五棺桶島 / 8



 家屋が比較的近くに並んでいた集落の中心から少し離れた所に建てられたその建物は、元々人の住む用途より倉庫か何かとして利用されていたのだろうか、高い屋根に小さな換気窓しかない、四方をぐるりと土壁に覆われた小屋と言った印象だった。
 そこもまた他の家々と同じく灯りの気配は無く静かだ。土方は獲物に忍び寄る獣の様に身を屈め慎重に歩みを進めたが、虫の声と風の音以外に音の無い闇の中では、踏みしだく草の音さえ耳障りに騒音を響かせる。
 ざり、と足下に踏んだ土が小石に擦れて音を立てる。車や機械の音の無い夜の中では人間は騒音の塊でしかないと思い知らされ、土方は多少どころか己の全身のあらゆる箇所が引き起こす雑音を思って眉を寄せた。今は夜だからかこれだけ騒がしくしていても見つかっていないのだから構わないが、もしも人目を本格的に忍ばねばならぬ事態になったらどうすれば良いのだろう。
 と、嘆いてみた所で生憎と土方には隠密や忍の様な真似事は出来ない。精々物音や足音を立てまいと努力し、多少の事は諦めるほか無い。
 果たしてこの倉庫の中に銀時は──万事屋一行の残り二人は居るのだろうか。今し方の神楽産の情報からして恐らく間違いは無いのだろうが、中に居るのが目指す人間だけとは限らない。
 然し幾度見回した所で倉庫の外壁は頑丈そうな土壁である上に、覗ける窓の類も見当たらない。となると耳を欹てた所で話し声などが都合良く聞こえて来よう筈も無かった。仕方がない、と腹をくくると、土方は木製の入り口の前に立った。戸を軽く二度、叩くと素早く建物の角を回り込んで息を殺す。
 ややあってから、戸が建て付け悪そうにガタガタと揺れながら引かれた。闇の中に細く、建物の中から漏れる火を光源とした橙の灯りが線を引く。少なくとも中に人間が居るのは間違いが無い。
 程なくして、気取られる事無い様にじっと息を殺す土方の目は、その光の中に突き出された銀色に光る頭髪を見出す。
 「………」
 こぼれそうになった溜息(と罵声)を飲む。今度は諦観の意味では無かったが、涌いた何かの衝動を堪える仕草としては必要だった。再び建物の角に完全に身を隠した土方の存在には気付かなかったのか、戸から首を覗かせた男は暫くの間不審な物音を訝しんでいた様だったが、表に出てまでその正体を改めようとまでは思わなかったらしく、やがて再び戸をガタガタと音を鳴らしながら閉ざした。
 土壁に背を預けた土方は、溜息と共に呑み込み損ねた疲労感に似たものを暫くの間噛み締めていたが、意を決すると片腕を刀に添えて、閉ざされた戸の前に再び立った。
 少なくとも目当ての人間一人の所在は確認出来たが、中の様子は依然として知れていない。とは言えもうそこまで心配する必要は無いだろう。少なくとも己の側に立ってくれるだろう信頼に値する知己の所在は中に確認したのだから。
 それでも念の為、気の緩みも油断も漏らさぬ様に小さく息を吸うともう一度戸をこつこつと叩いた。今度は注意深くその場でじっと耳を澄ませる。
 話し声。人の動く音。戸に掛けられた閂を外す音。戸に手を掛けこぼされる声。
 「何だってんだよさっきから──、」
 がたがた、と戸が人一人の顔を認識出来る程度に開いた瞬間、土方は帯から持ち上げた刀の鞘を掴んで柄の先をそこに差し込んだ。と、と小さな音を立てて、腹の辺りに何かが当たった感触に目前の男が意識をそちらに向けたのは寸時。
 「、」
 刀の柄頭が腹に当たったのだとは直ぐに見て解る事だ。だがその意識が上方へと向いて、目の当たりにする知己の顔へ疑問と誰何の声を上げるより先に、土方は戸を更に開いて爪先を、全身を無理矢理に建物の中へと滑り込ませて仕舞う。
 腹に当たった侭の柄頭と、無理矢理押し入って来る人間とに押されて銀髪の頭が自然と後ろに下がる。土方は後ろ手で建て付けの悪い戸を何とか閉めると、
 「閂」
