五棺桶島 / 3



 嘗てこの国では戦があった。
 大きな戦であった。規模や勢力では無く、人心を二分したと言う意味ではそれは間違いなくこの国の辿って来た歴史史上最も大きな戦と言えた。
 それは領土を争う戦では無い。名誉を懸けた戦でも無い。
 記録ではこう語られる。それはただの、敗北を、恭順を、新しい時代を認められぬ者らの悪足掻きだった、と。
 
 異星からの使者が訪れた時、国の代表として全てを支配する立場にあった将は決断を迫られた。果たしてこの国は天から来訪した彼ら異人を受け入れるか、否か。
 答えたのは否であった。
 そしてその返答に対する報復が天より降った後、将は敗北を認め受け入れる決断を下した。そもそもにして文明も文化も思考も勝る者相手に、元より他に与えられた選択肢など無いに等しかったのだ。なれば、勝ち目の無い無為の争いよりも早い内にそれを呑み込み膝を屈する事で得られる恩恵もある筈だ、と。
 それは国を背負う将としては間違いなく英断であった。
 だが、民は失望した。侍は反抗した。そうして二分された国の片方の意志は、勝ち目の無い無為の争いを選んだのだった。本来ならば最小の犠牲で済んだ筈の恭順と言う選択肢を、血を流す事で抗って示そうとした。侍と言うイキモノの本能として。国を、護るべきものを護ろうとする人間の意志が為に。
 それこそが、この国で最も新しく、最も大きな戦。攘夷戦争、と呼ばれる、平和の裏で無意味の血を流した戦の事だ。
 
 
 ……ここまでなら、この国に住まう者であれば子供から老人まで知る、歴史──或いは思い出話だ。話す者の年代に因ってその内容と感想とが微妙に異なるのが特徴の、比較的に未だ新しく明瞭な出来事の話である。
 故に土方は斜め読みしていた書面から程なくして目を上げ、目前に座している上官の様子を伺った。
 屋内だと言うのに外さない黒い遮光眼鏡を鼻に乗せた松平の顔は、いつも通り表情と言う表情を形作らずにただこちらを見上げていた。幕府警察高官の印でもある黒く丈の長いコートを羽織り、組んだ土足の侭の足をデスクの上に置いてくわえた煙草から細い煙を立ち上らせているその男は、風貌からは想像にも及ばないが警察庁長官と言う幕府高官の最高位に位置する一人である。
 その姿や様子からは残念ながら見た目以上のものは読み取れそうもない。土方は小さく溜息をつくと手にした書面に視線を戻した。今日呼び出され、この警察庁長官執務室に入るなり投げる様に手渡された薄っぺらいファイルの先頭に戻ると、攘夷戦争と呼ばれる戦が嘗てこの国の各地で起こった事と、その最終的な被害や戦況の報告と言った事務的な内容を今一度読み返す。
 教科書や口伝ての話よりはまあまだ詳しいだろう、正しいかどうかは知れない公の記録をこうして改めて目にする事は初めてだったが、「へぇ」以上の感想が何か湧くでもないと言うのが現実だった。土方は少ない書類の枚数を辛抱強く最後までめくって中身を読むと、矢張り何の役にも立ちそうもないその内容に向けて溜息を重ねた。肩を竦める。
 「何だこりゃ。わざわざ人を呼び出しといて、今更歴史のお勉強でもしろってのか?」
 ぱん、と音を立ててファイルを閉じると、土方はそれを机の上へと放った。取り敢えず文面を正直に読むだけでは何ら意味を得られそうも無い。うんざりとした顔を隠さずに、呼び出された理由の本題を促す土方に、松平はサングラスの向こうの瞳を眇めるとゆっくりと煙草を吸って煙と共に言葉を吐いた。
 「お勉強しねェでも知ってんなら話は早ェんだがな。この攘夷戦争って奴は、記録にゃ殆ど叛乱の意味でしか残ってねェ内乱だ。それだけに公には到底語れねェ、残せねェ、所謂…、『大人の事情』って奴も多く残されてんだよ。で、そいつは勿論お前ェさんが知る由も無けりゃ、寺子屋でお勉強出来る内容には載ってねェ類の話な訳だが」
