五棺桶島 / 18



 宇宙には様々な種の生命体が存在する。様々な形で生存本能に従う生物が存在する。
 地球の言語に適した名を持たない、極小の細長い体躯を持つ天人もその一種であった。
 否、正確には天人と言う分類よりも宇宙生物と言う扱いに近いだろう。彼は(或いは彼女は)自らの矮小な身では生存すら危ぶまれる程に脆弱な生物であった為、長い時間をかけて寄生と言う生態へと進化した。そうして他の生物の脳へと寄生しその肉体を自らのものにする事で幾年も生き存えて来た。
 それでもたった一体の生物では脆弱だからと、自らの一部、端末となる近縁種の寄生虫を造り出し、それを運搬・使役するのに媒介虫と言う生物兵器を用いてささやかなコロニーを形成した。
 様々な種の天人に寄生し、富や財や力を得る事でコロニーを拡大し己の身を護る事を学んだ彼だったが、地球に来るひとつ前の星で『やりすぎ』た。政財界の大物に寄生しその惑星での違法行為に手を染め多大な被害を多方面に及ぼした事が露見し、結果、連合に犯罪者として追われる羽目になったのだ。
 僅かに残った端末虫と媒介虫の卵を持って、潜伏先に選んだのは連合に所属しそれなりの発展を遂げながらも未だに未開の土地も多い地球。昔ある惑星で端末虫を寄生させた者が地球の、この国の大使の一人で、未開で政府、否、幕府すらも介入しない離島があるとその記憶から得ていたのが役立った。
 島民の一人に寄生した後は、密やかに端末虫と媒介虫とを少しづつ培養して自らの手足を増やした。寄生できぬ雌や子供は騒ぎになる前に処分し、幕府の監視には端末虫たちの不自然な有り様を宗教行為とする事で誤魔化した。端末虫や媒介虫は監視の目の届かぬ場所でゆっくりと培養していった。
 島を全て掌握した後は隙を見て外の世界へと出て行き、長い時間をかけていつかはこの国を掌握するつもりで居たのだが、事は存外早い内に露見して仕舞った。
 だが、彼の元に幸いな事にも漂流者が舞い込んで来た。強い侍の雄だ。
 生憎とその時には培養している媒介虫が未だ育ちきっていなかった為、彼は直接供した茶に紛れ体内へと入り込み侍に寄生するほかなかった。端末虫は寄生した生物の脳に根を張り生命活動を完全に掌握する、『本体』の指令を受けるアンテナの様なものなので、予め端末虫を入れていない肉体を完全に乗っ取るのは難しかったが、逆に本人の意識が消えなかったお陰で連れ達にも怪しまれずに済んだのは幸いだった。
 連れの未だ未熟な雄は何れは端末の一つになるから保守しておきたかったが、寄生出来ぬ上に危険な夜兎の雌は邪魔でしか無かったが、寄生した侍の記憶を手繰れば、不自然に娘を殺めるのは難しいと悟り、仕方なく娘が無知である事を利して宗教行為に交えて密やかに処分する事にした。
 そんな最中に訪れた幕府からの追っ手は、自らの寄生する銀髪の侍の知己であった。侍の記憶の中では情人であり雌でもあったらしい男だが、同時に強者としても認識されていた。危険は先んじて回避すべく、漸く育った端末虫を寄生させてその記憶を盗み見ると、こちらの方が侍よりも社会的信用や地位があり、幕府中枢の人間にも接触する機会のある存在だと知った。
 今度は端末虫も入っている為に掌握は易かった。完全に根を張るまでには未だ時間が要るが、『本体』として運用する以上は問題無い。この肉体の記憶を使って、先頃まで己の『本体』であった侍を籠絡し、端末虫が培養出来たら侍もまた手足として頂けば良いのだ。
 そう思って彼は自らを宿す肉体の口端をそっと吊り上げて友好的な笑みの表情を示す。敵意など何処にもない穏やかなその様に、目の前の侍の表情が神経質そうに強張るのを見て、得たりと確信する。
 人間の感情の機微など到底解らないが、解り易く解釈すれば、侍はこの男を好いていた。同じ雄の身体を雌として扱うぐらいには情や執着と言った複雑な感情を抱いていた。
