を整えながら、山崎。この闇にあって明るい話題は新八の結論と概ね同じだったので、飛びつく様に頷きはしたが、実際どうやってこの二人だけで『本体』とやらを探し出して捕まえる事など出来ると言うのだろうか。
 「意識共有型だとしたら、『本体』がある程度集中して、任意の『兵隊』一人を直接動かす事も出来る可能性が高い。新八くんたちが島民たちを奇妙に思わなかったのも、怪しまれない様に『本体』が君らに相対する一人を集中して操って『演じて』いたんだと思う。一人でもそれらしい、多少不自然でもちゃんとコミュニケーションを取る人間が居れば、他が傀傴だとしても誤魔化せるからね」
 言われて、記憶を浮かべながら新八は頷く。今さっきまで追って来ていた島民たちは映画で見るゾンビの様な意思も理性も言葉も無い様な有り様だったが、島に来た当初や日中言葉を多少交わす人物は、口数が少ないながらにも言語を介して新八たちと会話をしていた。少なくともあんなゾンビの様な状態ではそう言ったコミュニケーションなど取れそうにない。
 個別の人間にそれぞれ寄生している筈の生物が、どんな手段を使って互いに意思疎通をするのかなど新八には想像もつかない。蟻や蜂が誰に教えられずとも己の役割に従い社会性を構築するのと同じ様に、人間には到底理解出来ない何かの理由や方法があるのだろうか。
 ともあれ山崎のその推論が正しければ、『本体』ではない寄生体に支配された人間が、そうとは思われぬ態度で現れる事こそ危険と言う事になる。そしてその疑念を向けるべき対象は、今のこの島では新八自身を含めた五人しかいない。神楽を除くなら正確には四人だが。
 「…つまり、誰か一人の人が味方を装ってやって来ても、信用出来ないって事ですか?」
 「まあそう言っちゃうと俺が一番怪しいって話になっちゃうんだけどね」
 はは、と冗談めかした調子で言う山崎に、新八は曖昧に笑い返した。それを言って仕舞うと一番危険なのが自分だと言うのはこちらとて同じだ。こうなれば信用するしかないと言うのが正直な所である。
 「取り敢えず…、動ける?一旦場所を変えて潜伏しようと思うんだけど」
 木の陰から、先頃灯りの様なものが見えた気のする方角を伺って言う山崎の背後から、新八も同じ様にそちらに向けて目を細めて見た。よくよく見ればそれは錯覚ではなかった。木々の陰の向こうには確かに何か灯りの様なものが見える。
 「追っ手がまだいるんじゃ」
 「いや、大丈夫。怪しい動きは見た限りなさそうだ。足音もしないし、見失ったんだと思う」
 不安の声を上げる新八にそうさらりと言うと山崎は立ち上がって歩き始めた。慌てて新八もそれに続く。よもやここに来てこの人も寄生されたのでは、と胸中で水に墨を流した様に黒い疑念が渦巻くが、その疑念を言葉にする前にふと唐突に森を抜けた事に気付き、思わず「え」と声が出る。
 森を抜けて出たのはここ数日ですっかり見慣れた村落の風景を、日中だったら見下ろせただろう高台だった。木々の間に揺れ動いていたのは、高台の家の前にある篝火だったのだ。
 「え、ええええ?!何ですか、散々逃げたと思ったらぐるっと回って戻って来ただけェェ?!」
 「意外とね、逃げる側が怖がって来ないだろうって思う場所の方が安全なんだよ。さっきの様子からして島民は多分全員森に出払ってるし、ここなら人質を救出して暫く立てこもれる。副長を捜すにしても旦那を捜すにしても、今後の方針を固める作戦会議は必要だからね」
 言って、ぽかんとしている新八を余所に山崎はすたすたと歩いて、神楽が囚われていると言う倉庫の方へと向かい始めた。新八はまたしてもそれを慌てて追い掛けながら、この人地味なあんぱん芸だけの人じゃなかったんだな、と何処か的外れにそんな事を考えていた。
 と、倉庫に近付いた所で新八の耳が土を蹴る足音を捉えた。引っかかる様な草履の音。はっとなって振り返れば、高台に向かって何者かが駈け上がって来ていた。咄嗟に木刀を構えて待つ。見れば山崎も警戒の表情を浮かべて刀に手をかけじっとしている。
 走って来た主の姿が、篝火に照らされその影をくっきりと地面に刻んだ。隠れるべきか挑むべきか。単身で来たと言う事はこれこそが『本体』なのか。考えが回って結論が見えない。推論も役に立たない。息を飲む。
 やがて闇の中から現れたのは、橙の炎を朱く照り返した銀髪の男だった。






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