 「…やけに歯切れの悪い物言いじゃねェか」
 松平の、いつにない回りくどさのある口調に、土方は己の胸の奥に暗雲めいた、疑念にも似た感覚が湧くのを憶えた。なかなか晴れそうもないその感覚は一種の直感だった。厭な予感がする。例えば何か碌でも無い事でも吹っ掛けられる様な。
 果たしてそんな事を思ったのが顔に出たのか、松平は煙草の煙をふっと吐き出した。笑ったのだろう。不安に怯える女子供を安心させる時の様に。らしくもなく柔和に。マフィアの様なその風貌に全く似合わない事この上ないそんな態度に、逆に土方の警戒心は強まった。
 「まァ要するにこれからてめェに話すのは国家機密って奴だ。とは言え、多分そんな大それた話じゃねェから心配はすんじゃァねェ」
 (多分、て何だよ)
 耳を塞ぎたいと正直な所を思いながら、土方は一応は松平を促す様に軽く肩を竦めてそれに応じた。怖じけていると思われているのも癪だったし、口にし辛い話には何かそれなりの理由や見返りもある筈だと打算か或いは自棄の様に思って。
 結局、真選組に関わる大事では無い限り、その打算に乗る事を選ぶのが土方と言う人間だと、松平も恐らくは見抜いているに違いないし、その考えも別段違えてはいない。己の為の野心であれば危うきには近付かない選択も出せただろうが、生憎と土方の野心は近藤と真選組との利益に直結している。それらを活かす事の出来る隙は見逃せないのだ。
 「その国家機密とやらがどうしたって?」
 「戦は終わったが、民衆の意志を二つに分けちまった事そのものは未だに消えちゃいねェ。事実、巷にゃまだまだ攘夷浪士って犯罪者共が溢れてんだろ」
 「ああ」
 厳密に、攘夷戦争に攘夷派として参加していた者らを総称して攘夷浪士と呼ぶ訳では無い。広義では反幕勢力や思想の持ち主、またはその目的を謳う者全てが攘夷浪士と呼ばれる。要するに反社会的な侍、浪士はイコール攘夷浪士となる訳だ。
 彼らは自らを攘夷の徒と名乗る事で、嘗て天人に膝を屈した幕府を恨み、その幕府の排斥を目標としている。それは紛れもなく攘夷戦争の残り火を今でも消す事が出来ていない現実の証明でもある。
 近年では攘夷戦争を殆ど知らず、単純に社会が、世の中が気に食わないと声を上げる若者まで攘夷を掲げる始末なのだが、それも自らの少し先達に当たる年頃の連中に憧れた結果と言えよう。
 この国が過去最大の戦に於いて残した爪痕は、思想の面でも未だ大きい影響を残しているのだ。
 「で、だ。ただでさえそんな民の思想も残ってるってェ中、未だ攘夷戦争の終わってねェ場所ってのがまだこの国には存在してるんだなこれが」
 「…………その言い方だと、攘夷浪士がそこらに未だ残ってる事実が、その『場所』って意味じゃ無さそうだな?」
 遠回しに近付く様な松平の言い種に、土方は眉を寄せてそっと息をつく。手渡されていたのは攘夷戦争の公的な記録。そしてその中に記述される事の無いと言う国家機密とやら。
 「察しが良いじゃねェか。まぁその通りでな、天人が来た時に開国と言う幕府の方針に反発したある地方の一部の人間達がな、とある島に逃げ込んだ。で、以降何十年と外部から隔絶された孤立社会を形成しちまったんだよこれが」
 最早隠しようのない厭な予感に渋面を作る土方へと、松平はデスクの抽斗の鍵を開けてもう一冊別のファイルを取りだして見せた。薄さは先頃のものと然程に変わりは無いが、その表紙にべたりと押印された極秘の文字の紅いスタンプが異質な存在感を主張している。
 「この国の民として果たさなきゃなんねェ義務を放棄したんだ、当然連中には何の生活の保証も与えられる事は無ェ。当初は直ぐに根を上げるだろうと幕府も静観してたんだがな、小さな島での自給自足生活が意外と合っちまった様で、連中は発展する事も外部と交流の一切もする事無く、今も大昔の生活を大真面目に続けてるって訳だ。島の外に出ると天人(バケモノ)に殺される、って心底に思い込んでるんだろうよ」