 きっと彼の浮かべてみせた微笑みは、酷く蠱惑的なものとして侍の目には映っている。
 この島での思わぬ再会に胸を躍らせた侍の正直な欲を脳から態と刺激すれば、容易く肉欲が互いを引き寄せたのだ。この肉体を呉れてやる事で厄介な存在を抱き込めるのであればそうするまで。
 「銀時」
 笑みをはいた侭挑発的に首を擡げ、熱を込めて囁きながら距離を詰める。この侍の欲するやりかたは寄生していた間でよく知っている。
 それと同時に、今寄生する男の裡に、眼前の侍に対する慕情がどれだけあるかも知っている。その意識から理性の箍を外してやれば、彼が明確にその肉体を操るまでもなく男は自らの感情に陥落した。焦がれる者へと何一つ憚りなく情を示せる歓びに逆らえなかったのだ。
 然し、侍は無言の侭に木刀を突きつけて来た。彼のそれ以上の接近を封じ、射殺さんばかりの鋭い眼差しを向けていると言うのに声だけは平時の調子を保ち嘲る様に小さく笑ってみせる。
 「その子俺以外のお触り禁止だから。意外と身持ち固いからね?脳ミソファックなんて言う高度に変態過ぎるプレイは生憎お断りなんだよ」
 言葉の穏やかな調子と裏腹に、その内心は激しく動揺し腑も煮えくり返っているのではないかと、盗み見て知った侍の人格であればそんな気はするのだが、突きつける切っ先も語る言葉にも揺らぎは何も見て取れない。
 この侍に端末虫を入れる事が出来てさえいれば問題は起きなかったのだが仕方がない。『本体』を早く乗り換えた事は早計だったのだろうか。そう悔いても遅い。兎に角目の前の、明かな敵意と害意とを以て佇むこの侍を何とかしなければならない。彼は侍を情で落とす方策を斬り捨て、次の手へと移る事にした。この男の抱え続けて来た潜んだ情は隠さず漏らしながら、言語の主導権を奪ってこちらの意思を明確に伝える。
 「では、この男の肉体は何れ乗り換えた後でお前に呉れてやろう。望む様な色恋に興じるも叶うぞ?協力する気はないか」
 「……オメーな、俺に寄生してたってのに俺の行動パターンすら読めねェ訳?──つーかな、そんな安い男じゃねェんだよ、そいつは」
 彼の提案を鼻で笑い飛ばすと、侍は木刀を手前に引き構えを取った。
 彼の腰には刀と言う得物がある。この肉体はそれの扱い方を知っている。だが同時にこの侍の強さを知っている。
 敵わない。
 勝ちたいと強く好戦的に思う記憶の端々に時折混じるその言葉が、印象が、彼を躊躇わせた。勝てぬ勝負はする気はない。飽く迄己が長らえれば良いだけであって、戦って勝つ事が目的では無いのだ。
 然し彼の手は刀を抜いた。これは『本体』と言う彼自身の意思と言うよりも、この男の肉体がそう望んだかの様だった。『本体』の意思と肉体の無意識との齟齬。まだ端末虫に因る脳の完全な掌握が済んでいないからこう言う事が起こるのだと、好戦的な心地と裏腹に歯噛みする。
 侍が動いた。鋭い木刀の一閃は肉体が勝手に躱すが、こめかみの直ぐ横を貫く切っ先に彼は肝を冷やした。これがこの男の戦い方なのだろうと理解は出来ていても、戦いにはまるで不慣れな己の意識だけがそれを体験している様なものなのだ。恐ろしく無い訳がない。
 激しく交差する剣戟の狭間に、ふと侍が身を屈める事で男の刀が空を切った。仕舞った、と男の意識か彼の意識かが次なる衝撃を覚悟し竦む。死或いは憶え知らない痛苦の予感に彼は咄嗟に神経信号を含めた肉体制御を全て遮断し逃げた。知ってか知らずしてか、侍は木刀をぐるりと回転させると、その柄頭で男の横隔膜を思い切り打つ。
 「──」
 余りの衝撃に言葉もなく不自然な呼吸一つを残して男はその場に膝をついた。彼は残しておいた視覚を辛うじて巡らせようとするが、次いで、がつん、と衝撃が走り、何処かを殴られたのかと理解するより先に彼は意識を失った肉体の中に取り残されていた。