 そう一言だけで簡潔に問いた。受けて、男の目が自然と向いた、戸の横に置いてある木材を掴むと閂代わりなのだろうそれを戸につっかい棒の様に置く。元々倉庫の用途として使われているから内鍵になるものは本来は無いのだろう。だがそれを置いていたと言う事は、こんな島でも──否、こんな島だからこそ必要な『防犯』と言う意味に他ならない。
 戸に置いたあり合わせの閂を確認した土方が殊更にゆっくりと振り返ると、銀髪頭のよく見慣れきった顔はぽかんと口を開いて眉を寄せ、目前に突然現れた来訪者の姿を上から下まで何度も見直していた。
 「いつも以上に間抜け面になってんぞ。まァ気持ちだけは解らんでもねェ、こっちも同じ様なもんだ」
 万事屋、と最後にそう付け足して呼べば、銀時は漸く目の前の土方を、正しく己の知る人物であった事を認識したらしい。そして持ち前の妙な聡さを働かせてくれたのか、驚いたり取り乱したり喚いたりする事も無く、何処か呆気に取られた様子で、
 「あー…、つまりオメーもこうなる前に凄ェ驚いた段があったってのは解ったわ」
 そんな、余計な一言付きで、納得を示して頷いて寄越したのだった。
 
 *
 
 矢張り倉庫だったらしいその建物の中は、仕切りの類を持たない一間だけの家として使われていた。元々置いてあったのだろう農耕具の類が壁周りをごちゃごちゃと囲み、室内の中央を急拵えの囲炉裏にしたその周囲だけを何とか生活空間として空けている。地面が剥き出しの侭の床には蓆が絨毯の様に敷いてあるのみだった。人の住む家と言うよりは、住まわせて貰っている物置、と言った方が的確だ。
 建物自体は八畳程度の大きさがあったが、収蔵してある物品を壁際全てに除けているから実際の床面積より狭く感じる。成人男性の寝泊まりをする場所にしては、高い屋根以外かなり手狭だ。江戸の不動産事情と照らし合わせてみても大凡最低ランクに位置する物件と言えるだろう。
 そんな元物置、現家屋の中には銀時の他に驚き顔の新八も居た。二人とも恰好は概ねいつもの通りだったが、銀時はいつもと異なり白い着流ししか身につけていない。
 その二人の様子や、物置なんぞで世話になっていると言う所、そして神楽の証言からも何となく経緯の想像はついていたが、土方が一応問えば、
 「船が沈んでタイムスリップでもしちまったかと思ってたわ」
 と、銀時。まあい號離島特区の情報など知る由も無い一般人には無理の無い話だろうと、しみじみ銀時の言葉に同意を示す新八の苦笑いを見て、土方はどうしたものかと思案する。
 依然としてこの島に関わる諸々の話が部外秘である事や、自分たちに課せられた任務そのものに変更点は無い。だが、内部に何故か飛び込んで巻き込まれた人間たちを前にして、今更極秘だ何だと口にしても仕方が無いのは解り切っている。
 「生憎、タイムスリップじゃねェ。残念過ぎる話だが現代だよ。で、何でこんな島にタイミング悪く迷い込んでんだとか、てめぇらに言いてェ事は山とあるんだが…、」
 片手で頭を抱えて懊悩の仕草を一応示すと、土方は急拵えの囲炉裏の周囲を囲む形で腰を下ろしている銀時と新八との疑問の視線を受け止めた。
 銀時らの心情とて、何がどうなってこんな環境に置かれているのか理解し難いのは確かだ。況してその渦中に見知ったチンピラ警察が訪れると言うのも。これは警察としての義務では決して無いが、最低限の説明は必要だろう。
 部外秘だと一応は言い置いて、土方はこのい號離島特区と任務についての概要をかいつまんで説明した。簡潔に、時代錯誤な暮らしを大真面目にしている島である事と、幕府がここを放置している事と、そこに目的があって己と山崎とが潜入したのだと言う事とを。
 一つ目は土方らより先にこの島に迷い込んでいた銀時たちの方がより知っている事だろう。そして三つ目は現状から概ね想像に易い事だ。重要なのは二つ目、幕府がこの島を放置していると言う事──つまり、外部からの助けの期待の一切が出来ないと言う事実だ。