 差し出された『極秘』のファイルを前に土方は暫し逡巡したものの、結局は諦め混じりにそれを受け取った。表紙自体は何て事の無い見た目だが、その中身は幕府が隠匿すべきと判断された内容が恐らくは記されている。正直余り好んで知りたい内容では無い。
 「孤島に引き籠もっちまった民衆、ね」
 天人への恭順──事実上支配の事だが──を良しとしない者らが各地で一斉蜂起した、それが攘夷戦争と言う戦だとは先の通りだ。そして実際戦場で戦った者ら以外にも、思想と言う面で彼らは多大な影響を残し続けている。
 そうでなくとも、古来よりこの国の人間には判官贔屓のきらいがある。武力に真っ先に屈した将より、戦う事を選んだ攘夷志士達を支持する声は非常に多かったのだ。平和の長くなった今でこそ漸く、攘夷浪士=今の幕府のやり方に異を唱えるテロリスト=犯罪者と言うイメージに落ち着いて来ているが、それでも未だに当時の英雄格の人間たちなどは庶民に酷く人気があるぐらいだ。特に攘夷戦争初期の英雄達の一部は劇物語のモチーフにもされたりしている。そうして戦争犯罪者でありながら匿われたり放置されたり恩赦を得たりしている者も少なくない数存在しているのだ。
 そう言った風潮の根強く残るこの時代では、孤島に逃げ暮らす反逆者たちに同調する者らも出て来るやも知れない。或いは、島の外の現状を知れば島民達が何をしでかすやら知れない。事は下手に運べば、攘夷戦争の小さな再来ともなりかねない危険性を孕んでいる。
 "無用な騒ぎや混乱を避ける為。"──それはそんな事実を隠匿する理由としては頷ける話だ。飽く迄本命は民衆の安全ではなく、幕府の安寧の方なのだが。
 肩を竦めながらファイルを手の中で弄ぶ土方に、松平は然し中身を見ろとは別に促したりはしなかった。抽斗を閉めると腕を組んで続ける。
 「当面、島や島民自体にゃ然したる問題はねェ。一度放置を決め込んだんだ、幕府はこの島の事を記録から完璧に消した。地理的には一応存在しちゃァいるが、火山性ガスが出てると言って近海や上空には何ひとつ寄せつけねェ様にしてる。一応定期的に、変な動きは無いか無人の小型観測機を送り込んじゃいるんだが…、」
 そこで松平は一旦言葉を切るとちらりと土方の顔を眼球の動きだけで見上げた。その様子から、どうやらここからがわざわざ真選組の副長が呼びつけられた本題だと気付いた土方は意識して僅かに背筋を正した。
 「実は今、連合からとある天人の犯罪者の引き渡しを求められててな。この国に逃げ込んだらしいってんだが、入国記録は確かにあるがターミナルからの足取りが全く知れねェ。
 で、だ。偶然件の島の監視に行った観測機がだな、その指名手配犯らしき奴を捉えたって寸法だ」
 ははぁ、と声には出さず片眉を持ち上げる事で理解を示した土方は、漸く手にしていたファイルを開いた。中には、一月に一度程度の長いスパンで、島の動きらしきものを記した記録が整然と綴られている。その内容だけでは極秘などとは到底言い難い、ただの孤島の観察日記としか読み取れないだろう。
 「で?」
 そんな『観察日記』の記録が、近日に迫る毎に不穏で奇妙な単語を記し始めたのを契機に、土方は簡潔な一音だけでそう問いた。もう大凡松平の言わんとする所に想像はついているのだが、それだけに面白くはないと言うのが本音であった。何しろ、事は江戸の治安維持の役割を負った真選組の仕事とは余りに掛け離れ過ぎている。
 某地方の沖に浮かぶ孤島。幕府は既に島民を見放す決断を下した。介入するのは簡単だが、恐らくは行われる事はない。諸外国との領土問題なども無くなった今では、小さな島一つに割くリソースも惜しいのだろう。何しろ話通りならば、無血開城と言う訳には行かなさそうな状況なのだ。ごく小規模の攘夷戦争の再来──否、単なる虐殺になる事は必至。