 端末虫が完全に掌握している訳でもない『本体』は、肉体的に落ちればその制御をも一時的に失って仕舞う。果たして侍がそこまでを知っていたのかは知れない。だが、取り敢えず今のこの肉体は完全に使えない状態となった。少なくとも気絶状態から目覚めるまで、或いは端末虫が脳を完全に侵食するまではこの肉体では『本体』として動く事は出来ず無抵抗の状態になって仕舞う。この間に手術などの強引な手段で彼が摘出されて仕舞ったらお仕舞いだ。或いは宿主の肉体そのものを壊されても詰みとなる。
 因って彼は自らの意識を周囲に居る別の端末虫へと移動させた。島民の一人だ。そこから全ての端末に指示を飛ばせば、彼と侍との対峙した山頂付近の森へと全ての端末が集まって来る。
 侍を殺すか、『本体(じぶん)』を逃がすか。どちらでも構わない、手足たちを集めてなんとかさせなければならない。
 
 *
 
 がくりと意識を失って膝をついた土方の身体を支えると、銀時は木刀を地面に突き立てて安堵の溜息をついた。一旦無力化する、と言う意味では半ば賭けだったが、どうやら肉体的に落ちて仕舞えばその身体を自由には出来ないらしい。
 それもこれも、操られていたらしい最中には己の意識や記憶が残っていない、と言う己の体験から銀時の思いついた咄嗟の判断だった。
 果たして今回の土方はどうだったのだろうかと疑問は湧く。剣筋も好戦的な態度も、銀時のよく知る土方のまるでその侭だったからだ。これは土方がまだ完全には『本体』に乗っ取られてはいないと言う事の証明なのか、或いは完全に乗っ取られたからこその顕れなのかは解らない。
 どちらにせよ気絶と言う状態で無力化するのには成功したらしい。そうなると前者の可能性は高いが。
 目を硬く瞑って眠る様に落ちている土方の身体を一旦その場に横たえて、銀時は念の為にその手から刀を奪うと鞘に納めて離しておく。これで突然寄生している『本体』とやらが目覚めても大丈夫だろう。
 取り敢えずまだ早めに処置を行う事が出来ればなんとかなる可能性はあるのだ。早く土方を連れて合流地点に向かわなければならない。この侭寄生虫だか天人だかに喰われて廃人にさせるなど冗談ではない。
 ここは山頂に程近い森の中だ。山頂の社に向かう最中に土方──に寄生している天人──が現れ、いきなり土方らしくもなく微笑んだかと思えば科など作って迫って来たのだ。平時であれば口笛の一つでも吹いてやりたい所だったが、それは物真似を演じる役者の様なちぐはぐさと違和感を以て銀時の目には映った。
 まず感じたのは、当人の意思をねじ曲げ操る所業に対する冒涜感だったが、それよりも驚きに心を揺すられそうになる己への呆れでもあった。
 自分たちの関係性ではどうあった所で、こんな風に媚び調子で手を取り合うなどと言う事は有り得ない。明け透けに想いを行動や感情で伝え合って結びつく様なものでは無いのだ。
 土方ならこんな事は絶対にしない。
 そんな諦めにも似た理解が、恐らく両者の間にいつまでも隔たりを生み続けているのだろうが。
 「……そうだな。そんな安い奴じゃねェよ、お前は」
 涌いた苦い感情を呑み込んで、銀時は意識を失っている土方の髪をそっと撫でた。こうして沸き起こる感情は多分に愛しさとか身勝手な庇護欲とか──或いはただの執着としか言い様の無いものだと思うのに、目を醒まして向き合えばそれらの感情はただの肉欲に変換されて誤魔化されて仕舞う事が圧倒的に多かった。否、寧ろそうする事で何か繋がる為の同一の意識でも持っていたつもりだったのかも知れない。
 この島に迷い込んだ当初、銀時は本当に自分たちがタイムスリップでもしたのかと思っていた。何せ何かと厄介なトラブルに色々巻き込まれる身だ。過去の時代に戻って仕舞ったのかも知れないと言う可能性を単純に、或いは明快に、有り得ないと笑い飛ばす事が咄嗟に出来なかったのも已むを得ない話であった。