 銀時は聡くも、つまりそれは脱出する事自体も困難だと言う事までを察したのか、難しげな表情を作って口端を面倒そうに下げる。
 「で、当然だが俺らは脱出や救出よりも、こなさなきゃならねェ任務を優先する必要がある」
 「まァそりゃそうだろうな」
 悪いが、と土方が続けるまでもなく、銀時は先んじて肩を竦めてみせた。
 「だが、」
 期待は端からしていない、と言う響きの乗った言葉を受けながら土方は続ける。幾らここが江戸ではないとは言っても、警察として遵守したい本分そのものは変わらない。
 そうしたい、と幾分明るく思える原動力に、この見慣れた面が一つあったから、とは言いたくは無かったが。
 「チャイナが厄介な状況にあるのも、てめぇらがこの文明以前の島で野垂れ死ぬのも、見過ごす訳には行かねェ問題だ。てめぇらにも脱出や救出のプランみてェなものが全く無ェ訳じゃねぇんだろうが、ここは一先ず協力してくれ」
 銀時が密かに囚われの神楽に接触しているのは、先の神楽との会話で既に知れている。そうでなくとも、万事屋の連中がこんなタイムスリップ紛いの島に放り込まれてただ大人しくじっとしている訳が無い。島を脱出する方法と言う具体的な案は無くとも、最悪神楽が『いけにえ』とやらにされる前には救出して逃げ出す程度の行動は想定していた筈だと既に土方は践んでいる。
 じっと見据える土方の視線を受け、銀時は片方の眉だけを器用に持ち上げて頷いた。面白がる様にも誉める様にも諦めた風にも取れる表情だと思いながら、土方は次いで頷く新八の方をも確認してから人差し指を唇の前に立てて言う。
 「俺らは或る標的を島から発見しなきゃならねェ。そいつは天人で、連合から指名手配喰らってこの地球のこの島に逃げ込んだ。で、今は『神様』めいた存在として振る舞って居るらしい」
 心当たりは?と問えば、銀時と新八は顔を見合わせ同時に肩を竦めた。かぶりを振る。
 「神様、って言う存在には流石に会った事は無いです。一番偉い人…、村長さんみたいな人は居ますけど、多分普通の人間なんじゃないかなあ…」
 その村長とやらの姿を思い起こしているのか、眼鏡の向こうの目を瞑って考えながら言う新八に、銀時もうんうんと頷いた。
 「確かに宗教的な行動はしちゃいたが、それが習慣なのか元々の信仰なのか、その『神様』を名乗る天人由来の物なのかまでの判断は流石につかねェな」
 「宗教」
 「ああ。例えば毎日決まった時間に村民皆揃って祈りだしたり、山頂にある社に参りに行ったり」
 鸚鵡返しにする土方にそう、両手を合わせて拝む様な仕草と共に銀時が言い添えた。確かにそれらの行動だけでは直接土方の探す『神様』の情報には結びつきそうもない。厳格な宗教的行動そのものは狭い閉鎖社会での結束を固める手段としてよく用いられるので、『神様』の降臨以前から行われていた可能性もあるだろう。
 (社には矢張り定期的に人が行ってたか。念の為に今度は山崎も連れて調べ直した方が良いかも知れねェな)
 自分の調査が行き届いていない事は承知だった。山崎なら土方の発見するに至らなかった何らかの要素を見付け出してくれるかも知れない。握った拳の上に顎を乗せそう考えると、土方は目前の二人の顔を上目に見上げた。眠そうな目の銀髪頭と、特徴のそう無いメガネの少年。何度見ても見慣れた顔としか言い様がない。それこそ、ここを江戸と思い違えしそうな弱音さえ憶える程に。
 一度閉じた目蓋の下で幾度目になるか、土方は己へと警告を促してから目を開ける。
 「勝負に時間を掛ける気は端からねェ。が、バレて無用な騒ぎを起こす気も無ェ。で、俺と山崎は明るい内には探索行動を取る事が難しい。
 その間──つまり昼間、島民から『神様』的な存在の情報を聞き出して欲しい。連中が崇めてる存在の居る場所とまでは言わねェが、どんな些細な話でも構わねぇ。宗教ならどんな宗教なのかとかそう言う話もヒントになるかも知れねぇからな」