 そこに来て現代の情報化社会は目覚ましく恐ろしい。幕府主導の警察や軍がそこに武力ないし平和的にでも介入するとなると、ここぞとばかりに民衆やマスコミが騒ぎ出すのは目に見えている。最早極秘などと言う言葉は、誰かの舌に乗った時点で罷り通らないものだ。
 故に土方は難色を示す態度を隠さない。恐らく松平の告げようとしている内容は、問題の島に逃げ込んだと思しき天人の犯罪者とやらをどうにか捕まえて来い、とでも言った所なのだろうが…、
 「で?じゃねェよ、とっととその島行ってコッソリ天人の犯罪者を捕まえて来いってオジさん言ってんだよ」
 「ふざけんな、無理に決まってんだろ。連合で勝手に捕まえて帰りゃ良いだろうが」
 想像とほぼ違えなかった松平のきっぱりとした、さも当然の事の様な物言いに土方は思わず額を揉んだ。何をどう考えた所で人選──否、組織選ミスだ。場所は江戸でも無ければ、相手は攘夷志士でも無い。況して極秘作戦など真選組の領分では断じて無いのだ。
 「島は飽く迄ウチの国の領土だし色々問題もあるからってな、内政干渉になっちゃ悪いだろうとご親切な仰せだ。それに犯罪者の引き渡し協定の手順としても、あちらさん別段間違った事ァ言ってねェんだよ」
 事は、近所に買い物に行って来てくれ、と言うノリで出せる様な命令では到底無い。それでも飽く迄ごり押して来る松平に、土方は辛抱強く反論する事にした。半ば無駄だろうかと思いながら。
 「いやだから、なんでその役を真選組が受けなきゃならねェんだって話だろ」
 「俺の使える手駒の中じゃ、てめェらが一番適任だと思ったからに決まってんだろォ?」
 「……拳銃突きつけて言っても説得力無ェんだけど?」
 無駄か、と思ったその瞬間に、額にぴたりと向けられた黒光りする鉄の筒に土方は引きつった笑いを浮かべた。警察官僚でありながら日頃から平然と発砲を繰り返す主の意向を示す様に、僅かな硝煙の匂いが鼻をつく。今日も既に発砲済みらしい。
 どうやら松平の頭の中では既に真選組が事に当たると言うプランが完成しており、それに否やを唱える事は許さない、と言う事の様だ。適任とは言ったが、程良く荒事向けで秘密を護れる上に損失しても然程に被害が大きくなる事もない人材が揃っているとか、きっとそんな選出基準に違い無い。
 勝手な、とは思うが、この上司の持って来る話は大概こんなものだと思えば諦めもつく。と言うか最早そうとでも思って妥協するしかない。
 「件の天人はどうやら島で好き勝手、カミサマの如く君臨してるらしいって話だ。
 今は江戸(こっち)も平和だし、おめェらも暇だろうが。表立った手柄にゃならねェが、事情を知る幕府高官らにゴマを擂るには手頃だと思うがなァ?」
 「…………」
 餌に釣られたと言う訳では無いが、僅かに逡巡した土方の気配を察したのか、松平は煙草の煙を吐き出しながら銃口をゆっくりと下げると、代わりに机の上からこれもまた薄っぺらいファイルを探り出して、土方の鼻先に向けて突きつけてくる。
 極秘の判の同じ様に押された、このファイルがどうやら今回の『旅のしおり』と言う事らしい。への字に口端を下げた侭、土方が引ったくる様にそれを受け取ると松平はそれで良いと言う様に鷹揚な仕草で頷いてみせた。これで話は成立だ。
 「つぅ訳で、ちっと島にコッソリ旅行に行って来てくれや。極秘だから出張手当は出せねェが、休暇って事にすりゃ問題ねェ。
 なぁに、難しく考えねェでも良い。文明から切り離された大自然の豊かな孤島でのリゾートでバカンスだよ」
 「キャンプでサバイバルの間違いだろうが」