 それはひょっとしたらもう二度と元の世界には戻れないのではないかと言う不安と等価であって、多大な後悔を銀時の裡にもたらした。その一つが、土方に何も告げぬ侭であった事は言う迄も無い。
 単なるセフレに何を言うんだと嘲られるのが怖くて旅行に出掛けると告げなかった事。身体を重ねた最初の日は酷く酔った振りをしていただけなのだと本当の事を言えずにいた事。どうしてお前がそれから幾度もそんな行為を許してくれたのかと言う疑問を口に出せずにいた事。涌いて溢れた情を最低な形の一つで表現して仕舞った後悔と申し訳の無さと言う本音の事。
 告げて、伝えていたら今何かが変わっていた、こんな事は起こらなかった、などと愚にも付かない想像をするつもりは無かった。だからそれは何処まで行ってもただの後悔であって繰り言でしか無い。それでも銀時は、もう戻れないのかも知れないと思った時に、どうしてもその事についてを悔やまずにはいられなかったのだ。
 (おめーは想像もしねェだろうけど。こんな島で、訳わかんねェし、神楽は生贄にされるとか言われるしで最悪としか言い様の無ェ状況だってのに、おめーの姿を見た時どれだけ俺が安心したかなんて事)
 江戸に戻れるかも知れない。助かるかも知れない。助けられるかも知れない。そう知った時に銀時は悔いていた事柄を馬鹿馬鹿しいと一度は胸の奥へと呑み込んで仕舞おうとした。またあの日常に戻れるのなら、この侭、変わらない侭で良いじゃないかと思ったのだ。悔やんだ事を簡単に忘れて、脳から押し出された肉欲にあっさりと全てを明け渡して仕舞った。
 それが己に寄生していたと言うモノの仕業だとしても、そう仕向けられて逆らえなかったのは恐らく己の意識の深層にそう言った部分があったからだろうと銀時は理解していた。
 (無事帰れたら、おめーに伝えなきゃなんねェ事がある……ってこれって死亡フラグって奴?)
 ぐたりと倒れ伏している土方の額をつんと指先で突くと、銀時は溜息混じりに周囲を見回した。深夜の森。どちらかと言えばまだ山頂に近いだろう位置。目的地は島の反対側の山。見上げた木々の天蓋の向こうで夜空は未だ暗く、明け方はまだまだ遠い。
 刀を帯に挟み、木刀を手で掴むと、銀時は意識をすっかりと失っている土方の身体を逆の肩上に担ぎ上げた。流石に己と殆ど体格の変わらない者──しかも完全に意識が無い状態だからかぐにゃりと脱力し重たい──の肉体を平然と抱え上げると言う訳には行かない。
 それでも銀時は腰と腹とに力を込めて、小揺るぎもせず大地を踏みしめた。夜の山林と言う環境は想像以上に悪い状況だ。だが戦時中なら幾度もこんな状況には見舞われている。慣れきった、とまでは言わないが、経験は幾分かの勝算の足しにはなる。
 「……は、」
 思わず漏れたのは力の無い苦笑であった。土方の肉体の制御を失った『本体』が招きでもしたのか、夜深い山中は既に進路も退路もぞろぞろと集まって来た島民たちで埋まりつつある。
 揺れる松明を横目に、銀時は包囲の少しでも薄い方へと駆けた。どろりと白い膜に覆われた眼をした男が立ち塞がるのを木刀の一閃で払い除け、それが倒れ伏すのも待たずに、未だ何が蠢いているとも知れない闇の中へと飛び込んで行く。
 肩上の重みと、腰には彼の人の意志の体現。腕には己の選んだ刃がひとつ。己の元にはそれしか無いが、頼りないとはちっとも感じていないのが不思議だった。痛覚が無いのか、打たれて猶立ち向かって来る島民を撓る足の一撃で蹴り飛ばして、銀時はひたすらに前方を見続けていた。






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