 そこで一旦言葉を切れば、銀時と新八とは数秒と迷わず深く頷いて言う。
 「解りました。僕らも日中は村の人たちと農作業とかが宛われてるんで、その時それとなく訊いてみます」
 「どの道、その『神様』とやらを排除しねェ限り、神楽の救出も難しそうだしな」
 生贄と言うのが、『神様』に捧ぐ目的であるとされているのであれば猶更だ。
 天人の処分と言う行為自体、天人を忌避する島民にとって抵抗があるとは思えない。それにわざわざ宗教的な意味を付与すると言う事は、神楽を生贄に、と言うのは件の『神様』の意思が絡んでいる可能性が高い。
 土方は敢えてそこまでを口にはしなかったが──言うと神楽の身の安全を理由に協力を強制している様に聞こえると思ったのだ──、銀時は正しくそう解した様だ。
 「勝手に巻き込まれただけとは言え、てめぇら三人が一般市民だって事には変わりねェからな」
 余り深追いや無茶はするな、と、ともすれば溜息の混じりそうな言葉を何とか平淡に保って言うと、土方は視線を戸の方へと投げた。元よりここに余り長居をするつもりはないので、一旦立ち去る事を伝える為の仕草だった。
 「ま、適度に『協力』する事にしますかね」
 すれば、言って銀時が膝を軽く叩いて立ち上がる。その侭戸の方へと歩いて行った彼は閂代わりの板きれを外して土方の方を振り返った。見送りか、と気付いた土方は立ち上がって居住まいを正した。そこでふと思い出して言う。
 「そう言えば、山崎と別行動を取ってるんだが、てめぇら何か知らねェか?」
 先程までより離れた距離で、再び銀時と新八はきょとんと視線を行き交わせた。その態度から、想像はついていたが矢張り何も知らないのだろうと判断し、答えを待たずに土方は「そうか」と頷いた。
 万一にも山崎が見つかったとか捕まったとか、そう言った騒ぎは矢張り起きていないと考えるべきだろう。と、なると単純に土方と行き違いになって今頃は隠れ場所に戻っている頃だろう。
 「明日の夜また来る。ノックは二秒間隔で三回。四回目が叩かれたら戸は開けるな。何とか逃げろ」
 簡単な符丁を告げて、物置──もとい家屋を出れば、辺りには先頃までよりも更に闇を増した様に見える夜の風景が拡がっていた。星と月以外に光源のほぼ無い夜は、一寸先の距離でさえ危うい程に暗く静かだ。茂みの中で、森の木々の狭間で、虫や鳥の鳴き声だけが不気味に響いている。響きすぎて最早それを環境音と捉えられない。
 ふと土方が振り返れば、戸を閉めたそこに銀時が立っていた。銀時の白い着流しは闇の中で仄かに存在を知らしめて来る。ぼんやりと突っ立っていたら幽霊か何かと思うかも知れない。
 (……そう言えば、コイツの頭の色は怪しまれなかったんだろうか)
 思わずそんな事を考えながら、土方は目前に佇む銀時の手がそっと己の方へと伸ばされるのを呆っと見ていた。
 手の甲が触れる。頬のラインを固い指の骨がなぞるのに土方は僅かに目を眇めた。心地よさよりも不審さを示して。
 「…何してんだ」
 「もう会えねェかと思ってた」
 ふ、と笑みの混じった声音でそんな事を囁かれ、土方は「は」と笑い返す。タイムスリップしたとか本気で思っていたのならば有り得ない話では無いが、土方の知る限り銀時は余りそう言った悲嘆をわざわざ口や態度に出して示す手合いでは無い。
 「そりゃお生憎だったな」
 返す土方の皮肉げな調子も、大凡久方ぶりに偶然に会う情人に向けたものとは到底言えない質のものだったが、銀時も変わらず笑みの気配を保った侭でいる。
 「未だ道に慣れねェだろ。途中まで送ってって差し上げようかと」
 戯けた口調でそう言った銀時の手が土方の掌を捉える。
 解いて逃げようかと惑ったのは寸時。
 安堵を覚えた己に嫌気が差しているのは最早どうした所で消えてくれそうもない。
 それでも。
 「……途中までな」
 土方は結局、見下ろした手指を振り払う事が出来なかった。






  :