 受け取ったファイルを開いて吐き捨てる。島民の目を逃れ山林に潜みながら天人を探し出して逮捕するなど、どう控えめに見積もった所で楽しい旅行になる筈も無い。しかもこの流れでは、土方が現地に行く要員として(松平の頭の中では)もう確定している。
 土方は真選組の主な人事も取り仕切っている。会議や内々の相談の末に土方の纏める人事の最終決定権は無論局長である近藤にしかないが、滅多な事では否が唱えられる事はなく、概ね土方の提出する内容通りになると言うのが常だった。
 つまり、極秘任務に伴う人間を選出するのも土方のほぼ好きに出来ると言う事だ。
 (とっつぁんが近藤さんを一緒に呼びつけてねェって事は、要するに秘密裏に片付けろって事だ。まあ確かにあの人にゃこう言った秘密事は向いちゃいねェ)
 思って得るのは気鬱な事この上ない感傷だった。時々自分が、副長と言う役職(ポスト)を利用して好き放題している独裁者の様にも思えて来る。土方自身にそのつもりが欠片も無い事は明かだが、周りからそう取られているだろう想像は易い。極秘と言う名目もあって余計に後ろ暗い心地になる事は確かだが、ここは松平の無言の提案通りに近藤には何一つ漏らさず、伴う人員にのみ仔細を話す事にしておくべきだろう。
 (どの道狭い島とやらでの極秘行動ってんなら、俺ともう一人ぐらい居れば十分か。人数が増えりゃどうしたって現地民に異質な痕跡が目につき易くなる)
 幕府が飽く迄、件の島を隠匿して放置しておきたい、と言う意向なのであれば、土方にはそれをどうこう意見するつもりは無い。つまり松平の口にした通り、"こっそり島に行き"、"こっそり天人の犯罪者とやらを捕まえる"、のだ。
 言う程易くはない、と言うのは重々承知で、然し土方の頭の中ではファイルに記された情報と予定行動とを読みながらの思索が既に始まっている。
 「……そう言や、」
 ふとファイルから視線を上げれば、松平はもう用事は済んだとばかりに暇そうに耳をほじっていた。「あ?」と一音だけで問われるのに、土方は役に立たない後悔のジェンガを蹴倒す心地で続ける。
 「件の天人ってのは、一体何をやらかしたんだ?」
 連合に手配されているとなると、相当の悪事をやらかしているか、有益な情報でも持っているかのどちらかだろうとは思う。だがそうだとすると、宇宙の辺境を飛び回って逃げ回らずに、連合に加盟している地球の小さな島にわざわざ逃げ込んで悠々自適にしていると言うのがよく解らない。
 見遣った視線の先で松平は、土方の問いを吟味する様な数呼吸程度の間の後、片耳に突っ込んでいた小指を抜いて、ふ、と息で指先の滓を飛ばした。
 「大量殺人とか何とか、その中に書いてなかったか?」
 (…………つまり、よく解っちゃいねェって事か)
 正直に落胆はするが態度にも皮肉にも出さずに、土方は天人についての情報なぞ一行しか刻まれていないそのファイルを閉じた。
 「旅費は経費だし装備は支給される。後は現地でやる事やりゃお仕舞いだ。簡単な話だろうが?ま、煙草は止めといた方が無難だろうがな 」
 「その時点で既に最悪だわ。金貰っても行きたか無ェよ」
 どう考えても何をどう思い描いても、明らかに向いていない。領分ではない任務を強いられる事が作戦の成功率をマイナスにまで下げる事を、この上司は果たして理解しているのだろうかと土方は寸時抗議を言い募りかけて、結局口にするのは止めた。無駄だ、と先程から何度となく呑み込んだ事だ。
 キャンプかバカンスかサバイバルか。何でも良いが、つまり土方はこれから江戸を暫く離れて、文明を知らない島民の中に神を名乗って入り込んだと言う、姿形は疎か性別さえも知れない──どころか、捕らえる罪状(理由)さえも知れない天人を探さなければならないらしいと言う事だ。







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